Episode 17 新たな出会い

 新学期。その言葉を聞いて「ああ、新学期ダル~もっと遊びて~」と思う学生は少なくないだろう。しかし、リオは全く逆のことを思っていた。むしろ、文化祭や体育祭、修学旅行前日のテンションのように夜も眠れないほど楽しみにしていた。何故か? クラス替えがあるからである。そのせいかこの日はいつにも増してドジを踏んでいる。


「なんでアラーム鳴ってないのぉ~?!」


 ブレザーと靴下を持ってリオはドタバタと階段を駆け下りた。


「鳴ってたわよ、もう何回もね」


 リオの母は席に着いたリオの前にトーストを置いた。


「えー! じゃあ起こしてよ~!!」

「知らないわよ」

「も~~時間ないよ~~」

「はは、きっといつもみたいに楽しみすぎて寝れなかったんだろう?」


 リオの父はテレビのリモコンに手を伸ばした。


「ふっ、ねーちゃんガキだな」

「うっさい!」

『今日は一日を通して快晴、洗濯日和です。ただし、局地的に夕方ごろ、にわか雨が降る可能性があります。折りたたみ傘を持っていくと安心でしょう』

「あら。じゃあ、今日は早めにお布団干そうかしら」


 そう呑気に言う母とは違い、リオは急いでトーストをなんとか牛乳で喉に流し込んでいた。


「ごちそうさま!」


 バタバタと玄関へ走る。


「あ、リオ! 傘持った?」

「持った! 行ってきます!」


 家を飛び出し、全力で走るリオ。しかし、そのペースは決して速くない。いつかの冬の日を思い出す。この日は銀色ではなく、桃色の世界が広がっていた。


「今日は間に合うはず……!」


 案の定、リオがバス停に着いた丁度その時にバスが停車した。


「お、おはようございます……」


 息を切らしたリオはいつもの窓側の席に腰を下ろした。走ったせいか、はたまた興奮のせいか、動悸が収まる気配は無かった。




「ありがとうございましたー」


 学校近くのバス停に下車したリオはスキップしそうな勢いで歩き始めた。


 校門には登校する生徒たちがちらほら見える。その時。一陣の風が吹き、リオのスカートを勢い良くめくりあげた。


「ぎぃゃぁぁああああ!!!」


 すぐに手で押さえたが、時すでに遅し。目の前で体格の良い、少し日焼けした先輩と思しき男子生徒がぽかん、とした顔でリオを見つめていた。


「あああごめんなさい! 忘れてくださいぃぃー!」


 そう言い残してリオは校舎に向かって逃げ去った。




 リオはいつものように一年A組の教室へ向かった。そして、ドアを引こうとして鍵が掛かっていることに気が付く。


「あれ、リオー?」


 廊下の向こう側から同じクラスの女子が呼び掛けた。


「一年じゃなくて二年の教室に集合だよー?」

「あ、そうだった。ごめーん、ありがとう!」


 リオは駆け足でクラスメイトの所へ向かった。今日は走ってばかりだ。


「さっきから誰もいないなーとは思ってたんだけどね」

「もう、相変わらずだね」


 二人は階段を上がると、静まり返っていた一階とは違い、廊下で談笑する生徒たちが大勢いた。


「今年も同じクラスだといいね」

「ね」

「あーでももう二年か~。そろそろ進路決めなきゃだよねー」

「え~まだ二年だよ?」

「いやいや、もうここからはあっと言う間だって、あたしのおねーちゃん言ってたもん。リオは何か考えてる?」

「う~ん、とりあえず進学はするかな。その先は……分かんない!」


 二人は笑い合い、教室に入った。




「はい。じゃあ、クラス分けの名簿、配りますよ~」


 教室内は一気にざわついた。白波のように回ってくる紙。スキャナーの如く印刷された文字を追う目。


「今年はC組かぁ……」

「リオちゃん!」

「わっ」


 リオは突然後ろから抱きしめられた。


「今年もよろしくね!」

「え、同じクラス?! やったー! よろしく!」

「皆さーん、この後教室を移動してもらうので、あと数分、時間まではこの教室にいて下さいねー」




「ごめんリオちゃん、トイレ行くから先行ってて」

「うん」


 こうしてリオはC組へ向かった。廊下では喜ぶ人、残念がる人など、生徒たちは実に様々な会話を交わしていた。


「お前何組?」

「B」

「マジ? オレ隣だわ、A」

「お、体育とか一緒じゃん」

「え~今年も離れちゃったの~??」

「残念だね……でもお昼は絶対一緒に食べようね!」

「あーやっとあいつとクラス離れたわ。本当せいせいした」

「あと二年も同じクラスとかマジ勘弁だよな」


 リオはC組の教室のドアに貼られた座席表を確認した。


 ――あっ、今年は一番前じゃない。ラッキー。


 リオの前の席には『小鹿ミハル』と書かれていた。


 ――コジカミハル? どんな子なんだろう。


「ミハルちゃんかぁ。仲良くなれるといいな」


 名前がその人を完全に表すわけじゃないのは分かってるけど、きっと小動物みたいにかわいいんだろうな、リオはそんなことを思った。


 教室に入ると、既にちらほら着席している生徒や喜び合っている生徒がいた。リオは席に座り、他の友人がどこのクラスか確認するためにスマホを取り出し、チャットアプリを開いた。


