ミルドレッド王女のお気に入り

水越ユタカ

序幕

〈山猫(ワイルドキャット)座〉は、世代交代したばかりの、まだ若い座長が率いる一座だ。ずっと後ろの方の席で観ていた老婦人は、幕が下りたあと、ほとんどの観客が姿を消してからそっと立ち上がった。

 婦人がそばについていた男に耳打ちすると、男は入り口に立つ少年に厚みのある白い封筒を差し出した。

「えっ……」

 少年は封筒の中身を察するや否や面食らったような様子でうろたえ、立ち去ろうとした婦人をあわてて呼び止めた。

「ほんの、応援の気持ちですわ」

 婦人が答えると、少年はいやしかしと困惑しながら言った。

「せめて、せめてお名前だけでもお聞かせ願えませんか」

 婦人は、風がそよぐような、老婆とは思えない可憐な声でくすりと微笑んだ。

「わざわざ名乗るような名でもありませんのよ。でも、そうね」

 婦人はふっと目を細めて、目尻に皺を作る。

「ミリ―という婆が応援していると、座長に伝えてくださる?」

 そういう彼女の表情は、まるで少女のようだったという。


 女性の名はミルドレッド。

 母なるアイリーン山脈を越えた先、緑豊かなかの国を賢王エイドリアンが治めていた御世に、そんな名の姫君がいた。これから話すのは、彼女がまだ王女と呼ばれていた頃の話である。

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