第10話 ~卵~


「おいっ、あれっ!」


「あぁ? え?」


「捕まえろっ! 貴裕が絶対に捕まえろって言ってた女だろっ?」


 正面玄関横の窓から顔を出した万由を見て、男らが一斉に駆けてきた。


 え? タカちゃんが?


 思わぬ言葉に首を傾げつつも、万由は玄関から階段を駆け上がり、脱兎のごとく二階へ逃げる。

 それを追って、男らも二階へ上がっていった。


 階段の地下側で身を潜めていた敦達は、すかさず玄関から外に出る。

 奴等の眼が万由に向いている今がチャンスだ。今なら男らも周囲に気を配る余裕はないはず。


 玄関を抜けて、少し奥の林を目指し、敦らは必死に走った。

 他の被害者らと違い、部屋に閉じ込められていた少女の足取りは重く、ときおり足が縺れそうになるのを敦が支える。

 そして泣き出しそうな眼で、彼は廃病院を振り返った。


 信じるからな、万由っ!


 そんな敦らの前に数人の男達が立ちはだかる。


 屈強そうで、目付きの鋭い男達。


 思わず小さな悲鳴を上げた被害者らを一瞥して、月明かりを背後に男らはニヤリと薄く笑んでいる。


 万事休すか。


 敦は限界まで眼を見開き、全身を凍りつかせた。




「なんだ?」


 一階で爆弾処理をしていた五月は、男らの足音や雄叫びに、一瞬背筋を震わせる。

 だが手を休めることはなく、順調にコードを切断していた。

 あらかたの処理は済んだと思うが、見落としがないとも言えない。

 出来れば地下へ行った貴裕の爆弾を見にも行きたいが、そんな時間は無さそうだ。

 遠隔で爆破させるつもりなら、スイッチが外にあるはず。

 今の騒ぎで、男らは車から離れた。タイヤ交換をしていたが、もっかいパンクもさせてやろうと、五月は周囲を窺いながら、ソロリソロリと正面玄関口に向かった。


 すると耳を劈く銃声が聞こえる。


 がばっと起き上がり、二階を藪睨みする五月。


 そして男達のうち一人が拳銃をもっていた事を思い出した。

 出逢った時は、ビックリして、構える前に体当たりで抑えたが....... あれが使われた?


 万由っ!


 思わず二階へ駆け出そうとした五月は、地下から上がってきた貴裕を見て、ピタリと足を止める。

 貴裕は五月に気づいておらず、胡散臭げな顔で二階を見上げていた。彼も銃声に気づいたのだろう。


 そしてそのまま二階へと上がっていく。


 どうする? 男らの殆どは二階へ行った。今なら車から爆弾の起爆スイッチを探したり、足止めの仕掛けを施したりも可能だ。

 悩みあぐねているうちに、ドヤドヤと男達が降りてくる。


 ああああっ、もうっ! 千載一遇のチャンスだったかもしれないのにっ!


 心の中で地団駄を踏む五月の心境など知らず、男らは玄関へと向かう。


「もう時間がない。逃げた娘は警察に駆け込んだだろうし、さっさとずらかろう」


「だな。娘らは惜しいが」


「雅裕のが大事だろうがよ。変な色気だすなや」


 けらけらと嗤う男達。


 一人、貴裕と呼ばれた男のみが、物言いたげに二階を見つめていた。


 万由はっ? どうなっちゃったの?


 顔面蒼白で瞳を戦慄かせる五月を余所に、男らは車へと戻っていく。

 しきりに眼を泳がせながら、五月は万由が無事である事を祈った。




「痛い....っ」


 五月が万由の無事を祈る頃、万由は一人、ロッカーの中に隠れていた。

 蹲って押さえる脚からは血が滴り、焼けつくような鈍い痛みが全身を支配している。

 戯れに放たれた弾丸は見事に万由の脚を貫き、その脚をひきずり回して血痕を量産した万由は、咄嗟に傷をサッシュで巻き付けて血痕を消し、病室のロッカーの一つに逃げ込んだのだ。

