1-5. 契約


 昼の鍛錬は模擬戦として行われた。飽きっぽいライダーたちに熱中してもらう工夫だったのだが、これが奏功して、なかなか実りのある実地訓練となった。今度は竜球ヴァーディゴなどを取り入れてもいいかもしれない。


 そんなことを考えていると、ふいに練兵場の片隅がさわがしくなった。

「なにごとなの?」

 グウィナは重い肩鎧を外しながら周囲に尋ねた。

「おや。あれは陛下ではありませんか?」

 アラスターが声をはずませた。「おお、やはり。竜王陛下でいらっしゃる」

「レヘリーンが?!」

 グウィナは目を見開いた。たしかに、こちらに向かって手を振っている姿は、昨晩見たばかりの姉だった。

 竜王レヘリーンが、竜騎手団の訓練を見に来ることなどめったにない。ライダーたちはおおいに色めきたった。副長のアラスターが嬉々として椅子を持ってきたが、王はにこやかにそれを断った。「あなたたちの団長にお話があるのよ」


「グウィナ」

 レヘリーンが移動すると、それにつれて彼女に日傘をさす侍女もずずっと歩いてくる。姉は日傘の内側で優雅にほほえみ、なんの前置きもせずにこう言った。

「イブの言うとおり、あなたには新しいお相手が必要よ。


「繁殖期のお話でしたら、昨晩のことは友人たちが勝手に盛りあがっただけですよ」   

 グウィナはうんざりしてそう答えた。だが姉はにこやかなままだ。

「まずはわたくしの話を聞いてちょうだい、絶対に損はさせないから。さ、秘密のお話ができるお部屋はないの?」

 姉がこんなふうに上機嫌なのは、なにかやっかいな計画を思いついたときだ。それが自分に関することだと知ったグウィナは嫌な予感がしたが、仮にも王である女性を待たせておくこともできず、執務室へ案内するしかなかった。


 姉は侍女になにごとかささやいてから、自分ひとりだけでついてきた。

(いったい、なにごとだというの……)

 執務室の応接セットに案内すると、レヘリーンはきょろきょろと興味ぶかそうに部屋を見わたした。

「立派だけど、すこし殺風景なお部屋ねえ。わたくしならタペストリーを入れるかしら」

「考えておきます」グウィナは無難に流した。「それで、お話というのは?」

「うふっ、ずいぶんせっかちになったわね。団長さんというのは忙しいのでしょうね」

「竜騎手団は国のかなめですから」

「もちろん、あなたの働きには感謝していてよ」

 姉はにこやかに続けた。「でも、仕事ばかりというのはよくないわ。女性にはほかにも、大切な役割がいろいろあるんですもの」

「お話が見えませんわ、陛下」

「あらあら、お楽しみはお茶が来てからにしましょう」


 実際には、レヘリーンが待っていたのは茶ではないことが、すぐに明らかになった。茶を準備する侍女とは別に、ハダルクが入室してきた。どうやら、侍女に連れてこられたらしく、けげんな顔をしている。


「これは……陛下、どういうことですか?」

 ハダルクは表情そのままの、疑わしそうな声で王に尋ねた。「繁殖期のお約束で呼ばれたはずですが……。私のお相手は、イベロニア卿では?」

 彼のそのセリフで、昨晩レヘリーンが旧友に勧めようとしていた相手がわかってしまった。そして姉の思いつきも……グウィナは青ざめた。


「急に変更して、ごめんなさいね、ハダルク」

 レヘリーンはしおらしい顔で謝った。扇の先でグウィナを指す。「昨晩の夜会でね、この子にもゲーリー以外のお相手を、とお友だちが話していたのを聞いたの。それで、わたくしはすぐにあなたのことが思い浮かんだのね」

 一転して笑顔になると、ぱんと快活に手をはたく。「グウィナにはなかなかいい相手がいないんだもの。それでイブにお話しして、交代してもらったのよ。あの子は活発だし、ほかにもお相手は用意できるもの」


「レヘリーン!」グウィナはぼうぜんと話を聞いていたが、つい、尊称も忘れて叫んだ。

「わたくしはお相手など探していないわ! 勝手に決めないでちょうだい」


「まあ……だけどあなたに任せていては、ずっと決まらないじゃないの」

 レヘリーンは白皙はくせきをくもらせた。「あなたって奥手だし、あまり殿方から声をかけられるというタイプでもないのよ。そんなに日焼けして、竜の背にばかり乗って……」

「わたくしは軍を率いているのよ! 遊びで竜に乗っているのではないわ」


「あの田舎娘の下でね」その一瞬だけ、レヘリーンの目に隠しきれない敵愾心てきがいしんが見えた。

 彼女はすぐに笑顔に戻った。「ねえグウィナ、わたくしは、あなたが肩身が狭い思いをしないようにと骨を折っているのよ。もう翠真珠グリーン・パールの節になろうというのに、子どもがいないというのはみっともなくてよ」

「……」

 とっさに反論の言葉が出てこず、グウィナは押し黙った。

 姉は――レヘリーンは、自分の善意からの行動をまったく疑っていない。だが、これはあきらかに身内のおせっかいの域を超えている話だった。

「お話はわかりますが、陛下……これは夫婦のことです。夫と話し合って決めるべきことで、たとえあなたでも、勝手に決められたくはないわ」

で子どもができたら、世間の夫婦は苦労していなくてよ」

 レヘリーンはわざとらしいため息をついた。「あなたがそうも反発する理由がわからないわ。なにも第二の夫を持てと言っているわけでもないのよ。この夏だけのお話じゃないの」

