Episode 2 覚醒の時

「ピィピィ、ピョロロロロ……ヒューー……」


 弱々しい鳴き声が聞こえる。数メートル先に飼鳥だと思われる美しい羽の色をした小鳥が雪の上で横たわっていた。周囲に飼い主らしき人は見当たらない。どこかの窓から飛びだしてきたのだろうか。こんなにも弱々しい声を出されては、放ってはおけない。リオは慌てて駆けつけ、ハンカチを取り出し、そっとその小鳥を包んで様子を見た。


 特に目立った外傷は無さそうだ。羽根はわずかな光に反射してペリドット、エメラルド、サファイア、そしてアメジストと、様々に色を変えた。はぁ、と白い息を吐く。


「……手当しなくちゃ」


 学校の近くに動物病院があることを思い出し、そこへ向かうことにしたリオはすっくと立ち上がり、雪を後ろへ蹴り出しながら走った。


「ピョロロロ……」


 小鳥は先程よりもぐったりした声で鳴いた。


「今、病院に向かってるから……! もうちょっとだけ頑張って!」

「ピィ……」


 小鳥は返事をするように弱々しく鳴いた。が、次の瞬間。


「……ビイィー、ビイィィィーーッ!!」


 突然、小鳥は鳥とは思えない奇妙な叫びと共に、どこからそんな力が出るのかと思う程リオの手の中で大きく震え出した。


「ひゃっ?!」


 リオは思わず小鳥を放り投げる。地に落ちた瞬間、小鳥の深部から何かが溢れ出すようにボコッ、ボコッ、と全身が波打ち、頭部から「とげ」のようなものが四方八方に生え始めた。見る見るうちに翼が伸び、羽根の一つ一つが固く鋭くなったように見え、体は肥大化し、青緑色の羽は至極しごく色に変わった。両目の間に切れ込みが入り、開いたかと思うと、三つの目がギョロリ、とリオを捉えた。


 ――バケモノ。


 巨大化した、醜怪な鳥。もう、拾ったときの美しい小鳥の面影は、どこにも、無い。


「キェェェェェ!!!」


 リオはその鳴き声に圧倒された。すると、至極色の鳥はたくさんの小さな黒い卵を、爆弾を投下するように産み落とした。割れた殻の中からは母体と同じ見た目の雛鳥が顔を出す。リオは立ちすくんだ。それを見計らった巨大な鳥は翼を一振りすると、一陣の風がリオに真っ直ぐ向かってきた。背後の木が切り倒される。リオの方はと言うと、何とか自分を奮い立たせ、すんでのところで避けたがチョーカーを切られてしまった。再び鋭い風がリオに襲い掛かる。後ろに仰け反って尻餅をつき、先程の衝撃で切られた黒いチョーカーがはらりと白い雪の上に落ちる。その間にも、三つ目の至極色の鳥はリオとの距離を詰めていた。雛鳥たちは津波のような勢いで天に羽ばたく。


 ――もうだめだ。うち、このまま死んじゃうの……?


「ギャハハハハハアハハハハハ!!」


 まるで、絶体絶命のリオを嘲笑うかのような鳴き声。


 その瞬間、眩い光が辺りを包み込んだ。光を放つ矢が闇を切り開くようにリオとバケモノの間を通ったのだ。そして、真っ白な弓を持った真っ白で中性的な顔立ちをした天使が、雪と共に薄緑がかった白い花びらをまき散らしながら、舞い降りる。少なくとも、リオには天使にしか見えなかった。思わず言葉を失う。


 すると、その天使のような姿格好に似合わず、思わず怯んでしまうような叱咤の声を上げた。


「おい、早く立って援護しろ!!」

「え」


 天使が生成した光の壁が雛鳥の大群を弾く。


「っ……! 僕一人じゃこの数は無理だ! さっさと変身しろ!」

「な、なに言って――」


 天使はチッ、と舌打ちをした。なんとも天使らしくない。リオの中の天使像がどんどん崩れ落ちて行く中、次の言葉で彼女の心臓は電気ショックを与えられたかのように強く脈打った。


「グロワールリリー!!」



 ドクン。



 ――グロワールリリー、グロワールリリー、グロワールリリー……


 脳内で木霊する。……そう、うちは、グロワールリリー……。


 チョーカーが切れたことであらわになった、リオの首にある百合紋章の形をした痣が赤く光り始めた。すると紅色の宝石が形成され、リオの足元に魔法円が出現し、宝石が鋭い光の筋となって左目を貫いた。次の瞬間。

 眩い光に包まれ、シャボン玉のように弾けたかと思うと、制服ではなく中華風の、黄の差し色が入った鮮やかな赤色の衣装を身にまとっていた。髪と瞳も紅色に変わり、手には偃月刀えんげつとうが握られていた。


「へ……? えええっ?!」

「おい、ボケっとすんな! 早く奴らを斬れ!」

「えっ、嫌です!」

「はあぁ??」

「だって! 生き物をそんな簡単に殺せないよ! ましてや今孵ったばかりの可愛い雛鳥を!」

「おまえ目腐ってんのか! あれが可愛いだって?!」


 至極色で、卵から孵ったばかりだからなのか、ドロドロしていてまるで腐敗しているかのようだった。どこからどう見ても、醜い雛鳥だ。否定を表しているのか、それともただ単に恐怖で震えているのか、グロワールリリーはふるふると首を振った。天使はその間にも矢を放っている。雛鳥を矢で貫く度、黒い霧となって消えた。その黒い霧に紛れ、一羽の雛鳥が天使の矢を掻い潜った。


