第2話 ~籠~


「こんな子、産むんじゃなかったわっ!」


 薄れる意識の中で、彼は母親の怒号を聞いていた。

 殴られ蹴られ、ボロボロになった少年を父親は冷たく見下ろし担ぎ上げる。

 そして雅裕と呼ばれる少年は、病院地下の霊安置室へ連れていかれた。


 山の中腹にあるこの病院は、元々、旧日本軍の研究所をそのまま改築したものである。


 ここを買い取った雅裕の父親は、ある日、霊安置室内最奥に存在する謎な扉に気がついた。

 遺体安置用のベッドを出して中を掃除していた時。ふと感触の違う一メートル四方の壁を見つけたのだ。

 見かけは周囲の壁とは変わらない。触らなければ違和感にも気づかないだろう。


 叩いてみると、壁とは違う軽い音。


 不思議に思った彼がペタペタと触っていると、ふいにその壁が奥へ揺らぐ。

 キィーと音をたてて内側へと開いた壁は、巧妙に隠された扉だった。


 おっかなびっくり覗きこんだ雅裕の父は、その足元に穿たれた深い穴と、頑丈に設置された縄梯子を見つける。

 穴は深く、底が見えない。

 縄梯子は上に巻き上げられて、ゴツいロープで結わえてあった。

 ゴクリと固唾を呑み、雅裕の父は、その怪しげな穴を降りてみたのである。




「そうして見つけたのが、ここだ」


 感慨深げに周囲を一瞥して、雅裕の父親は呟く。

 地下には上の病院よりも広い施設があった。多分、軍の研究所だったころの名残だろう。

 誰が何の目的で残していたのかは知らないが、その誰かが病院を手離し、たまたま雅裕の父が手に入れたようだ。

 どうやら植物の研究をしていたらしい施設内は、大きな栽培区画と、複数の研究室、居住区、そして何故か十メートル四方で鉄格子のはまった牢屋がある。

 捕虜か何かの収監場所だったのかもしれない。

 中には三段ベッドが四台と洗面台。そして深い穴だけのトイレがあり、洗面台などは上の病院の水道管と連結しているようで、未だに使用可能だ。

 自家発電も備わっていて、ガソリンで動く古いタイプの物。

 ここだけで生活が可能な施設は、ある意味、防空壕か避難所だったのだろう。想像の範囲でしかないが。


 父親は、その檻に雅裕を投げ入れ、忌々しげに口を歪める。


「お前のせいで母さんが壊れてしまいそうだ。まさか俺の息子がキチガイだったとはな。くそっ!」


 雅裕の父親はガシャンと大きな音をたてて鉄格子の扉をしめ、太い鎖を通して南京錠をかけた。

 冷たく錆びた鉄格子。その向こうから朽ちかけた鉄よりも冷酷な眼差しで見つめる父親。


「食い物は持ってきてやる。ここで反省しろっ!」


 そう吐き捨てて、父親は足早に来た道を戻っていった。

 何が起きたのわからないまま、雅裕は胡乱げな眼差しで横たわる。

 殴られ蹴られ、火照る全身が剥き出しの冷たいコンクリートを心地好く感じていた。


 死ぬのかな.......


 朦朧とした意識に沈み、雅裕は自分を抱き締めるように丸まる。

 今までも両親から愛情らしいものを感じた事はなかった。

 ただ食事をさせ、入浴させ、勉強をさせ、眠らせる。そこに義務以外の何かはなく、母親は、雅裕が成長するとその大半を家政婦に任せるようになった。

 家政婦こそ仕事である。義務以下の作業的な生活が、雅裕と貴裕の全てだった。


 しんしんと冷たく降り積む寂しさの欠片。


 凍えるような両親の無関心さ。まるで、二人が眼に入らないかのように、それぞれ好きな事に没頭し、厭われる。

 何かを求めれば鬱陶しそうに唾棄するがのごとく睨まれ、知らず二人は沈黙した。

 それは容易く幼子の精神を蝕み、雅裕と貴裕は自傷行為に耽る。

 血が滲むほど爪を噛んだり、腕や足の体毛を一本一本抜いては、ノートの真っ白なページに綺麗に並べて、セロテープで止めたりした。

 それが眉毛や睫毛にまで移行した時、両親にバレて、こっぴどく叱られた。

 普段は無関心なくせに、こういう時だけは、やたら渦干渉な両親。


 殴られながら兄弟は学習する。

 

