4.演技と嘘と・後

「お嬢さん?」

 練習が終わってから、一度神殿に戻ると伝えたら送ると申し出てくれたフランがミルドレッドをのぞきこむようにしてきた。

「なにか考え事ですか?」

「あ…… ううん。なんでもないの」

 答えて、目の前の顔をふと見つめる。

「フラン、あなた、私の顔を見てあまり驚かなかったわね」

 どうして? と聞くと彼はさっきと同じような笑みを浮かべた。

「そりゃ、俺みたいな地方貴族の息子は王城にお呼ばれしたことなんてただの一度もないもんで」

 フランの言葉に、ミルドレッドは「本当に?」とうろんげに尋ねた。

「私、あなたの声を…… 声と顔をどこかで――」

「―― 姫様」

 突然、背後からやってきた人物に腕を取られた。反射的に振り返って。その顔に絶句する。そのまま腕を引かれ、ユージーンの背中に追いやられる。

「何をしてた?」

 ユージーンの今まで聞いたことのないような冷たい声にミルドレッドは思わず顔を上げた。

「なにって?」

「この人に何をしていた?」

 フランがふっと笑う。さっきまでとはまるで温度の違う笑みにミルドレッドは何が起きているのか理解できない。

「そんなに大事なら目を離すなよ。盗られたくなきゃそうやってずっとつかんどけ」

 ユージーンのミルドレッドの腕をつかむ手に力がこもる。フランが立ち去ってもそれは緩まず、ミルドレッドはついに声を上げた。

「い―― 痛い、痛いわ、ユージーン」

 ユージーンははっとしたように振り返って手を離すが、険しい表情は変わらない。そのままふたりとも言葉を交わさずに大神殿へ戻って、ミルドレッドは大神官ジョッシュのとがめを受けることになる。

「己を信ずる者を裏切るということは最も許されない罪のうちのひとつですよ、ミルドレッド姫」

 諭す大神官の声は、ミルドレッドには響いてこない。姫がうわの空なのを感じ取ったのか、大神官は彼女のそばにそっと腰を下ろした。

「なにかありましたか? たとえば、ユージーンと喧嘩をしたとか」

 基本的にユージーンとの間で起きた出来事は、あらゆる所で筒抜けだ。それはいつも一緒にいるせいに他ならない。ミルドレッドが唯一気兼ねなく話せるのはユージーンだけであったし、それを知る父は出来る限り今回のような遠出の際には彼をつけてくれた。

 ―― そういえば、ベンジャミンにはそういう相手はいない。ミルドレッドが知らないだけかもしれないが、知る限りで言えば唯一気軽そうに話しているのを見たのがユージーンだ。

 ミルドレッドはそこでふと気がついた。

(私は今まで、知らない間にベンからユージーンを取り上げていたのではないか?)

 ユージーンに限った話ではなく、ほかの部分でも知らないうちにベンジャミンからなにかを取り上げ奪っていたのではと思うと、ミルドレッドは居ても立っても居られない。

「…… ユージーンはいつも、私に付き合ってくれているだけだもの」

 ユージーンだって同じ男の方が気安いし楽しいのかもわからない。

「姫に気に入られているのは騎士として良いことだものね。…… そりゃ、誰にも嫌だなんて言えないわ。たとえ、どんなに傷ついていたとしても」

 大神官は黙って聞いていたが、ふと立ち上がると棚から瓶とグラスを取り出してミルドレッドのそばへ戻ってきた。

「―― 私が姫くらいのころ、唯一無二の友達にうっかりひどいことを言ってしまったことがあります。その友達は、私の言葉を受けて『傷ついた』と正直に言ってくれたのですが、私は―― 自分の失態をなかったことにしたかったのでしょう」

