第6話 ~敦・2~

「なんだよ、ここはっ!」


「お前の職場。じゃ、しっかり働けや」


 貴裕達に目隠しをして連れて来られた男は、縛りあげられたまま大声で怒鳴り散らした。

 ぎゃあぎゃあと騒がしい男を据えた眼差しで見つめ、敦は、こいつも長くはないなと他人事のように考えていた。


 実際に他人事なのだが。


 あの白い影に襲われてから、さらに数ヵ月。

 敦が地下暮らしをするようになって、雅裕に殺された被害者は五人。

 どれも惨殺に見合う悲惨な殺され方で、その断末魔は未だに敦の脳裏にこびりついている。

 その被害者になる確率が高いのは新参者。今月は発狂した古参が犠牲者となった。

 敦には用意されていなかった恐怖のボーダーラインが、古参の彼には用意されていたらしい。

 救いは完全に精神が破壊されていたおかげで、大した痛みも感じずに逝けたようだった事。

 雅裕が、鉈でガスガスと叩き割り、あっという間に細切れにされた事。

 下手な原型を保った遺骸より、原型もない肉片の方が現実味がなく、助かる敦である。


 こんな思考が過るあたり、ひょっとしたら、すでに自分も狂っているのかもしれないな。


 自嘲気味に口角を歪める敦だが、今回連れて来られた男は、いささか趣が違っていた。


 今時珍しい角刈りな壮年の男。


 若いのばかり連れてきていた貴裕だが、どうやらそろそろストックが尽きてきたようである。

 敦は頭を掻きながらシニカルに眉を上げた。


「年嵩だな。もたないかもよ?」


「おまえも言うようになったな。最初の頃は、びーびー泣いてて少しは可愛げがあったのに」


「いっそ、俺らの仲間になるか? 雅裕も懐いているみたいだしよ」


 敦の軽口に、ひゃっひゃっひゃと嗤いながら応じる貴裕と怪しい仲間達。


「ふざけんなっ! こんな奴、ここで泥まみれになっていれば良いんだよっ!」


 顔を怒らせて怒鳴る貴裕。


 雅裕を怒らせる事もなく、さらに遠慮もせず、ずかずかと施設内部を修繕していく敦に、貴裕と仲間らは一目置きだした。

 敦は工業科の学生。大学もそちら方面に進むはずで、その手腕を小さな秘密基地でも如何無く発揮する。


 唯一、唖然とさせられたのは、ガソリンが尽きているはずなのに動いていた自家発電。


 雅裕らの父親がガソリンを入れたのは四年以上前。そこから止まる事なく、ずっと動いているらしい。


「どういう理屈?」


「しらん」


「動いてるなら、問題ないだろ?」


 眼を丸くして呟く敦に、達観したように遠い眼をする貴裕と、何も考えてなさげな仲間達。


 いや、燃料なしに動いてるって、十分異常事態なんですがっ?!


