5.家族と幼馴染と・前

(三)


 迷惑だったかしら、とミルドレッドは帰りの馬車に揺られながら言った。

「どちらに対して?」

「どっちにも」

 ユージーンの問いかけに答えるとミルドレッドは、両目を閉じて座席にもたれた。

「私、人の気持ちがわからないから。ベンのこともよく嫌な気持ちにさせてるだろうし、ユージーンがなんで怒ったのかもいまだにわからないもの」

「…………」

 馬車の中にはミルドレッドと護衛というよりは話し相手として投入されたユージーンだけで、ほかの従者はみな別の馬車に乗っていた。がたごと揺れる馬車の中で目をつむったミルドレッドにはユージーンの表情の変化はわからない。

「だからかもね、演劇が好きなのは……。いろんなことを自分で体験した気になれるし、誰のことも傷つけずに済むし……」

「―― ミルドレッド様」

 ふいに、ユージーンが姫の名を呼んだ。普段あまり呼ぶことがないのでミルドレッドは少なからず驚きながら目を開ける。

「…… ベンジャミン王子はあれで、お小さいなりに色々お考えです。それこそ姫様と同じように、将来のことも、この国のことも…… もちろん姫様のことも」

 いつも思ったことははっきり言ってくれるはずの幼馴染が言葉をぼかすような話し方をするので、ミルドレッドは不安になる。

「どういうこと?」

「王子はきっと、姫様のことは姉としてきちんと好いておられると、俺は思います」

 いつもより慎重につむがれたユージーンの言葉は、いつも通り不器用で真っ直ぐだった。ミルドレッドはそう、と頷くと、

「おまえが言うならきっとそうなんだわ」

と言って笑った。

「最初に遊んだ時から、一番に私のことをわかっていてくれてたものね」

「ああ、フェリシア様の部屋で……」

「違うわ、中庭よ」

 騎士団長である父に紹介された時のことを思い出してユージーンが言うと、はっきりと訂正される。

「ほら、ホッジズ団長に紹介される前、中庭で会って、葉っぱや虫を捕まえたりして遊んだでしょ?」

 ミルドレッドが過去の記憶を思い起こさせるように言うが、ユージーンは首をひねる。だってミルドレッドに会ったのは、父に紹介されたその時が初めてだったからだ。

 なんて綺麗なお姫様なんだろうと、自分と同じ人間とは思えないと幼いながらに思ったから、忘れたり間違えたりするはずがない。

「いえ…… 父に紹介された時が初対面だったと、記憶しております」

 ユージーンが断言すると、今度はミルドレッドが「そうかしら」と首をひねった。

「あ…… でもそういえばユージーンは虫が苦手よね」

「そうですね。昔から」

 ミルドレッドの思い違いだろうか。しかしどうも納得いかない。ミルドレッドはしきりに首をひねりながら、あとで侍従長にでも聞いてみようと思った。



 城の中はなんだか騒がしかった。文官も騎士もなんだか忙しそうにあちこち駆け回っていて、数日ぶりに帰ってきたミルドレッドへのあいさつもどこかおざなりだ。

「なにかあったのかしら」

「祭事の準備…… ではなさそうですね」

 王への帰還のあいさつも今手が離せないとかで後回しにされた。仕方ないので先に王妃へのあいさつを済ませることにする。ユージーンと言葉を交わしつつ王妃の部屋の扉を叩くと、王妃でない人物の声が返ってきてミルドレッドは体をこわばらせた。

「おかえりなさい。姉さん」

「…… ただいま。ベン。―― フェリシア様は?」

 窓際のテーブルに座っていたらしいベンジャミンが立ち上がって自分を迎える光景にミルドレッドはややおどおどと部屋を見回した。

「今戻ってくると思うよ」

 座ったらとうながされ、立ったまま待つのもどうかと思い座ると、すかさずそばにいた侍従がお茶を出してきて逃げ場がなくなる。

 匂いたつ紅茶越しに弟を見る。なんとなく、勝手に王にはベンジャミンがなるものと思っていたし、自分なんかは神殿にでも引きこもればいいかと思っていたけど。もしベンジャミンが王になんかなりたくないと思っていたら。

(そうだとしたら、私は……)

