第16話 新たな夏物語 ~終幕~


「これでしばらくは食い繋げるだろう?」


 食料の入った袋を檻に押し込まれ、貴裕は真っ直ぐ雅裕を見つめる。


「俺は逃げたりしないよ。だから、居住区を使わせてくれないか? ここじゃ水浴びも難しい」


 なんの感情もない瞳で見据えられ、しばし思案してから、雅裕は鉈を片手に檻の扉を開けた。

 見慣れた刃物。前世を知る貴裕は、その扱いにどれほど雅裕が長けているか熟知している。

 記憶が戻ったならば、無意識に、雅裕がソレを手にするのも頷けた。


「妙な事はするなよ? .....頼むから僕に手を上げさせないでくれ」


 悲痛に眉をひそめる雅裕。


 それを余所に檻から出ると、貴裕は居住区の扉を指差して敦に教える。


「あれだ。入ったら中から鍵を。俺が呼ぶまで開けるなよ?」


 慌てて頷き、敦は居住区の中に入っていった。


「な? お前、なにを.....?」


 雅裕が言い終わる前に、貴裕はツカツカと距離を縮め、柔らかく微笑んだ。


「.....こうするしかないんだ。ごめんね、兄さん」


 そういうと貴裕は両手を交差させて、それぞれの袖に忍ばせていたメスを手に取る。

 そして抜き出す勢いのまま、雅裕を腕を切りつけた。

 相手が丸腰だと油断していた雅裕は、一閃する鋭利な刃物をまともに食らい、その切り口から鮮血が飛び散っていく。

 ボタボタと滴り落ちる血液とともに落ちた鉈が、がららんっと床で跳ね、大きな音を立てた。

 その隙を逃さず、貴裕は背後から雅裕を羽交い締めにして檻の中に引きずり込む。


「今だっ! この扉を閉めて鍵をかけろっ!!」


 恐る恐る出てきた敦は、床一面の血花に驚きつつ、言われたとおりに扉を閉めて、鎖と南京錠をかけた。

 昨夜のうちに打ち合わせされていたのだろう。その動きに衒いはない。

 そして痛ましげに貴裕を見つめる。


「なに突っ立ってんだっ! はやく言った通りに連絡を入れてくれっ! いけっ!!」


 悔しそうに歯噛みし、敦は貴裕に言われた通り縄梯子を上り、霊安直室から病院を飛び出してスマホをつけた。

 これは貴裕のスマホ。電話帳の一番上にある人物へ連絡するよう頼まれたのだ。


 コール音に心臓がバクバクする。貴裕は警察は駄目だと言った。兄を売れないと。

 こんな酷い目にあっても庇いたくなるモンなんだろうか。

 兄弟のいない敦には分からない。


『はい?』


 数度のコールで相手が出る。幾分低い男性の声だ。

 ごくっと喉を鳴らし、敦は貴裕と拉致され、廃病院の地下に閉じ込められたのだと説明する。

 相手は貴裕の兄で、何をやるか分からない状態。至急助けて欲しいと、貴裕から言付かったと説明した。

 電話の先の人物は、しばしの沈黙を経て了解と呟き、通話を切る。

 それに安堵し、敦は貴裕に言われたとおり、その場に待機した。


 早く、早くっ、貴裕が危ないんですっ!




