第9話 ~雛鳥~


「じゃ、二階と一階は任せた」


 貴裕は一抱えの簡易爆弾を持って地下へ向かう。

 三方に分かれた男達に眼を泳がせて、五月は一階へ向かった男の後を追った。


 一階が崩れれば、なし崩しに二階も崩れる。ならば一階に設置される爆弾を何とかすれば、多少の光明を掴めるはずだ。

 男は、所々で立ち止まり、主要な柱中心に爆弾を設置していた。

 御丁寧に、設置するのにも黒い粘土のようなC4で張り付けている。


 うはぁ..... 凶悪すぎでしょ、威力倍増するじゃん。


 立ち去る男を横目で確認しつつ、五月は張り付けられた爆弾を回収しようと試みた。

 が、その裏から伸びたアンテナのようなケーブルを見て手を止める。

 なんかしらのセンサーだ。正体が分からない以上、触るのは悪手。


 そしてじっと信管あたりを見つめる。


 単純な作りだった。センサーと繋がるケーブルに、別なケーブルが付属している。どうやらセンサーのアンテナは、遠隔爆破にも使われる代物のようである。

 すぐに爆破させる予定なのだし、ダミーやブラフは必要はなかったのだろう。明らかに単純な配置のコード。

 五月は何時もの鈍色の箱を取り出し、中からニッパーを引き抜く。

 信管とセンサーを繋ぐコードを切り、信管を孤立させた。

 これで信号が届いても爆発はしないだろう。

 出来るなら信管を外しておきたいところだが、五月も素人だ。動画や文字での知識だけで、こんなモノは作った事もない。


 下手な手出しはしない方が良い。


 固唾を呑んで男を見守りつつ、五月はコードを切り続けた。




「え?」


 縄梯子をのぼっていた万由は、迷路になっている暗闇に誰かが座っているのに気づいた。

 梯子の位置は中央で少しずれて、霊安置室と、こことに二つの扉がついている。

 ここが閉まっていると、下への通路が途切れ、この迷路で右往左往するのだ。

 最初、万由達もここで立ち往生し、貴裕らに見つかってしまった。


 そこに誰かがいる。


 じっと眼を凝らす万由を、その誰かは静かに凝視していた。

 その手に握られた鉈が、鈍く輝いている事など万由には分からない。

 闇の中の誰かは、ゆらりと殺気を立ち上らす。

 相手の不気味な雰囲気を察知し、万由は背筋を震わせた。


「....だれ?」


 彼女には殺気など分からない。しかし、にわかにざわつく悪寒くらいは、相手から感じられた。


 あの男達の仲間だろうか? それとも逃げ隠れしている被害者か?


 万由の呟きに、その誰かはピクリと反応する。

 そして、ゆっくり手を伸ばして、万由の肩を掴んだ。


「まゆ...ちゃん?」


「へ?」


 ほぼ真っ暗な闇の中。


 下の通路からこぼれる光が、近寄ってきたその誰かを照らし出す。


 優しげな顔立ちに胡乱げな瞳。歳は万由と同じくらいだろうか。


 ボロボロな作業着を着た男性。


 しかし、どこかで見たような?


 訝る万由を凝視し、その男性は辿々しい口調で己を指差した。


「まぁ君。ボク、まぁ君」


「え.....っ」


 言われて万由の記憶の扉がぶっ壊れる。


 怒濤のように幼い頃の記憶が溢れだし、その中にいる忘れられない少年が微笑んだ。

 その優しげな面差しが目の前の男性とダブつく。似てる。確かに。


「マジで? ほんとに、まぁ君なの?」


 コクコクと頷く雅裕を信じられない眼で見つめ、万由も雅裕に腕を伸ばした。

 こちらの男性も痩せていて、眼が虚ろだ。

 ここは人を疲弊させる何かがあるのだろうか。

 言葉もなく見つめ合う二人の耳に、上から縄梯子を軋ませる音が聴こえる。

 はっと見上げた万由の視界に、降りてくる誰かの影が見えた。

 思わず緊張し、力のこもった万由の指を軽く叩き、雅裕は微かに笑みをはく。


「へいき。たかひろ。おとうと」


 たかひろ。


「タカちゃん?」


 雅裕はコクりと頷く。


 何がどうなっているのか分からないが、ここで追われている万由は、無意識に物陰へ隠れた。

 それと同時に降りてきた貴裕は、闇の中に立つ雅裕を見て眼を見張る。


「兄さん? えっ? 梯子のぼったの?」


「だれか、いる。ここ、だいじ」


「うん」


「てき、じゃま。....ころす」


 ぶわりと雅裕の周囲が蠢いた。


 それに応じて貴裕の瞳に宿る濁った光も凄みを増す。

 陰惨な雰囲気を醸し出す二人の放つ冷たい冷気は、物陰にいた万由をも凍りつかせた。


 あの人、上でアタシ達を捕まえようとした人じゃない? あれがタカちゃん?


