翠真珠(グリーン・パール)のころ――リアナシリーズ外伝①――

西フロイデ

翠真珠のころ

第一話 合わない同士のふたり

1-1. 生意気な男

 朝は誰よりも早く騎手団の詰め所に入るのが、竜騎手ライダーグウィナの日課だった。


 星をすくえるほど高いといわれる王城の、その上層から王の間に抜ける空中回廊にある場所だ。騎手団長用の執務室もあるが、そちらで座して待つのは彼女の性に合わない。団員のなかで一番早く詰め所に入り、夜勤の騎手の報告を受け、朝の哨戒しょうかいの報告までは事務机について書類に目をとおす。


 その朝もおなじような一日になるはずだった。いつもと違うのは、夕方からの勤務を変更したいという申請が二件ほど入っていることだった。

「ロカナンとイドニス?」

 グウィナは申請書の名前を読みあげて首をひねった。彼女ははっと目が覚めるような赤毛と、アイスブルーの目の持ち主だ。立てば、騎手団の男性たちと並んでも見劣りしないほど背も高い。長衣ルクヴァを模した黒のライダーコートも凛々しく、まさに女性騎手の見本といういでたちをしていた。

「いったい、どうして急にこんな希望を?」


「ご存じないのですか、

 立ったままそう声をかけてきたのは、副長のアラスター卿。グウィナが現職をあずかるようになるより二節(※竜族の一節は十二年にあたる)も前から副長をつとめている。大貴族出身のベテラン騎手だ。

(いつまでも、とは呼ばないつもりなのね)

 グウィナは内心でうんざりしつつも、「なにを?」と先をうながす。


「今夜は夜会があるらしいのですよ。ハイナンの館で……若いものたちは楽しみにしとるはずですよ」

「夜会?!」

 グウィナは色の薄い目を大きく見開いた。「そんなもののために、勤務をおろそかにしようというの?」

「そんなものとは……。繁殖は騎手の重要なつとめじゃありませんか」

 アラスターは取りなすような笑みを浮かべた。本人はすでに『秋』、つまり竜族の中年期に入っているため繁殖とは無関係だろうが、若手をかばう意図がすけてみえる。「交代するだけですよ。騎手団の任務に差しさわりがあるわけではないでしょう」

「その交代を見つけるのはだれの仕事かしらね?」

 グウィナがちくりと返すと、副長はわざとらしく横を向いた。こういった雑務を、彼はかたくなにやろうとせず、なにかとグウィナに押しつけてくるのだ。不慣れだった皮肉も、だんだんと板につこうというものだった。


 まったく、団員たちときたら……。


 グウィナは誰はばかることなくため息をついた。竜の末裔、その支配者層といえる竜騎手ライダーたち。だがその実態は、甘やかされた貴族子弟たちの寄せあつめ。エリートのはずの竜騎手団は、その子弟たちが結婚して領地に戻る前に、ちょっと箔をつけておく程度の役割しか期待されていなかった。なんでも、王都では竜騎手と名がつけば、パンに群がる鯉のごとく女性が群がってくるのだという。


 アラスターから手渡された勤務表を手にしかめつらをしていると、別の声が降ってきた。

「私がやりますよ」

 顔をあげると、鉱物のような緑の目とかちあう。髪は結いもせず総髪にして、支給品の長衣ルクヴァをだらしなく前開きにした若い男だ。「閣下」

 男はグウィナの指から勤務表をさっと抜いた。

「ハダルク」

 先に声をかけたのは、隣のアラスターのほうだった。いかにも男同士の気やすさで、肩をこづいて眉をしかめた。「今日もこんな時間に出勤かね? マドゥロの奥方のところか? あそこは姉妹して貴殿にぞっこんだと噂になっているぞ」

「誤解ですよ、アラスター副団長。俺は仲の良い姉妹の、共用のペットみたいなもので」

「まわりからも、貴殿をぜひ紹介してくれとしょっちゅう頼みこまれる。うらやましい男だよ、まったく」


(朝からなんという内容なの)

 黙って聞いていたグウィナはあきれた。色恋沙汰は、貴族たちにとって遊びだけではない重要な義務であるとはいえ、これでは酒場の猥談と変わらないではないか。

 上司として叱責するでもないアラスターのなれなれしい調子も、彼女は気に食わなかった。……ともあれ、副長は彼女よりはるかに在団歴が長く、直接叱責するわけにはいかない立場である。ハダルクのほうに向け、椅子に座ったまま低い声で呼びかけた。


