1-2. あなたにはわからないでしょうね
基礎訓練は若い騎手たちが自主的に行っているもので、当時の団にはまだ、体系だったトレーニングというものはなかった。
壁のあいだを手足だけを使ってのぼり、穀物袋を抱えて走り、槍を投擲するといったメニューは、故郷の東部での訓練をグウィナが取り入れたものだ。エクハリトス家の頑強なライダーたちは子どものころからこれらに親しんでいて、女性も例外ではない。
「あと十回! ……五回! もっと全身を使って!」
壁のあいだをのぼる若いライダーに、グウィナは檄を飛ばした。へばって座り込むものには「追加の五十回!」だ。
もちろん、グウィナ自身もかれらとおなじ回数をこなす。軟弱な貴族子弟たちの体力づくりを目的にはじめたが、グウィナの統率力をあげることにも一役買っているかもしれない。
訓練をはじめてひと月もすると、ライダーたちのなかにはグウィナ以上に回数をこなせるものも出はじめていた。自身の部下たちが体力をつけるのは喜ばしいことだが、女性である自分には見えない限界があって、いずれは追い越されてしまう……そんな複雑な思いもないではなかった。
ここまでやってから、ようやく剣術訓練。これは、グウィナの得意分野だ。多少の体力差があってもまだまだ、男性ライダーと同等以上にやりあうことができる。
この日の最初の相手はハダルクだった。基礎訓練ではそうそうにグウィナを上回る成績を出していたが、剣術では意外に苦戦していた。
模造剣を打ち合う、パシッという音が小気味よい。グウィナは激しく打ち込みながら、さらにフェイントも入れて相手のミスをさそった。
「左! 左! そこが苦手な自覚があるなら、日ごろから鍛錬なさい!」
グウィナには指摘するだけの余裕もあるのだが、太刀を受けるハダルクは悔しそうな表情で防戦一方だ。
彼女の見立てでは、まだ型通りの訓練が不足しているように思われた。そこで、二三の指摘をした。
「踏み込みにはもっとバリエーションを持たないと、次の動きがすべて読まれてしまうわよ」
「……はい」
「それに力も入りすぎている。もっと力を抜いて」
「……わかりました」
ハダルクは体力があるはずなのに、ずいぶんと息があがっていることにグウィナは気がついた。そこで、部下に声をかける。「あまり剣術の経験がないの?」
緑の目に、一瞬、抑えようのない羞恥と怒りが見えた。負けず嫌いな青年の、痛いところをついてしまったらしい。
「剣の師範をつけるような余裕は、うちにはありませんでしたから」
「だとしても、今からはじめても遅くないわ。剣は一生続けるものよ。あなたがその気なら、師範を紹介するけれど」
ハダルクの家が、王都では聞いたこともないような中級以下の貴族であることは知っていた。貴族ですらない一般の家からライダーが出ることだってあるのだから、グウィナとしては、貴族のたしなみである剣術に劣ることへの偏見はないつもりだった。なので、その言葉は本心だったのだが、ハダルクは唇を噛みしめて怒りを抑えようとしていた。
「……。あなたのような人には、俺の悔しさはわからないでしょうね」
吐き捨てるようにそう言われ、グウィナは驚いた。
「おやおや、『王都の
ハダルクが同輩たちのほうへ去ると、別の団員が気やすく声をかけてきた。ソテツのような白いツンツンした短髪、ベスト状になった独特の上衣、右肩に術具の入った革のバッグ。
「ドリュー」
グウィナは、朝から堅苦しくしていた顔をいくらかゆるめた。ドレイモア卿(ドリュー)は、騎手団での彼女の同期にあたる。おなじ女性であり、また大貴族の姫君という点でも共通していて、おたがいの苦労が分かち合える数少ない友人のひとりだ。
「今日は非番じゃなかった? 訓練に来たの?」
「いや。イドニスが竜から落ちたらしくてね。その処置に呼ばれた」
ドリューは肩をすくめた。「たいした竜騎手さまだよ、自分の竜から落ちて足をくじくなんて」
青竜を駆る騎手は、その竜術の特性から医師を兼任することが多い。ドリューもそうで、兄とともに騎手団の健康管理をになっている。また、術者の体力を一時的に増強するといった戦闘補助職の役割もあった。
「イドニスが? ……」
グウィナも顔をくもらせた。まだ若手の騎手ではあるが、竜の扱いに習熟していないとしたら問題だ。
そのイドニスは、同輩たちに囲まれてはやしたてられていた。竜から落ちるのは、ライダーとしておおいに不名誉なことなのだ。
「夜会行きたさに、わざと足をくじいたんじゃないだろうな?」
ハダルクが彼を小突いて、問いかける。金髪のイドニスは「そんなわけないだろう」と大げさに肩をすくめた。
「急にふらついたんだ。寝不足かな」
「昨晩は腰に力が入らないほど励んだのか? みっともないぞ、イドニス」
「おまえに言われたくないよ。あの姉妹妻たちに、毎晩搾り取られているくせにさ」
「俺はそんなへまはしないね」
まったく、竜騎手たちときたら……。
「そのへんにしなさい」
グウィナはあきれをおさえ、険しい声を作った。「そんな足じゃ、ダンスをするより巡回にでも出たほうがマシでしょう。イドニス、今夜は予定どおり勤務に就くように」
「そんな。楽しみにしていたのに」
若い騎手はがっくりと肩を落とした。
「夜会への参加は禁止しませんが、団の任務が優先よ。また、団員間で不公平にならないように。ハダルク、あなたが当番を決めてちょうだい」
「了解しました」ハダルクが堅苦しく答える。
うなずいたグウィナが執務室に戻ろうとすると、ふと彼がささやきかけた。「団員が竜から落ちるのは、今月、これで三度目です」
「まったく……。剣だけではなく、騎竜術の訓練も増やさなければいけないわね」
「いえ。俺がいいたいのは、むしろ……」
だが、そこでハダルクは、めずらしくためらう様子を見せた。「もっと情報を得てからにします」
♢♦♢
グウィナは親友ドリューと連れ立って執務室へと歩いていた。次の予定にかかる前に、茶の一杯くらい飲む時間はあるだろう。
「そういえばさっきの、その夜会ね。出ようと思うんだけど、君もどう?」
ドリューがそう話しかけてきたので、グウィナは驚いた。
「ドリュー、あなたまでそんな浮薄なもよおしに行くつもりなの?」
「そりゃ君以上にああいう場は苦手だけどね、でも、イブが戻ってきてるというからさ」
「イブが? まあ!」
旧友の名が出たので、グウィナは顔を輝かせた。「ずいぶんひさしぶりじゃないの。戻ってきてるなら、連絡くらいくれればいいのに……」
「イヘジリカの家は厳格だから。君のとこに知らせるにも、いろいろ手続きがあるんだろうさ」
「たしかに、そうだわね」
旧友の家は、エクハリトス家とおなじ黒竜の旧家だ。その家同士の格があるし、そのうえグウィナは結婚して別の家を継いでしまっているし……。
「ま、そういうわけだから、行って
「そうね……」
グウィナは考える顔つきになった。旧友の顔を見たいのはやまやまだが、団員たちにああ言った手前、自分もおなじ場所へ行くのは気が引ける。もっとも、団長代理である彼女は夜勤はないので、べつに勤務を抜けていくわけではないのだが……。
「なにか別の約束でも?」ドリューが尋ねる。
「いえ、でも、話をとおしておくわ。誘ってくれてありがとう。あとで竜車をよこすわね」
「頼むよ」
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