Episode 5 大根泥棒
「リオー? 聞いてる?」
顔の前でひらひらと手を振られ、リオは離れていた意識を引き戻した。
「ごめん、何だっけ?」
「もー、ちゃんと話聞いてよね!」
箒を持ったまま腰に手を当ててぷりぷり怒るのはリオの親友であり、幼馴染でもある
「ベルフルのライブ、行くでしょ? CDはもちろん予約したよね?」
ベルフルとは、「
「うん、したした。ライブの先行抽選券が入ってるんだよね?」
「そうそう! うわ~今からドキドキする~。当たるといいなぁ。てか、絶対当てる!」
マユコはそう宣言して拳を握り締めた。
ソルシエとして活動し始めて数週間。周囲にエヌミは現れるものの、最初の出会い以来ナユキと会うことはなかった。キュリフェの話によればナユキはナユキで彼の近くに出現したエヌミを倒し、順調にアムを回収しているらしい。
――なんか、二人で協力してエヌミを倒してアムを回収する感じかと思ってたけど、互いに干渉しないって言うか、あくまで個人プレイみたいな感じなんだなぁ。
リオの方は、慣れてきたおかげもあって最初に出会ったエヌミと比べてアムの回収に大して苦労することはなかった。朝起きて登校し、学校で勉学に励み、部活には所属していないので放課後は家へまっすぐ帰る。休み時間や帰り道にエヌミが現れると倒し、アムを回収する。実質、部活をしているのと何ら変わりがない。もっとも、リオは部活らしい部活に所属したことがないので想像し得なかったが。
「そういえばもうすぐ冬休みだね~。リオはクリスマスなんか予定ある?」
机を運びながらマユコが聞いた。
「んーいつも通りケーキ食べて家族と過ごすくらいかなぁ。マーちゃんは?」
リオがそう聞くと、マユコはにまぁ~と笑った。
「デート♡」
「……誰と?」
「彼氏と」
「どこで?」
「ぷりちぃらんどで」
「いつ?」
「クリスマスに」
「………………」
マユコの発言を脳内で処理し終わるとリオは絶叫した。
「いつの間に!! マーちゃんだけが仲間だと思ってたのにぃ~!! てかただの自慢かよ~~~!!!!」
「大丈夫だよ~リオもそのうち彼氏できるって~」
マユコはリオの肩をバシバシ叩きながら励ました。
「そういう問題じゃな~い~!! てかマーちゃんのとこ行こうと思ってたのに~!!」
マユコの実家は銭湯を営んでいる。リオは幼い頃からよく通っているのだ。
「お土産買ってくるね」
マユコはバチンとウィンクをした。
「じゃ、そういうことで今日はトモヤと帰るから。また明日ね」
そう言い残して掃除を終えたマユコは颯爽と教室を出て行った。
とぼとぼと学校を出てバス停でバスを待っていると、リオのスマホが軽快なメロディを奏でた。母からのメッセージだ。
『ごめ~ん、今日の夕飯に使う大根買い忘れちゃったから帰りにスーパーに寄って買ってきてくれる?』
リオはそれを読むと狐のOKスタンプを送り、ちょうど到着したバスに乗り込んだ。
無事に買い物を終え、リオは再びバスに乗車した。空いた席に座り前を向いたまま窓から外をぼ~っと眺めていると、移りゆく景色の中でそれより一際早く過ぎ去っていく黒い影が。リオは思わず振り返って窓にへばりついた。はっきりとは見えなかったが、間違いなくエヌミだ。慌てて停車ボタンを押し、下車するなり来た道を引き返した。
「あれ、どこ行ったんだろ……」
リオはきょろきょろと辺りを見まわしながら歩いていた。黒い影が曲がったと思われる道へ入るとそこはなかなかに閑静な住宅地で、近くにある公園から子どもたちが楽しく遊ぶ声が良く聞こえていた。公園の入り口の前を通り過ぎようとした時、リオは何かに躓いた。そして、続けざまに「おまえ、おれのボールとっただろ!」と叫ぶ声が聞こえた。
