6.家族と幼馴染と・後
なんだか城内がさわがしい。ユージーンは珍しく城門の警備にあたっていた。すっかり日も暮れて、ミルドレッドもそろそろ夕食を摂っている時分だろうか。ユージーンももう少し経てば交替して騎士の宿舎で夕食を摂って、ミルドレッドからの呼び出しがなければそのまま就寝となる。
今年十六になって成人したからには、ひょっとするとミルドレッドつきの護衛になれるかもと期待もしたが、そもそもミルドレッドは窮屈なのが苦手なきらいがあって王や王妃、ベンジャミン王子のようにどこでも護衛を引き連れてはいない。
(今でじゅうぶん幼馴染ということもあってそばにいさせてもらえるから特別文句は……)
ふと、ユージーンは聖都でのことを思い出した。いっときでも姫から目を離した自分が悪いとはいえ、気づかないうちに連れ去られてしまった。
くそ、と心の内でユージーンは悪態を吐く。
あいつには。あいつにだけは。
「おい、ユージーン。あれ」
同じように城門で警備にあたっていた同僚の騎士が、ユージーンに声をかける。顔を上げるとミルドレッドがこちらに向かって歩いてきていた。あれ、などというのは本来失礼だが、明らかに例外といった様子で他の騎士や侍従に止められながらこちらへずんずんと歩いてくる姿に思わずそんな言葉が出てしまうのも理解できた。
「―― 姫様? どうし……」
「―― なんでっ」
幼馴染の騎士のところへ来るなり、姫は両のこぶしを振り上げる。
「いつものところにいないのよ、ばかっ!」
こぶしの胸板へと振り下ろされて、ユージーンはうめいた。ことのいきさつなどひとつも知らないが、長い付き合いだ、彼女の声の調子から、完全なる八つ当たりであることがわかる。
ユージーンは彼女を受け止めつつ、後ろから追ってきた侍従、次いで同じく城門を守っていた騎士に目配せした。狭い場所だが、とりあえず姫を詰所の中の椅子にうながす。
「いったいどう……」
したんですか、と続くはずだった言葉は、ミルドレッドの顔を見るなりどこかへ消え去る。
突然何の予告もなく姫の瞳からあふれだした涙に、ユージーンはぎょっとして動きを止める。小さい頃は何度もあった。それこそ、彼女の母親が亡くなったばかりの頃とか。ユージーンも幼いなりに必死に慰めたが、彼女にとってそれがよかったのかはわからない。
「し、しっ神殿の、お祭りの、お父様が」
神殿のお祭りのお父様?
めちゃくちゃな言葉の羅列にユージーンは首を傾げるが、口には出さずに黙って聞くことにする。
「いつも全然私の話聞いてくれないのに、私のこと話を聞かないって怒って、私はユージーンは絶対私の話を聞いてくれるって言ったら」
泣きながら話していては喉が渇くだろうと思い、近くの水差しを手に取る。変えたのは交替の時だったから、もうだいぶぬるくなっているだろうか。ぬるい水では余計に喉が渇くだろうし、少し飲んで確認しようと置いてあった木製のカップに水を注ぎ、口に含む。
「そしたら、それはユージーンが私のことを好きだからだって言って」
瞬間、ユージーンは水を噴き出した。ミルドレッドにはかけずに済んだが、水が気管に入り込んでしまったのか咳き込むのが止まらない。
「ねえこれって私のことは別に好きじゃないってことよね?」
「―― は、ええ?」
涙声でうったえられ、ユージーンは咳き込みながらもどうにか返事をしようとする。しかしまだ苦しげに呼吸を整えているユージーンの前で、ミルドレッドは話を続ける。
「そりゃ、ベンの方が頭も良いし落ち着いてるし、私みたいのよりもベンを可愛がりたい気持ちもわかるけど、でもだからってそれを本人に向かってはっきり言う?」
ミルドレッドは怒りの感情の方が強くなってきたのか、こぶしを振りかざし力説すると水差しをひっつかんでたった今ユージーンが水を飲んだカップに注いでぐいっと中身を一気飲みした。予期せぬ言動に、ユージーンはすべての動作を停止させてミルドレッドを凝視する。
その視線には気付かずに、ミルドレッドはカップを置くと深いため息を吐いた。
「ねえ、今日ユージーンの部屋に泊まっていい?」
「は?」
服やテーブルの端についた水を拭きながらようやく平静を取り戻しかけたそばからそんなことを言われて、ユージーンは意図せず無礼と取られてもおかしくない声を上げる。
「だめ?」
「い―― いいわけがないでしょう」
「昔はよく並んで昼寝したじゃない」
「もう子どもじゃないでしょう、お互いに」
引き下がらない姫の様子にどう対応すべきか困り果てていると、詰所の入り口にさっきまで一緒に見張りをしていた同僚の騎士がひょいと顔を出す。
「すまん、ユージーン。この簿冊なんだけど」
「あ、はい」
まさに助け舟とばかりに、ユージーンは席を立つ。
「申し訳ありません、姫様。すぐに終わりますので」
同僚の騎士が言って、ユージーンもすみませんと断って詰所を出る。すると彼は心配そうな顔で声をひそめる。
「大丈夫か? もしだったら俺、侍従長とか呼んでこようか」
「ああ、いえ……。多分しばらくごねたら落ち着くので、しばらくそのへんをうろついてから部屋にお送りしようかと」
ユージーンはそう言って、すまなそうに眉尻を下げる。
「すみませんが、少しだけここをお任せしていいですか? 姫様をお送りして、交替までには戻るので」
「いいよ、いいよ。どうせもうすぐ交替の奴らが来るからさ、おまえはこのまま上がって、姫様についててやれよ」
「…… すみません。そうします」
