合唱の授業1

 なんだかんだで交換日記が始まってしまった。


 わたしはとっても悩んで、それはもう、ものすごーく悩んで……。


 書き出しが『はじめまして、リオルク様』になってしまった時点で、文字通り机に向かいながら頭を抱えた。インクで書いているから修正なんてできるはずもない。


 単語の綴り間違いをしたら恥ずかしすぎて死ねる、とか色々なことを考えてしまい、だいぶ震えた字になってしまい、それに対しても頭を抱えた。


 結局、無難に家族構成と好きな食べ物、それから学園生活について当たり障りのない、自己紹介的な内容でページを埋めてリオルク様に提出をした。


 リオルク様は顔が溶けてしまうのではないというくらい、にこにことした表情で日記帳を受けとり、翌日にはさっそくわたしのもとに持ってきてくれた。


 この交換日記、毎日手渡すのだろうか。

 できれば三日に一度くらいの頻度の方がありがたい。でないと、書くネタが無くなってしまう。下手なことは書けないし……。

 今日は何を書こうか。いい天気でしたね、だけもいいだろうか。


 合唱の授業中、わたしはずっと気もそぞろだった。

 水曜日の午前のこの授業は女子生徒のみで、男子生徒は同じ時間剣技の授業だ。


 三年生の先輩たちが指導の中心になって、わたしたちはピアノの音に声を乗せていく。


 日記のことに気を取られ過ぎていたせいで、音を外してしまった。わたしは慌てて意識を授業に集中することにした。


 歌はきらいではないけれど、誰かの前で歌うことは苦手だった。

 わたしは小さいころから目立つことが苦手で、何をするにも誰かの後ろから様子を窺っているような子供だった。


「では、いまのところを誰かに歌ってもらいましょうか」


 三年生の一人が声を出した。


 この授業で何が一番怖いかって、それは突如指名され一人で歌わされること。

 わたしのような心の弱い生徒にとっては拷問も同然の時間である。


「でしたらフレアディーテ・バルツァーがいいのではなくって」


 突然に名指しをされて、心臓がきゅうっと締め付けられた。


「それはいいわね。あの、リオルク・フロイデン様の婚約者なのだもの。さぞかし才能があるのではなくって」


 もう一人、別の生徒が続けた。


 指名をされたわたしは凍り付いて動くことが出来なかった。近くの一年生の生徒たちが一斉にさざめき出す。


 リオルク様との電撃婚約は、確かに衝撃をもたらしたけれどわたしの回り、同級生たちは存外にあたたかかった。ヒルデガルドさんの追及をソーリアが庇ってくれたこともあるし、リオルク様との昼食での会話によるところも大きかった。


 彼はあれ以降ほぼ毎日わたしたちと昼食を共にしている。そこでの会話は主にソーリアによって同級生たちに伝えられているのだ。


 わたしとリオルク様の母親同士がこの学園の寮で同室だったことや、その後も仲がいいこと。わたしたちは互いに物心つかない頃からの幼なじみということが伝わり、なぜだか好意的に受け止められている。


 寮でも好奇な視線にさらされることはあったけれど、何かを言われたことは一度も無かった。だから、油断していた。


「フレアディーテ・バルツァーさん。前に」

「あ……」


 合唱の授業は基本的に生徒たちによって進められる。一年生から三年生までの女子生徒たちの合同で、合計四クラスに分けられている。指導する音楽教師は二人で、同じ時間に行われている別クラスと掛け持ちなのだ。


 先輩後輩の交流を促進する目的でもあるため、音楽指導は代々上級生が指導をすることになっている。


 もう一度名指しをされたわたしは、しかし凍り付いて足を動かすことが出来ない。

 こんなにも大勢の人間の前で一人きりで歌う? 恐ろしくてガタガタと震えてきた。


「どうしたの? あなたが前に出てこないと授業を進められなくってよ」


 くすくすと、嘲笑交じりの声がわたしに追い打ちをかける。

 声の主は三年生の先輩だった。


「あら、出て来られないのではなくって?」


 誰かが追従する。一年生以外の生徒たちの間に、わたしを嘲るような空気が出来上がっている。

 このまま気を失ってしまいたいと、足元がぐらつき始めたその時だった。


「ソロならわたくしのほうが自信がありますわ。フレアディーテに歌わせる前に、わたくしに歌わせてくださいな」


 わたしの耳に届いたのは、凛とした高い声。それはソーリアのものだった。

 突然のことに、みんな呆気にとられる。とくに、わたしを名指しした上級生の生徒たちの顔が険しくなった。

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