7.過去と秘密と・前
(四)
ユージーンの様子が変だった。
それなのに自分ときたら、また言いたいことだけ言ってしまってユージーンを困らせた。反省しつつも、でもミルドレッドはこうも思う。ユージーンが困ったり自分のために頭を悩ませてくれるのを見ると、大事にされているのだと実感する。単なる忠義心か、まやかしかもしれないが。
もう病気だ、と思いながら起きて部屋を出ると、いつもの護衛のほかにユージーンの姿がある。
「…… 陛下からのお達しです」
どこかむっつりとした複雑そうな表情で言われ、ミルドレッドは「あ、そう」と頷いた。今日は祭事のために城へ来た貴族に面会する予定だったが、昨晩の事件が原因で後ろ倒しになっている。面会より先に、王から説明があるだろう。
「負傷したのは騎士グレゴリー・モフェット。といっても傷はほとんどかすり傷だそうだ。幸い、通りかかったある人物に助けられてな」
玉座のある謁見の間に赴くと、王からそう言われてミルドレッドはあからさまにほっと息を吐いた。
「グレゴリーに面会することはできますか?」
「ああ。助けた人物ももうすぐ来るはずだが……」
エイドリアンは懐から懐中時計を取り出し時間を確認すると、それから何気ない様子で口を開いた。
「それとミルドレッド。昨日の件だが」
「失礼いたします。アンバー卿がいらっしゃいました」
王が話し出した瞬間、謁見の間に騎士が入ってきて言った。王は一瞬渋い顔をした後、ここに通すように合図した。アンバー卿というと、ユージーンの母方の遠縁にあたる家だったはずだ。ミルドレッドも何度か挨拶したことがある。祭事が近いので、何人かの貴族は城下の屋敷に戻ってきたり、あるいは城内にしばらく滞在したりする貴族がこうして挨拶に来るのだ。
ミルドレッドがアンバー卿がこれから入ってくるであろう方向を振り返ると、後ろに立つユージーンがなんだか妙な表情をしている。
なんだろう、と思っているうちに、アンバー卿が騎士に連れられて入ってくる。
(え?)
ミルドレッドは我が目を疑った。卿の数歩後ろから付いてくる青年の姿から目が離せない。アンバー卿はひととおり決まった挨拶をしてから、一緒に入ってきた青年を指し示す。
「息子のフランシスです。このたび成人しましたので、一度お目通りをと思い連れてまいりました」
青年は父親の紹介を受けて深々と礼をした。顔を上げた青年の、頭から爪先までミルドレッドは思わず無遠慮に眺めてしまう。
「フランシス・アンバーと申します」
間違いない。
(フランだ)
あの、〈グラス・ホッパー座〉の、あのフランだ。あの時の格好とはまるで違うし、頭だって綺麗にまとめてあるせいでまさか同一人物とは思えないが、声が同じだ。
ユージーンにふらふらついていったなどと叱られたのを思い出す。反省はしているけど、でもつい行ってしまったのはあの声がなんとなくユージーンに似ている気がしたからだった。
そういえば、声だけでなく背丈も似ている。
「…… えっ……?」
今度は声が出た。声とか背丈とか、それだけじゃない。そんなものじゃない。困惑気味に頭をかかえるミルドレッドに、王が「そうか、おまえは知らないか」と口にする。
『次男のユージーンです』
いつか聞いた言葉を思い出しながら、どこか気まずげな顔で立っているユージーンと、貴族然とした表情で立つフランシスを見比べる。
似ている。とても。
「ユージーンとは双子で、彼は幼い頃にアンバー家の養子に……」
なかばあっけにとられているミルドレッドにかまわず王が説明するのを、ミルドレッドはどこか遠くで聞いていた。
あの、と中庭の隅の椅子にむすっとした表情で腰かけているミルドレッドにユージーンがおそるおそるといった様子で話しかける。
「すみません。隠しているつもりはなかったのですが」
ミルドレッドは返事をしない。永遠かと思われるような時間が流れたあと、ようやく彼女は口を開く。
「つまり、ずっと私がユージーンと最初に仲良くなれたと思っていた思い出はおまえとの思い出じゃなかったってことよね」
「は……」
一瞬何の話かと思いかけて、思い至る。
昨日、ミルドレッドが言っていた話だ。あれはフランシスとのことだったのか。途端、薄暗い感情がユージーンの胸の中を支配する。
