第13話 新たな夏物語 ~流転3~


「産まれたっ?」


 産院に響く元気な産声。


 産まれたら連絡するという看護師らを無視して、万由に付き添い、貴裕と雅裕は冬眠前の熊のように分娩室前をウロウロと往復していた。

 その耳に聞こえた元気な産声に、二人は顔を見合わせて両手を繋ぐ。


 だがおかしい。


 産まれたら知らせてくれるはずなのに、一向に誰も出てこない。

 

 何かあったのか?


 不安に押し潰されそうな二人は、未だに消えない分娩室の表示を、じっと見つめていた。


 するとそこに新たな産声。


 あっ、とばかりに二人の眼が輝いた。


 そうだ、双子だと言われていたではないか。


 揃って泣き笑いのように間抜けな顔をする二人の前で、分娩室の扉が開き、前掛けのようなモノと帽子が差し出された。


「元気な男の子と女の子の双子さんですよ、さっ、これを着て入ってください、旦那さん」


 言われて雅裕が貴裕を見る。

 その複雑そうな困り顔に苦笑し、貴裕は拳の裏で軽く雅裕の胸を叩いた。


「行って来いよ。俺、外で見てるから」


 分娩室の隣にある新生児室。そのガラスの前で、貴裕は我が子かもしれない赤ん坊を兄が連れて来るのを待つ。


 日本の法律は一夫一婦制なのだ。如何に仲睦まじかろうとも、書類に記載出来る配偶者は一人だけ。

 貴裕はその権利を雅裕に譲った。

 夫は長男の雅裕の方が、この先何かと都合が良い。両親の財産や祖父の遺産も雅裕に譲られる予定だし、貴裕は自由に動ける立場が欲しかった。


 何かあれば俺が片をつける。


 流転前は汚れ仕事を生業にしていた貴裕である。世の中は残酷だ。どんなトラブルが自分達に襲いくるか分からない。

 そうなった時、配偶者や子供を持つ立場は邪魔になる。身一つで気軽に動けないと、いざというとき困るのだ。


 まあ、そんな事は滅多にないだろうけど。


 そのため雅裕に譲った配偶者の立場だが、こんなときには少し恨めしくもあった。


 書類上義弟である自分には入れない場所が多々ある。

 今頃、雅裕は万由を労い、赤子を抱いているのだろう。

 ほんの少しの悋気が貴裕の腹の奥を、どろりと冷たく舐め回した。

 しかしガラスにもたれて眼をつむる貴裕の耳に、突然けたたましい足音が聞こえる。


「何やってんだ貴裕っ!! 早く来いっ!!」


 そこにはスリッパをドタドタ鳴らして駆けてくる雅裕。

 眼を丸くする弟に白衣を突き付け受け取らせると、その背中を力一杯押した。


「万由がキレてるぞっ! ここまで来てて何やってるんだと」


 言われた意味が分からない。


 だが分からないまでも白衣に身を包み、帽子をかぶって、貴裕は恐る恐る分娩室を覗き込んだ。

 そこには忙しく動く看護師と医師。そして分娩台に横になったまま毛布をかけられた万由がいた。


「あ、おそーいっ! ほら見てタカちゃんっ!」


「産婦が、どうしてもと言うので..... 本来、御家族以外はダメなんですけどね」


 苦笑いする医師。


 ペコペコと謝りつつ、貴裕は分娩台の横に立った。

 そこには可愛らしい二人の赤ん坊。真っ赤な顔でくしゃくしゃなシワのよった手足。

 

「お前に似てるな。ほら、この仏頂面とか」


「.....嬉しくねぇ」


「兄弟だもの。まぁ君にも似てるよ? この薄い眉とか?」


「.....嬉しくないね、たしかに」


 不可思議な会話を交わす三人に、看護師らは首を傾げる。


 正直、どちらの胤かは分からない。それで良かった。

 三人の子供だ。どちらの子供でも構いはしない。少なくとも万由の産んだ赤ん坊なのだから、愛せる自信が貴裕にはある。


 どろどろに甘やかしそうだ。しっかり育ってくれよ?