リオの足元にはいつの間にか青いボールが転がっていた。それを拾い上げ、公園の方を見ると他よりも少し背の高い男の子がもう一人の男の子に向かって叫んでいた。
「あそこにおいてあったボール、おれが見てないすきにとっただろ!」
「ぼくじゃない! だって、ぼくはあっちにいたんだもん!」
「うそつけ! じゃあだれがとったんだよ! おまえか?!」
男の子は今にも殴りかかりそうな勢いだ。
「ねえ、君たち! もしかして探してるボールってこれのことかな? 公園の外に転がってたよ」
リオがボールを持って駆け寄ると、男の子たちはボールをまじまじと見つめ、背の高い男の子はキッ、と他の男の子たちを睨みつけた。
「あああほら、多分風で転がっていっちゃったんだよ。誰のせいでもないからさ、もう喧嘩はやめよう? ね?」
背の高い男の子はやや不満げにボールを受け取った。
「……ありがとう」
リオはそれを聞いてにっこり笑った。
「どういたしまして」
すると、視界の端で何かが素早く動いた。顔を向けると、黒い影が木の上に佇んでいた。
「ウキャキャッ」
口元に手を当て、まるで悪戯が成功した小さな子どものようにクスクス笑っていた。その姿は、まるで子猿のようだった。
――え、あれがエヌミ? かわいいんですけど~~!!
今までのエヌミとは比べ物にならない可愛さだった。しかし、この可愛らしいエヌミの次の行動でリオはその考えを改めることになる。
エヌミは軽々と木から飛び降りると、カッ、と赤い両目を見開いたままリオに向かって真っ直ぐ駆け寄ってきた。そのスピードは、並大抵の猿の比ではない。瞬きをする暇も無くエヌミはリオが持っていたスーパーの袋を掠め取り、そのまま公園の外へ出て行った。
「大根ーーっ!!」
慌てて追いかけるも、リオの脚力ではすばしっこいエヌミには到底追いつかない。公園を出てリオは周囲を確認するとピアスを外した。地面に刻まれた魔法円が光り輝くとピアスが光の筋となって左目を貫き、赤い光に包まれた。
「待てーっ! 大根泥棒ーっ!!」
「ウキャキャキャッ!」
電柱から電柱へ、屋根から屋根へ飛び移るエヌミは楽しんでいるようだ。グロワールリリーが屋根の上へ飛び乗ると、エヌミは咥えていた袋を電柱に引っ掛け、逃げ去った。グロワールリリーはスーパーの袋に目もくれずエヌミを追いかけた。大根を手放せば諦めてくれると思っていたのか、それでも後を追うものすごい形相のグロワールリリーに驚いたエヌミは一層速く住宅地を駆け抜けていった。
屋根や電柱に上っては、下へ降りる。いつも惜しい所で刃がエヌミに届かない。それを繰り返している内にグロワールリリーは焦燥に駆られ始めた。
「ああもう面倒くさいっ!!」
一旦追いかけるのを止め、エヌミの動きを観察した。電柱から電柱へ飛び移り、電線を伝い、屋根の上を駆けていく。グロワールリリーは電線を握った。ジジジ、とわずかな赤い稲妻がその拳から放出される。
――次電線に乗ったら、仕留める!
エヌミが電線に飛び乗ろうとした瞬間、グロワールリリーは全エネルギーを電線に込めた。バチバチッ、と赤い稲妻が電線を伝っていき、エヌミの手が触れた瞬間、感電した。
力なく落ちて行くエヌミとの距離を一気に詰め、空中でその両目を、林檎を半分に切るかの如く、頭ごと切った。
グロワールリリーが固いアスファルトに着地すると同時にエヌミは黒い霧となって完全に消滅した。鈍色のアムがペンダントに吸い込まれていく。
「……づがれだ……」
ひと戦い終えたリオはバスに乗り込むとドアが閉まった。空いている席に座るとふと何か足りないような気がした。
「あっ、大根……」
停車ボタンを押すとピンポーンと鳴りながら赤く点灯した。
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