 ぱたん、ぱたんという軽い音が響いた。姉が扇子を広げ、また閉じている音だ。グウィナは自然と下を向き、姉の目線を避けていることに気がついた。自分の弱気に嫌気がさす。大きく息をつき、思いきって姉と目線を合わせた。

「短期のことだとしても、べつの男性と過ごすというのを夫抜きでは決められません。騎手団の長をお受けするのとは、わけが違います」

 レヘリーンはしばらく、妹の目をじっと見つめていた。それから扇を閉じ、机にあててと音を響かせた。

「温室に閉じこもったままの夫をずっと待つつもり? もう妊娠できないという年齢になったとき、後悔しないと言えて?」

「それは……でも、ゲーリーが……」

 グウィナのためらいがちな言葉を、姉のぴしゃりとしたセリフがさえぎった。「自分の子どもを、その腕に抱きたいとはまったく思わないの? ただの一度も?」


 他人の感情に無関心な姉が、これほど自分の内心の不安を言い当てたことはなかったかもしれない。グウィナは激しく心みだされた。

 そのことに気がついたのだろう、レヘリーンは優しい声音に戻った。

「ね? グウィナ。今ならまだ遅くないわ。良いパートナーを見つけて、子どもを授けてもらいなさい。ゲーリーには、わたくしからも話しておいてあげる」


 そのとき頭に思い描いたのは、夫のことではなかった。

 グウィナは強く目をつぶって、おそいかかる激情に耐えようとした。自分の子どもをこの腕に抱くこと。抱きついてくる幼児の、温かな重みと心とろかす匂い……。それらを、ありありと思い描くことができた。これほど真に迫った想像を前にして、自分の心に嘘はつけないと思った。


「わかりました」ついに、彼女はそう答えた。


 ♢♦♢


 レヘリーンは少女のように喜び、立ち去った。「なにも心配せず、楽しめばいいのよ。人生は一度しかないのだから」と言い残して。


 グウィナはまだ動揺がおさまらず、ハダルクのほうを気づかう余裕もなかった。

 ここまでの話のすべてを、ほとんど口をはさむことなく聞いていた美貌の副官は、高貴な女性がようやく退室してほっとしたらしい。皮肉まじりの口調で「愛情深いお姉さまをお持ちで」とつぶやいた。

 

 グウィナはよろよろと腰かけ、机の上に置かれていた紅茶を一気に飲み干した。姉の口車にのせられ、とっさに承諾してしまったが、本当にこれでよかったのだろうか? 思えば、今の仕事を決められたときも、こんなふうに唐突だった。姉のいつもの思いつきだ。

「だんだん腹が立ってきたわ。わたくしはいつもそう。あの人に言われると、とっさに断れない。……あなたは大丈夫なの?」


「あなたは誰でも選べる」

 ハダルクは直立不動のまま、昨日とおなじセリフを口にした。「テーブルの上に乗ったどんな料理でも」

「そしてあなたは選べない」

 グウィナはそう返して、ため息をついた。「自分がおなじ立場になってみて、身に染みたわ。イヤなものね、たしかに」

「ですが、受け入れるのは女性の側だ。あなたが無理だと言うなら、無理なのでは?」ハダルクが言った。

 グウィナは言葉を選びながら返す。

「あなたがイヤなわけではないわ。夫ではない相手というのが考えられないだけなの。ゲーリーはなんと言うかしら」

 姉のことだから、この「良い思いつき」について嬉々として夫に説明しに行くに違いない。そして夫は……自分抜きで勝手に決めたことに怒るだろうか? 残念だが、そうは思えなかった。結婚して長い彼女には、夫の返答まで想像できた。

『そうですか。彼女がいい繁殖期シーズンを過ごせるように、私も協力しますよ』……。夫が誰かの意見に逆らったのを、グウィナは見たことがない。

 もし、この申し出を断れば、夫との平和な生活に戻れる? でも、その先に彼女が望むものはない。夫は妊娠に積極的ではない……。

「……姉の言うとおりかもしれない。わたくしは貴重な時間を池に捨てているのかも」

 グウィナのためらいを、どう思ったのか。見下ろしてくる緑の目は冷静で、感情にとぼしかった。

「では、お姉上の言うようになさいますか? 俺と繁殖期を過ごすと?」

 もし彼女の言うとおり、これが子どもを持てるチャンスなら、やってみる価値はあるのではないかとグウィナは自分を奮い立たせた。もしダメだったとしても、そのときはゲーリーと静かに暮らせばいい。ほかの男でもだめだったのだからと、あきらめもつくだろう。

「ええ。お相手をお願いするわ、あなたに」

 グウィナは意を決して言った。「でも、ひとつ条件を飲んでほしいの」

「なんです?」

「このことは、団のなかではまだ秘密にしてちょうだい」

「もちろん、お言葉のままに」

 ハダルクは薄い笑みを浮かべ、彼女の髪に口づけた。夫以外からの突然の接触に、グウィナは身を固くした。

「ここではやめて」

「もちろん。……今のは契約完了の挨拶ですよ」

 この男と、これから繁殖期を過ごすのか……それがどういう意味をもつのか、このときのグウィナには、まだ考えられていなかった。



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「リアナシリーズ」について

※※作者名の付記されていないサイトは無断転載です。作者名(西フロイデ)の表記がある投稿サイトでお読みください※※

作品を転載・加工・利用しないでください。Do not use/repost my works.

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