Episode 3 ソルシエの役目

 喋る羊。エヌミ、アム、ソルシエ。知らない単語がポンポンポンとその口から飛び出す。グロワールリリーは既にキャパオーバーだった。


「……もっとわかりやすく説明しろ。こいつ、全然わかってないぞ」

「えぇ~十分わかりやすいと思ったんだけどなぁ。どこから説明して欲しい?」

「まずお前は何者だ」

「キュリフェだよ♪」

「違う」


 白い天使――オレオールリリーは弓をロッドに変形させ、キュリフェに向けた。杖の先が白く光り始めた。


「前に聞いたときもそうやってはぐらかされた。……そろそろ正体を明かせ。答えによってはお前を、消す」


 オレオールリリーの脅しにキュリフェは全く怯む様子がなく、むしろ平然としていた。そして、冷めた目でこう言った。


「……だから、キミたちソルシエを助ける天使みたいな存在だってば。それに、そんな魔法マジィじゃボクを消せないの、知ってるくせに」


 一人と一匹はしばらく睨み合った。冬の冷気を帯びた風が両者の間を通り抜ける。すると、オレオールリリーは諦めたようにロッドを下ろし、チッ、と舌打ちをした。


 キュリフェはニコっと笑った。


「分かればよろしい。さすが優等生くんだね♪」


 オレオールリリーは思いっきり顔をしかめた。優等生と言われるのが気に食わなかったらしい。


「えっと、キュリフェ? は、天使ってことでいいのかな……?」

「その通り♪」

「うちが知ってる天使とは違うような……」


 グロワールリリーはオレオールリリーをちらっと見た。あれを天使と呼ばずして何と呼ぶのだろうか。


「ああ! それは、人間界で人型を保つのにすっごいエネルギー使うから、こっちにいる時だけこの姿に変身してるんだ♪ 天界とかに行けば元の姿に戻るよ。あと、こっちの姿の方が可愛くて親近感沸くでしょ? 元の姿だとびっくりさせちゃうかもしれないし。なんせ、キミたちの何倍もの大きさがあるからさ」


 そもそも羊に羽が生えていて喋っている時点で十分驚いているということを思ったグロワールリリーは曖昧に微笑んだ。


「ああ、そうだ。ソルシエとは何か説明しないといけないね。……じゃあ、まずは昔話から始めようか」


 キュリフェが目を瞑ると、首元に付いている茜色で菱形の石から何とも神々しい虚像が現れた。


「その昔、神は土で最初の人類、アダムを創り出した。アダムを見て一人だと可哀想だと思った神は彼が寝ている隙に彼の肋骨を一本取り出し、それでエヴァを創り出した。それを大変喜んだアダムとエヴァは、神に感謝した。神も二人の嬉しそうな様子を見て大変喜んだ。それ以来、二人は楽園で悠々と暮らしていた。しかしある日、アダムとエヴァは誘惑に負けて食べてはならない禁断の果実を食べてしまい、楽園を追放されてしまった。……キミたち人間はその子孫だ。そしてエヌミはその大罪を背負ったキミたち人間が生み出した怪物だ。だから、人間自身でエヌミを倒し、その魂――アムを回収しなければならない。さっきの鈍色に光る小さい火の玉のことね。そのアムがどこにあるかというと――」


 キュリフェは器用にウィンクをした。


「目――ウイユなんだ」

「目……」


 ――だからさっきオレオールリリーは「目を狙え!」って言ってたんだ。


「まあ、厳密に言うと目じゃないんだけど。アムの入れ物がウイユって感じかな。大体はキミたちが『目』として認識してるところにあると思うよ」

「なんでアムを回収しないといけないの?」

「うん、いい質問だね。アムの回収を怠ると、この世界――人間界は消えてしまう。文字通り消滅するんだ、跡形もなく。それこそ、最初から存在しなかったかのように、ね。そしてその役割は誰が引き受けるかというと、キミたちのような選ばれし魔法使いソルシエっていうわけ。その百合紋章型の痣――フルール・ド・リスって言うんだけど――がその証さ」


 グロワールリリーは自身の首に手を触れた。生まれた瞬間から存在していた、忌まわしくも思える痣。いつの日からか、人に指摘されるのを恥ずかしく思い始め、それを隠すために首が隠れるような服装をしたり、チョーカーを付けたりするようになった。


「……あなたにもあるの?」


 オレオールリリーは無言で左手のひらを見せた。そこにはくっきりと、まるで烙印を押されたかのように百合紋章型の痣フルール・ド・リスがあった。


 ――うちの痣と全く同じだ……。


 自分にしかないと思っていた特徴的な痣が他の人にもある――それを知ってリオは何だか心が軽くなった。


「エヌミは人間が生み出したって……具体的にどうやって?」

「そうだね……この世の『負』が具現化したものらしいけど、どういう条件でエヌミが生み出されるかとか、実はその辺ボクにもよく分からないんだ。自然の摂理として受け入れるしかないね」

「…………」


 一人と一匹が話している間、オレオールリリーは無言でキュリフェを見つめていた。


「……ソルシエになるってことはつまり、『世界を救う』っていうことでしょ? 正直、そんな大役を任されても……漫画の世界じゃあるまいし」

「んーじゃあ、もうちょっと簡単に考えようか。エヌミを一体倒すことによってどこかで苦しむ人間や生き物が一人または一匹、場合によっては複数の人間や生き物が救われるんだ。例えばさっきの小鳥とかね」