 己の両親とのつきあい方を。


 バレてはいけないのだ。雅裕と貴裕は学習し、自虐を止めて山の中で捕まえたカエルやトカゲなどの小動物を虐待するようになった。

 のたうつ生き物。滲む血液。えもいわれぬ興奮が心の虚無感を埋めてくれる。

 この生き物は、自分の手に反応している。応えてくれていた。

 ああ、今、この生き物は自分達を認識して暴れている。


 知らず微笑み合う兄弟。


 だが、きっと、これもバレてはいけない。


 二人は慎重に事に及んでいた。


 しかし、ある日、それは一気に瓦解する。


『何してるの?』


 背後から声をかけられ、雅裕と貴裕は背筋を凍らせた。

 恐る恐る振り返ると、そこにはショートカットの少女。春の花で拵えた冠をかぶり、不思議そうに雅裕達を見ている。


 あの花を摘むために林の奥まで入ってきたのか。


 少女は雅裕の手にあるモノを見て大きく眼を見開いた。

 ズタズタにカッターナイフで切り刻んだトカゲ。だらりと舌をたらして、ピクピク痙攣している哀れな小動物。


 きっと、この子は悲鳴を上げるだろう。そして家の両親が聞き付けて、僕達を殴るに違いない。

 前に睫毛を全部抜いた時もそうだった。


『なんて馬鹿なことをっ、おまえは馬鹿なのか? 俺は馬鹿な息子など要らないぞっ?!』


 そう言って、父親は雅裕を何度も殴った。雅裕は顔がパンパンに腫れ上がり、学校も休まされ、部屋に監禁された。

 次に同じ事をやったら、二度と外には出さないと脅されて、兄弟は自傷行為を止めたのだ。


 しかしその反動で、今のような虐待遊戯にのめり込んでいる。


 きっと、この子は叫ぶぞ。気持ち悪いっ、近寄らないでっ、誰かーっと。


 止まらぬ冷や汗を拭う事も出来ず、雅裕は来るべき瞬間を待った。

 しかし、いつまでもたっても悲鳴は上がらず、訝った彼が、そっと顔を上げると、そこにはしゃがみこんでトカゲを見つめる少女の姿。

 その瞳に温度はなく、怒るでも泣くでもない、不可思議な顔。むしろ淡い笑みすら浮かべている。


『.....綺麗な指ね』


 はっと我に返り、雅裕が自分の指を確認すると、そこはトカゲの血や体液でぬるりと鈍く光っていた。


『そのっ、.....怖くない?』

『全然? 濃いピンク色で綺麗』


 思わぬ言葉に、雅裕は鼻の奥がツンとする。


 嫌悪も何もなく、自然体で兄弟を見つめてくれる少女。


 ここから、不可思議な少女と、歪んだ兄弟の交流が始まった。


 朦朧な意識の中でも、鮮やかに蘇る幸せな日々。


 その脳裏に浮かぶ、愛おしい少女。

 先ほど殴られていた時、彼には窓から覗く彼女の顔が見えていた。泣きそうに歪んだ可愛らしい顔。


 雅裕の身体の奥が仄かに疼く。


 可愛かったな、あの顔。


 残忍に口角を歪め、彼はズボンの後ろポケットから何かを取り出した。

 それは血のついたピンクのリボン。

 刃物でカエルを滅多刺しにしていた時、うっかり指を切ってしまった雅裕に、少女が巻いてくれたリボン。

 自分の血で汚れたリボンを口許で握りしめ、雅裕は至福の笑顔で眠りについた。


「泣かないで、まゆちゃん.....」


 ここから雅裕を見た者はなく、彼は行方不明と噂されるようになる。




「ほんとに来たんだ?」

「なによ、それ」

「五月が誘ったんでしょう?」


 深夜の町外れ。街灯もなく、それぞれが懐中電灯を片手に、やや遠くの山に繋がる一本道に立っていた。

 五月は仏頂面な二人を見つめ、思わず呆れたような笑みを浮かべると、昼の約束どおり訳を説明する。


「姉さんだったんだ」


 三人は廃病院に向かいながら、山にそった坂道を歩いた。その道中、五月はポツリポツリと家族の話をする。


 それはありふれた話だった。


 家庭不和で離婚した五月の両親。五月は父親に、五月の姉は母親に引き取られ、母親と姉は母親の故郷へ引っ越していった。


 ここから、穏やかではない話が始まる。


 特に便りや付き合いもなく、しだいに記憶も薄れ、当たり前の日常を過ごしていた五月。

 そんな五月の父親が、ここしばらく挙動不審だったという。

 五月が聞いても何でもないとしか言わず、訳が分からないまま数ヶ月が過ぎたころ。


 いきなり五月の母親が現れた。


 そして否応なしに家族会議となり、初めて五月は姉が行方不明者の一人である事を知ったのだ。

 春先に行方不明になった女子高生。それが五月の姉だった。

 五月はたまにしか思い出さなかったが、姉はいたく五月に会いたがっていたらしい。

 それがこうじて、姉は五月が通うであろう自宅近くの高校に入学し、五月を影からそっと見ていたのだとか。


 ある意味ストーカーだが、今を楽しそうに暮らす五月に声をかける事も出来ず、ただ見つめるだけの数年間だった。


 母親の反対を押しきっての一人暮らし。妹を見守るだけで幸せな彼女は、趣味のバードウォッチングへ出掛けてから消息を絶った。


 バイト先を無断欠勤した事から発覚し、母親はずっと姉を探していたという。

 父にも連絡して、二人で探し回り、何も手掛かりを掴めないまま、一年が過ぎてしまった。

 そこで悲しみにうちひしがれた母親は思いだしたのだ。


 自分には、もう一人、娘がいた事を。


 結果、母は父親に五月を引き取らせろと迫ったらしい。

 それが、この数ヶ月間、父の挙動不審の理由だったのだ。


 ぎゃあぎゃあやらかす両親など、アウト・オブ・眼中。

 五月の頭の中は、行方不明になったという姉の事で一杯である。


 おぼろげな記憶の中で笑う姉。


 薄情な妹の事を忘れもせず、近くにあろうとしてくれた姉。


 あの姉が行方不明?