 グラスに赤い液体を注ぎながら言うと、大神官は一旦言葉を止め深呼吸した。

「ほんの冗談だよ、と……。こんなことで何を傷ついたと言うんだと……、逆に彼を責めるようなことを言ってしまったのです。自分の気持ちをはっきり申告することで、彼は私に対してとても誠実でいてくれたというのに、私はまったく逆のことをしました」

 注がれたグラスを持ち上げて鼻先を寄せると、甘酸っぱい香りがする。木の実のジュースだ。

「それは私の知ってる人?」

 尋ねると、大神官はいいえ、と否定する。

「どうして私にその話をしてくれたの?」

「さて……」

 大神官は吐息交じりに言って、自身もジュースに口をつけた。

「ただ、姫様が私と同じような失態を犯さないことを願いますし、彼のような友と出会うことを祈っていますよ」

「…………」

 ミルドレッドは大神官の言葉の意味を考えながら、ゆっくりとジュースを飲み干した。

(きちんと向き合って、本当の気持ちを伝えたら、ユージーンは許してくれる?)

 許してもらえないかもしれない。でも知りたい。ユージーンの本当の気持ちを。伝えたい。自分が思っていることのすべてを。

「外が騒がしいですね」

 言われて、ミルドレッドはようやく部屋の外へ意識をやる。たしかに外が騒がしいようだ。大神官が部屋の中で待っているようにミルドレッドに伝えてから、部屋の外へ出て行く。しばらく経っても騒がしいままなので、窓から外をのぞいてみる。

「だめですよ」

 窓の下から聞こえた声に、ミルドレッドはびくりと肩を震わせた。窓の下へと視線を動かすと、すっかり気まずくなってしまった騎士の姿がある。

「姫様は謹慎中の身でいらっしゃるんですよ。まさか、窓から出て行こうなどとはお思いじゃ――」

「わ、わかってるわよ」

 穏和な大神官とは打って変わった、説教じみた口調にミルドレッドは思わず声を被せた。

「窓からなんて出て行くわけないじゃない」

 呆れたように言ってみせてから、自分がつい数時間前に窓から飛び出して行ったことを思い出した。じとりとした目つきでこちらを見てくるユージーンの視線に耐えかねて声を上げそうになったころ、外に知った顔が見えてミルドレッドは窓から半身を乗り出した。

「ケイト!」

 つい先日別れた、栗色の髪の毛が揺れ同じ色の瞳が大神殿を囲う柵越しにはっきりとこちらを向く。

「ミリー?」

 ケイトは一人だった。彼女はミルドレッドが顔をのぞかせているのが大神殿だとわかると少しだけ腰が引けたようになった。ミルドレッドはかまわず尋ねる。

「ケイト、この騒ぎはいったいなんなの?」

「ケイトさん、絶対に教えないでください」

 すぐさまユージーンが止めに入って、ケイトは戸惑ったように二人へと交互に視線を送った。そして申し訳なさそうに言う。

「私も今聖都に着いたばかりで、よくわからないのよ。今ハンスたちが見に行ってるんだけど…… あっ」

 話ながらケイトは何気なく道の向こう側へ視線を投げ、やってきた姿に声を上げた。

「おい、向こうはすごいぞケイト! そこの宝石屋に強盗が入って、誰が人質になってると思う? 聞いて驚けよ、あのモニカ・オルコット嬢だぜ! 人もみんな集まって……」

 ケイトのそばに駆け寄るなり事のあらましをすっかり話してしまったハンスに、まっさきにユージーンが目元を覆い、ケイトが肩を落とした。

「最高のタイミングだわね、ハンス」

 皮肉たっぷりに言ってみせるケイトの上方で、がたんと音がする。

「ちょっ―― 待ってください、姫…… お嬢様!」

 ユージーンが止めるのも聞かず、ミルドレッドは窓の外へと飛び出した。どこへどう着地するかなどまったく予測もしていなかったので、あやうくドレスの裾を踏んづけて転びそうになったのをユージーンが助けてくれる。