 焦れる敦の想像とは裏腹に、地下の二人は静かに檻の中にいた。


「騙したな?」


「騙してないだろ? 俺は、ここにいるじゃないか」


「なんで..... なんで、僕は.....」


 嗚咽を上げながらベッドに横たわる雅裕。その腕の傷は有り合わせの布で治療され、後ろ手に括られている。


「俺が気に入らないなら消えるから。小太郎も邪魔なんだろう? 僕の子供だから。二人で遠くに行くよ。それで良いだろう?」


「駄目だっ! 小太郎は僕の子供だ、居なくなったら警察沙汰になるし、万由ちゃんが悲しむじゃないかっ!!」


 怒鳴る雅裕にうんざりとし、疲れた顔で話す貴裕。


「そのへんはちゃんと話し合って、俺と小太郎は何処か遠くで暮らすべきだ。兄貴、小太郎には優しくできないみたいだし」


「そんな話をしたら僕は万由ちゃんに嫌われてしまうっ! 捨てられるっ!」


 ..........どうしろと。


 だが、穿ち過ぎとも言えないか。


 万由は愛情深く優しい娘だ。我が子を邪険にする雅裕を見限る可能性は高い。

 かといって虐待されかねない我が子をおいてはゆけないし、どう考えても手詰まりだ。


 雅裕の望みは叶わない。


「ならせめて敦くらいは解放してくれよ。まだ万由ちゃんと出逢ってもいないのに」


「お前がっ! 敦と親しくなったせいで、出逢ってしまうかも知れないじゃないかっ!」


 あ~~。そういう。


 しかし、それも否定は出来ない。こうして再び前世の因果に見舞われているのだ。ひょんな事から二人が顔を合わせてしまう可能性は、確かにある。


 四面楚歌で顔を両手でおおった貴裕は、どやどやとやってくる人の気配に気がついた。

 