「…… 勝手に勘違いしたのは、姫様じゃないですか」
一方的な想いだと、初めからわかっていた。それでも、ミルドレッドの気持ちはその程度なのだと思い知らされた気分だった。
「何よそれ。教えてくれなかったのはそっちでしょ」
「わかるわけないでしょう、そんな昔のこと」
「フランのことよ!」
生まれてからほとんどの人生を王女として過ごしたミルドレッドにとってユージーンは、数少ない友であり、兄のような存在だった。けれど、ミルドレッドが知るのは彼が騎士団長の息子であるということだけで、他にはなにも知らない。現に、双子の兄弟がいるなんてことも今の今まで知らなかった。
ミルドレッド自身のことは、家族構成から好きな食べ物、嫌いな食べ物、ここ最近の悩みまでなにもかも知られているというのに。
対して自分は、ユージーンの悩みひとつ解消できない。
ここへ帰ってきてから特に、ユージーンはなにか悩んでいるように見えるのに、その原因すらわからない。
こんなにも彼を失くしたくないと思うのに、そのためにはどうすればいいのかわからない。
「…… それは……」
口ごもるユージーンに、ミルドレッドは「もういい」と言って立ち上がった。そのまま踵を返そうとすると、ユージーンが我に返ったようにはっとして姫の腕をつかんだ。思いのほか強い力で、ミルドレッドは反動で少しよろめいた。
「な……」
「どこへ行く気ですか」
何、と問う前にユージーンの低い声が降ってきて、ミルドレッドはその雰囲気に圧倒される。
「―― っど、どこだっていいでしょ」
「あいつのところ?」
ミルドレッドはぞくりと背を震わせた。彼の瞳は、冷たいなんてものじゃなかった。哀しみにも、怒りにも似て、そしてどこか寂しげで、でもそれらのどれでもないような。ミルドレッドの知らない温度がそこにあって、怖くなると同時になんとなく、そこから離れてはいけないような、このままユージーンのそばにいてやらねばならないような、そんな気持ちにさせられた。
「こんなことを言う権利が俺にないのは重々承知していますけど、あれを選ぶのだけはやめてください」
選ぶ? どこから何を?
ユージーンはなにかずっと、ミルドレッドの知らないなにかを恐れているようだった。そこでふと、聖都での出来事を思い出す。あの時もたしか、こんな目をしていたのだった。
「…… ゆ……」
ユージーンの肩に触れようとしたその時、近くの茂みががさりと動いた。ミルドレッドとユージーンがそろってびくりと肩をすくませるが、ミルドレッドからはそばの植え込みが妨げになってよく見えない。
「あら、お邪魔だったわね」
聞いたことがある声だ。
「それとも、ここは城内ではそういった場所として知られているのかしら? だったらごめんなさい」
艶やかで繊細な、けれど芯の通った声。
「モニカ」
現れた人物の正体がわかると、ミルドレッドは彼女の前に姿を現した。いち観客として姿を現すのは気が引けるが、今のような場では自分のためにも相手のためにも、ただの貴族として相対することに決めている。
モニカ・オルコット嬢は前に会った時のような衣装や簡素なスカートではなく、貴族が身にまとうようなアフタヌーンドレスを着て、髪もおそらく侍女の手でしっかりと結い上げられていて美しかった。
「まあ、ミルドレッドさまでしたのね」
モニカは少し驚いたように言うと、ちらりとユージーンを見て、彼だけに聞こえるような小声で「なるほどね」とささやいた。
突然顔を赤くしたユージーンにミルドレッドは首をかしげた。
と、たった今モニカが出てきた茂みがもう一度鳴る。
「―― あ」
体格の良い、モニカより一回りほど年上に見える男は、〈グラス・ホッパー座〉の団長をしているアイザック・リーヴズだ。
「モニカ、君―― っと」
アイザックは王女の存在に気づくと言葉を止め、ミルドレッドに向き直った。
「これは、姫様…… その、お見苦しいところを」
「あら、そんなのお互い様じゃなくて?」
モニカは頬に手をあてると、ミルドレッドに向かって歩み寄ってきた。
「ミルドレッドさま、聞いてくださいます? このひと、大事なことはなにも教えてくれないくせに、やれ隠すつもりはなかっただの、昔のことだとか―― 挙句の果てにはあれもだめ、これもだめだのと言って、束縛しようとするんですのよ。いくら団長といえど、自分勝手すぎると思いません?」
