怒りと悔しさで
『――今のところ、俺はとくに好きな花はないけれど、ディティが好きなものは俺にとっても大事なものだ。きみが望むのなら、世界中の花を集める手はずを整えるよ。どんな珍しい花だって必ず手に入れてみせる。
ああでも、ディティが花にばかり構うと、俺が寂しいからほどほどに。きみからあらゆる花を遠ざけて、俺しか目に入らないようにしてしまいたくなる――』
リオルク様から日記帳が返ってきたため、わたしは学園の中庭のベンチに座って読んでいた。
最近、交換日記調を手渡されるとそわそわしてしまう。早く読みたくてたまらなくなってしまう。
それは新しいお菓子を買ってもらったときの感覚にも似ている。包み紙を開けるときの高揚感と同じで、彼の書いた文字が目に飛び込んでくる瞬間までドキドキが止まらなくなる。
読み終わったわたしは、うーんと首を傾げた。
リオルク様の文章はいつも不思議でいっぱいだ。今日も支離滅裂なことが書いてあった。これは一つのことに夢中になると他がおそろかになる、という教訓を婉曲的に表現しているのだろうか。
たしかに、わたしたちは学生なのだから日々の勉強と課題に集中をしなければならない。
後期のテストでは成績をあげたい。ということは日々コツコツと、ということだ。
第二校舎の前に広がる庭園にはバラ園がある。もうあとひと月もすれば、美しい光景になるのだろう。今はあいにくと緑色だらけだけれど。
次の日記のテーマは何にしよう。またデイジーに相談に乗ってもらわないと。
そういえば、デイジーは最近図書館にこもりがちだ。課題が大変なのかな。たしか彼女は文学関連の講義を多くとっている。
中庭からは図書館棟も見えるから、わたしはそちらのほうへ顔を向けた。
顔を上げたちょうどそのとき、図書館棟へ繋がる小道を歩く男女二人が目に入った。
金色の髪の背の高い男性と、はちみつ色の髪の気品あふれる女性。一目でわかる。リオルク様とアマリエ様だ。
二人が並んでいると、とても絵になる。
こうして二人が一緒に歩いている光景を、わたしは入学当初から何度も目にしてきた。
「あら、リオルク様とアマリエ様だわ」
「お二人が並んでいると、まるで一枚の絵のようだわ」
「ほんとう。とても美しい。神様に選ばれた番のようだわ」
くすくす、と聞こえがよしに話し声が聞こえてきた。
わたしは思わず、声のするほうへ顔を向けてしまった。
「あら、風景に同化をしていたから気づかなかったわ。フレアディーテ・バルツァーさん。あなた、そこにいたの」
隠そうともしない侮蔑の色。それが乗った声を出すのは、いつかの合唱の授業でわたしにソロを指名してきた先輩方だった。
あのときはアマリエ様の仲裁によって何事も無かったし、その後の授業でも絡まれることは無かった。
けれど、彼女たちはわたしを認めたわけではないのだ。
「……ごきげんよう、お姉様方」
「ねえ、あなたもあのお二人、お似合いだと思わない?」
わたしのあいさつを無視する形で、先輩の内の一人が尋ねてきた。
なんて答えるのが正解なのだろう。わたしのほうがアマリエ様よりもリオルク様に相応しいと宣言すればいいのか。まさか。だって、わたしはアマリエ様のように美しくないし、貴族でもない。成績優秀でも無ければ生徒会のメンバーでもない。どうみても負けの要素しかない。
いや、ここで何を答えればいいのかなんてわかり切っている。
彼女たちにこう言えばいい。「わたしは、リオルク様に相応しくありません」と。彼女たちが望んでいるのはその台詞だ。
確かに、その通りだ。わたしは何もかもアマリエ様に負けている。
それでも、とても惨めで仕方がないのに、わたしはそれを口にしたくはない……。
「わたしは……あの」
「なあに、聞こえないわ」
くすくす。笑い声がやけに強く耳に響く。一年生のわたしが、三年生の先輩方に反論をしようとしている。
正直、口から心臓が飛び出しそうなほど緊張している。酸欠気味になり、目の前が白くなる。
「だれが、相応しいとか、では……ありません。わたしが……リオルク様の、こん……やくしゃ……です」
言い切ったときには、喉がからからに乾いていた。心臓が早鐘を打ちすぎていて、そのうち壊れてしまうかもしれない。