同僚の言葉に素直に甘えることにして、ユージーンはミルドレッドのところへ戻った。
「姫様、とりあえずお部屋に戻りましょう。お供しますから」
姫の座る椅子の前に膝をついて言えば、彼女は即座に「いやよ」と返してきた。
「城に戻ったらお父様と鉢合わせするかもしれないし、ていうかすぐ上の階にいるし…… 今はフェリシア様ともベンジャミンとも顔を合わせたくないんだもの」
「…… じゃあ、騎士の宿舎の方から行きましょう。あまり遅くなると、今度は仕事終わりの陛下と鉢合わせになってしまいますよ」
そう告げるとミルドレッドはしぶしぶといった様子で立ち上がり詰所を出た。ユージーンは、同僚にひとつ目礼してからミルドレッドとともに城門を去った。
表から入るとユージーンと同じように勤務を交替して食堂に向かう騎士と大勢すれ違ってしまうので、中庭からぐるっとまわって別口から入ることにする。
「あ」
中庭を通り抜けようとしたところで、ミルドレッドが足を止める。
「ほらここ、さっき言ったところ」
昼に話した、ユージーンがミルドレッドと最初に遊んだという場所だ。ミルドレッドは幼い頃から部屋を抜け出してこういうところで遊んでいたという話はあちこちで聞いたことがある。でもそれはユージーンが遊び相手になるまでで、ユージーンと遊ぶようになってからは室内遊びが主になったはずだった。
「やっぱり覚えていない?」
「…… ええ。申し訳ありませんが」
ミルドレッドはふうんと言ってあたりの草むらを探索し始めた。四葉でも探すつもりだろうか。あるいは虫とか……。
ふいに宿舎の方が騒がしくなってきて、ユージーンは顔を上げた。なにかあったのだろうか。事件であれば、早急にミルドレッドを部屋に戻して――。
「うわ」
突然首筋にさわりとなにかが触れた気配にユージーンは勢いよく振り返った。そこでは葉っぱを手にしたミルドレッドが楽しそうに笑っている。
「虫だと思った?」
「虫だったら怒ります。―― もう、部屋に戻りますよ」
葉っぱを捨てさせて部屋に戻る道中も騎士や侍従が行き来していた。
ミルドレッドを部屋に送り届けてから自分も状況を確認しようした矢先、彼女が開けた窓から聞こえてくる大声にユージーンは動きを止めた。
尋常ではない、という表現では足りないほどの騎士たちの切羽詰まった声。
時が経てばたつほどに増していく人々の騒ぐ声。
「…… なにかしら、さっきから……」
ミルドレッドが窓から乗り出して外を見ようとすると、部屋の扉が外から叩かれた。ユージーンが扉を開けると、顔を出したのは最近新しく入ってきた侍従だった。彼女は「ああよかった」と安心したような顔をしてみせる。
「姫様、お戻りになってらしたんですね」
「下でなにかあったんですか?」
ユージーンが聞けば侍女は「私も詳しくはまだわからないのですが」と前置きした。
「城門に怪しい男がやってきて、見張りの騎士を斬りつけたみたいで…… 人づてに聞いただけですけど」
後ろでミルドレッドがはっと息を呑むのが聞こえる。侍女はそれに気付かずに「まだ安全が確認できないので部屋からお出にならないようにお願いします」と言い置いて去っていった。
扉が閉まると、ミルドレッドは脱力したように床へ座り込んだ。
「ひ……」
「私のせいよね」
ユージーンが声をかける前にミルドレッドがぽつりと言った。
「私が……」
「違います、姫様、それは――」
「なにが違うの。だってそうでしょ?」
落ち着かせようと言い聞かせる前に、ミルドレッドがユージーンの腕をつかんで詰め寄る。
「私が城門に行かなければ、おまえのところに行かなければ、ユージーンを無理に持ち場から連れ出したりしなければ、彼は傷つけられずに済んだんだもの」
なかばすがりつくように腕をにぎりながら、ミルドレッドはぎゅっと目をつむった。
「少し気に入らないことがあったくらいで、仕事中の臣下を頼ったりなんかして……」
「姫様」
耐えきれず、ユージーンは口を開いた。
「やめてください、そういうの…… 俺のところへ来たのが間違いみたいに言うの。…… 俺は」
やや驚いたように自分を見る姫と目が合って、ユージーンは言葉を止めた。
「………… 外の安全を確認してきます。窓と、カーテンも一応閉めていくので開けないように。あと部屋からも絶対出ないように」
すぐ戻ります、と言い置いて部屋を出る。
そして扉の前にしゃがみ込み、顔を覆ってため息を吐いた。
『俺は』
俺は?
いったいなにを言おうとした? 馬鹿か。言ったらその瞬間終わりだぞ。重ねた信頼も、忠心も、なにもかも。
(落ち着け)
自分に言い聞かせながら周囲を注意深く見渡して、廊下の向こうを騎士と貴族の集団が横切っていくのが目に入る。
その中のひとりがユージーンの視線に気づいた様子で、ゆっくりとこちらを見た。
目が合う。
ユージーンの、皮膚という皮膚を、ぞわりと悪寒が駆け巡った。
男はすぐにユージーンから目を逸らすと他の者たちと一緒に廊下の向こうへ消えた。
(なぜ今、この時期に? あれ以来今まで一度だってここに現れたことなどないのに、どうして今さら?)
ユージーンは混乱気味に頭を回転させ、ひとつの答えにたどりつく。
(―― ミルドレッド様だ)
握りしめたこぶしに力がこもる。そしてもう一度、さっき見た場所に視線を戻した。
…… フランシス・ホッジズが自分を見つめた、その場所を。
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