1.旅立ちと出会いと・前

(一)


 やはりどうしても納得いかない。

 ミルドレッドは呼んでいた本を椅子に投げると、父王の寝台に倒れん込んだ。

 誰が何と言おうと、〈グラス・ホッパー座〉は最高の劇団だ。この劇団を観るために一年間がんばったと言っても過言ではない。面倒な修辞法もこのうえなくつまらない政治学も、〈グラス・ホッパー座〉に会うためと思えば耐えることができた。

 それなのにこの仕打ちはあんまりではないか!

 いつまで経っても寝室に入ってくることのない気配にミルドレッドは勢いよく体を起こした。また夜遅くまで仕事をするつもりなのだ。そう思った瞬間、部屋の扉が開く音がしてミルドレッドは振り返る。

「ミルドレッド。黙って他人の部屋に入ってはいけないと以前にも話しただろう」

 ミルドレッドは立ち上がる。

「どうしてもお聞きしたいことがあるのです、お父様」

「今度の祭事のことか」

 父エイドリアンは臣下を下がらせながら言った。厳しく、ひとを簡単には寄せつけない態度だが、ミルドレッドは負けじと言い返す。

「〈グラス・ホッパー座〉のことですわ。お父様、どうして今年から彼らを呼ばないことになったのですか? あんなに素晴らしい芝居をする劇団はふたつとありませんのに」

 エイドリアンは娘の言葉を聞きながらなにかを選別するかのようにすっと目を細めた。心の奥の奥まで見透かされている気がして、ミルドレッドはその場からほんの少しだけたじろいだ。

「そう決まったからだ、ミルドレッド。これから変わることもない」

「なぜです? だって――」

「決まったことだ」

 きっぱりと告げながら、エイドリアンは寝台に腰を下ろした。納得のいっていない様子のミルドレッドに、彼は「ではこうしよう」と言った。

「なぜ彼らが招待する劇団から除外されたか、答えがわかったら私のところへおいで。おまえが彼らに会えるよう取り計らおうじゃないか」



 ミルドレッドはいらいらと枕にこぶしをぶつけた。なんなのだ。

 同じ問いをベンジャミンにするのならまだ話はわかる。ベンジャミンはミルドレッドの腹違いの弟だ。ミルドレッドの三つ下、まだ十歳であるにもかかわらず才気煥発、文武に優れ、政治に関しても時折鋭い意見を口にすると貴族らの間ではもっぱらの噂だ。さすが名門貴族出身の母親を持つ者は違うと。

 王位継承権が二位であるのが悔やまれる、と。

 そんなの私が知った話じゃない、と言ってやりたい。できるなら議会の中心で暴れ回って、偉そうなジジイどもの無駄なひげを軒並み引きちぎってやりたい。

 ああ、これがベンジャミンであったなら穏やかにやり過ごす方法も心得ていようが……。

 そこでミルドレッドはぱっと身を起こした。

(そうだ、ベンに聞けばいいんだわ)

 早速彼の部屋に赴くと弟は少し呆れたような顔を姉に向けた。

「姉さん、それって自分で考えないと意味がないんじゃないかな」

 そのまま自室へと追い返されそうな気配がして、ミルドレッドはあわてて口を開く。

「考えたわよ。考えた結果あなたに聞くのが一番良いと思ったのよ。それとも、何? お父様に何も教えるなとでも言われたの?」

 ベンジャミンはやや面倒そうな顔を見せてから本を閉じて立ち上がった。そして本棚からいくつかの本を取り上げるとそれを片手にミルドレッドのもとへと戻ってくる。ベンジャミンは首を傾げる姉へ、

「こっちが〈グラス・ホッパー座〉が最近やった演目、こっちが〈バタフライ座〉が今度やる演目」

と説明しつつ本を差し出した。

「読めばすぐに違いがわかるよ」

 〈バタフライ座〉は新進気鋭の一座だが、最近特にその名を上げており城下でもよく耳にするようになった。

「読んだわ。どちらも―― 〈バタフライ座〉の方もね」

「どうだった?」

「面白かったわ」

「いや……」

「ほかになにか必要?」

 そうじゃないだろうと言いかけたベンジャミンの瞳をミルドレッドの真っ直ぐな目が貫いた。

「物語において、面白いこと以外になにか必要な要素ってあるのかしら」

 ミルドレッドはぐるっと目を回して椅子に背中を預け、窓の外を眺めた。この国は馬鹿みたいに平和で、戦などミルドレッドには遠い昔の、おとぎ話のなかの出来事のようにすら思える。

