第14話 新たな夏物語 ~流転4~


「あれ? 敦?」


「え?」


 事件など諸々の影響から高校には通えず、大検を受けて合格した三人。

 そんな中で貴裕はキャンパス見学に某大学を訪れていた。

 工学を学ぼうと選んだ大学。雅裕と万由は別な大学の見学に行っている。


 自宅からの近さだけで選んだ大学だが、そこでふとすれ違った男性に貴裕は瞠目した。

 チャラい見掛けそのままな彼は間違いなく敦である。


 マジか。そういや工学系へ進む予定だとか言っていたっけ。


 懐かしさに思わず涙が浮かぶ貴裕。

 それを見て、敦は慌ててポケットを探った。


「えっ? 俺と何処かであったっけ?」


 差し出されたグシャグシャなハンカチをじっと見つめ、貴裕は生意気そうな顔で自分のハンカチを出す。

 お人好しなところも相変わらずか。


「いや? 知り合いに似ていただけだ。勘違いだよ、悪いな」


「そっか。その人もアツシってのか? 俺も敦ってんだ。すごい偶然だな」


 気を悪くした風もなく、敦はニカッと破顔した。


 ああ、変わらないな、お前は。


 逆行し別次元を歩いていたはずの貴裕の前に、何故か敦と同じ未来が重なったようだ。

 凄惨な未来から解放され、悲惨な目に合わなかった敦。雅裕や万由も、自分も、あれからの道行きは変わった。

 貴裕の仲間らも本格的に裏社会に関わる前だったらしく、すぱっと足を洗い、今では一端の実業家である。

 

 全ては良い方向に変わった。誰のおかげかは分からないが、不可思議な逆行現象に大感謝だった。


「そうだな、すごい偶然だ。俺、この大学受けるつもりなんだ。それで下見に来たんだけど、知り合いに似てる縁で、時間が空いてるなら案内してくれないか?」


「お? 俺の後輩になるのか。大歓迎だよっ!」


 あの惨劇がなくば、今の未来を辿っていたはずの敦。


 ああ、俺は敦の未来も守れたんだな。


 軽く肩を叩かれて、貴裕は面映ゆく敦を見つめた。

 今なら、先輩後輩として友人になれるかもしれない。


 そんな淡い期待を抱き、貴裕は敦と急速に親しくなっていく。

 

 貴裕が大学受験出来るまで後一年。雅裕や万由は貴裕から勉強を教わっていたため、学力に問題はなかった。

 しかし子供らを放り出す事は出来ず、双子が幼稚園に通える年齢まで大学進学を諦めていたのだ。

 結果、一年遅れての受験になったが、まあ誤差の範囲である。


 それぞれが、それぞれの人生を歩いていた頃。


 思わぬ事件が起きる。






「あれってタカちゃんじゃない?」


 買い物に来ていた雅裕と万由は、バーガーショップで楽しげに談笑する貴裕を見つけた。

 その対面に座る若い男性。見覚えのない男性を見て、雅裕の脳裏に多くの記憶が甦った。

 雪崩のように押し寄せる記憶に、雅裕から苦しげな呻き声が上がる。


「まぁ君っ?! ちょっ! 大丈夫っ?!」


 狼狽える万由の声も雅裕の耳には入らない。

 次々と浮かぶおぞましい映像が、雅裕の胃液を逆流させる。


 衂れ、ほくそ笑み、残忍に人間を解体して殺した自分。

 死にかかり、化け物に魂を売って生き永らえ、貴裕の手伝いで大麻を生産していた自分。

 人々を監禁し、それを惨殺しながら獰猛な笑顔を浮かべていた自分。


「まゆ.....ちゃん」


「うん、どうしたの? 平気?」


 ああ、これは夢なのか?


 雅裕は万由を抱き締めながら怒濤に溢れる記憶を整理する。


 敦がきて、生活が一変し、万由と再会して、己を呪い自決を選んだ。

 あの白い影らに生かされていた自分は地下からは出られないから。

 万由を敦に託して、一人寂しく死んでいった。そのはずだった。


 なら、今のこの状況はなんだ? 何が起きたんだ?


 雅裕は混乱しつつも貴裕を見て、その眼を陰惨にすがめた。


 お前は知っているのか? なんで敦と一緒にいるんだ?


 あちらが夢なのだろうか。こちらが現実?


 しかし雅裕の両手が覚えている。人間を分解する手応えを。

 飛び散る血飛沫や、耳にこびりついた断末魔を。


 こんなに鮮明で、べっとりと張り付いた記憶が夢である訳がない。


 ぞわりと全身を粟立たせて、雅裕は頑なに己に言い聞かせる。

 

 違う、違うっ、違うぅ!!


 俺は何もやっていないっ! こんなのはデタラメだっ!!


 ぐちゃぐちゃに絡まり離れない記憶を抱えたまま、雅裕は万由の肩を借りて自宅へ戻っていった。




「ただいまー。兄貴?」


 自宅のリビングでぐったりとソファーにもたれかかる雅裕を見て、貴裕は慌てて傍に膝をつく。


「なにっ? 具合が悪いの? ちょっ、病院いこうっ!」


 雅裕の額に手を当てながら、あわあわと狼狽える弟を見据え、雅裕は貴裕の手首を掴んだ。


「.....お前、知ってるのか?」


「え? 何の話?」


「.....昼に敦と居ただろう?」


 貴裕が、ぎくっと肩を震わせる。

 何故、兄が敦を知っているのだろう? 前の記憶があるような様子は今まで無かったのに。


 心臓がバクバクと駆け足になり、貴裕のこめかみに一筋の汗が伝う。

 それで十分だった。雅裕は大体を理解した。


「なんで僕達はこうしているの? あれは..... 僕が人を殺したのは夢じゃないよね?」


 本当に思い出してしまったのか?


