第三話 失い、嘆きながら、その先を……

3-1. 事件の真相と、おそるべき王太子

――この茶。妻にませている精神安定剤と、おなじ味がした。


 ハダルクは茶の味から異変に気がつき、グウィナにそう報告した。妻に薬をませているという彼の言葉よりも、指揮官としての理性がまさった。

 彼女はすばやく命令した。

「イドニス、マールギッツ、食堂を封鎖しなさい! アンウィンとセメノーは使用人たちを集めて。下働きまで一人も例外なくよ。竜騎手も全員、この場を離れることは許可しません」

 竜騎手たちには危機感よりも驚きのほうが強い。

「どういうことなんですか、団長? 封鎖って、いきなり……」

 そう問われたが、ハダルクがうまく補足してくれた。

「料理のなかに薬物が混入された疑いがある。これから、団長代理と私とで取り調べるので、全員、調査に協力するように」


 ♢♦♢


 茶の分析には数日かかり、取り調べのほうも同様だった。その間も通常業務はあり、おまけに、エリサ王太子からも報告を急かされている。なんでも、数日内には団に戻るつもりだとか。国境軍の指揮など本来は王太子の仕事ではなく、いずれ戻ってくることは折りこみ済みではあったが、その準備にも追われている。

 彼女が帰ってくれば、団長代理としてのグウィナの仕事は終わる。一介の竜騎手に戻れればいいが――現実には、姉とエリサ、つまり王と王太子の政治的衝突の駒として使われることになるのだろう。そう思うと憂鬱になる。

 ともあれグウィナには調査をおこなう時間的余裕はなく、ハダルクに任せきりになってしまった。


 そのハダルクから、内々にお話が――と相談され、グウィナは求めに応じて現場に向かった。

 事件のあった食堂の一角である。調査のために立ち入り禁止となっており、その場にいるのは関係者だけだった。分析を依頼したドリューと、取り調べをおこなったハダルクである。


「茶に混入していた薬だけど、たしかに、精神安定剤だったよ」

 ドリューが説明した。「おそらく、団員たちの不調の原因はこの薬だろう。依存性もないのでよく処方されるが、副作用でわりと運動失調を起こしやすいんだ。事故を起こしたライダーは食堂の常連だったし、とくに若年に出やすい点も当てはまる」

「薬は日常的に混入されていたのかしら?」

「事故が起こった回数からすると、そこそこ頻度は高かっただろうね。おなじ茶を飲んでも、不調を感じなかった騎手も多かったはずだ」


 グウィナは了承をつたえるためにうなずき、副官のほうに体を向けた。「それで、取り調べのほうは?」

「実行者と思われる人物を確保しました」

 ハダルクが事務的な口調で告げた。「閣下の前にお連れします」

 

 竜騎手に薬を盛るような人物――。

 ハダルクが茶に違和感をおぼえてから今日にいたるまで、グウィナは犯人像についてあれこれと推測していた。怨恨えんこんか、なんらかの利益か……白昼堂々の大胆な犯行におよぶ、狡猾こうかつな犯人。だが、目の前に連れてこられたのは、彼女の推測とはまったく合致しない、小柄な娘だった。

 捕縛ほばくも必要ないのではと思うような、あどけなく華奢きゃしゃな娘である。きちょうめんに編んでいた栗色の髪がところどころほどけているのが動揺をつたえていた。緊張に震える様子が、かわいそうになるほど幼い。成人の節をいくつも超えてはいないだろう。その姿に、グウィナははっと彼女のことを思いだした。食堂であたふたと茶を淹れていた娘。彼女だ。