 こうして五月は、いてもたってもいられず、今回の捜索に踏み切ったのである。


「そっかぁー」

「お姉さんが..... なるほどねぇ」

「うん」


 うつむき、言葉少なな五月。


 普段の快活な笑顔はなく、悔しげにしかめられた顔。

 それを見て、万由も昔話をした。


「実はね......」


 子供だった自分が犯した過ち。それによってボロ雑巾のようになり姿を消した雅裕。

 さらに同じ場所で行方不明となった敦。


 事の経緯を聞き、五月と千歳は茫然とする。


「そんな事が..... そりゃ、忌避する訳だわ」

「うんうん、今からでも戻る? 無理は良くないよ?」


 心配気に見つめる二人に、万由は力無く首を振った。


「ううん。引きずってきたトラウマなんて、ただの言い訳だよ。アタシが思いきって確認しておけば、敦の時に大人を頼れたのかもしれない。もう、二度と逃げたくないんだ」


 そうだ。あの日、逃げ出さずに大人に相談していたら、まぁ君も救えたかもしれない。

 泣いて布団にくるまり、ガタガタと震えているうちに、まぁ君は消えてしまった。


 今回も同じだ。


 ここで逃げたら、きっとまた後悔の海で溺れる羽目になる。


 万由の決意を聞き、三人は押し黙ったまま山道を歩いた。


 その山の中腹にある廃病院を目指して。




「思ったより綺麗だな」


 三人は件の廃病院の前に立ち、それを見上げる。

 幸運な事に、質の悪気な輩にも当たらず、すんなりと辿り着けた。

 女三人である。万一、変な奴等に絡まれたら...... 相手は五月らの餌食となっただろう。


 彼女はスタンガンや催涙スプレーなどの護身具を大量に持ち込み、万由と千歳にも渡していた。

 万由が受け取ったのは警棒タイプのスタンガンと掌サイズの催涙スプレー。

 そして、首から下げるタイプの防犯ブザー。


 万由はパンツの腰の後ろにスタンガンを捩じ込み、右ポケットへ催涙スプレーをしまった。


 そんなこんなで準備万端でやってきた三人は、無言で廃病院の周囲を見渡してみる。


 途中にも撤去され損なったキープアウトの黄色いテープが残っていたが、建物周辺には丸っとそのまま黄色いテープが張られていた。

 それ以外は特に変わりはない。ただのコンクリートの建物だ。


 放棄されてからまだ十年ほど。外観は、大して朽ちていない。

 ただ、人のいない建物独特な、閑散とした煤けた雰囲気は否めなかった。


「バイクと同じだな。人が手をかけてやらないと死んだようなもんだ」


 廃屋独特の寂れたような風情。


 当然、入り口は施錠されている。


 だが、ここには五月が居た。


 彼女は懐から、おもむろに使い込まれた鈍色の箱を取り出す。


 常に五月が持ち歩くツールボックス。

 古い学校の年季の入ったロッカーなどがヘソを曲げたりした時に大活躍し、万由と千歳にはお馴染みの道具である。


 因みに中身は何でもありなカオス状態。持ち主である五月にしか、何が何やら分からないツールだらけだった。


 そして彼女は数本の金串のようなツールを取ると、鍵穴をカチャカチャと何度かまさぐる。

 しばらくしてカシャっと音がし、扉が静かに開いた。それを見つめて、五月はニッと口角を上げる。


「お見事」


 思わず感嘆の眼差しを向ける万由と千歳。


「褒められたモンじゃないがな」


 自覚あるんだ?


