3-6. ハダルクの決意と、約束の夏
イブ――イベロニア・イヘジリカは、庭の炎にちらりと目をやってから話しだした。
「私ね、レヘリーン陛下はあれで案外、男を見る目があると思っているのよ。だからあなたのことにもちょっと興味があったわ。彼女が私にあてがおうとした男ですものね」
「それは光栄のいたりですね」
ハダルクは仮面のような顔つきのまま、型どおりの返答をした。「残念ながら今季のお相手はもう勤まりそうにありませんので、無礼をお許しいただきたいのですが」
イベロニアは、それは本題ではないとばかりに手を振った。「グウィナの
「それは……」
まったくの他人に突然、痛いところを突かれ、ハダルクは口ごもった。
「閣下には事情を話してお許しいただくつもりですが、それは今ではありません」
「ふーん」
自分から聞いたくせに、イベロニアは気のなさそうな返事をした。その目が一瞬、鮮やかな緑に燃えたかと思うと、目の前の炎がくるくるとねじれながら上昇しはじめた。コーラーの能力を使って、ハダルクの竜から力のおこぼれをもらったのだろう。手なぐさみにやっているだけらしく、炎は子どもの遊びのようにとぎれたり、瞬いたりした。
「ちょっと話してみたら? ひとりで炎に語りかけるより、いくらかましかもしれないわよ」
この高貴な女性の意図がわからず、ハダルクは警戒をなかなか解けなかった。もともと、女性をあまり信用しないタイプだ。
だが、グウィナに誤解されたままかもしれないというおそれが、迷いを生んでいた。彼は結局、胸のうちをいくらか打ちあけた。
「妻の身体が、もう少し快復したら……」
小さくなりかけている炎に目を向けながら、続ける。「俺の裏切りと心変わりを受けとめられるまで、待つつもりです。この家のなかに、二人が大切にしてきたものはもうないんだと、時間をかけて説明していこうと……」
イブもまた、屋敷のほうに目を向けて考える風情だった。だが、
「それが理由なの? エリサ殿下に、休団を願い出たと聞いたけど」
と、また思いもしない返しをしてきた。
「どうして部外者のあなたが、そんなことを知っているんです?」
「団にいるものだけが竜騎手と思わないことね、副官くん。私は大陸のどこにいても竜騎手だし、そのつとめを果たしているわ。永遠に」
イブは東部の竜騎手特有の、どこか謎めいた、持ってまわった言いかたで答えた。「で、あなたは?」
「これから一年は、繁殖のつとめに出ないつもりです。お休みもいただけるよう、エリサ殿下にお伺いしています」
「一年の休み。……理由は?」
竜騎手としての出世をなにより追い求めていた自分が、その道を中断してでもと考えたのだ。不思議に思われても当然だった。
ハダルクは意を決して、声に力をこめながら答えた。
「つがいの誓いを果たす方法は、ひとつではないと思ったんです。永遠をのぞんでいても、かなわないことがある。ふたりで手をつないでおなじ方向に歩けなくなる日も来る……。だとしたら、妻の病気を治すまで支えることが、俺に果たせる最後の責任だと」
「そして?」
イベロニアは聡明な女性らしく、すぐにその後をとった。
「そこから先は、他人に話すようなことじゃありません」
「グウィナには?」
「……」ハダルクは苦い顔になった。「……伝えるつもりです」
「ふむ」
イベロニアはあごに手をあて、考えるそぶりをした。
「『心底から気に食わないが、たぶんグウィナに子どもを授けるのは、あのいけすかないハダルクのやつだろう』」
「え?」
「ドリューがね、そう言うものだから。あの子、豪快に見えて実はすごーく神経質で勘がいいのよね」
イベロニアは「むふふ」と童女のように笑った。「……さ、手を出してちょうだい」
わけがわからないまま、ハダルクは片手を差しだした。イブはそこに、ほどよい重さのなにかを置いた。
「ま、ゲーリーよりはまだ、あなたのほうが見こみがありそうですからね。かわいい親友のためにこれを預けておくわ。……約束を取りつけるのに、贈りもののひとつもないのは見栄えが悪いものね」
「これは……」
ハダルクは手のひらの品物に目を落とした。顔をあげたときには、イベロニアはいなくなっていた。
♢♦♢
♢♦♢
一年後の初夏を、グウィナはひとり執務室で迎えていた。団長であったときの部屋を、そのまま使っている。エリサには王太子用のもっと豪奢な部屋があてがわれていたし、どのみち彼女は、ほとんど城内になどいない。
