14.姫として、騎士として・後
がらがらと馬車の車輪が石畳を打つ音が聞こえている。
ユージーンはフランシスと話せただろうか。
押しつけがましかったかもと考えつつ正門からは死角になっているところでユージーンを待つ。
成人という言葉が、目に見える位置に入ってくると同時に専属護衛の話も考える必要が出てきて、ユージーン以外を候補として考えなくなった。彼とて断りはしないだろう。王女であるというのはそういうことだ。
でもたぶん、それじゃあ自分は嫌なんだろう。
彼のそばにいるのに、一番安全な立ち位置はここだとわかっていながら、このままは嫌だと思っている。こういうのがユージーンを呆れさせ、困らせるんだろう。
成人すればこんな気持ちも消えてしまうんだろうか。それも嫌だな、と思っていると、ミルドレッドの体にふと影が差した。
「こんなところにいた」
「…… 探した?」
少しだけ呆れたような声にミルドレッドがばつの悪そうな声を出すと、ユージーンはいいえ、と否定した。
「わかりますよ。どこにいても。…… 姫様、目立つから」
それもそうか。ミルドレッドは自分の格好を見下ろして納得する。かがんで手を伸ばしているユージーンの顔は、さっきよりもすっきりとしている気がする。
「でも、私はユージーンを見つけられなかった」
手をつかんで立ち上がりながら言うと、幼馴染は首をかしげた。
「初日の列で歩いてたときは団長のそばにいたからすぐに見つけられたんだけど、最終日はわからなかった。あまりきょろきょろするわけにはいかないし」
ミルドレッドの説明に、ユージーンは「申し訳ありません」とまず謝る。
「最終日は少し…… 離れた場所から見ていたものですから」
「なんで謝るの? 見てたんでしょ?」
「ええ、でも姫様からは見えなく……」
ユージーンの申し訳なさそうな顔がどうにも可笑しくて、ミルドレッドは笑った。
「ユージーンは絶対どこかで見てるって、わかってたもの。だから全然、緊張もなにもしなかったわ。…… 上手くやれてたでしょ?」
ミルドレッドがいたずらっぽく笑って、ユージーンは一瞬その表情に見惚れた。
この先彼女が、自分を必要としないほどに成長したとき、かつての彼女の面影はすっかりなくなってしまうんじゃないかと思っていた。でもそれは違うのかもしれない。
「神器落としてましたね」
ユージーンが言うと、ミルドレッドはそのときのことを思い出したのかそうなの、と笑った。
「でも、失敗したって思われたり、そのあとに今年の祭事を思い出したときに、あーあの姫様が失敗したってふうに思い出されるのは嫌だったから、最後まで堂々としてたの」
「騎士のあいだでも言われてましたよ。…… すごいって」
実際言われていたのは、あのときに見せた笑顔の愛らしさだとか、王妃とはまた違った容姿の美しさだとか、そういうことだ。
「今朝から侍従たちにも言われっぱなし。嬉しいけど、嬉しいんだけど、今までこういうことってなかったから、どう反応したらいいのか困っちゃって」
勉学に関しては大の苦手というわけではないだろうが、ベンジャミンのことを意識してしまって、あまり身を入れて取り組んではいないようだった。神殿側の色が強いあの行事で注目を浴びたのが、彼女のこの先の人生にどうはたらくのか、良いことであるのか、そうでないのかはまだわからない。でも今、彼女にそれを問うことが酷なのだろうということだけはわかった。
「姫様、物語以外の本はすぐに飽きてしまわれますもんね」
あえて彼女に付き合うつもりでそう言うと、ミルドレッドは少しだけ寂しそうに「うん」と頷いた。
「でも、これからはもう少し真面目に取り組んでみるつもりではいる」
姫の口から思いがけない言葉が飛び出て、ユージーンは少なからず驚く。幼馴染の反応にミルドレッドは少しだけ恥ずかしそうにしながら、言った。
「王になるとか、ならないとか、今は考えるのは一旦やめて横に置いておくことにしたの。今はそれよりももっと大事な目標ができたから―― あっ」
ミルドレッドは途中でなにかに気づいたように言葉を止め、隣の青年を仰ぎ見た。
「私、ユージーンにまだ褒められてない」
「え? でも反応に困るって」
「ユージーンに褒められてない!」
突然強い口調と勢いで詰め寄られ、ユージーンは思わずたじろぐ。
「…… えーと…… すごいですね」
「へたくそ」
彼女の汚い言葉遣いを直すつもりで「陛下に言いますよ」とユージーンが言えば、「怖くないもん」と返ってきた。侍従長にしておけばよかったなと思っているとミルドレッドがふと気づいたように聞いてきた。
「そういえば、手、そんなだけど訓練も仕事も普通にしてるの?」
「さすがに激しい打ち合いなんかはできないですけど、まあ軽い突き指なので負担の少ない仕事を融通していただいて」
「侍従や神官のみんなもそうだけど、騎士のみんなは特にユージーンに優しいわよね」
確かにそうだ。ミルドレッドのそばについていることが多いからだろうと考えつつ、そうですね、と相槌を打つ。ありがたいことだな、と思ってふと、フランシスが言っていたことを思い出す。
―― おまえが城のみんなに応援されてるのとか――
そこから芋づる式に神殿長に「応援している」と言われたことや、姫から呼び出しがかかったときだけでなくただ単にユージーンが心配しているだけのときにも仲間の騎士たちが気にかけてくれていたことを思い出す。極めつけは、王にミルドレッドが言われたという言葉。
―― ユージーンが私のことが好きだからだって――
自分の顔がじわじわと熱を持っていくのがわかる。
もしかして、いやもしかしなくても、そういう意味なんだろうか。王がこのことを知っているということは、ひょっとすると騎士団長である父も、あるいは母も? だとすれば祭事の前に言われたよくわからない提案も納得がいく。今思えば、侍従も神官も騎士も、みんなみんな、ユージーンがミルドレッドに対して手を焼き、振り回されている姿に妙に生温かい視線を向けてきたような気がしてくる。
ということは、ユージーンの、この先ずっと死ぬまで胸に秘めていくつもりだった想いは城中のだれもが知っていることになる……。
「ユージーン?」
突然黙り込んでしまったのを心配してかミルドレッドが顔をのぞきこんできて、ユージーンは思わずのけぞった。
「どうかした? 顔色悪いけど」
いつになく心配そうな表情をする彼女に、そんなにもおかしな顔をしていたのかと自身の顔を覆いつつ「いえ、なにも」と否定しておく。ミルドレッドは「ならいいけど」と口にしながらも納得のいっていない顔をしていたので、
「姫様、そろそろおやつの時間では?」
とうながす。子ども扱いするなと怒られるかもと思ったが彼女は思いのほか素直にそうね、と言うと
「送ってくれる?」
とユージーンに聞いてきた。いつものような命令口調でないことにやや驚きつつ、その一方で今少しだけ同じ時間を過ごせることを嬉しく思いながら、ユージーンは「お供します」と微笑んだ。
そうして、ミルドレッドとユージーンは同じ道をゆっくりと歩き出した。
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