 茹だるように力なく横たわる雅裕に、貴裕は言葉を選びつつ確認する。


「殺したって.....? 誰を? どうやって?」


 疑問符のバーゲンセールを装い、貴裕は雅裕を心配げに見つめた。

 それを一瞥して、雅裕は吐き捨てるように呟く。


「お前が連れてきた誰かをだよっ! .....生きたまま細切れにして.....っ、うぷっ!」


 嘔吐き苦しそうに話す雅裕を見て、貴裕は顔を凍りつかせた。


 本当に思い出してしまったのだ。あの悪夢のような日々を。


 ぐっと奥歯を噛み締めながら、貴裕は腹を括り、流転した時間の事を説明する。




「.....巻き戻った?」


「多分..... 分からないけど、今が現実なのは間違いないと思う。だから兄さんは、まだ誰も殺してないんだよっ!」


 必死な形相で雅裕の過ちを全否定する貴裕。

 確かに貴裕の言う通りだろう。今の雅裕は誰も殺めていない。


 しかし.......... この両手が覚えているのだ。肉を裂く感触を。骨を断つ鈍い音を。

 全身が愉悦に溺れ、興奮した陰惨な日々を、この身体が覚えている。


 そしてふと顔を上げ、雅裕は恐る恐る貴裕を見た。


「それだけじゃない。俺は..... 誰かを..... うわああぁぁっ!!」


 無理やり暴いて孕ませた女性。それこそ血の涙を零し、絶叫する少女を、自分は長々と蹂躙し尽くした。


「僕はっ! 僕がっ!!」


 眼を見開き半狂乱に泣き喚く兄を抱き締め、貴裕は祈るように囁いた。


「夢だよっ! 悪夢だっ! 俺達は何もしていないっ!!」


 そうだ、事は起きなかったのだ。誰も傷つけていないし、奪ってもいない。


 なのに何で? せっかく幸せになれたのに、何で思い出してしまった?


 ガクガク震えながら抱き合う二人を、透き通った二対の瞳が見つめていた。

 ガラスごしに凝視する大きな瞳。それに揺らめく赤い光芒が、静かに瞬いている。


 悪夢の夏物語が甦り、地獄の釜が開いた。


 心胆寒からしめる奈落が大きく口を開け、二人を呑み込もうと待ち受けているのを誰も知らない。





「とにかくっ! 今の俺達は何もやっていないんだ。親父達も返り討ちにしたし、兄貴も壊れなかった。あの時、兄貴が殺した人達も誰もしんでいない。無かったんだ。やり直せたんだよっ!」


「でも.....っ、僕は.....っ」


 しとどに泣き濡れる雅裕を励ますかのように、貴裕は肩を揺すって言い聞かせた。


「でもじゃないっ! 兄貴には万由ちゃんや子供らがいるじゃないかっ! 泣いてる場合じゃないだろう? 幸せにするべき家族がいるだろう? 悪夢にひきずられるなっ! 俺達は何もしていないっ!」


 そこで雅裕の眼が、すうっと妖しく細められた。

 みるみる落ち着きを取り戻して、彼は貴裕を冷たく見据える。


「.....そうだな。万由は僕の妻だ。守らないと」


 いきなり雰囲気の変わった雅裕を訝りつつも、貴裕は大きく頷いた。


「そうだよ。兄さん達は幸せにならなくちゃ。そのために俺は頑張って未来を変えたんだから」


「...............ああ」


 仲の良かった兄弟に鳴り響く不協和音。それに気づいたのは、いつの間にか復活していた白い影だった。


 双子に寄り添うようにユラユラと揺れる影。

 赤い双眸を煌めかせて、双子はニタリと不均等に口角を歪める。


『思い出したよ』


『ああ』


『あそこで死んだ』


『たくさん死んだ』


 クスクス嗤う子供達。


『また始まるね』


『祭りだね』


 無垢だった魂は惨劇を経て紅く染まった。放たれた雛鳥は獰猛な猛禽に育ち、己に害なすモノを屠ろうと考える。


『仕方無いよね?』


『パパは僕を嫌ってるし』


『パパより、あんちゃんのが大事だもの』


 自分の胤ではない小太郎を密かに嫌悪する雅裕。それを双子は敏感に感じ取っていた。

 人の邪な感情や嘆きを糧とする白い影。

 僅かな雅裕の黒い感情をすすり、ようやく姿をとれるほどに回復する。

 ほんの少しの方違えが、ガラリと運命を変えてしまった。


 行程がどうあれ未来は確定している。どのように惨劇を回避しようとも、二人は確定した未来から逃れることは出来ないのだ。


 白い影らの望みは、雛鳥の幸せ。それを阻害する者は許さない。


 小さな黒い感情が、人知れず再び惨劇の幕を上げた。

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