 案の定、撒き散らされた血痕に右往左往した男らは万由を見つけられなかった。


 そこへ聞き覚えのある声がして、男達は階下に降りていったようである。


「あれはタカちゃんの声だった。もういいって..... アタシを諦めたのかな?」


 これからどうしよう。この脚ではまともに歩く事も出来ない。

 このロッカーは大きく頑丈そうだが、何時までも隠れてはいられまい。

 しかし、熱く疼く銃創が未だに燃えるような痛みを万由に与えていた。

 幸いな事に弾は貫通している。だが、焼かれ破壊された組織の生み出す痛みは、気が遠くなるほど凄まじい。

 知らずに身体を丸めて痛みに怯え、万由の耳には何の音も聞こえない。


 一種のパニック状態である。


 誰にも見つかりませんように......


 万由は自分が泣いている事にも気づかず、ただひたすらに息を潜めていた。




「やるぞ」


 貴裕が持ち出した掌サイズの箱には複数のスイッチがある。

 爆弾の起爆装置も兼ねた白い箱を持ったまま、男達は静かに廃病院を見上げた。

 それを一階の窓から確認した五月は、思わず飛び出して、貴裕へ突進する。


 不味い不味い不味いっ!


「万由ーっ! 逃げろおぉぉ! 爆発するぞーっ!!」


 一直線に貴裕へ向かいながら、五月は力の限り絶叫した。

 その絶叫は、怯えすくんだ万由の鼓膜をノックする。

 涙でグシャグシャな顔を上げ、万由はポツリと呟いた。


「五月.....?」


 爆発する?


 茫然とした万由の脳裏に刻まれた五月の言葉。

 それを理解するのに、彼女は数秒の時間を要する。




「やめろおーっ!」


 飛び掛かってきた五月を事も無げにかわし、貴裕はニタリと冷酷な笑みを浮かべた。

 当の五月は他の男らに取り押さえられている。


「はぁん? とっとと一人で逃げたら良かったのに。友情ごっこか? 美しいねぇ」


 地面に抑えつけられた五月を睨め下ろし、貴裕はさも楽しそうに嗤った。


「あんたじゃなくて、まゆちゃんが欲しかったんだけどなぁ。まあ、仕方無いか」


 貴裕は五月の目の前に起爆装置を置き、ゆっくりとそのスイッチを傾けていった。

 限界まで見開いた眼で起爆スイッチを凝視する五月の耳に、けたたましい音が聞こえる。


「確保ーっ!」


 途端にサザザッと音をたてて大勢の人が林や茂みから飛び出してきた。

 複数の脚が、どかどかと五月の周りを走り回っている。


「なんだ、おまえらっ!」


 驚きと焦りを同衾させたような叫びが上がり、五月の前に置かれた起爆スイッチを誰かが持ち上げた。

 瞬間、貴裕が吹っ飛び、五月を抑えていた男らも転倒している。

 それぞれに複数の男性が絡み、次々と男達に手錠をかけていった。

 吹っ飛ばされた貴裕は軽く昏倒したらしく、ピクリとも動かない。


 何が起きたのか分からず、茫然とする五月の前に、ブカブカな男物のコートをはおった千歳が駆けてきた。


「五月ーぃ! 生きてたーっ!」


「千歳?!」


 わあぁぁぁっと泣きながら飛び付いてきた友人は、髪もグシャグシャでブラウスに下着という、あられもない姿。

 コートは男性用みたいで、ブカブカなそれが、辛うじて千歳の背中を隠している。

 