この一年、良いこともあれば、悪いこともあった――元副長のアラスターは結局、団に戻ることはなく所領へ帰った。手を失った恨みから、エリサへの
夫ゲーリーとの離婚話は進んでいない。あいかわらず、のらりくらりと逃げられていて頭が痛い。だが二人の莫大な所領と資産を考えると、合意があってもそう簡単に離縁というわけにもいかないのが現状だ。
温室を見ると気がめいるので、グウィナは屋敷を出て城内で寝起きするようになった。いずれ、手近な別宅を探すつもりでいる。
離れて生活してみると、不思議に夫ゲーリーをよく理解できるようになった気がする。彼は姉レヘリーンとおなじだ。悪い人ではないが、悪意のない言動にずっと振りまわされてきた。だが、かれらに力を与えているのは自分の愛だということも、また離れてみてわかったことのひとつだった。……ドリューが彼女の愛情深さを心配していたのも、こういうことが理由だったのだろう。
それでもグウィナは、愛することをやめようとは思わなかった。やめられるとも思えない。
(いまのわたくしは……)
ハダルクのいない一年が、そろそろ過ぎようとしていた。グウィナは自然と、編んでまとめた髪に手をやった。固くなめらかなものが指にふれる。
『妻の回復を待ち、ふたたびここに――騎手団に戻ってきます。俺が誓いの責任を果たして戻ってくるのを、待っていてもらえませんか。どんな形でもいい、来年の春まで』
一年前、ハダルクはそう言って彼女に髪飾りをつけた。
グウィナはこの一年を、自分が納得できるように過ごした。団の副長としてエリサを補佐し、甘ったれたエリート集団を改革すべくはげんだ。夫と離れ、何人かの繁殖候補者と会ってみた。うまくいったことも、失敗したことも、グウィナはありのままに受けとめた。
止まっていた時間が、すこしずつ動きはじめたような気がしていた。……一年後をどう迎えるかは彼女に選択権があった。
背の高い窓から青空を眺めていると、ノックの音に続いてハダルクがあらわれた。暑くなってきたからか、銀髪はまとめて結いあげられており、
「シャツも上まで留めているのね。……そちらのほうが男前に見えるわよ」
きちんとした身なりの男性にすこし気恥ずかしくなって、グウィナはそう声をかけた。
「若手が入ってきて、真似されてもいやですから」
ふいと横を向くと、負けず嫌いな少年の面影がある。二人はどちらも、ひさしぶりの距離をはかりかねていた。先に向きなおったのは、ハダルクのほうだった。
「この一年。俺の言ったこと、考えてみてくれましたか」
問いかけられ、彼女はうなずいた。
「どんな形でもいい、とあなたは言ったけれど……本当に、一時配偶者でいいの?」
グウィナは確認した。彼女がハダルクに提供できるものは、あまり多くはない。十年ほども別居すれば、誓いは解消されたとみなされるのが一般的だ。逆に言えば、「つがいの誓い」には、それほどの社会的拘束力があるのだ。
「今はそれしかない」
ハダルクは口はしに苦さを見せて笑った。「積み重ねた実績が、いずれ二人の関係に答えを出すでしょう。それまで、悔いなく過ごしていければ、それでいい」
目の前に差し出された、礼儀正しい手のひら。それは、夜会の作法とおなじものだった。非公式にではあったが、ハダルクからの繁殖期の誘いだった。
「では……」
グウィナはその手に目を落とし、もう一度、自分の心に問いかけた。本当に、後悔しないかと。
――ええ。この夏は前と違うものになるはず。今回こそ、自分で選ぶのだから。姉からの圧力でも偶然でもなく、今度こそ自分の選択で。
「この夏の一時配偶者に、あなたを選ぶわ。今度こそ、シーズンの最後まで一緒にいてくれる?」
「ええ」二人の手が重なり合わされ、ハダルクは笑った。新しい夏のはじまりを予感させる、はつらつとした声だった。
「今度こそ。この夏は、あなたが満足するまで」
♢♦♢
♢♦♢
こののち、二人のあいだには二子が生まれ、それぞれヴィクトリオン、ナイメリオンと名づけられた。さらにのちに、国王デイミオンの立ち合いのもと永遠の春、つがいの誓いを立てることになるが、それはまた別の話、別の春の物語である。
【終】
翠真珠(グリーン・パール)のころ――リアナシリーズ外伝①―― 西フロイデ @freud_nishi
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