 家業の延長で覚えた技術らしいが、確かに褒められたものではない。

 だが、今この場では有り難い技術だった。

 彼女が居なくば。どこかの窓でも壊して入らなければならなかっただろう。

 不法侵入だけなら、廃屋な事だし御説教で済むかもしれないが、器物破損まで加わったらそれで済まない確信がある。


 曖昧な苦笑いで誤魔化しつつ、三人は廃病院の中へ入っていった。


 中もあまり荒れてはいない。


 待合室のソファーやカウンター。積もった埃や汚れはあれど、掃除をすればそのまま使えそうである。


 その埃も踏み荒らされ、警察が隅々まで捜査した後が残されていた。


 そしてふと、万由は段ボールに纏められた小さな山に眼を奪われる。


 壁際に残された古びたヌイグルミや絵本は万由も覚えていた。

 よくこれを、こっそりと持ち出しては、まぁ君や、その弟のタカちゃんと林の中で遊んだものだ。

 思わず万由の顔に懐かしい笑みが浮かぶが、そんなノスタルジーに浸っている場合ではないと、軽く頬を叩いて気合いを入れ直した。


 そして、取り敢えず三人は一階を回ってみる事にする。


 薬剤室や検査室。小さい病院ながら、田舎町唯一の病院だ。レントゲンなど、広い範囲の検査が出来るようになっていた。


 そういえば、事務や調剤、レントゲン技師とか、結構な人数がいたっけ。


 またもや思い出に引きずり込まれかかり、万由は慌てて沼った片足を引っ張り出した。


 危ない、危ない。何か、おかしいぞ、この場所。

 今まで朧気だった記憶の端々が、やけにリアルに感じられる。

 走馬灯のごとく彼女の脳内に溢れるセピア色の風景。


 町で唯一の病院はけっこう流行っており、万由の遠い記憶の中に裕福そうな少年一家の姿が浮かぶ。

 朧気な記憶だが、その幸せな一家を踏みにじったのは自分だった。


 ごめんね、まぁ君。


 言葉に尽くせぬ後悔の残滓が、ぞわりと万由の背筋を這い上ってきた。

 あの時、万由は間に合わなかった。しかし、今回は間に合うかもしれない。

 自己欺瞞だ。ただの独りよがりだ。それでも万由には、これしかないのだ。


 二階の病室を回りながら、ふと五月は、階段が地下にも向かっている事に気がついた。


「地下もあるんだ?」

「ああ、たしか倉庫と霊安置室があったよ。ほら、ここ田舎だしさ」


 人死にが出ても、すぐには準備が揃わない。事故や災害が起きれば、唯一の病院であるここに全ての患者が集まる。

 なので、通常よりも大きな施設になっているのだ。

 霊安置室も十数人を収用出来るキャリーが用意してある。


「確認だけしておこうか」

「うん」


 そう言いつつも、霊安置室など病院で行きたくないランキングナンバーワンな場所。

 恐る恐ると地下へ向かう三人の足音だけが、不気味に静まり返る廃屋に響いていた。


「うっわ...... 如何にもだなぁ」


 無機質なコンクリート四方の部屋。


 正面には祭壇的な物があり、左右の壁にはキャリーを収納した扉が設置されている。


 その前に置かれ花瓶や香鉢。


 各々扉を開けてキャリーを出したり、祭壇の裏や、控え室などを覗いたりしたが、特に目新しいモノはない。


 そりゃあそうだろう。警察だって調べまくっただろうしなぁ。


「これで全部かな? ......やっぱ、なんにも無いか」


 あからさまな落胆を隠しもせず、五月は深く項垂れた。

 期待をしていなかったとなれば嘘になる。大人には分からない何かがあるかもと思っていた。


 だが現実は儚いモノだ。


 大して広くもない建物の探索は、あっという間に終わってしまった。


 しかし、そこに一陣の風。


 湿った生暖かい風が、ふいに何処からか吹いてきた。