 一通り確認が取れたところでスマホをいじるリオに影が落ちた。顔を上げると、男子生徒が前の席に座ろうとしていた。


「え!?」


 リオは慌てて口を塞いだ。リオの前の席、つまり『小鹿ミハル』の席に座ろうとしているということは、この人が『小鹿ミハル』だということ。しかし、『小鹿』という苗字に反して、かなりの長身でガタイの良い男子だった。リオの声で振り返った男子生徒の顔を見てリオはふと気が付いた。


「あ」


 風でスカートがめくり上がった時のことがフラッシュバックする。


「ん?」

「さっきの……同じクラスだったんだ……先輩かと思った……」


 男子生徒は一瞬停止し、思い出したようにやや目を見開いた。


「ああ……」


 そしてバツが悪そうに目を逸らした。


 ――うん、さっきあったことは早く忘れて欲しい。


 下にスパッツを履いていたからまだよかったものの、男子からしたらほとんどパンツと変わらないのではないかとリオは一瞬思った。


「えーっと! 小鹿こじかミハルくん、だよね。うちは狐坂リオ。よろしくね! あと、さっきのは気にしなくていいから! 無かったことにしてもらえれば!」


 ミハルが口を開きかけた時、先生が教室へ入ってきた。


「全員いるかー。席着けー。自己紹介がてら出席取るぞー」


 生徒たちは慌ただしく着席した。


「じゃあ、まず俺からな。今年の二年C組の担任、まゆずみキョウヤ。担当教科は英語。趣味はソファでごろ寝しながらの映画鑑賞。モットーは『省エネ第一』。一年間、どーぞよろしく」


 近くの席の女子たちがこそこそ囁いた。


「ねえねえ、先生、イケメンじゃない?」

「えー? 若いだけじゃない? ……間違っても禁断の恋に発展させるんじゃないよ」


 ――あれをイケメンというのか……。確かにちょっとかっこいい、かも?


「じゃあ、出席番号一番の赤城あかぎミナ。一年の時のクラス、部活、趣味と……あとはまあ、適当に。はい、どーぞ」

「は、はい」


 急にキューを出された女子生徒は慌てて立ち上がった。


「元E組の赤城ミナです。吹奏楽部です。趣味は――」


********************


「次。小鹿こがミハル」


 ――ん?


「はい」


 やはり立ち上がるとかなりの迫力だ。特に真後ろに座って見上げているリオにとってはヒグマ同然だった。ミハルは振り返る。


「元D組、小鹿こがミハル。ボクシング部所属、趣味は体を鍛えること。……お願いします」


 ――んんん? 『コジカ』じゃなくて『コガ』だった?!


「はいよろしくー。次、狐坂リオ」


 ――あっ、よく考えたら『コジカ』だったら『コサカ』の後ろに来るじゃん! なんで気が付かなかったんだろう! もーーバカバカバカ!!


「狐坂?」

「あ、はい」

「早速心ここに在らずか~?」

「す、すみません」


 リオは立ち上がり、スカートの裾を引っ張った。


「狐坂リオです。元A組です。部活には所属していません。趣味は……特にこれといったものはありませんが、お風呂が好きなので近所にある銭湯へはよく行きます。よろしくお願いします」

「はい、よろしく。それじゃあ、次の人どーぞ」


********************


「さっきは名前間違えて本当にごめん!」


 ホームルームが終わるなり、リオはミハルに向かって土下座をする勢いで頭を下げた。ミハルは軽く頷いた。


「慣れてる」


 ――うぅ、フォローのつもりだろうけど、一人目じゃない事実が逆に刺さる……。何度も名前を間違えられて気を悪くしない方がおかしいもん……。


 その上、女の子だと思っていたことは口が裂けても言えなかった。


「なあ」

「はい、なんでしょう!?」

「…………」


 ミハルはリオをじっと見下ろした。かと思ったらおもむろに手を挙げた。リオはビクっとしてミハルの怒りを受ける覚悟で目をぎゅっと閉じた。すると。


「……これ、付いてた」

「へ……?」


 見ると、ミハルの大きな手のひらの上に一枚の小さく可憐な桃色の花びらが乗っていた。


「桜の花びら……?」

「いや、これは桃。先がちょっと尖ってる」

「あ、ほんとだ」


 リオは花びらをじーっと見つめた。


「……よく混同されがちな梅は丸くて、桜は先がちょっと割れてる。しかも梅の開花時期は二月中旬から三月頃までだから――」


 そこまで言ってミハルは口をつぐんだ。リオは目をしばたたかせた。


「だからこれは桃の花びらってこと? すごい、詳しいんだね」


 ミハルは若干眉を寄せながら目を伏せた。


「……悪い、忘れてくれ」


 そう言ってミハルは拳を握り、教室を出た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る