 それは見慣れた仲間。+a


「おいっ! 大丈夫かっ?」


 一真、サトちゃん、タケちゃん、敦である。


 四人はベッドに力なく横たわる雅裕を一瞥して、檻の鍵を外すと貴裕を外に出した。


「結局、元の木阿弥か?」


「かもしれない.....」


「せっかく、貴裕が助け出したのになぁ」


 何の気なしな四人の会話。敦は訳が分からず、それぞれの顔をあたふたと眺めている。

 それに苦笑し、貴裕は軽く顎をしゃくって説明した。


「前世で非合法やらかしてた仲間だ。全て知ってるよ」


「おいおい、もうすっぱりと足は洗ったぜ?」


「俺らも専門学校卒業したしな。貴裕のおかげで」


「なぁ?」


 ゲラゲラ笑う彼等は、少しすると神妙な面持ちで貴裕を見る。


「また惨殺が起きるのか?」


「分からない。瞳に狂気の片鱗を見た」


「殺人鬼だろ? ヤバいよな?」


 会話の端々にまろびる不穏な単語。貴裕から簡単な説明は受けたが、未だに半信半疑な敦は、あらためて説明を求めた。




「..........なんというか」


 自分の未来の恋人だった少女が今の雅裕の妻で、その少女は貴裕を好きになり、三人で夫婦となったか。

 しかも貴裕の子供を虐待しかねないほど邪険にし、嫉妬に狂い、貴裕はもちろん、未来で恋人だった敦まで排除しようとしたと。


「思い込みと妄想なんだけど、解けることはないと思う。俺らが生きてる限りね」


「うっは.......... 大迷惑」


 そうなると雅裕をここに閉じ込める選択肢しか残らない。あるいは、そういった専門の病院に入れるか。

 そう口にした敦に、貴裕は横に首を振る。


「狂気に染まった兄さんは、殺人を厭わない。関係者に被害が出て、完全に拘束されるのがオチだ」


「それくらいなら、ここに閉じ込めて、俺らが面倒をみたほうがマシって話さ」


 なるほど。


「結局、俺は逆行しても兄さんを救えなかったんだ。未来は変えられないんだ」


 ぐったりと俯く貴裕に、敦は暢気な声で反論した。


「なんでよ? 今回、貴裕の兄さんは誰も殺してないし、貴裕も死ななくて済むんじゃん? めっちゃ変わったじゃないの、未来」


 しれっと放たれた言葉に、皆が眼を見張る。


「そうだよなぁ。変わったよなぁ?」


「そうだよっ、雅裕は病院にでも入れた事にして、今まで通り暮らせば良いよっ!」


 わっと顔を明るくさせる仲間が有り難い。

 ただ、貴裕の幸せを願って、協力してくれる仲間達。


 だがそれではダメなのだ。


「それなら、俺と兄さんと二人で暮らすよ。ここで静かにさ」


 驚き振り返る一真達。


「俺は絶対に兄さんを独りぼっちにしない。そう誓って、ここまで来たんだ」


 冷たい焔を眼窟に灯し、何物にも揺るがぬ堅固な眼差し。


 慌てて言いつのろうとする敦を軽く抑え、一真は、そうかと小さく呟いて立ち上がる。

 それに倣って立ち上がった他の二人に押され、敦は無理やり病院から引きずり出された。


 送るという一真の車で、敦は憤りを隠せない。


「なんで説得しないんですかっ? 仲間なんでしょっ? なんで、あんな厄介な兄貴のツケを貴裕が購わなきゃならないんですかっ?!」


 それぞれ車に乗り込みつつ、一真は煙草を咥えると火をつけた。


「それしかないからだよ、貴裕には」


「アイツと付き合い初めて十年くらいかなぁ。貴裕が兄貴を救うためだけに生きてきたのを知ってんだわ、俺ら」


「まだ、ちっこい小学生がさ。兄貴を助けるためだけに血眼になって走り回ってんのよ。わかる? 理屈じゃないんよ」


 長々と貴裕を見てきた仲間は、彼の意思を尊重するという。

 それで命を落としたとしても、彼は本望だろうと。

 むしろ邪魔をして、兄を失おうモノなら、きっと生きる屍のような一生を送ってしまう。その方が偲びないと。

 諦めにも似た寂しそうな光を眼に宿し、貴裕の仲間達は仕方無さげに口角をあげる。


「やりたいようにさせてやってくれ」


 とつとつと語り敦を家に送り届けると、彼等は街の灯りに溶けていった。


 そんなんアリかよ..... 何にも出来ないのか?


