Episode 20 戦う理由

 午前八時二十四分。ショートホームルーム直前。


「おはよう、ミハルくん」

「おはよう」

「今日も朝練お疲れさまです」

「ん」


 首にタオルを掛けたミハルはエナメルバッグを机の横に置いた。


「あの、今日でもいいんだけど、今週の放課後、時間あったりしない?」

「悪い、今日は部活。すぐ終わる用事?」

「えっとね、ちょっと会って欲しい人がいて」

「会って欲しい人?」

「ええと、他校の子なんだけど、よく協力し合ってるというか……」


 リオの歯切れの悪さを見てミハルは、相手もソルシエだろうと察した。


「明日なら空いてるけど」

「じゃあ、明日の放課後でお願いします」

「分かった」

「ありがとう」


 ――どんなやつなんだろう。まあ、明日になれば分かるか。


 チャイムが鳴り、生徒たちはぞろぞろと席に着いた。




 昼休み。晴天の下、東棟と西棟を繋ぐ外廊下で待つリオのもとに、マユコがお弁当を持ってやって来た。


「ちょっとリオ~水臭いなぁ~」

「え? 何が?」

「できたんなら教えてよ~」

「だから何が?」

「か・れ・し」

「………………」

「『誰のこと、それ?』みたいな顔しないで! あんたのことだよ!!」

「うち?! うちいつ彼氏できたの?!」

「いや、こっちが聞いてるんだけど。今朝教室の前通った時に見ちゃったんだよね~。明日の放課後、デートに誘ったんでしょ。いいね~青春だね~」


 ――明日の放課後? 誘った? ああ、ミハルくんのことか……。


 マユコは地獄耳だった。しかし、それは聞きたい情報のみに限る。


「マーちゃん、何か盛大な勘違いをしてるみたいだけど、ミハルくんは彼氏じゃないから。ただのクラスメイトだから!」

「へぇ~! ミハルっていうんだ~! 今度紹介してね!」

「だから違うってば!」


 マユコはにやにやしながら弁当箱を開けた。


「まあ、いいや。その感じだと本当に違うみたいだしね」




 リオはミハルの覚醒をナユキに話していた。二人は放課後、ナユキがリオを連れて行った『Café Moulinカフェ・ムーラン』で近況を報告し合うのが日課になりつつあった。


「フォーンリリー、か……」


 ナユキはカフェオレを一口飲んだ。


「ボクシング部だし、小さい頃からスポーツもたくさんやってたみたいで、戦い慣れてる感じだったなぁ」


 リオは思い出すように呟いた。


「へえ。もしかして拳で戦うのか?」

「うん。あとね、攻撃をよけたり、相手の隙を突いたりするのがすっごく上手なの」

「マジィが使えるのに物理で攻撃するってよく考えたら変だけどな」

「まあ細かいことはいいじゃん、エヌミを倒せるんだったら」


 ナユキは特に反応せず、マスカットのタルトを口に運んだ。


「……何だよ、じっとこっち見て」

「え? あ~……いやぁ~、美味しそうだな~って思って」

「おまえも頼めば?」

「いや、大丈夫。友達の誕生日で今年はちょっと豪華なものを用意したくて貯金してるから……!」

「ふーん」


 ナユキは二口ほど残し、皿をリオの方へ押し出した。


「ん」

「ん?」


 ナユキは皿の上のタルトに視線を落とした。


「……やる」

「え、いいの? 本当に?」

「なんでそんな慎重になってるんだよ」

「いや、だって……ナユキくん、ほぼ毎回これ頼むから好きなんだと思って……」

「……やるって言ってるんだから素直に食べろ、僕の気が変わる前に」

「はい、ありがたくいただきます!!」


 リオは新しいフォークを手に取ると、大きく口を開けて頬張った。

 サクサクしたタルト生地に、甘すぎない生クリームと滑らかなカスタードが混ざり合ったかと思うと、マスカットの程よい酸味とみずみずしさが口の中で弾けた。


「ん~~~おいひ~~~」

「そのサイズを一口でいくか、普通」

「ほのほうはふひのはははひははへへいっはいはんへふー」

「いや、飲み込んでから喋れよ」


 しばらくもぐもぐと咀嚼すると、ごくん、と喉を通る音がした。


「一口で食べた方が、口の中が幸せでいっぱいになるでしょ?」

「……あっそう。話戻すけど、そのミハルってやつ、今度会わせてくれないか? 今週中にでも」

「うん。じゃあ、誘ってみるね。ここで大丈夫?」

「ああ、日にちが決まったら教えてくれ」




 そして約束の日の放課後。

 ナユキ、リオ、ミハルはカフェの円卓を囲んで座っていた。


「うちと同じクラスの、小鹿ミハルくん。で、この子がミハルくんに会いたいって言ってた蛇草ナユキくん」

「……中学生?」

「高校生だ」


 慌ててリオが付け加える。


「今年から高校生なんだよね、ナユキくん!」


 いつからかは関係ない、と言わんばかりに間髪入れずナユキが繰り返す。


「高校生だ」


 ミハルは頬を掻いた。


「……悪い。あまりにも……その……細くて」


 ――判断基準そこなの、ミハルくん?!