 嘘ぉぉぉっ


 万由の記憶の中の貴裕は、やんちゃだけど可愛らしい弟分であった。

 今の、あの男とは似ても似つかないが、確かに面影が無くもない。時は残酷である。


 どうやったら、あの可愛いかった男の子が、あんなに宿無ぐれるのよっ!


 ガラガラと音をたてて崩れる暖かな記憶。


 そんな万由の心も知らず、変わり果てた弟分は肩に背負った何かを軽く叩く。


「ちょいと上がキナ臭くなってな。兄さん、地下でじっとしててくれないか? 大きな音がするし、しばらく俺は来れなくなるけど、必ずまた来るから」


「たかひろ、へいき?」


「ああ。大丈夫だよ」


 そう言って微笑むと、貴裕は闇の迷路へ消えていった。

 それを唖然として見送り、万由は雅裕を見上げる。


「アレがタカちゃん?」


「うん」


 何てことでしょう。


 少し眩暈を感じつつも、万由は地下へと言う貴裕の言葉を聞き逃さなかった。


「地下の檻に沢山の人がいるよね? アレって行方不明事件の人達だと思うんだけど、まぁ君は何か知ってる?」


 そうだ、彼等は敦達を拐った男らである。ここにいる雅裕も無関係ではあるまい。

 いったい何があったのか。

 雅裕はしばし考え込み、とつとつと言葉を紡いだ。


 あの後の凄絶な話を。


 聞き終えた万由は言葉もない。


 ネグレクトも極まれりな話だった。


 片言でしか会話が出来ない理由も、それだろう。

 何年も会話をしていなくば、言語機能も退化する。何より凄まじい孤独が心を壊してしまう。

 悲痛に顔を歪める万由。


 アタシのせいだ。


 馬鹿な子供だった自分が、雅裕をこんな目に合わせてしまった。


「ここを出ようっ、皆で逃げようっ」


 万由は雅裕の腕を掴み、必死の形相で見上げる。

 だが雅裕は困惑気に首をすくめた。


「まぁ君、だめ。でる、ない」


 意味が分からない。なんで?


 悲壮感を漂わせる万由を困ったかのように見つめ、雅裕は彼女とともに地下へ降りていく。


 再び現れた万由と、その横に立つ雅裕を見て、敦は狂ったかのように叫んだ。


「なんでっ? 逃げなかったのか、万由っ! 逃げろっ、雅裕、頼む、万由は見逃してくれっ!!」


 檻の柵をガシャガシャと揺らし、捲し立てる敦に、雅裕は首を傾げた。


「まゆちゃん、にげる?」


「そうだね。皆と逃げたい」


「うん、わかった」


 そう言うと、雅裕は檻の鍵を開けた。


 唖然とする敦らに微笑み、雅裕は縄梯子を指差す。


「ここ、きけん。いま、へいき。にげて」


 意味が分からない。


 茫然とする敦に、雅裕が手招きした。


「こっち。あつ」


 訳が分からないまま、敦は雅裕についていく。

 雅裕が連れてきたのはボイラー室。


「これ、ばくはつ。できる?」


 爆発?


 敦は、じっとボイラーを見つめた。

 出来なくはない。むしろ簡単だ。内圧弁をふさぎ、中の圧力を下げられないようにすれば、勝手に爆発する。


 だけど、なぜ?


