2-4. 雨のなかで

 緑の目がかっと燃えて、竜の力が彼の身体を満たしたのがわかった。上官命令を無視して、勝手なことを……。グウィナはあっけに取られてそれを見ていたが、頭を切り替えるしかなかった。

「いいわ。では、あなたがイドニスを救出して。わたくしが援護します」

「お願いします」

 言いながら、ハダルクはもう駆けだしている。迫ってくる走枝ランナー跳躍ちょうやくして避け、別の走枝を駆けあがってイドニスに近づこうとする。

 ハダルクはうねる走枝の上を飛び移るようにして移動した。激しくしなった枝から振り落とされるも、竜の本体を踏切板のように使ってまた跳びあがる。青竜の術のなせる技だ。青竜の技は使用者の肉体を一時的に強化することができる……が、それほど長く持つわけではない。グウィナはまず援護に徹することにした。黒竜の術を使って走枝ランナーを焼き切る。火がついたまま暴れさせたくないので、本体には極力当てないようにして……雨が降っているため、細かな制御には神経を使った。


「イドニス!」

 ハダルクが、走枝に簀巻きにされた同輩の真上に跳んだ。落下しながら、走枝の根元をねらって剣をふるう。細身の長衣ルクヴァがはちきれるほど筋肉が盛りあがり、ぐぐっと力をこめると、ヒトの胴体ほどもある走枝がはじけるようにし斬られた。

 花虫竜は痛みに叫び声をあげ、身をくねらせたが、そこをさらに飛竜が狙う。

「今だわ!」

 痛みと飛竜の攻撃で、急所の首ががら空きになっていた。グウィナはその隙を逃さなかった。「ルクソル! わたくしを運んで!」

 愛竜の首にかじりつくようにして花虫竜の真上を狙う。偶然ながら、完璧な位置だった。

 グウィナは背の正中をめがけて飛び降りた。

「グウィナ卿!」

 竜の正面に、イドニスを救出したハダルクが驚きに目を見開いているのが見える。ハダルクと違って強化はしていないが、黒竜の術があるので、ぶざまに落ちることはない。狙った位置に着地、同時に剣を下ろしたつもりだったが――眼前に、もう一本の首が迫った。「危ない!」

 長い首に横殴りにされ、グウィナの身体は跳ねとばされた。

「なんて無茶を!」

 そう叫ぶのが聞こえたが、空中のグウィナは夢中だった。吹きとばされた衝撃で空も地面もわからないが、あの男が自分を取り落とすことはないということだけは確信していた。

「ハダルク! 台になって!」

「な――」

 疑問の声を出す間もない。その一瞬、ハダルクの反応が遅れていたら間に合わなかっただろう。だが、副官の応答は理想どおりだった。彼女の落下地点に先回りし、手を前に出して組み、台の役割を果たしてくれた。グウィナは副官を発射台がわりに、もう一度花虫竜の頭上へと跳びあがった。黒竜の力も使って上へ上へ……背に負った予備の剣を抜き、今度こそ、竜の首を狙う。ふたつの首が重なる部分へ。


 着地! ――今度こそ、当たった!……だが、押し込みが足りず、下になった首が抜け出ようとしている。

「もうちょっ、と……!」

 すると、自分の手の上に男の手が重ねられた。彼女のあとを追って自力でジャンプしたのだろう、ハダルクが背後に立っていた。

「押し込みますよ!」

 ハダルクは言葉どおりに力をこめ、上下の首を剣で貫いた。びくりと大きく体を震わせ、花虫竜は動かなくなった。


「やった!!」

 二人は声を合わせて叫んだ。ざあざあと顔にかかる雨も、まったく気にならなかった。笑い声には、ふだんの二人からは想像もつかない解放感がにじんでいた。


 ♢♦♢


 イドニスの傷の処置と、花虫竜の後始末が必要だった。グウィナは城に伝令竜を飛ばし、雨が止むまで里長の家の一室を借りることにした。

「まさか、花虫竜までいたなんて」

 と長は恐ろしがっていたが、駆除した竜は見舞いの品として譲ると告げると一転して笑顔になった。おそろしい害獣だが、肉はこの上なく美味で、高く売れる。竜が襲った家畜の埋め合わせとしてじゅうぶんだろう。