 敦は呆然と立ち尽くすしかなかった。




「よっ♪」


「敦?」


 翌日、敦はアイスクリームを土産に廃病院の地下を訪れた。

 小脇に抱えた鞄には勉強道具。


「いやさ。俺の部屋、クーラーないんだよ。ここって地下で涼しいじゃん? 静かにするから勉強させてよ」


 にぱっと笑う敦に、貴裕は言葉もない。

 そんなん図書館にでも行けば済む話だ。わざわざここまでやってくる理由にはならない。

 もらったアイスクリームを食べながら、貴裕は思わず敦から視線を逸らした。

 面映ゆさに赤面しそうである。コイツは、貴裕を気にしてやってきたに決まっているのだから。そんな気遣いが擽ったい。


 無言でアイスクリームを頬張る貴裕の耳に、新たな足音が聞こえた。


「あれぇ? あんた来てたのか」


 サトちゃんとタケちゃんである。小脇に抱える紙袋には何の印刷もない。


「.....パチンコ帰り?」


 剣呑に眼を据わらせる貴裕に頷き、戦利品だとテーブルに紙袋の中身を広げた。

 そこには色とりどりな御菓子の山。


「疲れには糖分だぜっ♪ お? アイスクリームか、良いね」


 あっけらかんと日常を繰り広げ始めた仲間や敦を見て、貴裕は眼の奥が熱くなる。


 こんな面倒極まりない兄弟に。物好きにも程があるよ、お前ら。


 貴裕はそっと立ち上がると、檻の中の雅裕にアイスクリームを運んだ。


「食べて? 美味しいよ?」


 腕を括られたまま、胡乱げな眼差しの雅裕は、無意識に口へ運ばれたアイスを食べる。


 昨日から雅裕は夢現を漂い、狂暴になったり、眠ったり、正気に戻ったりを忙しなく繰り返していた。

 出来るなら少しでも長く正気を保って欲しい。


 祈るように雅裕の世話をする貴裕だが、それを嘲笑うかのごとく、惨劇は幕を上げる。




「なんで俺がこんなことしてんの?」


「お前しかやれないからだ。頼んだ」


 道具と部品を揃えて、貴裕は敦にボイラーや洗濯機などの修理を頼む。

 前世でやっていたことだ。やれない訳はない。前世の敦に頼まれて道具や部品を揃えた貴裕は、同じものを用意して敦に押し付けた。


「俺、勉強に来てんのになぁ~?」


「してないだろう。いつもサトちゃんらとダベってばっかで」


 違ぇねぇとゲラゲラ笑うタケちゃん達。

 ほぼ入り浸りな二人と敦は既に顔馴染みで、いっつもバカな話に花を咲かせている。

 他愛ない日常が危機感を薄れさせ、ふと天井を見上げた貴裕は、そう言えば今日は終戦記念日だったなぁと何の気なしに思い出した。


 そして時計が正午を指した時。地獄の釜が口を開く。


 三人のいた栽培フロア横のテーブルに、白い影が立ち上ったのだ。

 ひとつ、ふたつと湧き出した影に度肝を抜かれ、声も出せずに硬直する貴裕達。


 それと同時に檻の中の雅裕が唸りを上げた。


「兄さんっ?!」


 ベッドで暴れる雅裕に駆け寄る貴裕。それを追って檻に駆け込む毅と聡。

 ギリギリと砕けそうなほど歯を噛み締め、雅裕は息が止まりそうなほど呼吸を荒らがせている。


「兄さんっ? 兄さんっ!」


 狼狽する貴裕の元に、ボイラーを直していた敦が飛び込んできた。


「これに触れんなっ! 死ぬぞっ!!」


 がしゃっと扉を閉めて、敦は外を徘徊する白い影らを睨み付ける。

 その顔は苦渋に溢れ、何時もの御人好しな彼からは思いもつかない獰猛な眼差しをしていた。


「敦.....? どうした?」


 不安げに尋ねる貴裕。


「思い出したよ、俺も。あの日、何が起きたのか」


 思わぬ言葉に、檻の中が重苦しい静寂で満たされた。


 そう、いきなり湧き出した白い影が敦の手をかすめ、ぞわりとした悪寒が彼の脳裏の奥底を暴いたのだ。

 雪崩のように湧き起こる記憶の数々。


「こいつらが諸悪の根元だ。雅裕を食い物にして、力をつけた怨念達..........」


 敦は自分の思い出した前世を貴裕らに説明した。




「つまり、こいつらに触れると生気を奪われミイラにされてしまう?」


「しかも死ねないって。何の罰ゲームだよっ! きもっ!」


「この檻の中には入ってこられないんだ。.....この下に自分達の遺骨があるせいかもな」


「うえっ?!」


 思わず飛び上がるサトちゃんとタケちゃん。


「そこの用足しの穴から下に、無数の骨がある。それが、コイツらの本体らしい」


「敦、詳しいな..... どうして?」


 敦は、口枷をされ簀巻きで横たわる雅裕を一瞥し、苦々しく口を開く。


「雅裕から聞いたんだ。コイツ..... この怨念に操られて..... 人を殺してた」


 驚きを隠せない面々に、敦は雅裕から聞いた話を繰り返す。


 死にかかった雅裕に怨念らが力を貸した事。その対価に雅裕は怨念達の望みどおり人を殺してきた事。

 万由と再会して正気に戻り、地下から敦達を逃がして怨念らの本体を潰そうと試みた事。


「最後の雅裕は正気だった。優しくて穏やかな..... 良い奴だったよ。それまでも、俺には良くしてくれたんだ。すごく.....」


 貴裕達の知らない雅裕の一面。


「じゃあ、あの時、兄さんは自ら地下に残ったのか」


「多分。怨念達を道連れにしようとしたんじゃないかな」


 わなわなと唇を震わせ、貴裕はバッと外の白い影らを睨めつけた。


「お前らがぁっ! お前らのせいで兄さんがぁぁっっ!!」


「落ち着けっ!! 取り敢えず、ここは安全なはずだ。雅裕が言ってたしな」


 ふーっふーっと息を荒らげ、貴裕はドスンっと床に胡座をかく。

 ギンっと双眸を剥き、周りを見渡す貴裕の顔は、前世のような狂気に満ちた凄みのある顔に戻っていた。


「で? どうしたら良いんだ? このままだと、また兄さんは奴等に利用されちまうんだろう?」


「どうって..... どうしたら.....」


 炯眼な瞳に見据えられ、敦は口ごもった。


 あの時は、どうだった?


 そして、ふっと思い出した光景。たしか、あの時は.....