「なんて格好よ、あんた」


「だって、しょうがないじゃない、走るのに邪魔だったんだものぉーっ」


 子供のように、わんわん泣く千歳。


 彼女の捨て身の格好が功を奏し、あっという間に麓のあたりへ辿り着いた千歳は、スマホが繋がる事に気づき、取るものも取り敢えず警察に通報した。


 やってきた警察は千歳の話を聞き、ただ事ではないと判断して応援を呼んでくれる。

 そのさいに千歳は、絶対にサイレンは鳴らさないでくれと懇願した。

 友達が....行方不明の被害者らが殺されてしまうと。

 あまりに必死なその形相に、警察官らは快く頷き、サイレンを鳴らさず灯さず、車のライトすらつけずに、ここまでやってきてくれてらしい。

 着ているコートも、そういった被害者や加害者用の備品なのだとか。


「数が揃うまで時間がかかりました。申し訳ない」


 千歳から詳しい状況を聞いた警察は、下手な人数で突撃しても焼け石に水。

 少なくとも犯人らしい男らの倍の人数は必要と、応援の到着を待っていたのだと言う。


「おかげで間に合ったようです」


 微笑む警察官の後ろには大勢の人間がいた。殆どが煤けた服をまとい、やや生気のない顔で佇んでいる。


「助かったよ。ありがとう」


 はにかむように笑う青年は、警察に保護された敦だった。


 あの時、敦らの前に立ちはだかったのは私服警官。

 事情を聞き、思わず屑折れた敦は、中に万由が残っている事を必死に訴え、今ここに立っている。

 彼女の無事が確認出来るまで居てもたってもいられない。


 その説明を聞いた五月は、みるみる顔を強ばらせた。


「って事は行方不明者? 姉さんは? 女性はいない??」


 慌てて周囲を見渡して叫ぶ五月に、敦の顔が曇る。

 まわりの警官らも思わず口をつぐんだ。

 その様子に五月の脳裏には最悪が過るが、敦の言葉がそれを否定する。


「生きてるよ。生きてるけど.....」


 チラリと敦の視線がある方向へ流れ、それを追った五月の視界に一人の女性が映った。

 窶れて茫然と車の座席に座る少女。それは間違いなく五月の姉だった。


「姉さんっ!」


 泣きながら駆け寄った五月は、その大きなお腹を見て絶句する。

 何があったのか一目瞭然。姉の胡乱げな瞳からも、その悲惨な過程が想像出来た。


 でも......