 それを言ったら、床下にひしめく人骨も、人を殺しにかかる白い影も、なによりここでは当たり前な殺人鬼の存在も、全てが異常事態である。


 ああ、もう、どうだって良いか。


 動いてなくば明かりにも空調にも困るのだから問題ない。うん。


 もはや考える事を止めた敦だった。


 こうして敦はボイラーや、他の古びて動かなかった設備にもテコ入れして、動かせるように修理する。

 足りない物は貴裕らが用意してくれ、今まで、業者を入れる訳にも行かず手詰まりだった雅裕の生活を、敦が一変させたのだ。

 水浴びしかしていなかった雅裕も、温かいお湯につかるのを喜んでいたし、そのおこぼれで、檻の中の皆も入浴出来るようになる。


 もちろん、敦も。


 やっぱ日本人なら風呂は外せないよなぁ。


 なんの事はない。敦が欲しいから修理しただけだ。全ては己のため。


 しかし、その恩恵が雅裕の生活水準を上げたのは間違いない。

 貴裕は苦虫を噛み潰しながらも、取り敢えず認めるところは認めてくれた。


 結果、敦は彼等の準仲間的な扱いになったのだ。


 洗濯機も動くようになり、今までは雅裕の洗濯物を貴裕らが持って帰り洗濯して、また渡すという形だったらしいが、そこも改善される。

 動くと言っても超旧式だ。洗いも濯ぎも別々で行い、脱水はローラーによる人力。

 けっこうな重労働になるが、着た切り雀で働いていた檻の中の連中が、こぞって挙手し、洗濯を引き受けてくれた。


「これで、もう、ノミやダニや虫を叩きながら着なくて良いんですね。泣けます」


 本当に涙ぐむ被害者達。


 そこまでだったのかと、敦は貴裕らに虫除けハーブのスプレーや芳香剤を頼む。

 今は虫除けを兼ねた洗剤や柔軟剤もあるはずだ。焼け石に水かもしれないが、密閉空間で下手な殺虫剤を使えない地下では、それしか手だてがない。


「お前が来てから出費がデカイわ。ちったぁ遠慮しやがれっ」


 厳つい眼差して眼を剥く貴裕だが、嫌とは言わない。

 グチグチと恩に着せながらも、敦が望む物を用意してくれる。

 こざっぱりとした雅裕に眼を細め、微かに嬉しそうな貴裕。素直になれない彼なりの感謝の形なのだろう。


 地下に落とされた被害者の中には器用な者もおり、ハサミやバリカンで皆を散髪してくれたし、今まで歯ブラシしかなかった洗面台には洗顔料や剃刀も置かれるようになった。

 雅裕も例に漏れず、散髪、髭剃りをし、その風貌が顕になる。


 線の細い中性的な姿。長年農作業をしているだけあって、筋力はあり、今で言う細マッチョだ。

 しかもボサボサパリパリな頃には分からなかったが、キチンと手入れされた髪は、柔らかい猫っ毛で細くサラサラだった。

 程好く散髪され、肩につく辺りの長めなヘアスタイルが良く似合っている。


「若いじゃないか。しかもイケメン」


 驚く敦と貴裕。


 いや、貴裕は雅裕の幼い頃を知っている。懐かしげに眉を寄せた彼は、何度か小さく頷いていた。


 良く考えたら、万由と同い年なはずだしな。俺ともタメか。


 得心顔で頷いていた敦だが、雪男から優男に変貌した雅裕に、中々慣れなかった。


 そして今回はそれが禍する。


 やってきた元気な親父は、雅裕の姿を見て侮ったのだ。


「ふざけんなっ、俺をここから出せっ!」


 貴裕らがいなくなってから、気が大きくなったのか、雅裕の胸ぐらを掴み、大きく揺さぶる角刈り親父。

 周囲がひゅっと息を呑み、思わず凍りつく。次の展開が見えたからだ。

 案の定、雅裕は濁った光を剣呑な眼に宿し、口角をまくりあげる。


 ああ、終わったな。


 敦も少し遠い眼をして、この先を予想した。しかし、そこで思わぬ言葉が耳に入る。


「俺を還せよっ、薬がないと娘が死んじまうんだよっ!! カネがかかる薬なんだ、俺がいないとーーーー」


 最後まで言い終わらぬうちに、雅裕は手にしたシャベルで男を殴り付けた。

 容赦のない一撃が男の頭を見舞う。しかし、咄嗟に身を捻り、彼は器用に致命傷を避けた。

 だが無傷とはいかない。男は左耳が欠けていた。床に尻餅をつきながら、痛みに歪んだ顔で雅裕を見据える。

 その瞳には驚愕と恐怖が同衾し、小刻みに揺れていた。

 男が押さえた耳のあたりからは、吹き出すように紅い血が滴っている。

 ポタポタと床に咲く複数の小花が、みるみる血溜まりに変貌した。

 それを無言で見つめながら、敦は耳にした言葉を脳裏で反芻する。


 娘が病気。薬のための借金か。


 今までの若い奴らは、遊ぶ金だの、博打や贅沢のために借金している者らばかりだったが、ここにきて真っ当な男が現れた。


 敦の眉が苦しげに寄せられる。


 だから何だ? ああなった雅裕は止まらない。どうにもならない。


