第11話 新たな夏物語 ~流転~


「まゆちゃんっ」


 兄が呼ぶ愛しい少女の名前。


「まぁ君、たかちゃんっ」


 林から駆けてくる可愛らしい少女。


 ああ、これは夢か?


 貴裕は己の小さな両手を見つめ、ぶわりと温かいモノが胸に広がる。


 最後の時に見る走馬灯?


 それとも、神様が情けをかけてくれたのか?


 無邪気に笑う雅裕と万由。


 手を差しのべる二人に抱きつき、貴裕は、この夢が終わらないよう切実に祈った。


 そしてなんと、本当に夢は終わらなかったのだ。


 三人は夢の中で成長する。


 万由が犯した過ちで行方不明になった兄。しかし、その監禁場所を今の貴裕は知っていた。

 万由に恨みはない。子供ならば仕方無い失敗でもある。

 だけど協力くらいはしてもらおう。


 兄が消えてから両親が引っ越すまでの間に、貴裕は万由の家を探して乗り込むと、泣きじゃくる万由を必死に落ち着かせて説明をした。

 兄が両親の逆鱗に触れて、病院地下に監禁されていること。

 食糧は運ばれるが、一人孤独で苦しんでいること。

 今の小さな自分には何も出来ない。だから、万由に助けて欲しいと。

 

「時々、お兄ちゃんの様子を見に行って、ボクらが引っ越ししたら大人や警察に知らせて欲しいの」


 大人びた口調の貴裕にも気づかず、雅裕が生きていることに安堵した万由は、何度もコクコクと頷き、貴裕と約束した。

 貴裕が描いた青写真の写しの地図を大切そうにしまう少女。


「今度こそ約束を守るわ。ごめんなさい、まぁ君」


 ポロポロと涙をこぼす万由に何ともいえない劣情を覚える貴裕。

 外見は幼児でも中身は一七歳の男である。

 そっと抱き締め、慰め、キスをしてやりたい。

 そう思った己の明らかな欲情に面食らい、貴裕は疼く股間を毒づいた。


 まゆちゃんは兄さんのモノだっ!


 仄かに香る恋心。万由と雅裕が惹かれ合っていることは貴裕しか知らない。


 今度こそ二人を引き離させはしない。


 まだ五歳の自分にはやれない事を万由に頼み、貴裕は両親に連れられるまま引っ越していった。

 万由が雅裕を助けてくれると信じて。


 しかし、引っ越してから一年、二年と月日がたち、貴裕は荒ぶる焦燥感を抑え切れないでいた。


 なぜ連絡が来ない? 兄さんが見つかったと警察から連絡があっても良いはずだ。


 両親の犯罪を露見し、法に裁いてもらい貴裕と雅裕は祖父の元に身を寄せる。


 これが貴裕の思い描いていたシナリオだった。

 

 地元の有力な融資者でもある祖父の力添えがあれば、問題を揉み消してもらえるだろう。

 両親を隔離し、貴裕達に便宜をはかってくれるはずだ。

 だが、それにはまず雅裕を救出せねばならなかった。

 行方不明として捜索願いが出されているだけの状態では、何を訴えても子供の絵空事として相手にはしてもらえまい。

 下手な事をもらすと、両親に気づかれて貴裕まで閉じ込められてしまう。


 どうしたの? まゆちゃん? 兄さんは?


 貴裕はいてもたってもいられず、家族で祖父宅に帰郷したさいに放置された病院を訪れてみた。

 

 ガサゴソと林を抜けると、そこには煤けた病院がある。

 懐かしいなどとは思えない。恨みつらみの渦巻く建物。

 それを忌々しく一瞥し、貴裕は慣れた仕草で配管扉へ向かう。

 しかしそこで、彼は思いがけないモノを見つけた。

 深く埋もれた枯れ草の中に仕込まれたトラバサミ。

 よくよく辺りを見渡せば、そこいら中にトラバサミが仕掛けられている。

 貴裕が小学校低学年で小さくて、草むらを掻き分けるように進んでいなくば見つけられなかっただろう。

 普通に進んでいたら、間違いなく引っ掛かっていたに違いない。


 なんで? 前にはこんなモノは無かったのに。


 冷や汗を垂らしつつ、貴裕は配管扉に駆け出した。

 そして顔を凍らせる。

 配管扉には頑丈な留め具がつけられ、そこには大きな南京錠が嵌められていたのだ。


 何かあった。


 以前と違うアレコレ。


 貴裕は配管扉の下に空いた狭い隙間を潜って中へと潜り込む。

 大人なら入れない隙間だ。この小さな身体が幸いした。


 兄さんっ?!


 焦る心を抑えつけ、貴裕は慣れた足取りで地下へと進んでいった。


 


「兄さんっっ!!」


「貴裕っ? どうやってここへ?」


 件の檻の中に雅裕はいた。


 そして、予期しない者も。


「え? まゆちゃん? なんでっ?!」


「たかちゃん。ごめんね、おじさんにみつかっちゃったの」


 檻の中には万由もいた。


 何でも、貴裕に頼まれたとおり地下を訪れ、何度か雅裕と話をした帰りに、雅裕らの父親とはち合わせをしてしまい、ここに閉じ込められたのだとか。

 かれこれ一年以上前の話である。


 なんてこった。あのクソ親父っ!!


