3-5. 永遠の春よりも
あまりにも
彼は〈
ドリューが意図したのかどうかはわからないが、もしかしたら、夫を呼んだのはハダルクへの意趣返しだったのかもしれない。しかし、すくなくともハダルクのほうに動揺は見られなかった。立ちあがり、竜騎手の礼をとったものの、その場から動こうとはしない。
そしてゲーリーは、妻と床をともにする男を目の前にしても、まったくふだんと変わらぬ笑顔だった。丸椅子の前から動かないハダルクをやや不思議そうに見たものの、やはり竜騎手風の優雅な礼でもってあいさつを返した。
「やあ、きみがハダルク卿かな?」
「初めてお目にかかります、ゲーリー卿」
「妻から話を聞いているよ。今季は彼女が世話になったね」
「……。……契約ですから」
ゲーリーの口調に皮肉はふくまれていなかったが、ハダルクは複雑な表情に見えた。
ゲーリーはそれであいさつはしまいだと言うようにうなずいた。妻に向きなおる。
「グウィナ。ドリューに聞いて、心配して来たんだよ」
「心配を……」
『かけて、ごめんなさい』。そう続けるはずの言葉が、なかなか出てこない。ゲーリーは優しくあとを取った。
「きみは働きづめだったから。……しばらく、ゆっくり休養しなくてはね。団のことは、エリサ殿下に任せられるのだろう?」
「……ええ」
「車も用意してあるから、薬をいただいたら帰ろう」
「……そうね……」
夫の提案にも、心ここにあらずな返答になってしまう。
グウィナは迷っていた。不調の原因について、夫とふたりきりになってから話すべきだろうか。
「ゲーリー、わたくしは妊娠していたかもしれないわ。でも倒れたときに血が出て、気を失ってしまったの。よくあることだとドリューは言ってくれたけど、でも、わたくしは……」
「そうだったのか……かわいそうに。ずいぶん気落ちしているじゃないか」
ゲーリーは気づかう口ぶりで言った。
「そんな思いをしてまで、繁殖にはげむ必要もないだろう。また来年になれば、私の気分も変わるかもしれないし……私たちには永遠の春があるのだから」
「来年の……」グウィナはしらず、シーツを握りしめた。
来年になったら、次の春が来たら。
それがいつも、ゲーリーの答えだった。グウィナはそれを従順に待ち続けてきた。そのまま、つがいの誓いの文言のように過ごせばよかったのだろうか? 『この春を、その次の春を、永遠に』。
それが永遠に変わらぬ春のくり返しなら、長寿も美貌もなんの価値があるだろう。グウィナは生きているという喜びを感じたかった。永遠に続く春よりも、苦しみと涙の夏のほうがよかった。すくなくともこの夏、彼女は自分自身で選択し、その結果をいま引き受けているのだから。
「どれほど長寿であっても、子どもが産める期間は有限だわ。ゲーリー、わたくしは、もう待ち続けて後悔したくないと思ったの」
「だが、その結果にこうやって苦しんでいるじゃないか」
ゲーリーが続けた。「きみがつらい思いをするのを見たくないんだよ」
「あなたが耐えられないとおっしゃるべきでは?」
ハダルクの声が割って入ってきて、グウィナは思わず身を固くした。
「言葉だけのなぐさめが、いま必要ですか? たんなる優しさでは、いまの彼女の苦しみを取りのぞけない。それがわからないのですか?」
「ハダルク卿」
ゲーリーが困惑した調子で横を向く。「これは夫婦の話で、彼女の夫はきみではなく、私なのだが……」
「ならば」
ハダルクは低い声にぐっと力をこめた。
「……夫なら、彼女と悲しみをともにしてやってください。伴侶と痛みをわかちあう強さを、あなたは持つべきだ」
「ハダルク……」
グウィナははっと顔をあげた。一瞬、ふたりの目はたしかに交差した。緑の目には言葉にできない思いがこめられていた――だが、グウィナがそれ以上言葉を発する前に、視線がそらされた。
「……失礼します」
そう言って、ハダルクは出て行った。
♢♦♢
♢♦♢
そのあと勤務をはさんだので、ハダルクがひさしぶりに自宅に戻れたのは翌日のことだった。
玄関をあけるとうす暗く、家のなかは自分の心象風景とおなじく荒れ果てていた。ふだんは通いの掃除婦を頼んでいるのだが、しばらく忙しく、手配を忘れていたのだった。今日は時間があるから、あとで自分でやろう。
「サーレン?」
壊れたものを拾い、呼びかけながら居間に入る。いない。散らかった部屋のなかで、子どものぬいぐるみだけが、きちんと椅子に座っていた。ハダルクはそれを手に取り……これも処分してしまおうかと思って、やめた。
鎧戸を下ろした暗い寝室に入ると、妻はそこで眠っていた。彼女を起こそうかどうしようかと迷い、結局、そのままにして出てきた。
それから、壊れたものたちを庭の一か所に集め、手のひらをかざした。なにも念じることなく、ほとんど考えることもなく、竜の力が彼のなかに送りこまれて炎を生み、手のひらからほとばしった。炎を目の前にすると愛竜の力をすぐそばで感じられ、千々にみだれていた頭にようやく、思考をまとめる余裕が生まれた。
フアナという名の、あの心細そうな娘……。
竜騎手に薬を盛ったあの娘に、つい肩入れしてしまったのは、妻の姿と重ねていたのだろう。
妻が心を病んだことを苦しむ気持ちとおなじくらい、そうさせたのが自分のおこないだと認めたくない思いがあった。だが、ゲーリーにああ言った手前、自分もまた妻に向き合わねばならないことがハダルクにはわかっていた。
妻に、そして妻に対する自分の気持ちに。
炎が力づよくまたたいた。
ようやく、サーレンに
そして、グウィナに対する思いにも。
あのとき、彼女と悲しみをともにしたかった。痛みをわかちあう強さが自分にはあると言いたかった。それは
それでも、自分は――
「グウィナ……」
思わずつぶやいた名前を、がさっというものおとが破った。
タウンハウスの、猫の額ほどの庭。その通用門から女性が入ってきたことに、彼は気がついた。
「ごきげんよう」
まっすぐな金髪を梳きながした美女は、彼の知る人物だった。
「イベロニア卿」いちおう、形ばかりの礼をとった。「なにか、ご用で?」
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