「ハダルク卿。団長の副官であるはずのあなたが、わたくしの補佐もせずこんな時刻に出勤するのはなぜ?」


「申し訳ありません、閣下」

 銀髪の若者は、声だけはしおらしく言ってみせた。整った顔に「俺は悪くない」と書いてある。

「ですが、もともとの勤務時間の癖がぬけなくて。閣下が団長代理になられて、まだ一か月ですから」

 あくびをかみ殺したのか、目じりが少しうるんでいるのがまた腹立たしい。

の相手というのはずいぶん疲れるのでしょうね)

 団の若手騎手、ハダルク卿はひと月ごとに違う女性の家に入りびたっている、などというまことしやかな噂を聞いたばかりだった。それでいて年長の騎手の受けもよく、順調に団での出世階段をのぼっている。


「昼食の前に形ばかり稽古をして、ながながと昼休憩をとって、ちょっとばかり城下をぶらついてから夜会に出るのが、オーリン前団長のおっしゃる勤務だったようだけど」

 グウィナは辛らつに言った。「わたくしはそんな形態を認めるつもりはないわ」

 二人の男が目を合わせるのが、彼女の座る位置からでも見えた。どうせ、口先だけのお飾り団長と思われていることくらいわかっている。この一か月というもの、グウィナは旧弊で怠惰な騎手団を改革するべく奮闘してきたが、その努力はまったくといっていいほど成功していないのだから。

「ぜひとも、閣下のご意向にしたがいたいのはやまやまなのですが……」

 案の定、ハダルクは整った顔に腹が立つようなうすら笑いを浮かべてこう言った。

「朝はいろいろ忙しくて。よければ、出がけに話題の菓子でも買ってきましょうか? これでも、王都の店にはけっこう詳しいんですよ。バターケーキなんかいかがです?」

 なんという軟弱な……。

 東部育ちのグウィナは、今すぐこの優男を黒竜の巣に投げ込んでやりたいと思った。このうすら笑いを恐怖に変え、竜たちに踏みつぶされかけて逃げ惑うハダルクを崖の上から眺めるという妄想には、あらがいがたい魅力がある。

 が、グウィナは自制心のかたまりのような女性だったので、腹立たしい顔を見ないようにして話をつづけた。

「わたくしの補佐というのは菓子を買うことではなく、団員をまとめて、職位にふさわしい訓練を受けさせることよ」


「なるほど。ではお言葉どおり、鍛錬に出てきましょう」

「勤務表は?」

「いっしょに済ませますよ」

 たいしたことではないと言わんばかりの男の態度が気に障ったが、グウィナは黙って立ち上がった。すぐ脇に用意してある訓練用の籠手や胴鎧を手早く身に着ける。


「……あなたも訓練にいらっしゃるので?」その姿を見たハダルクが尋ねる。

「日々の鍛錬は竜騎手の義務よ」

「身分と名誉のある方にとっては、そうでもないように見えますが」

「わたくしは違うわ。騎手の義務こそ、第一とすべきものよ」

 グウィナは強調した。

「そうご心配なさらなくても、私の竜レクサは団の一番竜アルファメイルです。閣下がご不在でも、じゅうぶんに群れをまとめられますよ」

 そう……それも、この若者が増長している理由なのだった。グウィナの竜が雄なら、たかがあれほどの竜をのさばらせてはおかないのだが――いえ、レクサはべつに悪くないのだけれど……。

 そんなグウィナの内心がわかるのかどうか。ハダルクはなおも薄く笑ったまま、訓練場へと先導していく。


 回廊の先から、女官たちがやってきているのが見えた。ハダルクが笑いかけてやると、顔を赤らめ、さざめきながらたがいを押しあっている。


「ハダルク卿」

 アラスターが離れて二人になったので、グウィナは彼が勤務態度をあらためるよう念を押しておこうと思った。

「あなたが優秀な竜騎手であることは認めるわ。でも国を守るというライダーの義務を第一にすべきよ。イティージエンとのあいだには、いつ衝突が起こってもおかしくないのだから」

「それは私だけに言ってもしかたがないのでは? あなたが第一に説得すべきは、アラスター副長と、あなたのお姉君では」

「あなたは騎手団で出世したいのでしょう? だったら、みなの手本となるよう、風紀は守ってちょうだい」

「義務、義務とおっしゃるが、ライダーの義務は、次代のライダーを産み育てることでは? 俺は、竜族の男の義務を果たしていますよ。ね」

 ハダルクはふり返り、腹が立つような例のうすら笑いを浮かべて続けた。

「それで、あなたは? 女性としての義務を果たしていると、はたして言えるんでしょうかね」

「それは……」

 グウィナは一瞬、答えにつまった。

 結婚して二節になろうかという夫とのあいだに子はなく、不妊治療としてのパートナーも持っていない。当然言われてしかるべき反論だったが、そのときのグウィナは言い返す言葉を持たなかった。ふいにあらわれた弱さをこの男に見られないように、体を固くするのが精いっぱいだった。

 

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