 そこに空気を読まない暢気な声が聞こえる。


「タカちゃんっ! まぁ君っ!!」


 奥から現れたのは子供を連れた女性。後ろから追ってきた一真が、気まずげに眉を寄せている。


「すまん、どうしてもと..... 内緒には出来なかった」


 唖然とする檻の中の四人の前で、子供を連れてやってきた万由が無邪気に微笑んだ。


「私を除け者にしないでね。まあ君に何かあったみたいだけど、家族じゃないの」


「万由.....?」


 前世を思い出して甦る敦の恋心。

 それを仏頂面で一瞥し、貴裕は白い影らが消えているのに気づいた。


「おい、アイツらがいなくなったぞ? 今がチャンスじゃないのか?」


 言われて他の者も気がついた。


「そうだ、あの時も万由がやってきた途端にアイツら消えたんだ」


 呆気に取られた顔で、敦は辺りを見渡す。


 彼等は知らない。怨霊達が雛鳥の母親として万由をターゲットしていた事を。

 雅裕らが生き物を殺していても眉一つ動かさなかった少女。三人で夫婦になろうと平気で発案した少女。

 実は、この夏物語で最初から一番壊れていたのは万由だったのだ。それに眼をつけた怨霊達によって、万由はどんな状況になろうとも双子の母親になる運命となった。

 そして怨霊の影響下にある雅裕らや敦も、根深く彼等の干渉を受けている。


 抗おうとしても抗えない結末。


「どういう理屈か分からんが逃げよう」


 揃って頷く仲間と一緒に雅裕を抱えた貴裕は、その違和感に首を傾げた。

 雅裕が何か言いたげに眼をしばたたかせている。

 それを察して、貴裕は雅裕から口枷のタオルを外した。


「僕を置いていけ。アイツらの目的は僕だ。奴等は力をつけるために、代行して人殺しをする依り代が必要なんだよ」


「なっ、馬鹿をいうなっ!」


「もちろん人殺しなんてしないさ。むしろ、奴等を潰してやるよ。地下の遺骨をね」


 ああ、とばかりに貴裕も得心顔をする。

 このままでは何時までたっても怨念に怯えて暮らさねばならない。

 今の雅裕は正気のようだ。愛おしげに万由を見つめ、懐かしそうに眼を細めていた。


「皆は先に上がっててくれ。敦、道具にレンチとかあったよな。借りるぞ」


「それなら皆でやった方が良くないか?」


「ばぁか、万由ちゃんらをこんなとこに置いておけるか。何時またアイツらが湧くかも分からんのに」


 あっとばかりに周りが万由達を見る。たしかに子供達連れで、ここは危ないかもしれない。


「そうだ、あんときは雅裕に頼まれてボイラーにも仕掛けをしたんだっけ」


「そうだな、それも頼むよ、アツ」


 アツ.....