 恐怖に凍りつく周囲の予想どおり、雅裕はニタリとほくそ笑み、おもむろにシャベルを振りかぶった。


「うるさい......」


 何時もの台詞。


 それが耳に届くか、届かないか。


 敦は、無意識に動いていた。


 驚愕に眼を見張る雅裕と周囲の人間達。


 容赦なく振り下ろされた雅裕のシャベルを敦の肩が受け止めている。


「....っ、がぁっ」


 堪えきれぬ呻き声が敦の唇から溢れた。


 痛い、痛い、痛い。ちくしょう。


 雅裕の手からシャベルが床に落ち、甲高い音をたてる。そしてそのまま敦の前にしゃがみこんだ。

 心配そうなその瞳からは澱んだ光が消え失せている。


「いたい....? な?」


「まあ。....でも大丈夫」


「どうす....? いたい。あつ」


 いかにも狼狽えて、おろおろする雅裕。


 そんな顔も出来るんじゃないか。


 あまりの痛みに、途切れぬ冷や汗をたらしつつ、敦は苦い笑みを浮かべた。


「....倉庫に薬。知ってるよな? 白い箱の」


 コクコクと頷きながら、雅裕は倉庫へ駆けていく。

 それを見送り、敦は凍りついている周りの人間らに低く囁いた。


「今の隙に、そいつを檻に隠せ。たぶん、雅裕は忘れてる。このまま忘れさせよう」


 雅裕は反射的、短絡的に凶行に及ぶ。そして忘れるのも早い。

 敦を殴ってしまったショックと動揺で、すでに彼の頭の中には角刈り親父は存在していないだろう。

 敦は痛む肩を押さえつつ、顎を上げた。


 うっわー、いってぇぇぇ、馬鹿やらかしたなぁ。これ、骨までいってんじゃないかなぁ?


 心の中で絶叫し、敦は、喉の奥からあがる悲鳴を必死に噛み殺す。

 何が雅裕のスイッチになるか分からない。

 痛みにボヤけた視界の中で檻へと運ばれる親父が、じっと敦を見ていた。


 今にも泣き出しそうな情けない顔で。


 そんな顔すんなよ。何もあんたを助けようと思った訳じゃない。


 慌てて駆けてくる雅裕。その手には白に赤い十字のマークが入った箱がある。

 それに安堵し、敦は軽く眼を伏せた。


 あんたが死ぬ事で間接的に娘とやらも死ぬかもしれない。俺は雅裕に娘を殺させたくなかっただけだ。


 誰にしているのか分からない言い訳を頭に浮かべ、敦は雅裕と傷の手当てをする。

 案の定、雅裕は角刈り親父の事など忘れており、いたい? いたい、な? と、ずっと敦に張り付いていた。




「アホだろうっ、おまえっ!!」


 アホです、はい。


「すまねぇぇぇっ」


 絶叫にも近い二重奏。


「ここに連れて来るのは、身内とかと縁遠くて捜索されない外れモンばっかなんだよっ! 下手な三文芝居に騙されやがってっ!」


 骨折は免れたものの、酷い裂傷から、敦は高い熱を出した。

 その傷口を洗浄して縫い合わせつつ、貴裕は敦を頭ごなしにガンガン怒鳴り付ける。


「こんな事になるなんて思わなかったんだ、少し脅しつけたらビビってくれるかと..... 娘がいるとか、病気だとか言えば、同情して逃がしてくれるかなと」


 涙目で土下座する角刈り親父。何のことはない。ただの口からでまかせだったようだ。


 騙されたよ。あー、騙されましたとも。


 治療が終わり、生理食塩水に浸したガーゼを絞って、貴裕は敦の傷に当てる。

 それをラップで胸板ごとグルグル巻きにして、三角巾で覆った。


「一応アスピリンとロキソニン置いとくから。これ以上は出来ん。熱が上がったらポンタールな」


 もぐりの医者でも連れてくるかと思いきや、まさかの貴裕が治療だった。

 門前の小僧&病院に入り浸りだった貴裕は、それなりに処置を知っており、さらには医大を目指していたとかで、彼の父親から実地で多くを学んでいた。

 何があっても、ここを人に知られたくないようだ。たとえ敦が死のうとも。


 命を大事に、だな。


 どこぞのゲームの台詞を思い出しつつ、敦は角刈りのおっさんを見据える。


「あのなぁ、おっさん。ここは地獄の一丁目だぞ? そこにいる優男、殺人鬼だからな? 油断するとリアル細切れ一直線だぞ? しっかり働かないと俺も庇いきれないからな?」


 じっとりと眼を据わらせて、敦は顎で雅裕を示す。

 雅裕は、おっさんの事など眼中にないようで、冬眠前の熊のように敦の周りをウロウロしていた。


 そうとは見えぬ風貌の雅裕だが、すでにおっさんは痛烈な一撃を食らい、片耳を吹き飛ばされている。敦の言葉が嘘偽りないものだと本能が理解していた。

 顔面蒼白なまま、高速で頷く角刈り親父。

 その横で貴裕は持ってきた治療道具をサカサカと片付けている。


 え? おっさん、まだ血塗れなんだけど?


