3-2. 下された処分

「エリサ殿下」

 その場にいた全員が――わけがわからずにぼんやりしていた娘をのぞいて――深く頭を下げて礼を示した。


「ご無事の帰還、なによりです、殿下」

 グウィナはきまり悪さをおぼえながらも、そうあいさつをした。

「うん」

 エリサは軽くうなずく。肩鎧も外していないところを見るに、戻ってきたその足でここに来たのだろう。


 グウィナが長身というのもあるが、比較すると王太子は頭ひとつほど小さい。ハダルクの陰に隠れるようにして震えている犯人の少女と、体格も(おそらくは年齢も)ほとんど変わらない。そんな女性が、王都中の竜騎手に恐れられているというのは、考えてみるとこっけいな話でもあった。


 ハダルクのほうは不審げな顔を隠しきれていない。

「レクサのグリッドに、殿下の心臓を感知していませんが……」


「ああ。私がおまえの竜レクサの知覚を奪ったからな」

 エリサはなんでもないことのように言った。「その程度で王城に潜入できる。まったくもってザルだよ、城の警備としては」

「レクサの知覚を奪う? なぜそんなことをなさったんです?!」

 グウィナは目の端をつりあげる。

 隣の副官は、「そんなことが可能だなんて……」とぼうぜんとしていた。


「なにを驚いている? べつに千年に一人の能力というわけでもないぞ。あの脳内お花畑な女王にだってできる。グウィナ卿、貴殿もだな?」

「できますが、やりません」

 思わぬところでプライドをへし折られた副官がかわいそうではあったが、グウィナはいちおう首肯した。「レヘリーン陛下もなさらないでしょう。竜騎手の礼儀にもとるおこないですから……どのみち、それほどの〈呼ばい〉を持つのは片手の指で数えられるほどの人数です」

「はん」

 エリサは鼻で笑った。「ひとりでもいればじゅうぶんだろうに。私が敵なら、もう騎手団を壊滅させているぞ」

「竜騎手団は、あなたが率いる軍ですよ」

「そして私がクーデタを起こしたら?」

「冗談でも、そのようなことはおっしゃらないように願います」

 竜祖に選ばれた次代の王は、つまらなさそうにグウィナを見た。

「ものごとがなんでも、貴殿の予想どおりに進めばいいがなあ。そうでないから、仮定の話をしているんだが。……まあいい、例の事件の話が先だな?」


「はい。ご報告いたします」

 グウィナは身を引きしめて答えた。どうやらエリサは、レクサの知覚を使って多少盗み聞きをしていたらしい。グウィナが事件の報告をするのを、うんうんとうなずいて聞いていた。隣のハダルクは不安そうに上官二人をうかがっている。

 グウィナにしたところで不安だった。エリサ・ゼンデンは苛烈かれつな性格で知られていて、敵にも味方にも容赦がない。竜騎手に毒を(実際は毒物ではなく薬だが)盛ったとわかれば、たとえ乳飲み子がいる若い女性であっても容赦しないのではないかと心配だった。

 いざとなれば、自分の進退を賭けてでも、彼女の処罰を軽くしてもらうようなんとか交渉しよう――

 そう思っていたグウィナだが、エリサの返答は思いがけず優しかった。

「心配するな。騎手団の不祥事だ、内々に処理するほうがいいだろう」

 そんなふうに言う。

「『竜騎手を傷つける者は、その手を落とすことで処罰となす』――これが通例ではあるが、その娘はほかに世話してくれる親族もないのだろう? 手を落とせば金も稼げず、赤子ともども野垂のたれ死ぬことになる。それほどの重罰は私も本意ほいではないしな」


 そう聞いて、グウィナは張りつめていた緊張の糸をようやくいた。隣の副官も、あからさまにほっとしている。

「寛大なおはからい、安心いたしました。まさに竜祖に選ばれた、王を継ぐおかたの裁量です」彼女は心からそう言った。


「うん」エリサは軽く微笑み、「では、アラスターを呼べ」と言った。今回の件で説教でもするのだろうと思い、グウィナは黙ってうなずいた。


 ハダルクが招集を伝えに行き、しばらくすると副団長のアラスター卿が入ってきた。せわしなく額の汗を拭いている。

「グウィナ卿……エリサ殿下? これはいったい、どういうことで……」

「アラスター」

 エリサが低い声で呼んだ。「グウィナ卿、説明してやれ」

 グウィナがやるまでもなく、隣の副官がきびきびと事件の概要を説明してやった。自分の孫を産んだ女性が、食堂の茶に細工をして竜騎手に害をなした――その原因を作ったのが自分であると知ったアラスターは青くなった。