「だめです、絶対にだめです。強盗だなんて、近くに仲間が大勢いるかもしれないし、俺たちが予想もできないような恐ろしい連中と繋がっている可能性だってある。モニカ嬢が人質ということは、身分の高い家の令嬢から身代金を巻き上げたいのかもしれないし――」

「だから行くのよ、ユージーン。なぜわからないの?」

 礼を言う隙も無くまくしたてる騎士に、ミルドレッドはきっぱりと言い返した。

「もし万が一モニカがけがをして、舞台に立てなくなった時、悲しむ人がどれだけいるか、少しでも想像してみたの? 私だってその一人よ。自分の好きなものひとつ守れないなら、王女なんてやめた方がずっとましだわ」

「…… だからあれについていったんですか」

 説得しているつもりが、思わぬ方向から差し出された問いかけに、ミルドレッドは首をひねる。あれとは、フランのことだろうか。今は彼のことは無関係のはずだが。問いかけをした本人は、なんとなく悲しそうな顔をしている。

「のこのこと、なんの警戒もしないで。姫様こそ、ご自身が傷つけられたらどうなるか、考えたことが少しでもおありですか?」

 いつになく真剣なユージーンの表情に、ミルドレッドはなにも言えなくなってしまった。なんの警戒もしなかったわけじゃない。でもあの男に不思議と警戒心がわいてこなかったのも事実だった。

「…… 私は傷ついたりしないわよ」

 どうにかそれだけ口に出す。

「ユージーン、おまえが四六時中そばにくっついてるんだもの。傷つきようがないわ」

 おまえが自分で言ったのよ、と付け足すとようやく騎士は怯んだような様子を見せる。と、すぐ近くでばきっとなにかが割れるような音が響いた。見ると、ケイトが柵の一部に手をかけて板を外していた。

「ここの柵、板が腐ってるからここから出るといいわよ」

 あまりに突然の、思い切った行動にミルドレッドもユージーンも言葉を失った。

「もしかして正面から出て行くつもりだったの? それじゃ捕まって連れ戻されておしまいでしょう」

「…… そりゃそうだ」

 そばでミルドレッドたちと同じように言葉を失くしていたハンスが言って、ケイトに代わり板を外し出す。

「ちょっと待ってください、姫様は――」

 すっかりミルドレッドの身分を隠すのを忘れてしまっているユージーンに、ケイトはきっぱりと言う。

「前に会った時より、今のミリーの方がずっと素敵よ。そう思わない?」

 その足元では、ハンスが淡々とミルドレッドが通るための穴をあけるため板を外し続けている。

「私もハンスも孤児だから、こうして各地を巡るまで自分が住んでいる国の王様の名前も、お姫様の名前もなんにも知らないような世間知らずだったけど、それでも演劇界で名を馳せる彼女がいなくなったことによる損失は、ほんの少しくらいは理解しているつもりよ。この状況が、私たちみたいなちっぽけな、それもはみ出し者ばかりの劇団の人間の力だけじゃどうにもできないってこともね」

 ハンスが一息ついて立ち上がると、そこにはちょうど、人ひとりがしゃがんで通れそうな穴が開いていた。

「さあ、どうする、お姫様? 私たちにできることならなんでも手伝うわよ」

 ミルドレッドは隣に立つ男を見た。頭の中にあることを実現させるには、ほかでもないユージーンの協力が不可欠だった。姫の視線に何かを察したユージーンが、ひとつため息を吐いた。

「絶対に、危ないことはしないと約束してください」



 宝石屋は、聖都の広場にあるいくつかの露店の中にあった。ミルドレッドたちが広場に赴くと宝石屋以外の店はもぬけの殻で、そこを中心に取り巻きができていた。

「道を開けなさい」

 ミルドレッドが声高に言うと、人々がざわめいた。その中から、知った声が聞こえてくる。

「あれ、ミルドレッド姫じゃないか?」

「嘘、冗談でしょ」

「いや、以前にも巡礼でいらしてたのを見たことがあるから間違いない」

 ざわめきは知った声を中心としてどんどん大きくなる。裂けるように隙間ができていく人混みを通り抜けて、ミルドレッドとユージーンは宝石屋の前に出た。強盗らしき男に短刀を突きつけられたモニカと、その後ろで腰を抜かしている店主が見える。男の武器は短刀だけらしいのを確認して、ユージーンと頷き合う。