 それで罠などが仕掛けられていたのか。中に入られないように。

 たぶん騒ぎになっても構わなかったのだろう。むしろ外に設置した罠に意識が向いてくれれば、病院から興味をそらせる。

 野生動物に荒らされないようにとか、住み着かれないようにとか、適当な理由はいくらでもデッチ上げられるからだ。


 貴裕は太い鎖で閉じられた檻の扉を睨めつける。

 子供の力では何ともならない。もっと力がある大人と専用工具でもなければ.....


 .....大人?


 ふと貴裕の脳裏に、かつての仲間達が過った。

 当時三十過ぎの、おっさんだった彼等だが、今でも十分大人なはずだ。

 悲壮感に打ちひしがれる檻の中の二人を見つめ、貴裕は持ってきていた袋を手渡した。

 袋の中身は各種サプリメント。ミネラルやビタミンなど、必須な栄養素の錠剤である。

 

 長く閉じ込められていた雅裕達に必要だろうと、親に取り上げられるお年玉やお小遣いを掠めて集め、買ってきたのだ。


「助けてくれそうな人達に心当たりかある。待ってて、二人とも」


 差し入れたサプリメントの用法を説明して、貴裕は何食わぬ顔で両親と合流し、家路についた。

 運転席に座る父親を唾棄するような眼差しで見据えながら。


 .....見下げ果てた卑怯ものが。絶対、凝らしめてやるからなっ!


 このまま警察に駆け込んだり、大人らに相談しても、きっと両親に阻まれる。

 自分は幼い子供なのだ。何を叫んでも、まずは両親に相談されるだろう。

 そうなれば、この悪魔らは証拠の隠滅をはかるに違いない。貴裕を含めて。


 絶対に両親らに事を漏らさず、貴裕を信用して動いてくれる大人が必要なのだ。

 そう考えて、貴裕は万由が失敗してくれた事を僥倖だと思った。

 万由が大人に相談しても同じ事になっただろう。

 あの時は、兄を救うことしか頭になかった貴裕だが、今思うと危ない橋だった。


 そんなこんなで数日が過ぎ、貴裕は仲間と出会った公園に入り浸る。

 以前の彼等は言っていた。昔からつるんで、よくこの公園にいたと。

 ならば、ここで待っていれば若い頃のアイツらと逢えるかもしれない。

 父親が雅裕を見限るまで、今しばらくの時間がある。まゆちゃんもいる今回の監禁状態なら、もっと安全かもしれない。

 あの外面だけは気にする両親だ。人様の子供を拉致監禁して、その待遇を気にしないわけはないのだから。


 とめどなく色んなことを考えていた貴裕の耳に、微かな呻き声が聞こえた。


 はっと振り返り、眼をこらすと、そこには三人の男達。

 一人が怪我をしているらしく、公園の水道で腕を洗っている。


「.....っ、かぁぁぁっ! 痛ぇぇぇっ!」


「良かったな、生きてる証拠だ」


「ヤバいぜ? 医者にも行けねぇし、どうする?」


 そっと近づく貴裕は、微かな硝煙の匂いに鼻腔を擽らせた。懐かしい匂いだ。かつてはよく鼻にした匂い。

 思わず口角を歪め、貴裕は男達に声をかける。


「何してるの?」


 ギクッと肩を揺らして振り返った男達。

 

 ああ、奴等だ。


 十年先の面影を持つ若者達を見て、貴裕は安堵に胸を撫で下ろした。


「子供? ガキが何でこんなとこに?」


 今は午後十一時過ぎ。真っ当な子供ならば夢の中の時間である。

 怪訝そうな三人を余所に、貴裕は怪我をした男に近寄ると、その傷を観察した。

 明らかな銃創。幸い貫通しており、骨や大きな血管からも逸れているようだ。


「これなら道具があれば何とかなるね。竜屋はもう開いてる? モグリの爺さんを叩き起こせば道具はあるでしょ?」


 ズケズケと並べられる耳慣れた単語。

 三人は瞠目して、目の前の子供を凝視する。


「竜屋って..... モグリの爺さんまで? 何で、おまえ.....」


「グダグダ言わない。さっさと行こう。神経繋がらなくなるよ?」


 怪我をした男がビクンっと大きく痙攣した。

 そう。この銃創は貴裕もよく知っている。以前、聞いた話によれば、この怪我を放置したせいで、彼は右手の中指と薬指が動かなくなってしまったのだ。

 癒えた彼の銃創を撫でながら、その時に自分がいればと、貴裕は唇を噛み締めた。


 まさか、その千載一遇のチャンスに彼等と出逢えるとは。


 疑わしそうな眼で見つめる三人を急き立て、貴裕は馴染みなモグリの医者を置く居酒屋まで引きずっていった。



 

