第3話 衆人環視のなかの婚約宣言!

 支度を整えた生徒たちが次々と寮から外へと出ていく。


「もうすぐ三月だというのに、寒いですわねぇ」


 ソーリアのうんざりした声にわたしたちは同意をする。

 いくら温かい羊毛の下着を身に着けていても、頬に触れる空気は冷たい。


 わたしたちの通う王立ルスト学園は全寮制の学校だ。入学は十六を迎える年の秋。三学年制で、三十年の歴史を誇る。生徒のほとんどは貴族階級の子供たちだ。


 将来国を背負う貴族階級の子供たちの結束を高めるために、という名目で設立をされたため、当初は貴族家の当主並びにその三親等の子息子女に入学許可が下りていた。


 時代は変わり、市民階級の発言力が増した現代、その門戸は広がった。社会的地位のある人間三人の推薦があれば市民階級の家の子供でも入学が許可されるようになったのだ。


 わたしはお母様が伯爵家出身のため、推薦ではなく貴族枠で入学をしている。わたしの祖父が伯爵だからだ。


 デイジーも父方のおじい様が男爵のため貴族枠だ。

 ソーリアは生粋の貴族の家のお嬢様。お父様は侯爵なのだ。


 普段通りに女子寮の門を出ようとしたわたしたちは異変に気が付いた。

 なにやら、周囲がざわざわとしている。


「どうしたのかしら?」

 ソーリアが眉をひそめた。


「なにかあったのかな?」

 デイジーが周囲の人間の顔色を観察する。


「怪我人とかではないようだけれど」


 続けて発せられたデイジーの言葉に、わたしも同意する。それだったらもっと騒然としているはずだからだ。それとは少し違う種類のざわざわ感なのだ。


 なんていうか、女子生徒たちの声が若干高い気がする。


「まあなんでもいいですわ。早く行かないと、一時間目の授業はテルニア語の授業ですわよ。後ろの席を取られてしまいますわ」


 テルニアは我がルストハウゼ王国の西隣に位置する国だ。

 教室の座席は早い者勝ち。黒板の目の前の席は誰だって座りたくはない。いや、一部の勉強熱心な生徒には人気だが、あいにくとわたしたち三人はできれば座席はうしろ派なのだ。


 門を潜り抜けたところで「フレア!」という声が聞こえてきて、わたしは思わず足を止めた。


 視界に飛び込んできた光景に、わたしは女子生徒たちの声の種類がどういうものだったのかに気が付いた。


「フレア、待っていたよ」


 わたしの姿を認めるなり即座に近づいてきたのはリオルク様だった。

 彼は平素ではありえないほどの笑みを携え、こちらに向かって一直線に歩いてきた。


「なっ……フレアですって?」

「うそでしょ……女嫌いのリオルク・フロイデンが……」


 驚愕で石化したわたしに代わって、ソーリアとデイジーが呟いた。


 わたしの喉はカラカラに乾いてしまった。それなのに、背中には嫌な汗がぶわりと浮き出した。


 ここは女子寮の門を抜けたすぐ前で、当然のことながら寮には一年生から三年生までが住んでいる。


 女子寮の前には男子寮と共用の大通りがあって、向かい側には男子寮が建っている。

 ようするに、ここは全校生徒が通る学園寮の敷地内。


 当然、このような場所でリオルク様に話しかけられれば、とても目立つというもので。


「フレア、今日からは毎日一緒に登校しようか。一時間目はテルニア語の授業だったね。教室まで送るよ」


 リオルク様は未だ石のように固まったままのわたしから、さらりと鞄を奪い取った。


「なっ……」


 小さな悲鳴は誰のものだろう。

 さあ、と促されて、わたしは我に返った。

 このままでは、わたしは死んでしまう。比喩ではなく、物理的に。


「フロイデン先輩。あ、あの。鞄返してください。わたしは……友人たちと一緒に登校をしているので」


「リオルク」

「え?」


「婚約者を姓で呼ぶだなんて、他人行儀過ぎやしないか、フレア。俺もきみのことはディティって呼びたいけれど、学園ではフレアって呼ぶから、きみもリオルクって呼んでほしい」


 周囲の騒音などお構いなしに、リオルク様がわたしの手を握りつつ、熱心に見下ろしてきた。

 近すぎる。慣れない距離感に、わたしの頭がぐるぐると回り出す。


「婚約者ですってぇぇぇ⁉」


 ソーリアの叫び声が響き渡った。

 婚約者というパワーワードに、周囲が騒然となった。


「まさか、そんな!」

「どこの誰がリオルク様の婚約者に内定したというの?」

「リオルク様の婚約者候補といえば、アマリエ様ではないの?」

「わたくし、すでに両家が結婚の約束をしたのだと聞いたわ」

「まあ! あの女子生徒はお二人の仲を引き裂いたというの?」


 喧騒がわたしの耳にも届いた。

 たくさんの声、声、声。


 頭の中が真っ白になる。どうしてこんなことになったのだろう。

 昨日の求婚は、あれは冗談ではなかったのか。


 いや、夢だったはず。頭の中が現実逃避を始めるのに、体の感覚の一部は妙に鋭くて。

 回りを取り囲む何人もの生徒たちの言葉を拾っていく。


「俺は、ここにいるフレアディーテ・バルツァーと昨日、婚約をした。これはフロイデン家とバルツァー家、両家によって認められた正式な婚約だ。急なことで驚いたかもしれないが、これからはフレアディーテのことは俺の正式な婚約者として扱ってほしい」


 頭上から、よく通るはっきりとした声が聞こえた。


 もしかしなくても、それはリオルク様の言葉で、それに呼応するようにあたりがしんと静まった。


 リオルク様が話し終わるとその場は静寂に包まれた。生徒たちの視線が突き刺さっているのを如実に感じる。

 彼らは何も発しない。


「さあ、行こうかフレア。遅れてしまう」


 リオルク様だけが穏やかな声を出し、わたしの背中にそっと手を添える。


 触れた場所が鋭敏になってしまう。びくりとしたのも束の間で、気が付くとわたしは彼に釣られるように足を踏み出していた。


 あとは惰性で足が交互に進みだす。

 わたしの隣にはぴたりとリオルク様が寄り添っている。


「今日も寒いな」

「……そうですね」


「昨日贈ったりぼん、今日は付けていないのか?」

「……ええと。恐れ多くて……」


「今度はお菓子を贈ろうか。ディティの好きな菓子店をショウケースごと買ってくる」

「そ、そんな。お気遣いだけで十分です」


 隣から聞こえてくるのは楽しそうで柔らかな声。


 一方のわたしはといえば、この状況についていけなくて声が上擦ったまま。

 一体、何が起こっているのだろう。未だに心臓がバクバクしていて足が地についていない感覚だ。


 まったくもって分からない。というか、ディティ呼びはしないっておっしゃっていませんでしたか? フレアよりも甘く聞こえてしまい、耳がおかしくなりそうだ。


 教室にたどり着くまでの間、わたしはほぼ上の空で、リオルク様と別れた瞬間に友人二人にがっしりと捕縛されたのだった。

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