「私はベンみたいに頭が良いわけじゃないから、劇なんて楽しめればそれでいいじゃないと思うのだけれど、お父様たちにとってはそうじゃないのよね」

 疲れた様子でため息を吐く姉の姿に、ベンジャミンは黙った。姉のこういうところを見せつけられるたびに、ベンジャミンの心はどうして彼女の母親が貴族ではないのかと例えようのない焦りや苛立ちにむしばまれるのである。

「…… それ、持っていってもいいからもう少し自分で考えてみなよ。僕は勉強の続きをしなけりゃならないから」

「あ―― そうよね。邪魔してごめんね」

 ミルドレッドはひとこと謝ると素直に弟の部屋を出て行った。



 〈グラス・ホッパー座〉の一番新しい演目、『月夜に嘆く』はとある国の兄弟の話だ。大陸戦争以前のこの国が舞台で、ミルドレッドも知っている古典を題材にした物語である。話の大部分は幼い頃に王位継承権争いがもとで悪者にさらわれた兄王子の視点で進む。兄王子は仲間と協力しながら悪者から逃げ、様々なもの、人と出会い成長していく。やがてたどりついた故郷は魔物に心を奪われた弟が王となって悪政を強いていて、兄は仲間とともにこれに立ち向かう。兄、弟ともに仲間を失いながらも闘い、和解の末力を合わせて魔物の軍勢に勝利。最終的には王国万歳! 王家に栄光あれ!…… という雰囲気で幕を閉じる。

 一方、〈バタフライ座〉の演目は純粋な冒険活劇だ。独自の台本で原典はなく、小難しい歴史的背景についても特に言及がない。よって、教養のない一般市民でも充分楽しむことができるのだ。物語全体の雰囲気も終始『月夜に嘆く』とは打って変わった明るさで、万人受けするような印象を受ける。

「いや、俺に聞かんでください」

 模造刀など、稽古道具の手入れをしたりそれを片したりというのは、下っ端騎士の役目だ。ユージーン・ホッジズは騎士団長の息子で、ミルドレッドのことを幼い頃から知る人物の一人である。

「ベンジャミン王子に聞いたらすぐにわかるんじゃないですか、そういったことは」

「もうとっくに聞いたわよ。でも追い出されちゃったの」

 訓練場の隅に丸まっている王女の顔は、立てた膝に埋められていてユージーンからはよく見えない。

「私、きっとまた間の悪い時に言ったんだわ。それか、ベンの機嫌が悪くなるようなことを」

 この姫は時々、腹違いの弟のこととなるとひどく繊細になることがある。ユージーンは少しだけ呆れつつ模造刀の手入れに使っていた手拭いを丁寧に折りたたんだ。

「謝りに行かれますか?」

「さっき一度謝ったわ。それに今は勉強しているから、邪魔をしたくないの」

「姫様は勉強なさらないのですか?」

「ああ! もう神殿にでも行こうかしら」

 ユージーンの問いかけに聞こえないふりをするかのように大きな声で言ってミルドレッドは立ち上がる。

「おまえも来るでしょう、ユージーン」

「見ての通り仕事中なのですが」

「区切りがついてからでいいわよ。騎士団長にはあとで私が言っておくから」

 この上なく面倒くさそうだから永遠に区切りなどつけたくないなと思うユージーンの内心を無視して、ミルドレッドは彼の仕事の区切りを待ってから城下にある神殿へと向かった。