「すばらしい駆除だったわ! いい連携訓練にもなったし。若手のライダーを連れてこられなかったのが残念なくらい」

 グウィナは鎧をはずし、体を拭きながら上機嫌でしゃべっていた。

 二人が借りているのは飛竜用の藁がたっぷり積まれた物置小屋だった。ここなら伝令竜が来ればすぐにわかるし、汚れを気にしなくて済む。

「もう少しで、花虫竜の餌食になっていてもおかしくなかった。あんな危険はこりごりですね」

 ハダルクも銀髪をしぼって水を落としていた。こりごり、と言いながらも声が笑っている。竜の力を万全にふるうのは、単に兵器を用いるのとは違うよろこびがある。まるで自身が竜そのものになったかのように解き放たれるのだ。二人のあいだにはまだ、討伐の後の高揚感が残っていた。

 

「大貴族の姫君が、どこであんな曲芸を覚えてきたんです?」

「あら。イブやドリューなら、わたくしよりもっとずっとうまくやるわよ」

 グウィナはくすくすと笑った。

「ああ、今日のことを二人に話したら、なんと言うかしら! わたくしたち、東部を冒険したこともあるのよ。三人ならどんなこともできると思っていたわ」


「ドレイモア卿は……」ハダルクはめずらしく言いよどんだ。「あなたに隠していることがありますよ」

「え? ドリューが?」グウィナは首をかしげた。「隠しごとって?」

「内容は想像がついていますが、俺から言うことでは」

 緑の目が微妙にそらされた。「ご友人だからといって、あまり無条件に信用されるものではないと言いたかったのです」


「あなたたち、似たようなことを言うのねぇ」グウィナはなんだか、心配を通りこしておかしくなった。「ドリューもあなたのことを信用するなと言ったのよ」


 ハダルクはむっとした顔になった。髪をしぼった浴布タオルを放って、近づいてくる。「俺を別のやつと一緒にしないでください」

「だって本当に、おなじことを言うのだから……考えてみたら、あなたたちけっこう似ているわ。髪の色とか」

「銀髪なんか大勢いる」ハダルクの機嫌が降下していくのが目に見えるようだった。

「それに性格も――んっ」

 言葉がとぎれたのはキスのせいだった。ハダルクは彼女の下唇を噛み、「うるさい」と言った。負けず嫌いで子どもっぽいところがドリューに似ていると言いたかったのに。

「俺はあなたの友人でも、甥や弟でもありませんよ。あなたに子どもを産ませる男だ」

 濡れた鼻をすり合わせるので、たがいの髪から水滴がしたたった。ハダルクは仔竜どうしの遊びのように、あちこちを軽く噛んでは彼女の反応をうかがっている。耳からあご、そして襟もとをひらいてむきだしの肩へ。


「待って、ハダルク、こんなところで――」

「どうせ泥水まみれで、だれもきやしませんよ」

 彼女の首すじから応答が返ってきた。「おとなしくしていたら、この一回は無料タダにしてさしあげます」

「タダって、そういう問題では……」

「お嫌いですか?」

 言いながら、もう、ハダルクは息を荒くしている。彼女の許可を待ちながら、行儀悪く下腹部を押しつけてくるのがおかしかった。

「いいえ、でも……これって本当にお得なのかしら?」

「もちろん、特別サービスです」

「ふーむ」

 いくら素直なグウィナでも、この副官が契約にかこつけて不埒ふらちなことをしようとしていることくらいはわかった。それをハダルク本人がきまり悪く思っていることも。

 二人のあいだにあるのは契約関係で、恋愛ではないはずだった。身体を重ねるには、きまりがある。

 が、たしかに、今日はいろいろありすぎた。すこしばかりのご褒美があってもいいのかも。


 そして、今の二人にとってはたしかに、それが必要なことだった。

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