「「「え?」」」


 揃って呟く異口同音。


「風? どこから? ここって地下だよな」


 慌てて周囲を見渡す三人。


 霊安置室の扉は閉まっている。空調は動いていない。なのに微かな風は、未だに室内の空気を揺らしていた。

 万由はちゅっと指を咥え、唾液で湿らせたそれを立てる。

 湿った部分に当たる風が指を冷やし、その方向を教えてくれた。


「こっちっ!」


 風が吹く方向には先ほど調べた死体安置用のキャリーがあった。

 それを収納する壁の扉の奥から、微かな風を感じる。

 気味が悪いほど薄暗い壁の穴。

 だが万由は躊躇いもせず、その扉の奥へ入っていった。

 キャリーを引き出し、中を確認すると、薄く細い隙間が見える。

 壁に入った亀裂のような微かな隙間。それに万由が触れると、大した力もなく隠し扉が開いた。


「これ....っ、扉があるっ、さらに奥があるよっ」


 懐中電灯で照すと、そこには深く穿たれた穴に頑丈そうな縄梯子。

 狭い空間で押し合いへし合いしつつ、三人は顔を見合わせた。


 壁と寸分違わぬ扉。どうやら、やや噛み合わせが甘くなっているようだ。

 それが、霊安置室の扉を開けたり、キャリーを引き出したりした弾みで緩んだのだろう。


 たぶん、最近。でなくば警察がコレを見逃す訳はない。


 あからさまに怪しい隠し扉。その先にある謎な通路。

 これが行方不明者らと無関係な訳はない。

 むしろ、これが行方不明者らを生んだ原因なのではないか?

 だとすれば、この中には、人を拐ってでも口封じをしたい何かがあるのかもしれない。


 これは子供の手に余る。


「通報すべきなんじゃ?」

「だよね。うん」


 今回は間違えない。


 万由はスマホを取り出して通話を開いた。


そして絶句する。


「圏外?」


 開いたスマホのアンテナは一本も立っていなかった。


「地下なせいかな? いったん外に出ようか」

「待った」


 穴から出ようとした万由と千歳を五月が止める。

 そして懐中電灯に照らされた足元を剣呑に見据えた。


「ここ、埃とかが殆どない。むしろ靴のキック跡がある。誰かが頻繁に出入りしてるよ」


 照らされた床には複数のキック跡。


 思わず万由の背筋に悪寒が走る。つまり、今、こうしている間にも、その誰かが来るかもしれない。

 そして、はっと後を振り返った。


「玄関っ! 開けっ放しじゃなかった??」


 施錠してあった鍵が開いている。これだけでアウトだ。その誰かに侵入者がいると教えてしまうようなもの。

 血の気を下げて腰を浮かせかけた万由に、ぽややんとした声が聞こえる。


「ダイジョブよぅ。ちゃんと閉めてきたからぁ」


 ほにゃりと笑う千歳。


 万由と五月は安堵に力なく呟いた。


「「.....グッショブ」」

「当たり前じゃなぁい。女の子しかいないのよ? 戸締まりはちゃんとしないとね」


 無邪気に笑う友人を見つめつつ、すっごいそれじゃない感が万由と五月の脳内を過る。でもまあ、結果オーライか。


「どうする?」


 件の隠し通路を眺めながら無言な三人。


 ここで引き返したら、犯人と入れ違いになる可能性もある。

 万一被害者らがこの下にいるのなら、その一瞬が生死を分ける可能性もあった。

 今なら犯人側も三人の存在に気づいていない。自由に探索出来る千載一遇のチャンス。


 真剣な眼差しで御互いに目配せし、コクりと頷くと、三人は縄梯子を下ろして隠し通路を降りていった。


 ここから身の毛もよだつ惨劇の幕が上がる。

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