 ぼんやりとカップの中身を見つめているとふいに部屋の扉が開いた。

「まあ、ミルドレッド姫、お帰りになっていたのね」

「ただいま戻りました、お義母様。ごあいさつが遅れまして申し訳ありません」

 フェリシアはミルドレッドの姿を見るなり両手を広げようとしたが、礼儀正しくお辞儀をしたミルドレッドによって阻まれてしまう。

「大変だったでしょう。さ、甘いものでも食べてゆっくりなさって」

 ミルドレッドがあいさつを済ませたことで安心したのも束の間、フェリシアが椅子へとうながしてきて断ることができない。

「鳥文が来た時は私もびっくりしたのよ。姫が強盗犯を捕まえたと思ったら、そこから芋づる式に例の窃盗団一味の居場所がわかったっていうじゃない。それで私も陛下も……」

「ちょっ、ちょっと待ってください」

 そんな話は初耳だった。フェリシアの言葉にミルドレッドは慌てて言った。

「もしかして姉さん、知らないの?」

 横からベンジャミンが聞いてきて、ミルドレッドは頷く。

「このところずっと巷を騒がせていた窃盗団で、いろんなところで被害が出てるんだよ。〈グラス・ホッパー座〉もその影響で資金が足りなくて、新しい演目ができなくなったって、僕もついさっき知ったんだけど……」

 ベンジャミンが説明してくれるが、まったく頭に入ってこない。

「姫のお手柄だって、城中みんな喜んでいるのよ」

 義母のひとことに、心臓があからさまにうるさく鳴り響いた。

 ―― お手柄なんて、私はいらない。

 腹の中心が熱を持ってじわじわと全身に広がろうとしている。

(いやだ)

「姫様?」

 妙な熱を持ったからだと、急速に血の気が引いている顔にうつむいたミルドレッドに、ユージーンが心配そうに声をかける。

「お顔色が悪いです。部屋にお戻りになられた方が」

 その言葉にほっとして、ミルドレッドは頷いた。



 ユージーンに連れられて部屋に戻ってすぐ、ミルドレッドは椅子の上に腰を下ろした。窮屈だった靴を脱いで、膝を抱え込む。

 どこか遠くにでも行ってしまいたい気分だった。

「なにかお持ちしましょうか。温かいものとか――」

「いらない」

 膝に顔をうずめた姫に、ユージーンがわかりやすく嘆息した。視界の端で身を翻したのが見えて視線を上げる。

「…… ユージーンが、どこかに連れ去ってくれたら楽なんだけどね」

 ユージーンが黙る。少しの沈黙の後、

「連れ去った方がいいですか?」

と真面目に返してきたのでミルドレッドは馬鹿、と言って笑った。

「冗談に決まってるでしょ。ほら、喉渇いたからなにか持ってきて」

「さっきいらないと」

「早くして」

 靴を脱いだままの状態で立ち上がるとミルドレッドは扉の方へとユージーンをぐいぐい押した。強い力ではなかったが、ユージーンは抗うことなく部屋の外へ出ていく。

「お腹空いたから、お菓子もね」

 と付け加えて彼がすっかり見えなくなったのを確認してから扉を閉め、寝台に倒れ込んだ。

 全部が全部、まるきり冗談というわけではない。立場とかそういったことみんなみんなかなぐり捨てて、自分を知る人などいないどこか遠い場所で静かに好きなものを好きだと言って暮らせたら、どんなにいいか。

 昔みたいに、ユージーンとふたりでなにも考えずにずっと遊んでいられたら、どんなによかったか。

「姫様」

 ユージーンではない、別の侍従の声で目が覚めた。部屋の中はすっかり日が落ちたせいで暗くなっている。

「陛下が夕食を一緒にどうかと」

「…… すぐに準備するわ」

 どうか、と言いながらこっちにひとつも決定権はない。義理の母と、母親違いの弟と四人で囲む家族の時間だ。

 …… 正直、気が重い。今までそうなるような月日を積み重ねていったのはミルドレッド自身なのだから、文句など言っても仕方がないのだが。昔の、幼いミルドレッドにも思うことがあったのだろう。突然城に連れてこられて、紹介された人をとても母だとは受け入れられなくて、奇妙な距離を保ったまま同じ場所で暮らしてもう相当の月日が経った。

(いい人だけど、私の母様じゃないよね)

 あれはベンの母だ。それくらい、父にもわかってほしかった。

 父になかば八つ当たり的な恨みを持って指定の部屋に赴くと、そこにはふたりぶんの什器しか並んでいない。

 首を傾げつつ席に着いて待っていると、しばらくして父王エイドリアンが入ってくる。

「すまないな、だいぶ待っただろう」

「いえ、それほどは…… あの、お義母様とベンジャミンは……?」

「私とおまえだけだ。まあ、たまにはよかろう」

 ほっとした。ベンジャミンはともかく、フェリシアが食事の場にいるとどうにか娘らしく振る舞わねばということにばかり心を囚われて、食事の味がまるでしないことが多々ある。