 神殿といっても、用があるのは礼拝堂ではない。

「こんにちは、神殿長」

 礼拝堂の奥の奥、神殿が所有する図書館に入るとミルドレッドはまず神殿長に声をかけた。

「戯曲『月夜に嘆く』の原典がたしかあったわよね? 借りていってもいいかしら」

「もちろんです、姫様」

 こちらへどうぞ、と導かれ神殿長についてミルドレッドが神殿内を歩くと、何人もの神官がいちいち立ち止まって挨拶してくる。そのすべてにミルドレッドが律儀に答えるので、それもまた神官らが彼女を慕う理由だろう。ベンジャミンがどうというわけではないが、比較するとやはりミルドレッドの方が親しみやすい。

 王に示された問いかけを覚えているのかいないのか、ミルドレッドがこの上なくわくわくとした表情で本を開くのを少し離れた場所から見つめながら、ユージーンは神殿長へ簡単にことのいきさつを説明した。神殿長は「ああ、なるほど」と頷いて、

「ユージーン、あなたも何か読みますか?」

と尋ねた。ユージーンは

「いえ、自分は……」

と断りながら、再び主人に視線を戻した。そして、ためらいがちに口を開く。

「…… 陛下がいずれ、姫様を大神殿にお入れになるというのは本当なのでしょうか」

 つとめて周囲に聞こえないよう声の調子を落として問うと、神殿長は

「姫様がご自身でお決めになることですよ」

ときっぱり返した。ユージーンは「そう…… そうですよね」と呟く。

「不安ですか?」

「いいえ。…… ただ、そうであるなら神殿騎士になる道を探さねばならないなと―― もちろん、姫様にお許しを頂けたらの話ですが」

 ミルドレッドを横目で見ながら、自信なさげに首をすくめぼそぼそと言うユージーンへ、神殿長はにこりと微笑んでみせる。

「がんばってください、皆があなたを応援していますよ」

「……? はい、恐れ入ります」

 彼の言う意味がよくわからず、ユージーンはとりあえず礼を言った。



「ミルドレッドさまがおかわいそうじゃありませんか」

 王妃フェリシアは王エイドリアンよりも三つ歳上だ。第六王子だったエイドリアンが地方の領主だった頃、当時の妻―― ミルドレッドの母と最も親しかったのが彼女である。

「何か言いましたか?」

 エイドリアンは目を通していた書類から顔を上げて言った。

「ですから、ミルドレッド姫がおかわいそうですと」

「何が?」

 修飾語に欠けた妻の言葉にエイドリアンが首をひねると、フェリシアはじれったそうに言った。

「侍従長から聞きましたわ。姫の大好きな劇団を祭事の招待から外したそうじゃありませんか」

「…… その話はいったいどこから?」

 夫に尋ねられ、妻は少し考えるそぶりを見せる。

「侍従長は侍従頭のメアリに聞いたそうですわ。メアリは城下に用事で出た際に門番の騎士に聞いたと。その騎士は昼頃門を出たというランドル神官長にで、ランドル神官長はたしか、昼間礼拝堂にいた神官に…… ええと、その神官の名前はなんだったかしら……」

「なるほど、わかりました、もう結構」

 エイドリアンは一旦書類を閉じ、ため息を吐きながら目元を押さえた。ミルドレッドはベンジャミンと違ってじっとしていられず、煮詰まると特に城内を歩き回る癖がある。それも城内の侍従や騎士、神官に話しかけながら。本人の明るさもあって、城内の者はだれもかれもミルドレッドが好きだった。

 しかしミルドレッドの母親は貴族ではない。そのことが近頃のエイドリアンの最大の悩みであり、国内の貴族たちが次の王にベンジャミンを推すたったひとつの要因である。

 生まれを考慮せずとも、ベンジャミンは優秀だ。しかし、己が民の後押しで王にまで成り上がった身であるだけに、エイドリアンには民の心の大切さはよくわかっている。

 六男だった自分が王にまでなれたのはひとえに領主として民の生活に触れたからだ。

 神の血を引く王家をたたえ、唯一無二の存在として崇めるだけの時代は終わった。

「…… それで、皆あの劇団を入れてやれとでも言っているんですか」

「城中、姫がかわいそうだという話でもちきりですわ」

 ミルドレッドが答えを持ってくるのを待っている暇はないかもしれない。この話が城下にまで広まる前にどうにかせねば。

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