 ふいに敦の眼がゆうるりと弧を描いた。


「なついな。いや、同じ年なんだけどさ」


 前世で何度も呼ばれた呼び方。ああ、雅裕なんだなぁと、妙な感慨が敦の胸を占める。


「ここ、使われてないからカラカラに乾いてんな。敦はボイラーに仕掛けをしたら上がってくれ。俺らは中の骨を粉々にしてから上がるわ」


 レンチやトンカチを持って用足しの穴に降りていく雅裕と貴裕。

 一真達は頼まれたように万由と子供達を連れて上に上がっていく。

 敦も道具を持ってその後を追った。


 各人が別れて動いた瞬間、それは起きる。


「え.....っ?」


 床から一斉に白い影が立ち上ぼり、分かれた者らを分断したのだ。

 ひしめく影に遮られ、檻には誰も近づけなくなった。


「なんだ、これっ?! 貴裕っ? 雅裕ぉっ?!」


 ゆらゆらと蠢く白い影達。


《させぬよ》


《我らは守るのだ》


《可愛い雛鳥を》


 ケラケラと嗤う妖の声は、敦達に聞こえない。




「なんか上が騒がしくね?」


「さあ? 取り敢えずやろう」


 長い棒を伝って降りてきた二人は、目の前の惨状に声を失った。

 辺り一面を被うのは大量の骨。風化し、ボロボロな端切れを張り付けたかのような骨は、どれもが小さい子供の骨だった。

 前世と違い、雅裕達は居住区を住みかとしたため、檻の中の用足し穴は大して使われてもおらず、完全に干からびている。


「こりゃまた..... なんとも」


 冷や汗を流しつつ、乾いた唇を舌で舐め回し、貴裕は落ち着かない面持ちで、それでも持っていたレンチを振り回した。

 するとそこにも、ぶわりと白い影が湧き出でる。

 どんっと空気が重くなり、貴裕の全身が何かに絡み付かれたかのように動けない。


《触れるな、我らの記憶に》


《痴れ者が。疾く去ね》


 ぐっと四肢に力を込める貴裕。


 その弟を狙い、襲おうとする狂暴な影らを思わず雅裕は腕で叩き落とした。

 前世で怨念達と融合していた雅裕は、今世でも深く繋がっている。他の者らには触れない影に雅裕だけは触ることが出来た。

 今も怨霊の妨害を跳ね返して動ける。


「は.....っ、やっぱりか。おまえら、僕からは生気を奪えないんだなっ!」


 ははっと小さく笑い、雅裕は貴裕を庇って白い影らを牽制する。右往左往する奴等が滑稽だ。


「今のうちだっ、壊せ、貴裕っ!」


「応っ!!」


 雅裕の反抗に意識を持っていかれた怨霊の力がふと弱まり、その隙を貴裕は見逃さない。 

 力任せに大きなレンチを振り回して、がしゃがしゃと骸骨を叩き壊していく。


《やめろっ! 我等の記憶がっ!》


《力がっ!!》


 骸骨を壊すたびに白い影が薄れ、減っていく。やはり、これが奴等の源だったのだ。

 無我夢中でレンチを振り回し、片っ端から骨を砕く貴裕。まるで何かに取り憑かれたかのようなソレを見て、怨霊達は絶叫する。


《よせっ、我等と同化しているそなたも死ぬぞっ!》


 雅裕の眉がピクリと動いた。


《前世からの因果は繋がっている、そなたと我等の命運もっ!!》


 だから、どうした?


 ニタリと鋭利に口角を歪める雅裕。


《やめてくれぇぇぇっっ!》


 怨念達の絶叫は、同化している雅裕にしか聞こえない。


 ざまあみろっ!!


 情けない雄叫びを残して消えていく怨霊に、雅裕は前世からの溜飲を盛大に下ろした。


 そしてしだいに遠退く意識の中で、雅裕は怨霊達の高笑いが聞こえた気がする。


 そなたも道連れだ。.....と。


 望むところよ。


 前世で犯した多くの過ち。それを思い出した今、雅裕は生き残ろうなどと思ってはいない。

 今世でも貴裕や敦を閉じ込め、あのままだったら再び凶行に及んだかもしれないのだ。

 それを思うと背筋がゾッとする。


 遠退く意識の中で走馬灯の様に巡る今世の記憶。


 愛する万由と結ばれ、子供が生まれ、仲睦まじく暮らせた日々。

 些細な嫉妬で自ら木っ端微塵にしてしまったが..........