先輩方は、わたしがまさか反論をするとは思っても見なかったようで、ぽかりと口を開けている。
わたしだって、未だに信じられない。
なんて、大胆なことをしてしまったのだろう。
「なによ……所詮はお金で手に入れたくせに」
先輩の内の一人が立ち直ったのか、わたしをぎろりと睨みつけた。
「大層なお金持ちですものね。裏で何をしたら、あそこまで稼げるのか。お父様も不思議がっていたわ。まあでも、爵位を持たない人間だからこそ、お金にも汚くなれるのかしらね」
「あなたのお母様もお可哀そうに。お金で買われてしまったと、評判じゃない」
「なっ……」
お母様のことまで口にされて、わたしはいよいよ頭の中が真っ白になった。
両親は、恋愛結婚だ。二人ともとても仲がいい。わたしのお父様は、お金で誰かを買うようなことはしない。
お母様はお父様のことが好きで、結婚をした。これだけは間違いない。
「おかげでバルツァー家は貴族と縁続きになれたものね。あなたも貴族枠での入学ですってね。卑しい人間の考えることだわ」
怒りで口をきけなくなったわたしに、先輩方が追い打ちをかけていく。
「俺の知る限り、フレアの両親は互いの気持ちを確かめ合ったうえで結婚をしているし、ディラン・バルツァー氏は卑怯な手を使うお人ではない。彼が稼いだ金は彼の手腕による、正当なものだ」
「リオルク様!」
先輩方が飛び上がった。
いつの間にか、わたしたちの近くに、リオルク様が佇んでいた。
どうやら先輩方はわたしへの攻撃に夢中でリオルク様たちが近づいて来ていることに気が付いていなかったらしい。それはわたしも同じことだった。
「きみたちの両親は娘にとても素晴らしい教育を施したようだ。人を貶めることで己の優位を保て、と。なるほど、さぞ自慢の娘に育ったようだ」
「なっ……」
リオルク様の痛烈な皮肉に、先輩たちが顔色を失った。それに、リオルク様の少し後ろにはアマリエ様も立っている。
彼女たちは二人を交互に見て、さらに顔色を悪くし、
「ディティ」
リオルク様は彼女たちに興味を失くしたようで、足早にわたしのもとへ近寄った。
ベンチに座るわたしの前に膝をつき、腕を伸ばす。
紺碧の瞳にいたわりの色が乗っている。こちらを包み込む、優しい眼差し。その揺るぎのない色に、泣いてしまいたくなる。
悔しくて悲しくて。人からの悪意なんて久しく忘れていた。
小さいころに仲間外れにされていたことなんて、わたしには遠い過去のことで。それ以上に両親や親せきに甘やかされて優しくされて、友だちもできて、楽しかったから。
暖かい毛布にくるまれているような、優しい世界で生きてきたわたしにとって、ああいう悪意を浴びるのは初めてのことだった。
わたしのことが気に入らないのなら、わたしだけを攻撃すればいいのに。
どうして何も知らない人が両親のことを悪く言うの。
あなたたちは普段、わたしたち家族がどれだけ仲がいいか、知ることもないくせに。お父様とお母様がどれだけ仲がいいかなんて、見たこともないくせに。
「ディティ、我慢しなくてもいい」
わたしは歯を食いしばって、
リオルク様は、わたしを甘やかすように頬に触れる。砂糖菓子のように誘惑に満ちた声だった。彼に身を委ねてしまいたくなる。悲しいと泣いて
このまま、リオルク様に甘えてしまえばどんなに楽だろう。
目の前の誘惑から寸前で目を逸らすことが出来たのは、先ほどのやり取りをアマリエ様も見ていたという事実だった。
今も、まだこの場にいるのだろうか。
俯いているわたしには分からない。けれど、こんなにも惨めな姿を、泣き顔を、リオルク様に慰められている自分を、アマリエ様には見られたくない。
どうしても、彼女にだけは見せたくないのだ。
これは、わたしの意地だった。何に対するものかは分からない。
それでも、嫌だった。
わたしは、ぐいとリオルク様を押し返した。
「ディティ?」
リオルク様が怪訝そうな声を出した。
わたしはぐっと力を込めて立ち上がる。
「わたしは、大丈夫です。用事を思い出したので、これで失礼します。ごきげんよう」
リオルク様の顔を見ずに、一気に言い切り、わたしは彼らがやってきた方とは反対側に向かって走り去った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます