10.迷いと決意と・中

 時は数時間前にさかのぼる。

 身支度を終えたミルドレッドが部屋を出て廊下を歩いていると、反対側から歩いてきたユージーンと鉢合わせる。いつも近くにいたせいか、ほんの少し一緒にいなかったせいで長い時間離れていたような感じがする。

「団長のところにいなくていいの?」

「いや、その」

 何気ない様子で声をかけるとユージーンはもごもごと話し出した。彼らしくない。

「…… 本日はおそばにいられないので、それだけお伝えに」

「わざわざ言いに来なくても知ってるわ、そんなこと」

 ユージーンはそうですよね、と口にしつつもなにか言いたげにしている。ミルドレッドはそこで気づいた。

 そんなに心配か。私のことが。たしかに、たしかに頼りがいのあるどころか、出先でも帰ってからも次々問題を起こしてユージーンにとって目を離せないと再確認させたような数日間だっただろうけど。

 でも、もう心配ばかりかけさせたくないと、ほかでもないユージーンと対等になりたいという想いだけはあるのだ。

「―― あのね、ユー……」

「馬鹿なこと言わないで!」

 突然聞こえた大声に、一同が身をすくませた。声は廊下にある一室から聞こえてくる。「〈バタフライ座〉の控室ですよ」とユージーンが言うのを聞きながらミルドレッドは部屋の中をのぞこうとした。が、中から勢いよく誰かが飛び出してくる。ユージーンが引っ張ってくれなかったらぶつかっていた。

 短髪の女性がひとり、右肩を押さえながら部屋の中を振り返る。中から険しい顔つきの女性が出てきて、どうやら彼女に突き飛ばされでもしたらしいと思っていると、短髪の方の口が開く。

「あのねぇ、代役がいないんだから仕方がないでしょう」

「だからって中止するなんて…… だいたいね、だれかさんが昨日調子に乗って酔って暴れたりなんてしなかったら……」

 もうひとりが文句を言う途中でミルドレッドたちの存在に気づき、言葉を止めた。

(―― そうだ)

 二人を見て、ミルドレッドは思いつく。

 ここで、この困っている様子の彼女らを上手いこと助けてみせればユージーンだって安心して、ミルドレッドのことを頼もしいとすら思ってくれるかもしれない。

 ミルドレッドはつとめて落ち着いた様子で「お疲れさま」と口にすると二人を順に見た。

「なにか問題でも?」

 団員らは目の前に立つのが王女であるのがわからないのか、困ったように顔を見合わせた。「姫様、そろそろ……」とミルドレッドのそばで侍従がささやくが団員はおろか、ミルドレッドさえも聞いていない。

「なにか困りごとがあるなら――」

「え?」

 一人の団員がミルドレッドの声をさえぎるように驚いたような声を上げた。彼女の視線の先に目をやると、中庭を挟んで反対側の廊下をちょうど、モニカが通りかかるのが見える。

「モニカ・オルコットじゃない?」「うそっ」「顔小さい!」「手足長い!」「腰ほっそい!」

 中からも数人の団員が出てきて興奮気味に言う姿に、ミルドレッドはすっかり気圧されてしまっている。ユージーンはそうか、と思い至る。城という場から遠い位置にいる彼女らにとって、王女であるミルドレッドよりあちこち興行にまわっているモニカの方がずっと身近なのか。

「モニカ!」

 拗ねたりしていないだろうかとユージーンが顔色をうかがおうとした瞬間、ミルドレッドが声を上げた。モニカはミルドレッドに気づくとすぐにこちらへ向かってくる。

「まあ、姫様、ごきげんよう。お衣裳よく似合っておいでですわね」

 モニカの言葉に、今度は団員たちが言葉を失う番だった。

 彼女らの様子に気づかないままミルドレッドはモニカを指して言う。

「私、演劇が好きでモニカとも仲良しなの。だから、あなたたちが困ってるなら力に……」

「―― 存じ上げております。ミルドレッド姫様」

 ミルドレッドの言葉の途中で、今度は短髪の団員が言った。その顔色は悪く見ていられない。

「実は、自分の不注意で右腕を痛めてしまい…… 自分の演じる主役の男は両手でこう、小道具をかかげる場面があるので、申し訳ないのですが今回は公演を中止、と……」

「中止なんてしないって何度も言ってるでしょう、ジュディス。代役を立てるでもなんでも、今からやりようはいくらでもあるじゃない。どうしてそんなことが言えるの?」

 短髪の団員に、もうひとりの団員が割り込んでくる。が、ジュディスと呼ばれた、短髪の彼女もきっぱりと言い返す。

「私だってずっと言ってる。その場しのぎの代役なんかで無様な演技を見せるくらいなら中止したほうがましだってね。エマは意識が低すぎるよ」

「それ、どういう意味?」

 睨み合う二人に、他の団員が割って入ることはない。ある者はおどおどと、またある者はまたやってるとでも言いたげに頭をかく。モニカは一瞬ミルドレッドに視線を送ったあと、後ろで呆れている様子の団員に声をかけた。