 ナユキは一般的な男子高校生と比べるとやや小柄な方だった。加えて、中性的な顔立ちが幼い印象を与えてしまっている。それに対してミハルは一般的な男子高校生と比べるとやや大柄な方だったので、中学生だと思ってしまったのは無理もない。

 しかし、ナユキが「優等生」と同じくらい形容されて嫌だったのが、「小さい」や「幼い」だった。

 ナユキはミハルの体をじっと見つめた。


「おまえは筋肉がたくさんついてるみたいだな」

「まあ、鍛えてるから」


 皮肉として受け取ってもらえず、ナユキは少しムッとした。


「……おまえは、戦い続けるのか?」

「え」


 驚きの声を上げたのはリオだった。ミハルは少し考えたのち、口を開いた。


「割りといいトレーニングになるから別に続けてもいいかな、とは思ってる」

「だいぶ軽い理由だね?!」

「そんなもんだろ。おまえだって大した理由でやってないだろ?」


 ナユキはスマホを取り出しながら言った。


「どんな理由なんだ?」


 気になったミハルはリオに問いかけた。


「え、まあ……困ってる人がいるなら助けたいな~って感じ……?」


 それを聞いてミハルはふっと微笑んだ。


「狐坂らしいな」


 ナユキはミハルにスマホを差し出した。


「僕の連絡先。もし困ったことがあれば話くらいは聞く」

「助かる。正直、分からない事ばかりでどうしようかと思ってたんだ」

「あっ、じゃあグループ作ろうよ」


 リオもスマホを取り出した。


「グループ名は……『ソルシエの集い』でいい? 安直すぎ?」

「いいんじゃないか、分かりやすくて」

「アイコンはどうしようかな……あ、そうだ」


 リオはテーブルに並べられた飲み物やスイーツの写真を撮った。


「これでよし、っと」

「……狐坂から話聞いた感じ、色々詳しいみたいだな」


 ミハルはスマホをしまいながらナユキに話し掛けた。


「僕も全部を知ってるわけじゃないけどな」

「ちなみに……他にもいるのか? 俺らと同じようなやつ」

「僕たちが知っている限りで言えば一人いる。他はいたとしても会ったことが無いから分からない」

「今度チヨちゃんも誘ってみる?」

「連絡先知ってるのか?」

「あ……そういえば知らないや……校門前で待ち伏せしてみる? うちの時みたいに」


 それを聞いてミハルは首を傾げた。


「狐坂の時って?」

「まだ連絡先を交換してなかった頃、放課後にナユキくんが校門の前で待ってた時があったの。寒い中、うちがいつ下校するかもわからないのに。ね、ナユキくん」

「その話はいいだろ、もう」


 ナユキはひらひらと手を振った。

 二人のやり取りを見て、ミハルは疑問を口に出した。


「二人は付き合いが長いのか?」

「ううん、何か月か前に初めて会ったよ。なんで?」

「いや、仲良いなって思って」

「え、そう見える?」


 リオの表情がぱっと明るくなった。


「なんでちょっと嬉しそうなんだよ」


 ナユキはリオの表情を見て顔をしかめた。


「だって、仲良くなりたいと思ってたから!」

「別に仲良くする必要も無いだろ」

「そ、それは……ないかもしれないけど……。でも! うちはナユキくんのこと、もっと知りたいなって思ってるよ。それじゃダメなの?」


 リオの問いかけにナユキは一瞬、言葉に詰まった。


「……別に駄目とは言ってない」

「お待たせしました、ガトーショコラです」


 店員がリオの前にケーキの乗ったプレートを差し出した。


「わあ、美味しそう! ありがとうございます」


 リオがプレートを受け取っているタイミングで「ったく……変な所でストレートだよな……」とナユキが呟くのをミハルは聞いてしまった。リオの方を見るも、当の本人はスイーツに夢中で聞こえていないようだった。


 ――いい人たちみたいで、良かった。


 そう思って、ミハルはふっと目を細めた。

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