Episode 8 恐怖は闇の中(1)

 キュリフェを追って図書館を飛び出した二人は橋に差し掛かると、目の前の光景に驚愕した。


「なにこれ……」


 橋の向こう側は嘘みたいに闇夜が広がっていた。――まるでそこに線を引いたのか、あちら側とこちら側が別空間のようだった。いずれにせよ、日が沈むには早すぎる時間だ。



 ゴォォーーーーー。ガタタタ……ガタタタ……。



 橋の下で電車が通過する。ナユキは拳を握り締め、一歩踏み出し、リオは後に続いた。




 進んで行くと、道端で倒れている人を発見した。慌てて駆け寄るリオ。


「大丈夫ですか?!」


 しかし、いくら声を掛けても肩を叩いても返事が戻ってくる気配が無い。


「……息はしてる。眠ってるみたいだ」


 怪しく光る電灯の下、暗闇はリオとナユキの吐く息を一層白く際立たせていた。


「でも……おかしいよ……」

「…………進むぞ」


 辺りをよく見ると、ベンチに座ったまま頭を垂れている人、飼い主らしき人の横で同じようにピクリとも動かずに寝そべっている犬、死んだようにうつ伏せになっている人など、リオとナユキ以外の通行人は見当たらなかった。


「……静かすぎる……」

「え?」

「虫の音すら聞こえない」


 リオは耳を澄ませた。


「……本当だ。……ねえ。キュリフェ、どこ行っちゃったんだろ。こっちに来てたよね? ここは一本道だし……」

「…………」


 ――嫌な予感がする。


 ナユキのその予感は奇しくも当たってしまうのである。


「っ! ……何か、来る」


 徐々に大きくなっていく高速に鳴る羽音。突如、漆黒の中から二本の細い蔓のようなものがリオに向かって一直線に伸びた。


「きゃっ……」


 間一髪の所でナユキがリオの腕を引いた。


「ぼさっとすんな! エヌミだ、戦うぞ!」

「う、うん!」


 二人はほぼ同時にピアスを外すと足元に魔法円が刻まれ、光の筋が左目を貫き、闇を打ち消すような眩い光に包まれた。


 闇から現れたのは巨大な蛾のようなエヌミだった。先程リオを襲った、二本の細い触手がくねくね動きながら様子を伺っている。


「目は一つ……さっさと潰してやる」


 オレオールリリーは矢を放った。しかしエヌミはその太い胴体に似合わず素早くかわした。かと思ったら、次の瞬間にはエヌミの姿は消えていた。


「えっ」


 再びエヌミが現れたのは二人の背後だった。触角を擦り合わせると、ソルシエは頭が割れそうなほどの痛みに苛まれた。同時に、眠っていた人たちが次々に起き上がった。


「な、に……これ……!」


 ぐらりと身体が傾いたかと思うと、操り人形のようにソルシエに向かって一目散に駆けだした。エヌミが触角を擦り合わせるのを止めると、二人は何とか距離を取り、グロワールリリーは偃月刀の柄で、オレオールリリーは弓を変形させたロッドで、操られている人たちを傷つけないように叩き払った。


「間違っても殺すなよ!」

「分かってる!」


 しかし、跳ね除けられても人々は生きる屍のように再び立ち上がる。


「あっ……!!」


 動こうとしたグロワールリリーはいつの間にか両足を掴まれていた。虚ろで黒く渦巻いている目と目が合う。足を持ち上げて振り払おうとするが、人間とは思えない力で地面に強く押さえつけられ、びくともしなかった。逃げる術が無くなったグロワールリリーに気が付いた周囲の人は彼女に向かって飛びつく。脚を、腕を、体を、頭を掴まれて身動きが取れなくなった。


「うっ……!」


 首を絞められ、呼吸が困難になる。


 ――どうしよう! このままじゃ……!


「グロワール! くっ!」


 オレオールリリーはグロワールリリーを助けようとするが、消えては現れるエヌミが行く道を阻んだ。エヌミの長い触手によってオレオールリリーは薙ぎ払われる。


「ぐっ!!」


 宙を舞ったオレオールリリーが着地でよろけた隙にエヌミは一気に距離を詰めた。


「オレ、オール……!」


 グロワールリリーは力を振り絞って首を絞めている人を払いのけ、呪文を唱えた。


「エタンセル・パラリティック!」


 偃月刀から発生した電気火花に感電した人々は一気に倒れ、地面でビクビクと震えた。一方でエヌミは触手を伸ばし、オレオールリリーを捕らえようとしていた。グロワールリリーは咄嗟にエヌミに向かって偃月刀を投げた。それを察知したエヌミは一瞬で姿を消し、距離を取った。


 グロワールリリーはオレオールリリーの元へ駆け寄ると、操られた人たちが二人を包囲した。


「おい! さっきみたいにこいつらを麻痺させて動きを止められるか?!」

「う、うん! エタンセル・パラリティック!」


 電気火花を受けた人たちは次々と倒れた。


「よし! 今のうちに片を付けるぞ!」


 二人はエヌミに向かって駆け出し、思い思いに攻撃した。エヌミはグロワールリリーの攻撃を素早くかわし、オレオールリリーの攻撃は触手を上手く使って弾き飛ばした。


 ――もう一本の触手は?!


 エヌミは意外にも戦術家だった。もう一本の触手が見当たらないと思えば、それはぐるっと長く伸び、グロワールリリーの背後に忍び寄っていた。


 ――クソ! 間に合わ――



 ザシュッ。



 素早い反応を見せたグロワールリリーに目を疑い、触手を切り落としたという事実を理解するのにしばらく時間が掛かった。エヌミは金切り声を上げて触手を引っ込めた。


「あ、危なかった~~オレオールがすごい形相で睨みつけてくるから何かと思った~~~」

「………………」


 オレオールリリーは目の前で起こったことが未だに信じられず、唖然としていた。


 ――何だ? さっきの表情は……。あの目は確実に触手を捉えていた。まさかわざと引き付けて……? いや、まさか、な。脳内お花畑のこいつがそんなことを考えるわけがない。


「グロワール、オレオール! あの触手には気を付けて! 捕まったら逃げられない!」


 突然頭上でした可愛らしい声に驚いた二人は見上げると、キュリフェがばたばたと忙しなく手足を動かしていた。


「キュリフェ! 今までどこ行ってたの?!」

「エヌミの発生源を探してた! そんなことより、エヌミが逃げていくよ!」


 事実、エヌミはどんどん二人から遠ざかっていた。それを見たオレオールリリーは呟いた。


「すぐに回復しないで逃げるってことは、もしかしたら再生に時間が掛かるのかもな」

「……っ、行こう!」

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