「あなた、お名前は?」

「あ、ベスといいます」

 ベスは有名役者に突然話しかけられたことに動揺しつつもほとんど反射で質問に答えた。モニカは「いい名前ね」とにっこり微笑んで続ける。

「私たちにもわかるように状況を説明してくれる? この方、けっこうやり手だからなんとかしてくれるかもしれないわ」

「えっ」

 困ったような、動揺したような声を上げたのはユージーン並びに後ろで控える侍女たちだ。

「聞くわ。聞かせて」

 ユージーンや侍女が進言するよりも先にミルドレッドが言い切って、仕える者たちはそろって視線を交わし合う。視線だけで会話した結果一人の侍女が廊下の奥へ飛んでいく。

 そんなやりとりが背後で交わされたのも知らないミルドレッドの前に、ベスと名乗った団員が状況をかいつまんで話し出す。

「ご覧の通り、主役がけがをしてしまって……。今日はもともと、祭事での公演より先に決まっていた大きな都市での公演があったものですから、そちらの者たちとこっちとで別れていて、最低限の人数しかいないんです」

「役を取り替えるのは? 主役が無理なら、負担の少ない役に……」

 ミルドレッドの提案に、ベスが「できないんです」と悔しそうに言った。

「今回、出資者の方が祭事に出るならと衣装を特注で仕立ててくれたので、他の者では合わないんです。特にジュディスは背が高いし、腰も細いので合わせられる者がだれもいなくて」

 ミルドレッドとモニカは、部屋の中に吊り下げられた衣装を見た。たしかに全体的に細くすっきりとしたデザインで、着こなすのは難しいだろう。ミルドレッドも細さだけなら間に合いそうだが、丈はかなり余ってしまうだろう。反対に、この身長―― 成人男性と大して変わらない丈だが、例えばユージーンが着るとしたら腰や肩が苦しいだろう。

 そこでふと、モニカに視線をうつす。

 特別背が高いわけではないけど、一番ジュディスに背丈が近い。腰も、手足の長さも変わらないように見える。モニカもまったく同じことを考えていたのか、彼女と目が合う。

「…… 台本はある?」

「出てくださるんですか?」

 先ほどエマと呼ばれていた団員がぱっと顔を輝かせる。その横でジュディスが険しい顔つきになるのを見ながら、モニカが言った。

「あなたたちさえよければ――、あと、姫様が協力してくれるのなら」

「…… 私?」

 ふいに振り返って言われて、ミルドレッドは首をかしげる。

「私が〈グラス・ホッパー座〉の役者だってこと、お忘れ?」

 モニカが遠回しに言ってはっとする。招待劇団から外された彼女がわざわざ舞台に上がったりしたら、なにを言われどうなるかわからない。協力、とはそのことだ。

「駄々をこねればいいのね?」

「さすが姫様。話がはやいですわ」

 モニカが微笑んで言うのに、「ちょっと待ってください」とジュディスが割り込んでくる。

「あなた様が有名な劇団の看板役者で、演技も優れているってこと、もちろん存じ上げています。でもここは私の、私たちの劇団で――」

「だったらあなたが怪我をしなきゃよかった話だわ」

 つとめて冷静かつ丁寧な、しかしすがるような、必死の抗議だったにもかかわらずモニカはぴしりと言い放った。

「どういう経緯だったにしろ、あなたは役者なのよ。人に役を譲りたくないって気持ちは痛いほどわかる。でもだからこそ、あなたは人の前に立つってことにもっと覚悟と決意を持って挑まなきゃならなかった」

 板上でのそれよりずっと鋭いまなざしを向けられ、ジュディスは耐えきれないといった様子で部屋を出ていった。

「ミルドレッド様、それじゃあお願いできますでしょうか」

 モニカは何事もなかったかのようにミルドレッドを振り返った。ミルドレッドは慌てて頷く。

「すぐに行ってくる。―― 私、このまま準備に向かうけど、代わりに使いを寄越すから」

 言うと、ミルドレッドは素早い動きには対応していなさそうな衣装の裾を持ち上げて廊下を駆けていった。後ろからとがめるような声とともに侍女が同じように小走りでついていく。

 ユージーンはため息を吐いた。

 仮にも一国の姫があんな、事態が事態とはいえ臣下の使いっ走りのようなことをするなんて。と、部屋の中で衣装合わせが始まったのに気づいて、自分も持ち場に戻ろうとした時、ふいにモニカが声をかける。

「ミルドレッド様、きっとだれかさんにいいところを見せたかったのよ。お可哀想だから小言はほどほどに」

 ね、と微笑まれて、一瞬首を傾げそうになるが、奥に見える人々を見て思い至る。〈バタフライ座〉の人々やモニカに見栄を張りたかったのかと納得しかけたところで、

「言っておくけど、私たちじゃないわよ」

と言われてしまう。

 首をしきりにひねりつつ、ユージーンは持ち場に戻った。


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