 訝る敦の眼差しを察したのだろう。雅裕は、すうっと眼を細めて、彼を見つめた。


「.....まゆちゃん、かわら、ない。まぁ君、うれしい」


 今までより雄弁な片言。その端々に、敦は理知的な欠片を感じる。


「ひょっとして。.....正気に戻った?」


 その言葉を肯定するかのように、雅裕は笑みを深めた。


「ここは、きけん。なげき、が、ひとを、たべる。あつ、と、まゆちゃん、にげて」


 正気に戻ったとはいえ、即座に言語中枢までは回復しない。十年ほど殆ど使われていなかった呂律も回らず、片言なままだが、それでも雅裕は必死に言葉を伝えた。


 暗闇で万由を確認した時、雅裕の脳内で朧気だった記憶が鮮烈に甦る。

 暖かいモノを削り取られ、幽鬼のごとくささくれだった彼の心に血肉が宿り、瞬く間に十年の時を巻き戻した。


 そして、愕然とする。


 今まで自分が仕出かしてきた多くの罪をも自覚したのだ。

 白い影らに従い、人を惨殺し、少女を蹂躙し、悦に入った獣だった自分。


 なんて恐ろしい事をしてしまったのか。


 雅裕は胸がひきつれる。別な意味で心が壊れそうだった。

 しかし、まだ生存者はいる。遅くはない、彼等だけでも助けないと。

 全ての記憶が戻った雅裕は、万由に言われるまま、敦達を逃がそうと地下へやってきたのである。


「まぁ君、わるい、こと、した。たくさん。白い、影、は、人を、たべる。にげて」


 敦の脳裏に、ミイラと成り果てた男が浮かんだ。


 人を食べる。生気を吸うってことか?


 たしかに、今ならあの影達もいない。逃げるチャンスだろう。


「でも、なんでボイラー?」


 雅裕は、うっそりと微笑んだ。


「白い、影。ちから、なげき、と、ほんたい、は、ちか」


 本体? 地下? ここじゃなく?


 そこまで考えて、敦は、はっと眼を見開く。


「穴の下の骸骨かっ」


 あれが本体? ならば、アレを何とかすれば、この呪いのような地下施設を壊せる?

 なるほど、だからボイラーを爆発させようと。

 合点のいった敦は、倉庫から番線を持ち出し、ボイラーの内圧弁を完全に縛りつけた。

 これで内圧の上がるボイラーは、いずれ爆発する。

 けっこうな大きさのボイラーだ。ここらの施設半壊は間違いない。

 檻の直ぐ裏にあるボイラーが爆発すれば、その地下の屍らも無事には済まないだろう。


「じゃ、さっさと、おさらばしようぜ、雅裕」


 すると雅裕は軽く首を振る。


「まぁ君、まだ、やる、こと、ある。あつ、こっち」


 まだあるのか?


 雅裕に言われるまま、再び敦はついていった。


 そして茫然とする。


 目の前には居住区の扉。ここは敦の隣の部屋だった。


 顔を背けて無言の雅裕。


 つまりは、あれか。俺に、この中の少女を連れていって欲しいと?


 たしかに、爆発する予定の地下に置いていく訳にもいかない。

 敦は固唾を呑み、そっと部屋の扉を開ける。


 そして再び敦は愕然とした。




「敦、まぁ君っ!」


 いきなり消えた二人を待っていたらしい万由は、二人が連れてきた少女に眼を見張る。


「その人、まさか.....」


 敦が支えるように連れてきた少女は、窶れ果て、落ち窪んだ眼に虚ろな瞳をしていた。

 明らかに長期に渡り乱暴された風情の少女。彼女は大きなお腹を手で押さえている。

 直視出来ない無惨な姿に、万由は思わず両手で口を覆った。


「逃げるぞ」


 絶句し驚愕に顔を凍らせていたのは万由だけ。他の人々は、然して気にした風でもなく、それぞれが縄梯子へ向かっていった。

 唖然とする万由に、敦が小さく呟く。


「こんなんは日常茶飯事だったんだ。暴力や殺人が当たり前に行われていたから..... たぶん、皆、感覚が麻痺してるんだよ」


 こんな哀れな少女を見ても、眉一つ動かす事はない。命があるだけマシなのだ。


 感傷に浸ってる場合じゃない。


 敦は万由を促して、二人で少女を支えて縄梯子をのぼる。

 必死な彼女は気づかなかった。地下から去る二人を、雅裕が後ろから切無げに見つめていることに。


 雅裕は、全精神力を使い、白い悪意を留めている。


《何故、逃がす? アレらは我々への贄ではないのか?》


 知らないよ。もう、沢山あげたじゃない。


《足りぬ。そなたを生かした我々を裏切るのか?》


 その分は十分返したよね。君らさぁ。ボクを利用して、何がしたかったの?