「生きてた...... 良かった」


 力なく地面にへたりこみ、五月はか細い呟きをもらしながら、嗚咽をあげる。

 周囲の人々も、その微笑ましい姿に苦笑を浮かべていた。


 そして万由の事を思い出し、ふと廃病院へと向けた五月の眼が、一瞬で凍りつく。


「止めてーっ!」


 五月の声に反応し、ばっと振り返った人々の視界に映ったのは、警官を振りほどいて起爆装置を奪う大きな男。

 前で手錠をされていたため、奪い取った起爆装置のスイッチを、男はそのまま押した。


 途端に轟く大音響。


「「万由ーっ!」」


 異口同音の絶叫が二人の口から迸る。


 ニヤニヤと下卑た嗤いを浮かべていた大男だが、爆風が大地を馳せ、渦を巻いて消えた時、その嗤いが凍結した。


 目の前の廃病院は、二階の窓などが吹っ飛びこそすれ、その原型をほぼ保っていたのだ。


「まさか...... どうして?」


 唖然と呟く大男の目の前で、五月は手にしていたニッパーをクルクルと回してほくそ笑む。


「お前が....っ!」


 五月が何をしたのか察したのだろう。

 大男は、鬼のような形相で五月を睨み付けた。

 しかし、五月にはそんな事どうでも良い。


 万由は無事なのか? 二階の壁は所々吹っ飛び崩れている。


 周りが止めるのも聞かず、慌てて廃病院に駆け寄り、二階へと上がった五月は、瓦礫に埋め尽くされた現場で言葉を失う。


「こんなん..... 生きてる訳....」


 再びへたりこんだ五月と、寄り添う千歳。

 後を追ってきた敦や警官らも絶句した。


 しかし、そこに、コココンと甲高い音がする。


 五月らが、はっと顔を上げた瞬間、バンっと大きな音をたてて倒れていたロッカーが開いた。


「勝手に殺さないでよねっ」


「「「万由ッ!」」」


 またもや異口同音が飛び交う。


 あの時、万由は五月の絶叫で正気に返り、爆発すると言う言葉を理解した瞬間、ロッカーに残る事を選んだのだ。

 飛び出して建物から逃げている間に爆発が起きればひとたまりもない。

 ならば、ロッカーに籠城するのが得策だと判断した。

 四方をカッチリ固めたロッカーは、存外丈夫なのである。

 大きな災害や事故が起きたにも関わらず、原型を保ったままなロッカーは以外に多いのだ。


 九死に一生を得た四人は、心からの笑みを浮かべ、廃病院から出てきた。


 大怪我を負った万由だが、気分は最高。


 敦の肩を借りて、警察官らから手当てを受けていた万由は、隣で軽い尋問を受ける男らを見つめる。


 警察が何を聞いても黙りな男達。


「ほんと。何が理由で俺らを拐ったんだかね」


 廃病院の地下には農業を営む殺人鬼がいて、とんでもない伏魔殿ではあったが、それを隠すのならば、もっと別な方法があるはずだ。

 死人に口なし。拐って働かせるという意図がおかしい。

 そもそも働かせるために人身売買に手を染めてもいる。


 そして敦の脳裏に浮かんだのは青々と繁った植物。

 貴裕達は、あれを乾燥させて運び出していた。


 ひょっとして、あれが?