「クソッ! 一匹逃した!」


 雛鳥は矢と光の壁を避け、二人の横を高速で過ぎたあと、急旋回し、飢えた肉食獣のように大口を開けながらグロワールリリーに真っ直ぐ向かってきた。口の中で、鳥にはあるはずのない鋭い牙がギラリと怪しく光る。その体は近付くにつれ、徐々に大きくなっていった。


 ――斬らないと、確実に呑まれる。


「ごめんなさい!!」


 もはや雛鳥と呼べない大きさにまでなった鳥が手を伸ばせば届く距離まで接近した時、グロワールリリーは目を瞑りながら偃月刀を目一杯振り下ろした。すると、鳥は黒い霧となって消滅した。グロワールリリーは重い息を吐いた。その紅い瞳にはもう、迷いは無かった。


「やればできるじゃん」


 天使の方を見ると、天使の微笑みとは言い難いが、口元は緩く、だがしっかりと弧を描いていた。グロワールリリーは巨大な鳥に向き直った。翼を振ることによって起こる風の刃が周囲の木々を切り倒していた。


「それよりこれ、どうやって倒すの?」


 天使は方眉を上げた後、ふっ、と笑った。


「やる気だね。さっきまでピーピー喚いてたのに」

「……だって、倒さないといけないんでしょ? じゃないと、こっちが――」


 何かを察知したグロワールリリーは勢いよく振り返った。斜め後方からの奇襲だ。


「危ない!!」

「!!」


 天使とグロワールリリーはほぼ同時に飛び上がった。


 ――体が羽根みたいに軽い。


 天使は空中で再び矢を放った。


「ディスペルシオン・リュミヌーズ!!」


 今度は一本の矢が複数に分裂し、見事に的が外れることなく雛鳥一羽一羽を貫いた。しかし、いくら命中しても雛鳥は次から次へと湧いてくる。何とかしなくちゃ、そう思ったグロワールリリーは知らぬ間に呪文を唱えていた。


「エタンセル・パラリティック!!」


 偃月刀を振ると刃から電気火花が飛び散り、雛鳥の動きを止めた。すかさず天使は矢を放つ。雛鳥は全て一瞬にして姿を消した。


「助かった、サンキュ」

「ううん、うちもさっき助けてもらったから」


 しかし、二人が息をつく暇も無く醜怪な鳥は攻撃を仕掛ける。鋭く尖った無数の羽根が飛んできた。避ける二人。


「僕が引き付けてる間に『目』を狙え!」

「目?! 三つあるけど?!」

「どれでもいいから! もういっその事、その刀で全部ぶっ刺せ! ウイユを壊せばこっちの勝ちだ!」

「……わかった、やってみる!」


 天使が矢を放つと、中央の目に命中した。しかし、バケモノはさほどダメージを受けていないようだ。


「チッ、これじゃなかったか」


 グロワールリリーはすぐさま電光石火で雪の表面を滑るように走った。駆けた後を赤い稲妻が走る。勢いをつけて飛び上がり、偃月刀を振りかざす。狙うのは、右目。


「トランゼレクトロショック!!」


 全身に紅色と黄色の稲妻が走る。電気を帯びた刃の先が目の表面に当たった瞬間、亀裂が走った。バケモノに電流が移る。深く突き刺すと、轟きと共に辺りに放電し、ガラスが割れるような音がした。バケモノは風に吹かれて崩れる砂山のように消え去った。鈍色に光る小さな火の玉がグロワールリリーの胸元にある紅色のペンダントに吸い込まれていった。そしてバケモノが完全に消滅すると、切り倒されていた木々は元に戻った。


「おつかれ♪ ふたりとも!」


 突然背後でした可愛らしい声に二人は勢いよく振り返った。


「おっと、ボクは怪しいものじゃないよ。武器を下ろしてくれないかな?」


 先程聞こえた声にピッタリな、天使の羽と角が生えた、赤い目で黒い顔の、とても可愛らしい小さな白羊が二人の目の前でふよふよ浮かんでいた。


「…………」


 白い天使は警戒した眼差しでしばらく吟味するように見た後、弓矢を下ろし、顔を背けた。


「やあ、また会ったね♪」


 翼の生えた白羊が天使に向かって言った。


「…………」

「ちょっ、無視はひどいんじゃないの? ねぇったら。――オレオールリリー」


 オレオールリリー、と呼ばれた天使は相変わらずそっぽを向いていた。


「キミが新しい魔法使いソルシエのグロワールリリーだね?」


 今度はリオ――グロワールリリーの方を見て言った。


「……その前にあなたは?」

「あぁ! そうだね、名乗って欲しかったらまずは自分から名乗らないとね!」


 白羊は器用に空中で一回転した。


「ボクは、キュリフェ。魔物エヌミアムを回収する魔法使いソルシエのサポートをする天使って言えば、分かりやすいかな?」

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