 この時が三人の幸せ絶頂期だったのかもしれない。


 産まれたばかりの赤ん坊の瞳に、妖しい光が瞬いたのを誰も気づかなかった。


『あんちゃん』


『うん』


 仄かに浮かぶ紅い輪郭。


 揺らめく白い影は、もういない。




《このままでは幸せな未来が望めない》


《我々は、卵を幸せしようと努力したのだ》


《また辛い人生を歩ませるのか?》


 貴裕にとって過去である未来。地下を統べていた怨霊達は、自分達が守っていた無垢な魂を解き放つべく雅裕に依代となる子供を作らせた。

 新たな生を受けた子供らを、地下の軛から放つために怨霊達は力をつけてきたのだ。

 それは成就し、無事に赤ん坊は産まれた。しかし、その環境は劣悪である。

 ほぼ育児放棄され、ただ乳を与えられるのみの生活。

 抱かれもせず、声もかけてもらえず、このままでは真っ当な育成すら望めない。


《何処で間違えた?》


《分からない。でもこのままでは.....》


《..........やり直すか?》


 白い影が大きく揺らめく。


 地下の因縁に囚われていた彼等は、件の地下施設でしか力を奮えなかった。

 しかしそこから解き放たれた今、彼等は世界に干渉出来る。

 負の怨念とは言え、極まればそれは力だ。今回の事で怨念達は大きな力を得た。

 

