お出かけ当日

 休息日当日、わたしは朝からお出かけの準備に勤しんでいた。


 ライラック色のドレスは肌触りが良くてうっとりしてしまう。届けられた翌日にリオルク様にお礼を言ったら「俺の色に染めたかっただけだからお礼はいらない」という訳の分からない言葉を言われてしまい、わたしは、フロイデン家にはライラックがたくさん咲いているのかなと考えた。

 わたしは実のところ、フロイデン家の領地には行ったことが無い。


 きっちりとしたよそ行きのドレスのため、一人では着られなくて、寮付きの小間使いを呼んで着替えを手伝ってもらった。


 ライラック色のドレスにそれよりも濃い色の靴と、今日の装いは上から下まですべてリオルク様が用意してくださったもの。髪の毛はデイジーが編み込んでくれた。自分のことに関しては無頓着なのに、デイジーは髪の毛を結うのが得意なのだ。


 頬にうっすらと真珠の粉をはたいてもらい、最後に耳の後ろに香水をつけるかどうかでソーリアとデイジーが揉めている。


「フレアにはまだ香水は早いと思う」

「そんなことありませんわ。大人っぽさの演出ですもの」

「でも、それってソーリアの香りでしょう? リオルク様的に嬉しくないような」

「まあ、失礼しちゃいますわ」


「だって、フレアはいつも香水なんてつけていないじゃない」

「む。それは確かにそうですわね」

「つけるなら、フレアが自分で選んだものでないと」


「デイジーもたまにはいいことを言いますわね」

「たまには、は余計よ」


 二人の手を借りて身支度を整えたわたしは、一年生たちの注目を浴びながら寮の玄関へと降りていった。わたしとリオルク様が今日一緒に出掛けることは多くの生徒の知ることとなった。


 中には上級生のお姉さま方もわたしの姿を見に出てきていて、注目を浴びることが苦手なわたしは思わず俯いてしまう。


「フレア、しゃんとなさいな」


 横からソーリアの声が聞こえた。

 ヒルデガルドさんとの一件以来、ソーリアはわたしに対して少々手厳しくなった。


「う、うん」


 わたしはゆっくりと視線を元に戻した。

 たしかに、ヒルデガルドさんの言葉はわたしの耳にも痛かった。


 わたしはいつも誰かの後ろに隠れている。寮ではソーリアやデイジーに守ってもらってばかりで、外ではリオルク様に頼りきり。


 これでは将来、彼の隣に立つことはできない。優秀なリオルク様だ。今後はルストハウゼを盛り立てる人物となるだろう。そうなったとき、彼の隣に佇む人物にも当然注目が集まる。そんな人間が始終俯いていては、失笑を買ってしまう。


 もっと、強くならないと。心ではそう思うのに、弱気な自分はなかなかいなくなってはくれない。

 結局あのあと、ヒルデガルドさんともあまり話せていないのだ。


 小さいころの記憶はもう薄れていて、自分がだれにいじわるをされたのかも覚えていない。うっすらと残っている断片的な思い出の切れ端に手を伸ばしてみると、わたしは内気で人の輪に入れず、女の子たちから何かを言われて、じくじくと泣いていた。


 あれが、ヒルデガルドさんの言う、いじわるをされた一部だったのだろう。

 小さいころの友だちといえば、リオルク様と、他には屋敷の使用人の子どもや、お父様の仕事仲間の子どもたちだった。それなりに仲良くしてもらった思い出があるから、悲しい記憶は薄れていたのだろう。


「あなたはリオルク様の正式な婚約者なのですわよ。堂々となさいな」

「はい」


 玄関広間に到着をするとティモーゼ夫人まで事務室から出てきた。


「よいですか。いくら婚約者とはいえ、あなたはまだ学生なのです。それもまだ一年生。そのことをゆめゆめ忘れぬよう、常に節度ある行動を――」

「あー、そろそろ約束の時間じゃない?」


 長くなりそうな注意事項をデイジーが遮り、わたしの背中を押した。


「あっ……とっ。あの、いってまいります」


 わたしはぺこりと夫人に頭を下げて外へと出た。


「ディ……いや、フレアディーテ」


 野次馬を引きつれたわたしのもとに、リオルク様が近寄ってきた。


 彼はわたしをフルネームで呼んで騎士がするように、胸の前に手を置き、わたしの目の前で礼をした。

 今日は制服ではなくて、漆黒のフロックコートを身に纏っている。そのせいか、大人の艶やかさが一段と際立っている。


 もう子供ではない。大人になったリオルク様がすぐ目の前にいる。

 しっとりした金色の髪の毛が春の日差しを受けて輝いている。紺碧の瞳は英知に満ちていて、星の瞬きのよう。


「可愛いよ。私のディティ。そのドレスも似合っている」


 言葉を忘れてしまったわたしの耳元に、彼の声が落ちてきた。


「ひゃっ――」


 親密さをアピールするような仕草にわたしの肩がどきりと震えた。同時に背後から黄色い悲鳴が聞こえる。


 そこでわたしは思い出した。

 ここはまだ寮の敷地内。女子寮と男子寮の間を跨ぐ正面通りなのだ。


「リオルク様、早く参りましょう」

 恥ずかしすぎてわたしは彼を急かした。


「正面入り口に馬車を待たせてある。さあ、お手をどうぞ。私の姫君」


 うやうやしく手のひらを差し出されて、そこにまた歓声が上がった。

 顔に熱が集まり、わたしは早く逃げ出したい一心でリオルク様の言う通りにする。

 どくどくと、平素の動きを忘れたかのように心臓が何度も鼓動した。

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