「ぶっちゃけ、金がないんだ。モグリとはいえ医者にはかかれん」


 他よりも頭半分デカイ大男が、髪を掻きむしりつつ貴裕を見下ろす。

 それに頷き、貴裕は居酒屋に入っていった。


「らっしゃ..... あ? ガキが何の用さ。ん? あんたらも居たのか。どうしたい?」


 古びたカウンターと二席の座敷。如何にも怪しげな店内を素通りし、貴裕は奥のトイレ横に張ってあるポスターをめくった。


「おーい、爺さん、いるかー」


 茫然とする大人達を尻目に、ポスターの奥から面倒臭げな声が聞こえる。


「ああ~? 何の用だ?」


 酒妬けしたダミ声。


「道具を借りたい。一本でどうだ?」


「.....構わんが。ちょっと待て、おまえ誰だ?」


 かかる声の幼さを訝り、出てきたのはガリガリな老人。


「貴裕ってんだ。これから宜しく」


「へ? あ? どういうこった?」


 にっと嗤う小学生様。


 カウンターから出てきた大将が扉に臨時休業の札をかけ、一体何が起きたのか三人に尋ねた。

 怪我人の治療をしながら、貴裕はかいつまんで理由を説明する。


 兄が地下に監禁されていること。それを助けてくれる大人が必要なこと。

 出来れば非合法でも構わないから、両親を押さえ込める大人が良いこと。

 両親はカモにでも金づるにでもして構わないから、自分達を守って欲しいこと。


 治療の片手間につらつらと説明し、貴裕は銃創を切り開いて内部を削り取る。

 そして断絶された神経を繋ぎ、丁寧に中の肉を寄り合わせて切開部分を閉じた。

 念のためドレーンを端につけ、患部を固定し包帯を巻く。

 鮮やかな手並みに見惚れた爺さんが、恐る恐る呟いた。


「こりゃ驚いたな。おまえさん、どこで医術を習ったんだね?」


「門前の小僧さ。父親が外科医なんだ。手術とか散々見学してたから」


 以前の人生の話である。だけど嘘は言っていない。


 借りた道具を洗浄し片付け、貴裕は大男を見上げた。


「これは貸しだ。返してね?」


 真っ当な医者にもかかれず、モグリに払う金もなく、ただ見ているしか出来なかった仲間を救われた。

 大男は仲間を振り返り、大きく頷く。


「貴裕とか言ったか。おれは青木一真だ。仲間を助けてくれた恩は返そう」


「爺さんにかかれば十本は吹っ飛んでいたからね。まさかの一本。助かったよ」


 この界隈なら一本は一万。


 地区によってレートが変わるので、注意が必要なのが裏社会。


「まあ、良いモン見せてもろうたし、まけとくわ。また来いよ、小僧」


 にまっと嗤うモグリ医者。


 一時休業にしてくれた大将に礼を述べ、大人三人と子供一人は元の公園に戻っていった。




「じゃ、詳しく聞こうか」


 四角に向かい合わせて座り、貴裕は事の始まりから話した。


 彼はこれを夢だと思っていたが、あまりにリアルで長すぎる。


 そして過る一抹の不安。


 ひょっとしたら、本当にこれは現実なのではなかろうか?

 悪魔の微笑みか神の悪戯か。自分は本当に時間を巻き戻ってしまったのではなかろうか。


 そう考えた時、この仲間達に嘘はつきたくなかった。

 以前の時、彼等は貴裕を守ってくれたのだ。


 打算からだろう。利用出来るからだ。利害が一致したにすぎない。


 そんな斜めなことを考えて、疑いが脳裏にこびりついた貴裕を、何の見返りもなく、彼等は仲間として置いてくれた。

 彼等の後ろ楯が貴裕を利用することはあっても、彼等が貴裕を利用することはなかった。

 逆に、本当に良いのか? 嫌なら断るぞ? と貴裕を庇おうとする始末。

 そんなことをすれば、青木達が煙たがられるだろうに、彼等は貴裕の気持ちを最優先してくれたのだ。


 そこまでされて気づかない貴裕ではない。


 何年も庇われ、守られ、貴裕は彼等に信頼を置く自分を自覚していた。


 だから嘘はつけない。


 貴裕は覚悟を決め、これが現実であるならばと、前回の人生の話から語った。


 唖然とする三人。


「そういうわけで、俺はこれが夢だと思ってたんだ。やり直しを望む自分の願望だと」


 いったん言葉を区切り、貴裕はかつての仲間達を見渡す。

 青木は神妙な顔で思案している風だが、他の二人は愉快そうな顔で、にまにまと貴裕を見ていた。


「これが夢でないなら、俺は兄さんを助けたい。最良の形で。クソ親どもに目にものをみせてやりたいんだ。手伝ってもらえないか?」


 幸いなことに、今回雅裕は万由と二人で監禁されている。滅多なことにはならないだろう。

 ならば時間がある。おぞましい両親を木っ端微塵にしてやりたい。


 話を聞いた青木は、真摯な眼差しで貴裕を見下ろした。


「了解だ。まずは事実確認から。兄貴とやらに逢いにいこうか」


 ぱあっと顔を輝かせ、貴裕は仲間達と共に件の病院へ向かう。


 未来で止まった夏が、ここから再び動き出した。

 

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