「ちょっ、待った待った、おっさんの耳も治療してやれよっ」


「ああ? どうだって良いだろ、そんな奴。おまえ騙されたんだぞ? いらん手間かけさせやがって」


 どうやら貴裕は角刈り親父に怒り心頭のようだ。

 射殺さんばかりの獰猛な眼差しで睨みつけている。


「元々、ここで何が起ころうと関知しないんだよ、俺らは。呼ぶなら死体になってから呼んでくれや。その方が手間がない」


 にべもなく吐き捨てる貴裕。面倒臭いを通り越して、まるで唾棄するような言葉に敦は天を仰ぐ。


 そりゃあねー。殺人鬼のお膝元だものねー。手足もいでも、細切れにしても、何の問題もない万魔殿だしねー。

 おまえらも、そのつもりで連れてきてるんだろうしねー。


 雅裕だけが持つ携帯電話。


 非常事態用らしく、改造されて貴裕の番号にのみかかるホットライン。

 渡されてから一度も使われなかったそれに、雅裕から連絡がきて、慌ててすっ飛んできたらしい。

 その通話を録音していた貴裕は、敦にスマホを突きだして聞かせた。


『あつ、死ぬ。...いたい? あつ、いたい。死ぬ。たかひろ、きて』


 今にも泣き出しそうな辿々しい片言。それでも必死に訴えているのが切々と伝わってくる。


 うはぁ.......


「俺がどんだけ面食らったか分かるか?」


 満面の黒い笑顔。


 貴裕は、そんな会話でも宝物らしく、兄さんとの初通話と録音データーにタイトルをつけていた。

 生と死の狭間に棲まうのに、緊迫感の欠片もない兄弟である。

 貴裕は仕方無さげに五本の生理食塩水を置き、吐き捨てるようぞんざいに呟いた。


「その傷を乾かさないように気を付けろ。これを浸したガーゼをこまめに取り替えて。....余ったら好きに使えや」


 思わず敦は眼を見開く。


 帰り支度を済ませて足早に梯子を上っていく貴裕。置かれた薬もやけに多い。


 つまりはアレか。おっさんにも使ってやれと?


 スルスルと引き上げられる梯子を苦笑しつつ見つめ、えらく遠回しな善意が面映ゆい敦だった。


 まあ、俺ら拉致られ組はともかく、貴裕らが連れてくるのは自業自得な輩ばかりだしな。


 遊びや博打などに興じて、借金をこさえ、返済のメドもたたない奴ら。臓器売買も出来ない身体的デメリットがあり、裏ルートでももて余している人間らを格安で譲ってもらっているのだと、貴裕は敦に話した。


「利子はチャラで元金のみを払い引き取った奴等だ。どう扱おうと俺らの自由なんだよ」


 ぶっちゃけすぎだろう、貴裕。


 お前が二度とアホぅな真似をしないようにだっ!と宣い、貴裕は連れてくる面子の裏事情を敦に話してくれた。


「はあ..... ついていけない」


 奇妙な地下暮らし。


 殺人鬼とお化けと裏社会。なんてコンボ? コレ。クリティカルヒット連発でしょ、こんなん。

 死亡フラグしか存在してないじゃん。無理ゲーだろ?


 事実、無惨な屍が山積みな秘密基地。


 物騒な事この上ない。


 なのに、それに慣れつつある自分に溜め息をつき、敦は熱に軽く浮かされて微睡んだ。


 眼が覚めたら自宅なんて夢物語は望まない。せめて死体になってる奴がいなけりゃ良いな。


 敦自身も思考が物騒極まりないのだが、本人は気づいていない。

 新たな揉め事の種を孕みつつ、眠りに落ちた敦を角刈り親父と雅裕が居住区へ運んでいった。


 悪夢は終わらない。


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