《一度なら.....》


《全ての力を使えば?》


《やれなくはない》


 怨念達はいとけない赤子を見つめる。


《息災に.....》


《我等の力、全てを使って、そなたらを愛する世界にしてみせよう》


《.....いざっ!》


 白い影らが眩く発光し、世界が光に包まれる。

 じわりと沁み入るように大地を馳せた光は赤子を呑み込み、とぷんと音をたてて霧散する光に、その姿は掻き消された。

 再び世界が姿を現した時、時間は巻き戻っていたのだ。


 怨念らが望む世界へ。


 怨念らの支配下にある魂を礎とし、再び雛鳥を解き放つために。


 歪んだ兄弟と、歪んだ少女が分かたれた時間に世界を巻き戻したのである。


 貴裕に記憶を持たせたのは水先案内のため。他の二人では未来を変えられない。

 あらゆる伝と知識を持ち、目的のためなら、どんな残忍な事でもやらかせる壊れた子供。

 そんな貴裕だからこそ、怨念らは記憶を持たせた。


 怨念らの願いは通じ、貴裕は最悪を回避して最良を掴みとった。

 どんな道を辿ろうと未来は変わらない。双子は再び世界に生み出され、今度こそ幸せな親の元に託された。


 流転するために力の大半を使い果たして、もはや形も取れず、微かな残留思念として赤子に張り付く怨念の残滓。


《良かった..... 今度こそ健やかであれ》


 そう呟き、彼等は眠りについた。赤子の瞳に宿る微かな輪郭として。

 光の加減で浮かぶ紅い輪郭。それがかつて暴虐の限りを尽くした怨霊の残滓なのだとは誰も気づかない。


 失われた残酷な未来を、今は誰も知らないのだから。


 貴裕以外は。


 こうして世界は因果を忘れ、何事もなく過ぎていく。




「沙夜ー、小太郎ー」


 庭で遊ぶ子供らを母親が呼ぶ。


「「はぁーい」」


 顔を上げた子供らは、よく似た面差しの可愛らしい子供だった。

 二卵性双生児な二人は男女の差異が出ており、沙夜は雅裕に良く似た優しげな顔立ちで、小太郎は貴裕に良く似たキツい顔立ちをしている。


「アタシの遺伝子はドコ?」


 母親の万由は不満顔。


 どうやら、それぞれに胤が違うらしい。二卵性の場合、二十四時間以内に複数と性交渉すると稀に起きる現象なのだとか。

 二十四時間以内どころが、常に三人で睦む夫婦である。起きるべくして起きた状況と言えるだろう。


 駆けてきた二人を抱き締め、万由は背中の赤子を揺する。


「さ、小次郎が起きる前に御飯食べちゃいましょ」


 双子は三歳、背中の赤子は一歳。可愛い子供らに囲まれ、万由の生活は賑やかで幸せだった。

 これも貴裕のおかげである。

 悪夢のような事件から雅裕と万由を救いだし、彼は今も常に影から見守ってくれていた。


 子供らが成長してくると貴裕は一家から一線を引く。


 子供達が混乱するのを防ぐためだ。どの子も雅裕を父親として育てようと、貴裕は叔父に徹するようになったのだ。

 子供達が寝静まった頃に帰宅し、その寝顔を眺めて幸せそうに笑う貴裕。

 夫婦の睦みには参加するが、一家団欒には参加しない。


「せめて子供らが理解を示せる年齢までは隠しておこうよ。俺のせいでグレられたりしたら、俺、泣いちゃうよ?」


 親の都合で子供達を振り回したくはない。ましてや子供が外で口を滑らせようものなら、一家離散の危機になると、貴裕は頑なに一線を守り続けていた。


「ちゃんと話せば分かってくれるわよ。お父さんが二人いるなんて素敵じゃない?」


「そうだよ。他とは違うけど家族じゃないか。外国には複数の妻や夫を持つ国だってあるんだし」


 真面目な顔で宣う兄と妻に、貴裕はウンザリとした顔を片手で覆った。


「それで、万一トラウマ植え付けたら取り返しはつかないんだよ? そんな実験みたいな事を我が子らにやる気?」


 底冷えする冷たい声で穿ち、貴裕は睨めつけるように万由と雅裕を見据える。


「絶対に言わない。良いね? もしバレたら、俺、二度とここに来ないから」


 切れるような極寒の眼差しに気圧され、雅裕と万由は首を縦に振るしかなかった。

 歪な形の夫婦だ。その自覚は万由達にもある。そして、そんな形にしてしまったのは他ならぬ万由自身だった。

 無理は言えないと、しょんぼりする万由に、貴裕が優しくキスをする。


「俺を好きだと言ってもらえた時、全てを捨てても良いと思ったんだ。万由の心が俺のモノなら、他は何もいらない。全てを手離して構わない。だから.......... ありがとうね」


 儚げな笑みを浮かべる貴裕に、えもいわれぬ愛しさが湧く万由。

 そんな二人を見る雅裕の瞳には、仄かな嫉妬の焔が揺らいでいた。

 配偶者の立場、子供の父親たる権利、長男として得た資産。その全てを手にしつつも、唯一手に入らない最愛の妻の心。

 

 最初から分かっていた事だ。万由から貴裕が好きなのだと告白され、それを了承した過去の自分。

 あの時は本気だった。本気で貴裕と万由を共有し、三人で愛し合うつもりだった。

 子供らが生まれ、それぞれの胤だと知った時も、神様が気を利かせてくれたのだろうと嬉しかった。


 なのに何時からだろう。こんな醜い感情を弟に抱くようになったのは。


 万由の心を占めている貴裕が憎い。コイツさえ居なければ彼女は僕だけのモノなのに。


『兄さんは、それで良いわけ?』


 貴裕に困惑気に問われたっけ。


 あの時は良いと思ったのだ。本当にそう思ったのだ。


 だがそれが間違っていたとも思わない。もしあの時、嫌だと答えていたら、きっと自分は万由を失っていただろう。

 万由の心は貴裕にあった。

 嫌だと言えば万由は貴裕のモノになる事を選んだに違いない。

 逆説的だが、あそこで良いと答えたからこそ、万由は雅裕にも抱かれてくれたのだ。


 なんともはや。


 複雑に絡まり、綻びだした三人の関係。


 これが盛大に破綻する未来を、今の三人は知らなかった。

 

 妖しく輝く紅い瞳。これが全ての元凶なのだとは、誰も気づかなかったのである。

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