 運ばれてきたのはミルドレッドの好きな白身魚の香草焼きだった。父が料理長に頼んでくれたのだろうか。そうだったら嬉しいけれど、と思っていると向かいで父が口を開く。

「それで、話だが―― いや、報告はせずとも良い。だいたいは大神官からの鳥文やほかの者たちからの報告でわかっているからな。私がしたいのはそのあとの話だ」

「そのあとというのは……」

「窃盗団やそれに関わっていた者たちには始末をつける。祭事には別段影響はないだろう。あとはミルドレッド、おまえのことだ」

 ミルドレッドはまだわからない。首を傾げるとエイドリアンは疲弊した様子でグラスに注がれた水を飲んだ。食欲がないのかなんなのか、料理はまだ手つかずだ。

「聖都の広場だったそうだな。民衆に限らず、多くの貴族たちが目撃したと聞いている」

 そうなのか。気づかなかった。

 少し考えればわかったことなのに。失態だった。

「だからというわけじゃないが、彼らにわかる形で、なにか…… まあ、まだ成人していないから褒美を取らせるにしても領地だとかは取らせるわけにはいかないが――」

 領地、と言われてミルドレッドは父と母、三人で暮らした家を思い出す。あそこは今どうなっているのだろうか。聞いてみたい気もするが、昔の話はなんとなくエイドリアンとの間では禁句となってしまっていて、話題に上がったことはなかった。

 ミルドレッドの内心を知ってか知らずか、エイドリアンは「そこでだ」と続ける。

「祭事で、城の礼拝堂の火を城下の神殿まで持っていく役割があるのは知っているな?」

「…… ええ、もちろん。…… まさか」

 エイドリアンの問いかけに、ミルドレッドは青ざめた。

 神の遣い、と呼ばれる役で、綺麗な衣装を身にまとい、神聖なる神殿から借りた火を返し、また授けてもらうという、このうえなく重要な役だ。毎年貴族出身の女性神官だとか、その娘が役を任されていて、それを見た男性に見初められることも多いという。

 その役を。

「私が……」

 テーブルの上でこぶしを握りしめる娘になにか思うことがあったのか、エイドリアンは言う。

「一部の臣下との間で、そういうのはどうかという話が出ただけだ。まだ確定じゃない」

 神殿も絡む話だ。ミルドレッドはうつむいて、すっかり食べることなど忘れていた。父にとって、一番手っ取り早くミルドレッドを、ないしは王位継承問題を解決する方法はどこかの貴族の養女にして、それから神殿入りさせることだ。有力貴族に嫁入りして変に権力を持たれるよりはずっといい。

 …… どっちにしろ、数年のうちに自分は父と離れなければならないのだ。父と一緒にいるには、王になるしかない。その考えが頭をよぎるたび、ベンジャミンの顔がちらつく。

「…… 信心深い王も、政治より娯楽に熱心な王も、今まで何人もいた。悪いのは、それにかまけて周りを見ないことだ」

 エイドリアンが言ったので、ミルドレッドは口を開いた。

「お父様は、私とベンジャミンと、どちらを次の王にとお考えなのですか」

「―― まだはっきりと宣言する段階ではない」

 娘からの問いかけに父は言った。

「だれかになにか言われたか? なにか―― 期待させたり、失望させるようなことを」

「…… 心当たりがおありなんですか」

「そういうわけではないが、面白半分に人を惑わすようなことを言う奴はどこにでもいる」

「私を今一番惑わせているのはお父様だわ」

「…… なに?」

 煮え切らない父の態度にいらいらしてきたミルドレッドがきっぱりと言い返すと、エイドリアンは眉をひそめた。

「いつものらくらと私の質問をかわして、なにも教えてくださらないじゃないじゃありませんか」

「…… それは、まだ宣言する段階でないと、さっき」

「今聞きたいって言ってるの!」

 ミルドレッドはついに立ち上がって叫んだ。エイドリアンが呆れたようにため息を吐いた。

「話を聞きなさい。…… まったく、そんなところばかり母親に似て」

「私の話を聞いてくださらないのはお父様の方だわ。―― ユージーンなら絶対にそんなことないのに!」

 衝動に任せたような姫の言葉に、王が珍しく怯んだ。

「それは……」

 やや動揺しつつもエイドリアンは目を泳がす。

「あいつがおまえのことを好きだからだろう……」

 父親の言葉にミルドレッドは一瞬動きを止めた。そして、

「…… よく、わかりました。部屋に戻ります」

 そう言って身を翻したミルドレッドに、エイドリアンはえ、とまたもや動揺した様子を見せる。父の反応など確認する余裕もなく部屋を出ようとしたミルドレッドは、扉の前でふと立ち止まる。

「神の遣いの件はお引き受けしますのでご心配なく。私のことが別に好きでないお父様にとっては将来私が神殿に入った方がご都合がよろしいでしょうから!」

 ばん、と荒々しく扉が閉じられ、ミルドレッドが去る。彼女の言葉に茫然としていた王がその言葉の意味に気づくのは、姫が去ってしばらく経ってからのことだった。


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