 思わず振り返り、疑問を口にしようとした敦よりも早く、万由がのほほんと呟いた。


「ひょっとして、これが原因?」


 万由の手には数枚の葉っぱ。


 地下に降りたとき、邪魔だと無意識にむしった葉っぱを万由はポケットに入れていた。

 それを眼にした途端、明らかに男らが狼狽える。

 刑事の一人が葉っぱを手にして、数度揉み込み臭いを嗅いだ。

 そして眼をすがめ、忌々しげな眼差しで男達を見る。


「大麻だ。違法栽培か」


 ああ、やっぱり。


 敦は軽く天を仰ぐ。


 そんなやり取りが行われてる中、警官に吹っ飛ばされて昏倒していた貴裕が眼を覚ました。

 そして周囲を一瞥し、何が起きたかを大体察する。


「逃げ出したんか、敦。この裏切りモン」


「人聞きの悪い事をいうなっ、こちとら被害者だぞっ! 雅裕が逃がしてくれたんだよっ」


 軽口の応酬を交わしつつ、ふと貴裕の眼が冷たく光った。


「おい。兄さんは?」


「「え?」」


 敦と万由が同時に呟く。


 そういえば逃げ出す事に夢中で気がつかなかった。


「後からついてきているものとばかり.... まさか?」


 憮然と貴裕が廃病院を凝視する。


「もう、一人にはしない」


 フラフラと立ち上がった彼は廃病院の建物へ向かう。警官が止める間もなく駆け出した貴裕の手から手錠が外れ、彼は両手にメスを取り出し、警官を切りつけた。

 鋭利なそれは、鼻先を掠めただけなのに、警官は唇がスッパリ裂け、声もなく蹲る。

 押さえた両手の指の隙間から、ボタボタと滴り落ちる鮮血。

 それは切り裂かれた貴裕の手首からも、とめどなくしたたっていた。


「は、気を失ってるからって、身体検査をなおざりにしてたな?」


 貴裕の両手首から流れる夥しい血。どうやらその滑りを借りて、無理やり手錠を抜き取ったようだ。

 両手の表面は手錠に抉られズタズタ。それを伝い、赤々とした血液が糸をひき地面に鮮やかな血花を咲かせる。


 思わず悲鳴をあげる万由を一瞥し、貴裕はふわりと微笑んだ。


 ああ、懐かしいな。


 恐怖に歪む顔。そんな万由でも、可愛らしく愛おしい。


 あの楽しかった日々。


 親からはもらえなかった優しさを、これでもかと与えてくれた少女。


 微笑みが降り積もる穏やかな日々。


 貴裕の中に、仄暖かい気持ちが溢れる。


 こんな気持ちは、とうに失ったものと思っていたのに。


「あんたのおかげで兄さんは幸せだった。礼を言うよ。また三人で遊ぼうな、まゆちゃん」


 いつか、あの世でな。まあ、俺らとは逢えないかもしれないが。

 まゆちゃんが俺らと同じとこに来る訳ないしなぁ。


 そんな益体もない想像を脳裏に浮かべ、然も愉快そうに貴裕は廃病院の中へ駆けていった。

 それを追う警察と、何かを叫ぶ犯人達。

 万由の耳には何の声も聞こえない。


 あの柔らかな笑み。あれは間違いなく、幼い頃に一緒に遊んだ弟分のモノだった。


 まぁ君が幸せだった?