どこかで聞いたような話だ。ミルドレッドは横目で己の騎士を睨んだ。ユージーンは気まずそうに目を逸らす。
「そうね…… そうかもね」
ミルドレッドの冷えた声に関係のないアイザックまでもが肩を震わせる。そのそばでモニカは「まあ、同意していただけて嬉しいですわ」とおおげさに喜んでみせた。
「なんだかミルドレッドさまとは話が合いそう。ねえ、向こうでお話しません? こんな朴念仁といるよりずっと有意義な時間が過ごせそうだわ」
腕をとられて歩き出されては、進まないわけにいかない。とはいえ、このまま様子のおかしいユージーンと話し続けるのも考えものだ。しかし放っておくのも心配なので、振り返って目配せすると察したらしく、静かについてくる。一方、劇団長のアイザックはついてくる気配がない。
モニカはミルドレッドの腕を引いて中庭の奥まで入ると、薔薇の植え込みの前で立ち止まった。
「あらためて、この前は助けていただいてありがとうございました。ミルドレッドさま」
ミルドレッドが首を傾げるとモニカは「ほら、聖都で」と口にした。ミルドレッドはああ、と思い出したように言いながら、視界の端でユージーンがいるのを確認した。女性二人の会話を聞くのは気が引けているのか、少し離れたところで聞いている。
「でもね、本当のところ、少しくらい傷をつけられたのならよかったのにとも思いますのよ。よりによって姫様に助けていただいて、失礼を承知で申し上げますけれど」
モニカは演技をしている時以外の彼女にしては珍しい、自嘲めいた笑みを浮かべた。少なくとも対貴族用でないその表情に、ミルドレッドはどう反応すべきかわからない。
「私、長女なんですのよ。…… ご存知でしょうけど、おまけに一人娘。将来は婿養子を取らなきゃいけなくって。…… 怪我のひとつでもしたら貰い手がなくなって結婚しなくてよくなるかもなんて思ったのよね」
彼女はそんなわけないのにね、とモニカは今度はいたずらっぽく笑うと、くるりと身をひるがえした。明るいクリーム色のドレスの裾がひらめいて、木々の隙間から漏れる光で透けているのが綺麗だった。
「それをザックに―― うちの団長に言ったら、怒られてしまって。私もちょうどいらいらしていたものだから、つい。…… 付き合いも長いせいで、変に気を許してしまって、兄のように思っているところもあるんです」
「…… 私も」
後ろに控える男に聞こえないよう小声で言うと、モニカはくすりと笑った。
「彼はとてもいい騎士だって噂で聞きますけど、違うのかしら?」
靴の爪先と爪先を合わせ互いにしか聞こえないような小さな声でたずねられる問いかけを、ミルドレッドは首を振って否定した。
「いい騎士よ。きっと、すごくいい騎士だわ。でも、彼がいい騎士であればあるほど、私はとても寂しくなるの」
「同じだわ」
途中でモニカの方へと伸ばした手を、モニカがそっと握りながら言った。
「心配されるとすごく嬉しいけど、子ども扱いされたくなくていらいらして、でも自分に構ってくれないと悲しくなってしまうの」
勝手ね、と彼女がうつむきがちになると、頬にまつげの影が落ちた。これでは舞台の上でなくても、数々の男性がとりこになってしまうに違いない。
昼時を知らせる鐘が鳴った。
モニカはぱっとミルドレッドから手を離すと、城の方へと爪先を向けた。そしてユージーンのそばまで来るとおもむろにミルドレッドを振り向く。
「きっと、ミルドレッドさまも私も、そのひとのことがすごく好きなのね」
そう言うと、彼女は去って行ってしまった。さてどうしようかと思っていると、そばに立っていたユージーンと目が合う。
「…… なんの…… いえ、なんでもないです」
なにか言いたげだった騎士は言葉の途中で諦めて首を振った。
「部屋に戻られますか?」
「…… そうする」
騎士の問いかけにミルドレッドは頷いて、城に戻った。
―― なんの話、ってたったひとこと、それさえ聞いてくれたら。
(私は全部話すのに)
ミルドレッドはそんなことを思いながら、ユージーンの前を歩いていった。
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