「本当に彼女なの? ハダルク卿……」

 ハダルクは無言でうなずき、娘にうながした。「閣下にお話ししなさい」


「お、怒らないでほしかったんです」

 病気ではないかと疑うほどにぶるぶると震えながら、娘は小声で答えた。「あの方にお願いに行っても、怒鳴られて、話を聞いてもらえないんです」

 娘はグウィナの足もとを見つめたまま、拳を固くにぎりしめた。

「このお薬を飲んだら、怒らずに話を聞いてくれると思って……わたしは……これは……気分が落ち着く薬なんです」

 緊張のあまり、要領を得ないでいるらしい。グウィナはなるべく威圧感を与えないよううなずいて先をうながした。

 だが……。

「あの方に怒らないでほしいんです、わたしの赤ちゃんを返してほしいんです」

「赤ちゃん……?」グウィナは問い返した。が、娘の返事はやはり、判然としない。単に緊張のためばかりとも言いきれない不審な態度だ。ぶつぶつとつぶやく少女を、ハダルクがいたましそうな顔で見ている。


「この、子どもがいるんだよ」

 しかたがないというふうに、ドリューが脇から説明した。

「子ども? 赤ちゃんというのは、その子のこと?」

 グウィナの問いにドリューがうなずく。

「騎手団の若ぎみの一人が、彼女に手をつけてね。子どもを産んだというので、養育費を押しつけて田舎に下がらせたんだが、バカぎみのお父上が話を聞きつけたらしい。ライダーの可能性があるうちは手もとで育てると言いだして、赤ん坊を連れて行ってしまったそうなんだ。ライダーでなかった場合は返すからと言ってね。勝手な話だ」


 聞いたグウィナは眉をひそめた。

「なぜあなたがそんな事情を知っているの?」

「『孫を産んだ女性が情緒不安定で困る』と、お父上に相談されてね。薬も私が処方した」

 ドリューは肩をすくめてみせた。

「その父親というのは……」

「アラスター副長だよ」

「なんてことなの」グウィナは頭が痛くなった。まさかあの副長に、こんなスキャンダルがあったとは。おまけに、処方したのも団員となると、これは竜騎手団全体の醜聞となりかねない。


「それで……あなたは、自分の薬を食堂の茶に入れたというの?」

 グウィナの問いに、娘はうなずいた。「あの方は何度か飲みました。きっと、もう、怒らずに聞いてくれる」


「アラスター副長の体調に異変は?」グウィナはドリューに向かって尋ねた。医師は首を振った。

「副作用らしき訴えはないよ。もっとも、薬が効いたところで彼女が期待したような効果が出るとも思えんがね。性格が穏やかになるわけじゃなし」


「そうは言っても……全員に確認が必要だわね……」

 手間を思うと頭が痛いが、毒を盛られたわけではないのがわかっただけ、よかったとすべきだろう。


「このことは、エリサ殿下には……」ハダルクがおずおずと尋ねる。グウィナは傷みだしたこめかみに無意識にこぶしをあてた。

「じき、こちらにいらっしゃるわ。どのみち報告しないわけにはいかないわね」

「ですが、竜騎手を害しようとしたとみなされれば重罪です。子どもを連れ去られて心を病んでいる娘には、あまりに厳しい処遇ではないかと……」


「わかっているわ」グウィナはこぶしをはずした。故意の犯罪でないことは明らかだし、団の被害もそれほど大きなものではない。できれば、あまり厳しい処罰にしたくはないのだが……。

「だけれど、エリサ殿下は厳しいお方だから、情で訴えても効果が薄いと思うの。どうしたものかしら」


 だが、彼女に考えをまとめる時間は与えられなかったのである。


「私がなんだって?」

 背後の扉ががちゃりと開き、そこから驚くべき人物が姿をあらわした。まさかと思うような、悪夢のようなタイミングだった。全員の目が、一気にそちらへ向いた。


 赤茶けた髪をハダルク以上にざんばらにして、白かったはずの長衣ルクヴァには汚れが目立つ。体格は竜騎手としてはかなり小柄な部類に入るだろう。そばかすの浮いた地味な顔だち、だが特徴的なスミレ色の『ゼンデンの瞳』。


 そこにいたのは、今まさにグウィナの胸中にあった人物。竜祖によって選ばれた、王を継ぐべき女性だった。


「エリサ殿下!」

 グウィナは礼を取ることも忘れてそう呼んだ。のちに「双竜王」「魔王」と呼ばれて恐れられた白竜の竜騎手、エリサ・ゼンデンは、いたずらが成功した邪悪な子どものような笑みを見せた。

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