 信じられない言葉を反芻し、万由は茫然と立ち竦んでいる。


「まった、地下はボイラーがいつ爆発するか分からないっ! 貴裕は地下に向かったはずだ、絶対、地下には入らないでくれっ!」


「本当にか?」


「それは不味いな」


 敦や警官らの声すら、万由には聞こえない。




「なんだよ、崩れてないじゃないか。働き損かよ」


 警察を振り切り、地下へ戻ってきた貴裕は、爆発もせずに無傷な地下迷路を見て悪態をつく。

 どうやら起爆スイッチの信号が地下には届かなかったようだ。


 そして地下施設を駆け回り、居住区の一室に横たわる雅裕を見つけた。


 地下にひしめいていた白い影らは姿を消し、奴等の力で生き永らえていた雅裕の命も、当然のごとく摘み取られている。


 既に息はない。しかし微かに微笑む幸せそうな雅裕の顔。


 そっか。まゆちゃんに逢えたんだっけな。


 聞かずとも分かる微笑みの理由。


 貴裕は雅裕を起こして、ベッドに座り、彼を抱き締めると、壁に背をもたせかけた。


「こんな終わりがお似合いかもなぁ。俺らは」


 両手首の出血は止まらない。然したる時間もかけずに貴裕の命も尽きるだろう。

 眠るように逝ったらしい雅裕を静かに見つめ、貴裕も眼を閉じた。


 一緒に逝くから。もう寂しい思いはさせないよ、兄さん。


 そう思いながらも、実は誰よりも寂しかったのは貴裕だった。

 ここで兄に置いていかれたら、きっと自分は狂ってしまう。


 親の愛情に恵まれなかった二人。


 その二人に微笑み、愛情を寄せてくれたのは、たった一人の少女だけ。


 楽しかったなぁ。なぁ? 兄さん。


 そこで貴裕の意識は途切れた。


 歪で壊れた二人の兄弟は、誰にも知られず、寄り添い共に逝く。


 後に爆発したボイラーにより、地下迷路の爆弾も誘爆し、呪われた地下施設は完全に失われた。


 二人の眠りを邪魔する者は、誰も現れない。




 二人が静かに死出の旅路に向かった頃。


 地上では小さな騒ぎが起きていた。


「うああぁぁっ」


「姉さんっ? しっかりして? ねぇっ!」


 車の後部座席で苦しむ少女。


「陣痛なんじゃ?」


「マジかっ? 救急車?」


「今喚びましたっ!」


 地下からの逃亡や、病院の爆発など、数々のショックから産気付いたらしい少女を囲み、右往左往する人々。


 しかし、救急車がつくより先に赤ん坊の頭がでてきてしまい、到着した救急隊員らの指示により、救急車の中でお産が行われた。


 元気な産声を上げて生まれた双子の赤ん坊。


 誰にも祝福されない命の誕生に、誰もが無言で俯いていた。


 しかし、誰一人気づかない。


 生まれた赤子の周りで狂喜乱舞する白い影達に。


 事、ここに成就せり。


 キチガイ染みたけたたましい嗤いを残して、白い影らは霧散した。




 こうして万由の夏は終わりを告げ、心身共に衰弱の激しかった敦と病院へ収容される。


 親に泣かれ、教師に泣かれ、己の無謀を心からの反省しつつも、後悔はない万由であった。




「来週には退院だって?」


「おう。俺はな」


 あれから数ヶ月。敦はすっかり回復している。万由は後少しかかるらしい。

 穏やかな秋も深まり、若干の肌寒さを感じる今日この頃。

 二人は病院の屋上でのんびり日向ぼっこをしていた。

 特に何を話すでもない、この沈黙が心地好い。


「あの子供達、どうなるんだろうな」


「......今は一応、五月の親が育ててるらしいけど」


 あの事件で生まれた双子。


 五月の姉は半狂乱で赤子を恐れ厭い、五月の母親も拒絶した。

 結果、五月の父親が引き取り育てているらしいが、乱暴されて出来た子供だ。

 愛せる訳もなく、多大な労力を必要とする子育てに、限界がきているらしい。


 重い沈黙を打ち破り、二人は同時に口を開いた。


「「赤ちゃんさぁ....」」


 思わず顔を見合わせて瞠目する二人。


「雅裕の子供なんだ.... 他人に思えなくてな」


「まぁ君のね。うん。アタシも」


 二人の間には、不可思議な共感が生まれていた。

 犯人に情が移るという心理状況。それと似ているのかもしれないが、そうではないかもしれない、。

 あの切ない兄弟の狂気に触れて、敦らも精神のタガが外れているのかもしれない。


 二人には、あの子供達が雅裕らと重なって見えた。


 進学は諦めても良い。二人で働けば育てられない事はないだろう。

 雅裕も貴裕も親の愛情に恵まれなかった。あの子達まで同じ思いをさせたくはない。


 きっと反対されるだろう。イバラの道で苦労の連続かもしれない。

 それでも、同じ気持ちの敦が並んで歩いてくれるなら、やれると思う。


 甘いかもしれない。


 だけど、振り返れば幸せな日々であるよう、丁寧に毎日を生きていきたい。


 そんな暖かな未来を想像していた万由の前で、敦が珍しく神妙な顔をする。


「こんなときに何だけど。俺と結婚してくれますか?」


 さっき、御互いに確認したばかりなのに、何故に疑問系?


 いや、そうじゃない。そうじゃなくはないが、そこじゃない。


「あんたねぇーっ、もう少しTPO弁えなさいよーっ!」


 これはプロポーズ。なのに、こんな病院の屋上で寝間着姿でって、有り得ないよね?

 指輪やロマンチックなシチュエーションとか高望みはしないけど、せめてお洒落して、花の一輪もあって良くない?!


 しかし言葉とは裏腹に、首まで真っ赤な万由の顔が、盛大に求婚を受け入れている。


 その正直な反応が面映ゆく、敦も、耳まで真っ赤に染まった。


「あんたがテレてんじゃないわよーっ!!」


 冬の気配が漂う低い空の下。


 病院の屋上で二人が御互いの気持ちを確かめあっていた頃。




 五月の家の双子が、うっそりと笑った。


 その眼に浮かぶ仄かな血色。紅い瞳が静かに揺れる。


 ニタリと口角を上げ、双子は眼で会話をしていた。


《あんちゃん》


《うん》


 双子の周囲に、一つの白い影が浮かんでいる。地下にいた思念らが合わさり力を増した怨念の集合体。


 彼らが守った卵は孵化し、肉体を得た。


 嬉しげに瞬く白い影。


 怨念の籠に囚われていた雛鳥は解き放たれた。


 万由の夏物語は終わらない




 二千二十一年 七月二十一日 脱稿

        美袋和仁



 完結です。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

 ホラーは好きなのですが、書くとなると別物ですねぇ。まるで怖くない物語になってしまいました。


 この話には続きがあります。


 というか、この話がプロローグで本編的な構想がワニの頭の中にあるのです。

 ただ、かなり悲惨な話になるので、ワニ的には食指が動かない。


 いずれ書くかもしれませんが、その時には、またチラ見してくださいませ。


 では、皆様の御健勝を御祈りしつつ、さらばです。また何処かで♪


     By.美袋和仁

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