「なんということをしてくれたのだ、フアナ! 頭がおかしくなったのか?」

 アラスターは少女を怒鳴りつけた。「竜騎手に薬を盛るなど――そうだ、あの薬のせいではないのか、ドレイモア卿? この娘がおかしくなったのは」

「そのような効用は知られておりませんな。あなたのおはからいのほうが、より可能性があるのでは?」ドリューが冷たく答えた。


「ごたくはいい」エリサが鋭いひと声を発した。「アラスター卿。一部始終を聞いたな?」

「はい、殿下。いえ、しかし――」

 次の動きは、だれにも想像できなかっただろう。エリサは腰に手をやり、つかつかと副長のほうへ近づいた。叱責の声をかけるにしては妙な動きだ、そうグウィナが思ったときには、銀色の刃がひらめいていた。

 ぼとっ、となにかが落ちた音がした。ライダーグローブ……いや、

――まさか……

 ことを察知してグウィナが青ざめるのと、アラスターの悲鳴が響きわたるのは同時だった。

「うがっ、ああああ!」

 壮年の竜騎手は左手首をおさえてとびあがり、うめいた。「ああああ! 手が! 手が! 殿下ぁ!」


「おまえの管理不行き届きだぞ。恥じろ、アラスター」

 竜騎手の悲鳴がとどろくなか、エリサは冷たい声で告げた。「身内の厄介ごとくらい処理できなくて、なにが副長だ? 小娘が邪魔だったのなら、方法はいくらでもあっただろうに、団のなかまで引きこみおって。……罰はおまえが代わりに受けるがいい」


「副長! しっかりしてください」ハダルクが蒼白になってアラスターを押さえる。

「アラスター卿!……ドリュー、手当てを!」

 グウィナが命じるまでもなく、ドリューはすでに応急処置に入っていた。グウィナに切断面を圧迫止血させ、ハダルクに必要な物品を伝えてもってこさせる。外科治療が可能な医師が近くにいればよいが……ドリューとその一族は専門外のはずだ。

「可能なら切断した箇所を縫合しますが、治療しても構いませんね、殿下?」

「ああ」

 ドリューの確認に、エリサはすっかり興味が失せたという顔に戻っている。


「その落ちた手やら義手をつけて復帰するもよし、身内の恥をよしとせず隠居するもよし。まあ、ゆっくり考えるんだな」

 王太子はそんなことを口にしたが、当のアラスターにそれを聞く余裕などあるはずもなかった。

「ではそれ以外の報告も聞こうか、グウィナ卿。執務室に来てくれ」

「エリサ殿下!」

 グウィナはアラスターの腕を押さえたまま、青ざめた顔で叫んだ。「処罰を決定するのは、団長を代行するわたくしの役割のはずです! こんな処分は認められません」

 エリサは眉を寄せ、不機嫌な顔になった。「『竜騎手団の長は、特別な事情がないかぎり、王太子がこれを務める』。もともと私のものだった役職を返してもらうだけだぞ。なぜそう取りみだすんだ?」

「目の前で団員の手が切り落とされては、冷静でいられません」

「貴殿も甘いなあ。まあ、そういう役割のものがいたほうが、組織は動きやすくもあるが」

 まわりには血のにおいが充満している。

 王太子はふたたび平静な顔に戻っていた。いったいどういう場所で育ったら、この若さでこれほど計算高く冷酷になれるのか、グウィナにはわからない。

「ともかく、貴殿には今後もアラスターに代わって副長を務めてもらうからな、頼むぞ」

 にこやかに肩をたたかれ、グウィナは背中に冷たいものを感じた。


 エリサ・ゼンデンは、彼女の目にはまったく異質な存在に映った。そして、その評価はエリサの存命中、変わることはなかった。のちにエリサの娘のなかに、それに似た意志の強さを感じることはあったが、リアナのなかには他者への情愛があったのである。


 グウィナがエリサ・ゼンデンのことをふり返るとき、それはいつもこの場面からはじまっている。ライダーグローブに包まれた血まみれの手と、その前に平然と立つ小柄な女性。白い長衣ルクヴァをまとったその姿はいつも、闇のなかでほの白く浮かびあがっている。夜にその香りを強くして旅人をまどわす、白いガーデニアの花のように。

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