 リオは悔しそうに顔を歪めた。


「でもあの小鳥はうちがちゃんと病院に連れて行けてたら助かってた……!」

「いいや。あの鳥はリオがどんな行動をしても死んでた」

「そんなの分かんないじゃん! なんでそう言い切れるわけ?!」


 リオはキッ、とキュリフェを睨みつけたが、羊は素っ気なく返した。


「なんでって、そういう定めだからさ」


 リオは信じられない、といった顔でキュリフェを見つめ、俯いてしまった。


「とにかく、リオが通りかからなかったらあの小鳥は間違いなく寒さに凍えながら死んでいた。苦しみながら死ぬことほど辛いものはないよね。まあ、エヌミにはなっちゃったけど、逆にエヌミになったことによってその小鳥が『救われる』機会が生まれた。ソルシエがアムを回収することは浄化に近い意味合いを持つからね。苦しい思いをし続けなくて済んだんだ。つまり、キミは誰かの『救い』になる。辛い思いや苦しい思いをしてる誰かがいたら放っておけないでしょ?」

「…………」

「『世界を救う』なんて大層なことは考えなくていいから。『ついでに世界救っちゃいました』くらいの気持ちでいいんだよ♪」

「おい」


 決して大きな声ではなかったが、良く通る高めの声によって会話が遮られた。


「ソルシエとしてエヌミと戦うとどうなるか説明してないぞ」

「……………」


 キュリフェは表情の読めない顔でオレオールリリーをじっと見つめ返した。


「変身すると人間の時と比べて格段に強くなるのは間違いないけど、不死身になったわけじゃないからエヌミの攻撃を受けるともちろん怪我はするよ。でも、そこは安心して。オレオールリリーは回復のマジィが使えるから、治してもらえばいいよ♪ でも、致命傷を負うと場合によってはソルシエとして、人間としても再起不能になるから、頭とか心臓とか急所への攻撃は気を付けてね」

「あと首もな」


 オレオールリリーの言葉を聞いてキュリフェは頷いた。しばらくしてリオは呟いた。


「……そういう定めだから、って片付けちゃうキュリフェの考え方は理解できないけど、辛い思いや苦しい思いをしてたりする誰かがいるなら、 助けたい。こんなうちでも力になれるなら」

「もちろんなるよ♪ アムの回収はそんなに難しいことじゃないし、現にキミも初めてだったのにさっきできたでしょ? オレオールリリーだって最近ソルシエに目覚めたんだけど、彼は問題なくちゃあんとこなしてるよ♪ まるで昔からソルシエだったみたいにね」

「彼?」


 オレオールリリーに目を向けるとなんと、いつの間にか白い天使に代わって有名ミッションスクールの白い詰襟の制服を身に纏った黒髪の少年がそこに立っていた。グロワールリリーは目を丸くした。


「……じろじろ見てないでおまえもさっさと変身解けば?」

「……変身……? 変身とは?」

「ほら、見た目が変わってるでしょ?」


 グロワールリリーはキュリフェに言われて初めてそのことに気が付いた。


「武器だけじゃない?!」

「そ♪ あと、 身体能力が格段に上がって、特に能力値が一番低いものが強化される。グロワールリリーの場合は……足の速さだね」


 グロワールリリーは先程の戦闘を思い返した。確かに、いつもより足が速かった。いや、速すぎた。


「それに、マジィを使って攻撃ができるようになる。マジィは魂あるものに内在するエネルギーのことなんだけど、まあ、魔法みたいなものって思っておけばいいよ。エヌミ――さっきのでかい鳥みたいなやつを倒したときに使ったやつとかね」


 ――あれが、マジィ。体の底から未知の力が湧き上がってくるみたいだった。


「それで、どうやって……」

「『変身よ、解けろ~』みたいなことを思えば解けるはずだよ♪」


 グロワールリリーは素直に従った。「へ、変身よ、解けろぉ~」と、なんとも間抜けな声を出すと、グロワールリリーの体から光が弾け飛び、元の制服姿に戻った。


「あはははは。キミ、おもしろいねぇ。別に声に出さなくてもいいんだよ」


 キュリフェは空中で笑い転げた。リオは顔を真っ赤にして俯いてしまった。


「あ、そうだ。変身するときはね、」


 キュリフェはリオに近づき、耳たぶをちょん、と鼻で触った。


「このピアスを外せば変身できるよ」

「えっ?!」


 リオは右の耳たぶを触ると石の冷たい感触が指を伝った。


「ちなみに、ソルシエとボク以外にはこのピアスは見えてないよ♪」

「よ、よかったぁ」


 ピアスをつけて帰ったら、両親に何を言われるか分からない。皆には見えないという事実に安堵したリオであった。


「じゃあ、行くから」


 黒髪の少年はさっさと歩き始めようとしていた。


「あ、待って! 名前……」


 呼び止められた少年はくるりと振り返った。


「……蛇草はぐさナユキ」

「えっと、うちは狐坂リオ。よろしく、ナユキくん――」


 遠くの方で学校のチャイムが鳴るのが聞こえた。


「あっ! 学校!!」


 遅刻確定だ。

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