第2話 いつもの朝
六時四十五分。起床の鐘が聞こえてくる。男子寮と女子寮の間にある時計塔の鐘の音だ。
二月の朝の凍てついた空気に身をぶるりとさせながら、わたしは寝台から抜け出した。
順番に顔を洗って、寝間着を脱いで制服に着替えたわたしは髪の毛を梳かしていく。
鏡に映るのは、薄茶に茶色の瞳という何の変哲もない普通の女の子。とくにこれといって目立つ要素も無いのがわたしだ。
すると隣から「ふわぁ」という大きな声が聞こえてきた。
「デイジー、昨日も夜更かし?」
「うん。キリのいいところまで読んじゃいたくって」
ストロベリーブロンドの髪に櫛を入れているのは同室のデイジー・シェーンハルト。肩までという、女の子にしては少々短い髪の毛は、彼女曰く「手入れが楽」とのこと。
デイジーは読書が大好きで、図書館の本を全部制覇する勢いで毎日何かしら読んでいる。昨日も共用の居間で毛布にくるまりながら、一人で本を読んでいた。
「結局、何時に寝たの?」
「たぶん零時は回っていたかも」
「寒かったでしょう。風邪ひかないように気を付けてね」
「毛布にくるまっていたから平気。昨日夜更かししたおかげで全部読み切れたし。今日図書館に返してきて、新しいのを借りてくる」
「まあ。夜更かしはお肌の大敵ですわよ。わたくしなんて、美容と健康のために消灯時間はしっかり守っているというのに」
会話に入ってきたのはもう一人のルームメイトであるソーリア・デュマ・グラーバッハ。
彼女は起床の鐘よりも前に起きて、身づくろいに余念がない。今日も洗顔のあと、念入りに化粧水やらクリームを顔に塗っていた。
美容に気を遣っているだけあって、ソーリアの白い肌にはそばかす一つないし、金色の髪の毛は艶やかだ。
「でも、社交に精を出すご婦人たちは夜更かし大好きでしょ」
「その分遅起きだからいいのよ。大事なのは睡眠時間ですわ」
「はいはい」
「返事は一回のみですわ!」
いつものやりとりをしつつ、わたしを含めた同室三人は濃紺の制服のスカートを少々乱しつつ、階下の食堂へと向かった。
今日は週初め。食堂もどこかいつもより賑やかな気配がする。
パンと卵料理、それからスープというお決まりのメニューの朝食の間も、年頃の女子たちの話は止まらない。
「昨日は外出をしていたのでしょう。どちらへ行かれていたの?」
「お母様と一緒にメルデンで買い物をしていたのよ。新しい靴を作ってくれることになったの」
「羨ましいわ。わたくしもおねだりをしちゃおうかしら」
漏れ聞こえるのは休息日をどう過ごしたのかという事後報告の数々。
「そういえば、フレアも昨日は外出をしていましたわね」
ソーリアが水を向けてきた。
「え、ええ」
「どちらに?」
「お母様のご友人のところへ。ええと、お誕生を祝ってくださるってことで」
「というと、どこか名のある貴族の家かしら」
わたしが生まれたバルツァー家は爵位を持たないが、お母様は伯爵家の出身である。
「え、ええと。……まあ」
興味津々なソリアンには悪いけれど、さすがにここでフロイデン公爵家の名前は出せない。
フロイデン家はこの国、ルストハウゼでも名門中の名門公爵家だし、今の生徒会長はその嫡男であるリオルク様。いくら彼とは疎遠であるとしても、家族と懇意にしていると知られたら、わたしは全女子生徒から囲まれてしまう。
それは避けたい。想像しただけでわたしの心臓がキリキリと痛みだす。いや、口から出てしまう。どっちもごめんだ。
「それはともかく、そろそろ春の新作コレクションの発表時期じゃない? 楽しみね」
「そうなのですわ!」
彼女の大好きなファッションの話題を口にした途端、ソーリアの瞳が輝いた。
嬉々として大好きなブランド店について語り始めたソーリアを前に、わたしはこっそりと息を吐き出した。
昨日あった出来事は、本当に現実のことだったのだろうか。
実は、白昼夢でも見ていたのでは、とひと晩経った今、そんなことを考えていた。
だって、あのリオルク様がわたしに求婚をするだなんて。
絶対にありえない。
冷静に考えれば考えるほど、あれは夢だあり得ないとわたしの心が主張をする。
彼なりの冗談だと、そう思えてくるのだ。
だって、わたしとリオルク様とでは身分が違いすぎる。
わたしの生家は貴族ではない。一応、商会をいくつか経営をしていて、事業は至極順調だけれど、爵位は持っていない。上中流階級ではあるけれど、平民であることには変わりない。
最近では領地収入だけでは食べていけない貴族の没落の話も耳にするけれど、フロイデン家はそうではない。領地から入る地代収入だけでもとんでもない金額になるという。交通の要所にある彼の土地は賑わっていて、発展しているからだ。
だからわたしの持参金を当てにすることもない。
それで思い出した。そもそも、わたしのお父様が許すはずがない。なにしろ、常々「フレアは一生結婚などしなくても大丈夫だ。お父様が一生不自由させないよ」なんて言っているのだから。
卵料理を咀嚼しながら一人でうんうんと頷いていると、ソーリアが「ちょっと、フレア。聞いているんですの」と大きな声を出してきて、わたしは慌てて「もちろんよ」と答えたのだった。
登校時間の悪夢を、このときのわたしは知る由も無かった。
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