2-5. おなじ味がした

 ふだんは行為が済むとすぐに別れる二人だが、今日は違っていた。雨はまだ止まず、伝令竜も戻ってくる気配がない。

 ハダルクは自分の腕を枕にし、もう片方の腕でグウィナの髪を撫でていた。


「最初は、竜が欲しかったんです。レクサは、他人の竜だった」

 そんなことを言う。

「見習い騎手だったとき、取り巻きたちを使っていつも俺をいじめるガキ大将がいて。そいつは金持ちで、みごとな縞の黒竜を持っていた。ああいう竜が欲しいとずっと思っていました」

 聞いているということを示すために、グウィナはかすかにうなずいた。ハダルクは彼女の耳の上を撫で、顔にかかった髪をはらってくれた。

「竜を手に入れれば、だれにも馬鹿にされない強い竜騎手になれると」

「それが、あなたが婚資を求める理由?」

「最初はね」


 グウィナはなおも黙ったまま続きを待った。ハダルクが口をひらく。

「竜を手に入れるには、金もも必要で……、当時の自分にはどちらもなかった。従騎手になってしばらくすると、ある金持ちの夫婦が、俺に古竜を譲ってもいいと言ってくれたんです」

「めずらしいケースね」

「持ち主の息子が長わずらいのすえ、肺の病で死んだのだそうです。遺言で、自分に古竜を残すと……。俺は理由がわからなかった。その息子は、俺をいじめていたガキ大将だったんです」

「まあ」

「ご母堂が言うには、俺とはおなじ竜騎手を目指すいいライバルだと語っていたそうです。そんなの嘘っぱちでしたけどね。たぶん、竜をもたない自分への最後のあてつけだろう、なんて思いましたよ。

 やつの死をいたむような殊勝しゅしょうな気持ちは、まったくなかったんです。竜が手に入って、ただ嬉しくてたまらなかった。友人がいのない、冷たい男ですね、俺は」


 グウィナはそれを聞き、じっくりと考えてから言葉を選んだ。「古竜は大切な相棒よ。憎い相手にはぜったいに譲れないわ。その子はきっと……、あなたのことがうらやましかったんだと思うわ」

 ハダルクは否定せず、ただ迷うような視線を向けた。

「皮肉なものだ。俺はあいつの持っているものが欲しかった。あいつが俺をうらやんでいるなんて、思ったこともなかった。……いつから俺は、こんなところまで来てしまったんだろう」

「ハダルク」

 彼の迷いが見てとれて、グウィナも心を動かされた。

「女性たちが俺との子どもを産んだと教えてくれても、なんとも思わなかった。会いたいと思ったこともない」

 そもそも彼の契約内容では、会わせてもらえないということもあっただろうと察しがついた。だが、ハダルクが言いたいのはそういうことではないのだろう。

「愛するはずの人を愛せないのは、つらいわね」

 グウィナは裸の胸に彼を抱いてやった。ハダルクも抱擁ほうようでそれに答えた。「愛せないのは、子どもだけじゃない。俺は……」

 だが、さすがにその先を口にすることはなかった。


 しばらくすると、胸のなかからぼそりとつぶやいた。「俺ばかり弱みを話すのは、不公平だ」

 腕をゆるめたグウィナは青年の顔に手をやり、額に寄った皺を指でおさえてぐいと伸ばした。

「自分から勝手にしゃべったんじゃないの」

 それでもハダルクが機嫌を直さないので、グウィナは嘆息した。とくにこの青年になにかを打ち明けたいというわけではなかったのだが……。まあ、しかたがない。

「わたくしは……ふつうよ。夫とのあいだに子どもができないというだけで」

 濡れた銀髪に指を通しつつ、思いつくままにしゃべった。「それで誰かに責められるというわけじゃない。あなたの言うとおり、恵まれた立場だとも思う。でも……」

 ハダルクは黙って続きを待っている。

「夫は結婚前からずっと変わらないのに、わたくしだけが変わっていくように感じる。一緒に過ごしたいのも、子どもが欲しいのもわたくしだけ」

 彼を納得させるために話しはじめたつもりが、しだいにグウィナも、自分の結婚生活に欠けているものがなにかわかるような気がしてきた。

「結婚したらゲーリーも変わってくれるかと思った。その次には、子どもができたらと……。でもたぶん、わたくしの勝手な期待なのでしょうね」


「男は変わりませんよ」ハダルクがほのかに、後悔をにじませるような苦い顔で笑った。「なにも変わらないはずだと信じて結婚する。実際には、すべてが変わっていくのに。変わらないものなんてどこにもないのに」