《そなたに関係はない。我々の悲願。雛鳥を籠から放つこと。それを目前に裏切られようとは》


 卵ね。ほんと悪趣味な。


 彼は本能的に白い影らの思惑を察した。元々賢く聡い子供だった雅裕は、胡乱げな眼差しで、自分の獣染みた欲望の捌け口にされた少女を見据える。

 その大きく丸い御腹を。あれを歓喜で撫で回していた以前の自分に吐き気がする。


 その背後に抑えつけられた白い影達が、恐ろしいほどの怒りを宿し、雅裕を責め立てる。


 白い影らに力を与えられた雅裕は、地下でならば、ある程度の力が行使が出来た。


 何故か分からないが、今のコイツらは力が弱っている。雅裕の力でも十分に抑えられる。


 まゆちゃん。最後に逢えて嬉しかったなぁ。


 地下で死にかかった雅裕は、白い影らと同化する事で命を永らえた。

 ここから離れれば、雅裕は自然の理に従い、ただの死体と成り果てる。

 だから、どんなに貴裕らが外に出そうとしても雅裕は地下から動かなかったのだ。


 でもそれが間違っていた。


 とっとと死んでいれば、貴裕や万由らを巻き込む事もなかった。

 沢山の犠牲者を出す事もなかった。


 今からでも間に合うかな。


 いや、もう遅い。


 自問自答し、雅裕は自分の両手を見つめる。


 幾人も惨殺し、血みどろな己の手。


 泣き叫ぶ被害者らを、恍惚と切り刻み、この世のものとも思えぬ地獄に叩き込んできた。

 嘆きが深く長いほど、白い影らが力を得る。それを知っていたから、ことさら陰惨に被害者らを責め苛んだ。


 雅裕は、戦慄く両手をグッと握り締める。


 そして手首にある一本の紐。


 煤けて捩れ、薄汚い紐にしか見えないそれは、雅裕の心に暖かい欠片を残した万由のリボンだった。

 思えば、これがあったからこそ、雅裕は正気を取り戻したのだ。

 完全に心を奪いとられず、ギリギリ人間でいられた。


 本当に、ありがとう、まゆちゃん。


 幼い恋心を胸に秘めたまま、雅裕は居住区へ向かう。


 己の死に場所を決めるために。




 雅裕が居住区へ向かったころ、逃げ出した万由と被害者らは霊安置室にいた。

 正面玄関あたりにたむろう男達。

 見つかれば何人かは捕まり犠牲になるだろう。しかし、こちらは男らを制圧出来る人数でもない。

 しばし考えて、万由は囮を名乗り出る。


「馬鹿をいえっ、そんなんなら俺が....っ」


 狼狽える敦を見つめ、万由は首を振った。


「ダメ。敦が見つかったら、地下から逃げ出したのだとバレてしまうわ。他の人達もね」


 言われて敦は周囲を見た。


 絶望的な顔で怯えすくむ者達。これを犠牲にしてまで敦が囮を強行する訳にはいなかい。

 しかし、万由が囮になるのも許せない。理性と感情の軋轢で懊悩する敦に、万由はほにゃりと笑った。


「生きていてくれただけで嬉しいよ、敦。ぶっちゃけ、この中で一番元気なのってアタシじゃん? 逃げ回って、あいつら引き寄せるよ。だから、絶対見つからないでね?」


 敦は気づいていないが、長い地下暮らしで、すっかり窶れている。他の被害者らも同じだ。こんなんで囮になろうものなら、あっという間に捕まってしまうだろう。


 真摯な万由の瞳におされ、敦は奥歯を噛み締めた。


「絶対に逃げ切れよ? 俺、林で隠れてるからっ、絶対だぞ?」


「まっかせなさぁいっ」


 今の万由に怖いものなどない。


 ギラリと辛辣に眼を輝かせ、万由は立ち上がった。

 敦達を逃がすため、か細い蜘蛛の糸を必ず掴む。これが最期のチャンスだろう。見つかれば二度目はない。


 密かに足を進めつつ、機会を窺う万由達を天井から静かに見つめる者がいた。


 それは地下でしか存在出来ないはずの白い影ら。

 どうした事か、奴等は地下から抜け出し、万由達を見ている。

 ここに白い影の大半が移動していたため、今の地下は力が弱っていたのだ。


《いけるか?》


《わからぬ。あの娘が鍵だと聞いた》


《ようやく孵化した卵だ。逃がしても大丈夫なのか?》


 囁き合う白い影らは、一斉に紅い瞳の小さな影に視線を振った。

 小さな影は薄く眼を細め、真剣な面差しで万由達を見つめている。


《敦..... あんちゃんを助けて?》


 地上では白い影らは何も出来ない。


 あとは人間に任せるしかない。


 雛鳥達は籠から飛び出して地上に出た。


 生死をかけたかくれんぼは、文字通り多くの命を巻き込み最終局面を迎える。

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