 円状になった人々の中に、神官の姿がある。なにか口を出される前にミルドレッドは自ら口を開いた。

「わたくしはミルドレッド。この国の王エイドリアンの第一の継承者ミルドレッド」

 人々の声がまたいっそう大きくなる。ミルドレッドは隣に立つユージーンを一瞥した。彼はわざとらしく腰に下げた剣に触れて見せる。

「説明しなくてもおわかりよね? 単なる巡礼で来ているだけだけど、一国の王女の護衛に何人の騎士がついているか――。あなたが今すぐそのひとを解放するなら、わたくしはわたくしの騎士になにもしないよう命令してあげる」

 ついてきた騎士はユージーンのほか最低限の数名だけだが、強盗にはそんなことはわからない。少しだけ視線が揺らいだ。ミルドレッドは首に下げたペンダントを外して、地面に投げる。

「そこそこ名のある石よ。好きに使っていいから、そのひとは解放して」

 瞬間、男の手がモニカの体から外れた。地面に投げられたペンダントに男が手を伸ばそうとしたと同時に、八方から飛び込んできた神殿騎士に取り押さえられる。大人しくしろ、と押さえつけられる体をよじって、男がいまだ緊張した表情のミルドレッドを睨む。

「だましたな」

「嘘はなにも言ってないわ。私は約束通り、私の騎士にはなにもしないように命令しただけ。神殿騎士のことは管轄外よ」

 そもそも、聖都での出来事はすべて大神殿の管轄でミルドレッドはおろか、王でさえも簡単に口出しできることではない。ミルドレッドはユージーンが拾い上げたペンダントを自身の手中に戻すと、男に向かって尋ねる。

「これも、模造品としてはすごく名のある石よ。その短刀を研ぎに出すぶんのお金くらいにはなると思うけど、いる?」

「いるか、そんなもん!」

 男は噛みついて、くそっと悪態をついた。

「あんたのその卑怯な性格、仲間中に言いふらしてやるからな」

「どうぞお好きに」

 つんと澄ました態度で返せば、男は舌打ちして神殿騎士に連れられていった。

「殿下」

 男が去ると、神殿騎士に保護されたモニカがこちらへやってきた。後からギルバートや〈グラス・ホッパー座〉の座長も駆け寄ってくる。

「本当に、なんとお礼を言ったらいいか……」

「座長の私からも、お礼を申し上げます。つきましては、お父上にも――」

「い、いいのよ、いいの」

 神妙な様子で頭を下げるモニカと座長にミルドレッドは「そんなことより、怪我はない?」と尋ねた。

「…… ええ。殿下のおかげでこのとおりですわ」

 そういう割には、モニカの表情はどこか暗い。険しいまではいかなくとも、助かってよかったという顔ではない。

「このお礼は、近いうちに必ず」

 ミルドレッドとしては、好きな劇団のため―― つまりは自分のために動いただけであって、礼を言われるのはむしろ心苦しい。とはいえ、こちらは王女で、向こうは王室ともかかわりのある家の令嬢だ。礼を断られては向こうも困るだろう。

「―― そうだわ、だったらひとつ、お願いがあるのだけど」

 ミルドレッドはふと思いついて後ろに立つ、モニカだけでなく、座長やギルバートの方を見て言った。

「あなたを助けるのに、〈山猫一座〉の団員に協力してもらったの。聖都に来るまでの道中で偶然知った劇団なんだけど、よかったら応援してくれたら私も嬉しいわ」


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