 ♢♦♢


 雨が上がるのを待って、三人は騎手団へ戻った。応急手当をしたイドニスをドリューに診せたかったのだが、忙しいらしく不在だった。

「毒も入っていなかったですし、大丈夫ですよ」

 イドニスは上機嫌でそう答えた。「ひと仕事したら腹が空きました。食堂に行ってきて構いませんか?」

「まったく、現金なものね……」

 グウィナはあきれて笑った。まあ、この元気ならたしかに毒の心配はあるまい。さっと壁時計を確認して告げた。「では、現時刻をもって駆除活動は終了とする。……さ、いいわよ」


「われわれもなにか腹に入れましょう。背中がすけて見えそうだ」

 ハダルクがひきしまった腹をたたいて見せるので、グウィナはおかしかった。「じゃあ、そうしましょうか」

 エリサ王太子が戻ってきたら、このような甘えも許されないだろうが……それはもう少し先延ばしにしておこう。


 ♢♦♢


 甘やかされたエリートたちの待遇は、食堂にもぞんぶんに発揮されている。王の居住区の真下にあって見晴らしはすばらしく、家具調度は豪奢なイティージエン風。国内の各地方の料理が、美術品のような磁器に入ってきょうされる。料理にも贅が尽くされ、王の正餐かと思うほどだ。


 肉や卵の焼ける匂いに、グウィナも空腹を思いだした。すばらしく新鮮な子イカの墨煮があるというので、それをもらう。熱いパンと、厚切りの羊肉、それに南部風のスパイシーな卵料理も。ハダルクは蜜を塗った鴨のローストにかぶりついていた。

「ここの火入れはソフトで完璧だ。殿下が料理人を解雇したら、クーデタを起こさなきゃいけなくなるな。……その子イカはどうですか?」

 青年が食い意地のはったことを言うので、グウィナは笑ってしまう。「柔らかくておいしいわよ、すこしもらったら?」

 思えば、夫と食事をともにしなくなってしばらく経つ。食が細い夫にあれこれ勧めて、やんわりと嫌がられることのくり返しだった。そんな小さなことでもすれ違っていたのだと今になって気づく。

 結婚生活がうまくいっていると思っていたのは、自分だけだったのだ。そう気づくことはつらかった。そして、目の前の男にかれていると認めることも。

 二人のあいだにあるものが、じょじょに形を変えつつあるような気がして、グウィナは怖くなる。

 つがいの誓いが、呪いのように愛を永遠に固定してしまえばいいのに。でも、愛はそういうものではない。

 レヘリーンは産んだ子に関心をもたず、ハダルクは自分の野心に罪悪感をもち、そして自分は……自分がいま、肉体的な愛を抱いているのは目の前で食事をする男だった。共寝を野心のために利用する狡猾な男、中流の出を恥じているくせに舌は肥えている男、友人扱いすると怒り、彼女のために得体のしれぬ薬剤を飲む男……。


 食事が済むと、ハダルクが二人分の茶を取りに行った。

「お茶係はいないの?」

 グウィナが尋ねる。「いつもぎに来てくれる人がいたように思うけど」

「急病で休みだそうですよ。ほかの使用人もそれぞれ専業なので、茶を出す係はいないと」

「そう」

 見ると、下働きらしい少女が苦労して茶を準備している様子が見えた。

 まあ、肉を焼くにも専門の料理人がいるような食堂だから、代わりがいないのはしかたがないのかもしれない。グウィナは若者たちほど甘やかされて育っていないので不便を感じないが、使用人は大変だろうと気づかう。

「いつから不在なのかしら? 交代が必要なら、手配しなくてはいけないわね」

「飲み終わったら聞いてみましょう」

 用意されたポットから茶をそそぎ、ハダルクがカップを手渡した。グウィナは礼を言って受けとり、湯気をあげる表面を見つめた。茶は好きだが、東部には種類が少ないので、あまり詳しくない。なんの種類なのか、目の前の青年に聞こうかと口を開く。

 と、先にひと口飲んだハダルクが彼女のカップに手をのばし、手のひらでふさいだ。

「おなじ味だ」

「え?」

 質問しようとしたところをさえぎられ、グウィナは思わず問い返した。「おなじ味って……なにが?」


 ハダルクはまじまじと茶を見つめ、信じられないようにつぶやいた。

「この茶。妻にませている精神安定剤と、おなじ味がした」

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