 ..........良い人生だった。


 どろりとした空気が霧散し、殆どの骸骨が残骸と成り果て、びしょ濡れな汗を拭う貴裕。


「こんなもんか。これでアイツらも悪さは出来ないだろうな」


 はあはあと息を呑み込み、振り返った貴裕の視界に映ったのは、力なく頽おれた雅裕の姿だった。


「兄さんっ?!」


 慌てて踵を返した貴裕は、思わずつんのめり、それでもそのまま膝立ちで雅裕に取りすがる。

 今にも事切れそうな細い息の下、雅裕は貴裕の頬を撫でて薄く微笑んだ。


「前世で..... 奴等に囚われた僕の罪は消えなかったみたいだ。.....ありがとう、貴裕」


 コトリと落ちる雅裕の腕。


 真っ白な顔の兄は、前世同様、微かな笑みを浮かべて往った。


「は.....っ、はははっ」


 深い洞穴に狂ったかのような貴裕の笑い声が谺する。


「結局、こうなるのかよぉぉーーーっ!! あ? 楽しいかっ?!」


 天を睨み付けて慟哭する貴裕の瞳からは滝のように涙が零れ、抱き締めた雅裕の頬にポタポタと滴っている。


「ああ、同じさ。未来は変わらなかったっ! さぞ滑稽だっただろうな、俺らが血眼になってもがく姿はさぁっ!」


 誰にともない悪態をつきつつ、貴裕はおもむろにメスを取り出し、己の両手首を切り裂いた。

 噴き出す血汐を軽く舐め、雅裕を抱え起こすと、洞穴の壁にもたれかかる。


 前世もこうだったな。


 独りぼっちにはしないから。絶対に。


「でも、今回は幸せだったよね? 万由ちゃんと結婚して、子供も生まれて。また..... 壊れちゃうなんて.....思いもしなかった.....けどっ」


 前世の失敗は覆した。雅裕は良い人生を送れた。それだけで十分だ。


「悪態ついてゴメン、神様。だから..... また兄さんと.....」


 ..........兄弟にしてください。


 急激な出血から遠退く意識の中で、貴裕は愛する妻と子供らを思い浮かべた。


 ああ..... 良い人生だった。


 幸薄かった前世を幸せに塗り替え、満足げな顔で二人が旅立った頃。




「奴等が消えたっ! 今の隙に貴裕らを!!」


 右往左往しつつも待機していた一真達によって貴裕と雅裕の遺体は発見される。


 密やかな葬儀が執り行われ、二人は丁寧に埋葬された。





「.....未来は変わったのに、結末はかわらなかったな」


 秋が深まり、低くなった空を見上げる敦。

 悲嘆に暮れた数ヶ月が過ぎ、世の中は何事もなかったかのような日常を取り戻す。


 敦は知らない。貴裕と雅裕が本当の意味で未来を変えた事を。


 白い影らが守り、解き放った兄妹の魂が救われた事を。


 前世であれば、敦と万由が迎えに行くまで、双子はネグレクトされ、酷い有り様であった。

 今世も、白い影が暴走しなければ、嫉妬に狂った雅裕によって、子供らは虐待を受けるところだった。

 

 すんでのところを敦と貴裕が止めたのである。


 さらには怨霊達の影響で残忍に育っていた双子から、その思考が消え去ったのだ。

 今の二人は、ただの無邪気な子供に戻っていた。


 そして、歪んだ兄弟の運命は変わらない。どんなにもがこうと、この日、二人の寿命は尽きるのだ。


 白い影達は双子を幸せにするため時間を遡らせた。暖かな家庭に生まれ変わらせた。

 それが歪み、危険をはらんだことで、わざと雅裕を暴走させ、双子から引き離したのだが、まさかそこで雅裕達に返り討ちされるとは思ってもいなかった事だろう。


 歪な兄弟と怨念らは相討ちとなり、ある意味、貴裕は兄の仇を獲ったのである。


 誰も知らない復讐が幕を下ろし、あとは静かに見守られるだけ。




「いずれ..... うん。未来は変わらないんだから」


 敦は頬に微かな朱を走らせて、万由らの住む家に向かう。

 前世同様、雅裕と貴裕の子供を見守り育てるために。最愛の万由を支えるために。


 そしていつか、その隣に立つために。


 こうして長い悪夢は終わり、夏物語は幕を閉じた。


 森羅万象、全力で愛し、愛され、いずれまたどこかで、誰かの新たな夏物語がはじまるかもしれない。


 

 二千二十二年 一月五日 脱稿

      美袋和仁



~後書き~


 はい、御粗末様でした。


 なるべく人死にの出ないよう書きたかったのですが、どうしてもこうなりました。


 ここまでは想定内の話で、やり直しのなのに救われない二人を何とか生かしたかったのですが..... 曲げられませんでした。作者の力業でも、なんともなりませんでした。


 後味の悪い話で申し訳ない。


 皆様の御多幸を御祈りしつつ、さらばです。また何処かで。


 By. 美袋和仁。

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雛鳥の籠 ~朽ちた卵~ 美袋和仁 @minagi8823

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