第4話 お昼休みは波乱の予感1

 午前の授業の終わりを知らせる鐘の音が響き渡った。


「フレアディーテ・バルツァーさん。ちょっといいかしら?」


 授業の解放感に浸る間もなく、わたしは新たな災難の予感に「ひぃぃ」と肩を震わせた。


 目の前には同じ授業を取っていた、女子生徒の姿。友人たちを引き連れてわたしの座る机の前に、教師が退出したと同時にやってきた。


「あなたが、あの、リオルク・デュマ・フロイデン様と婚約したというデマが出回っているのだけれど。しかも、本日一限目のテルニア語の教室までリオルク様に送ってもらったのだとか。説明をしていただけませんこと?」


 ずいと怖い顔を寄せてきたのは同じ学年の侯爵令嬢でもあるヒルデガルドさん。


 わたしは口の中で悲鳴をあげた。彼女はいつもリオルク様のことを褒めちぎっているからだ。


 小心者のわたしの体が石のように固まってしまった。

 どうしよう。一体、何をどう説明したらいいのだろう。わたしだって、まだ消化しきれていないのに。


「説明も何も、フレアとリオルク様は婚約されたのですわ。親公認の正式な婚約者なのですわ。わたくし、この耳できちんと聞きましてよ。リオルク様のお言葉を」


 わたしの代わりに口を開いたのは、同じ授業を取っていたソーリアだった。彼女は立ち上がり、真っ向からヒルデガルドさんを睨みつける。


「なっ……、そんなの嘘に決まっていますわ! だいたい、フレアディーテの家は爵位を持っていない家柄ではありませんか」


「あら、お言葉ですけれど。フレアのおじい様は伯爵位を持っていらっしゃるのよ。それに、バルツァー商会といえばこのルストハウゼでも三本の指に入る大商会。いくつもの会社を経営していて、この国の経済を支えているのですわ。あなた、そんなこともご存じなくって?」


 なぜだかソーリアが胸を大きく反らした。


「入学時は、『どうして、このわたくしが貴族の家でもない子たちと同室なのよ!』って散々喚いていたくせにね」

「あはは……」


 同じく一緒の授業を取っていたデイジーがわたしだけに聞こえるように耳打ちをしてきた。


 力なく笑いながら、当時のことを少しだけ思い起こす。


 侯爵家の娘であるソーリアとの初対面は大変だった。貴族の家の本家に生まれた彼女は気位が高くって、同室のわたしの父が商会主だと知ったとき、それはもう大きな声で嫌味を言われたものだ。デイジーのお父様も男爵家の次男で、爵位を継ぐ立場にはない。貴族の血を汲むと言っても、本家と分家では扱いが大分違うのだ。


「ふんっ。いくら彼女の母上が伯爵家の出身だろうとも、フレアディーテは所詮市民階級の出身ですわ。そんな程度の女がリオルク様の婚約者だなんて、認められるはずもございませんわ!」


「あら、最近では上中流階級の娘が貴族の家に嫁ぐ事例だってございますのよ!」


 わたしの頭上ではヒルデガルドさんとソーリアが熱弁をふるっている。


 九月に入学をしてから数か月一緒の部屋で寝起きをしたおかげか、ソーリアは大分まるくなり、今では軽口だって言い合う仲になっている。


 それでも、侯爵家の娘である彼女がここまでわたしのことを庇ってくれるだなんて、思ってもみなかった。


「ソーリアはヒルデガルドさんのことをライバル視しているから、あれはもう彼女の言う言葉全てを否定してやりたいって心だと思う」


 じんわりしているとまたもやデイジーがわたしの耳元でこそっと呟いた。


「たしかに……」


 日ごろの二人のぴりりとした空気感を思い出して納得してしまう。


「そろそろ食堂に行かないと、いい席取られちゃうよ。ただでさえ、わたしたち一年生は肩身が狭いんだから」


 こんなときでもデイジーは己のペースを崩さない。立ち上がって、ぽんっとソーリアの肩に手を置いた。


 当然のことながら食堂には多くの生徒が集うわけで。お腹は空いているけれど、憂鬱になった。生徒会長であるリオルク様が婚約をしたという報せは電光石火のごとく学園内を駆け巡った。当然、相手がわたしということも知られているだろう。


 目立つことが大嫌いなわたしにとって、お昼休憩の一時間という時間は永遠にも等しい。


「そういえば、お昼の時間でしたわ。うるさい人間に構っている場合ではございませんでしたわね。さあ、二人とも行きますわよ!」


「なっんですってぇぇ」

 またもや激しい衝突かと息を呑んだ瞬間だった。


「フレア」


 教室の出入り口から、よく通る声に名前を呼ばれた。


 同級生の女子生徒たちが黄色い悲鳴をあげた。


 わたしは今すぐに逃げ出したい衝動に駆られた。しかし、悲しいかな足が一歩も動いてくれない。はくはくと、口を動かしていると、「失礼」と断りを入れて教室内に入ってきたリオルク様がいつの間にか目の前にやってきていた。


「お昼を一緒に食べようと思って迎えに来た。行こうか」

「え? え? え?」


 駄目だ。状況についていけない。


 というか、リオルク様と一緒とか絶対に無理。衆人環視の食事なんて、胃に悪すぎる。いや、食欲が急に減退していく。


「そういえば、フレアはいつもきみたち二人と昼食を取っていたのだったか。今日は俺も混ぜてほしい」


 リオルク様の麗しの低音声はソーリアとデイジーにもしっかり効果を発揮したらしい。

 二人にしては珍しく黙ったまま、こくこくと頷いた。

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