十年前の約束
週末、わたしはお母様に呼び出されて実家へと顔を出していた。
待っていたのはお母様とフロイデン公爵夫人。にこにこ顔の二人に拉致されたわたしは、午前中からずっと着せ替え人形とかしている。
「卒業パーティー、懐かしいわねえ」
「ほんとう。つい四、五年くらいくらい前のことのようだわ」
……お母様、それはいくらなんでも盛り過ぎでは? わたしはドレスを着せられつつ、心の中で突っ込みを入れた。
もちろん、口には出さない。なぜって、怖いから。
「まさかこうして娘のパーティードレスを選ぶ日が来るだなんて。月日が経つのは早いものねえ」
「うちは息子しかいないからフレアのドレスの準備に参加させてもらえてうれしいわ」
「もうあと一回あるわよ。フレアの卒業時だってリオルクがパートナーになるのだから」
「そうね。そのときは何色のドレスがいいかしら」
お母様たちはおしゃべりに興じつつもわたしの立ち姿を入念に確認をして、やれここにフリルをつけようとか、スカートのひだはこうしようとか、仕立て屋に意見を述べていく。
ちなみにこのドレスが本日三着目。パーティーは一度きりなのに、一体何着作る気だ。
「あら、これは全部試作品よ」
わたしの顔色を読み取ったのか、お母様が先回りをした。
「リオルクとフレアの婚約が決まってから、わたしたち、卒業パーティーのドレスを準備するのをとっても楽しみにしていたのよ」
おば様がきゃっきゃと嬉しそうに言うものだから、わたしは何も言えなくなる。
というか、わたしがリオルク様のパートナーになることは決定なんですね。確かに、会話の端々からリオルク様も匂わせてはいたけれど。
卒業パーティーはわたしたち一年生にとっては遠いもの。憧れはあるけれど、実際自分たちの番はまだ先だ。
まさかお母様たちがわたしのドレスを準備しているとは思わなかった。
部屋の中は色とりどりの布地で溢れている。お針子が背中のボタンを外して、わたしは今着ているドレスを脱いで、今度は深い青色のドレスを着せられた。
「やっぱり、青いドレスになるのかしら。でも、十六なのだから、淡い赤系のドレスのほうがいいと思うのよ」
おば様が手を頬に当てている。青色と聞いてわたしはどきりとした。
どうやらリオルク様、わたしに青いものを持たせたいようなのだ。ようするに、紺碧色の彼の瞳に合わせたいようで。日記帳のあの色の意味に、気づいてからというもの気恥ずかしくって仕方がない。
「淡い紫色もいいんじゃない? そうそう、素敵なタフタ生地があったわよね」
「はい。奥様。こちら、隣国で流行中の新しい染料で染められたものでして」
「ちょっとフレアには大人っぽいかしら?」
「でしたら、こちらは――」
これ、まだかかるのかな。わたしの意見などそっちのけだ。
「卒業パーティーでわたしは夫から正式なパートナーにって申し込まれたのよ」
おば様が懐かしい声を出す。そういえば、フロイデン公爵夫妻は共に同級生だったことを思い出す。
「わたしはもともと男爵家の娘で、フロイデン公爵家の嫡男である夫には釣り合わないって……自分の気持ちを伝えることを怖がっていたの」
「そんなこともあったわね」
「あなたにもよく怒られたわね。もっと自信を持ってって」
「そうだったかしら?」
「でも、あの日、あのパーティーは素敵な思い出だったわ。初めて、あの人と踊ったのよ」
おば様は虚空を見上げた。きっと、その目にはかの日の思い出が写っているのだろう。目がキラキラと輝いている。
「だからね、フレアにも素敵な思い出を作ってもらいたくて」
おば様が少女のように笑った。
「そうだわ、わたしフレアに見せたいものがあったのよ」
お母様が部屋から出ていく。一体なんだろう。
「きっと、リオルクの婚約者であるあなたは……嫌な思いをするかもしれない」
おば様が声の調子を少し変えた。きっと、おば様も色々とあったのだろう。口さがない人から、非難されたり見下されたりしたのかもしれない。
わたしは先日自分の身に起こったことを思い出してしまう。
「世界中の全員から好かれるなんて、無理な話だもの。そこはもう、切り替えるしかないわ。わたしはフレアがリオルクのお嫁さんになってくれて嬉しいわ」
「えっと、わたしはまだ……あの」
もうあとひと月くらいで嫁入りするような口調だったため、わたしはつい訂正してしまう。まだ婚約段階で、しかも卒業までは二年以上もある。
「わかっているわ。歳をとると、ついせっかちになってしまうのね」
「はあ……」
「つまり、何が言いたいのかというと、フロイデン公爵とは関係なく、リオルクという男の子として、あの子を見てあげてね」
おば様の目はとても優しかった。わたしは、彼女の視線からどうしてだか逃れたくなってしまった。
「リオルクはフレアのことが大事で大事で仕方が無いのよ。それこそ、十年間もあなたとの約束を守ってしまうくらいに。ほんとうに、おかしいわよねえ」
おば様がころころと笑った。
一方のわたしはといえば、それなりに混乱をしていた。
「え、十年間? 約束?」
「ええそう。十年間あなたと口をきかなければ、お嫁さんになってくれるんだって」
「えええっ⁉」
なにそれ。ええ、ええ? 一体どういう状況?
わたしは口を開いたまま固まってしまう。
「あら、やっぱり忘れてしまっていたのね。まあ無理もないわねえ。小さいころの口約束だもの。リオルクったら、そのあとでバルツァー氏とも約束をしちゃったから、律儀に守っていたのよ」
おば様はいよいよ泣き笑いの表情になった。
「すみません。まったく状況がわからないのですが」
これはもうきちんと聞いた方がいい。
おば様はどうにか笑いの虫を収めてくれて、簡単に説明をしてくれた。
小さいころ、リオルク様目当ての女の子たちから仲間外れにされてしまったわたしは、リオルク様に絶交宣言をしたらしい。ここまでは覚えている。ただ、その理由がまさかリオルク様がわたしにばかり構っていたからだとは思わなかった。
おば様曰く「女の子は小さいころから女の子なのね。もちろん、フロイデン家もバルツァー家も、あなたを仲間外れにした子の家に対してはきちんと抗議をしたわよ」とのこと。
そのあたりのいきさつは正直今となってはどうでもよかった。あんまり覚えていないし。
問題はその絶交宣言の行方。リオルク様はわたしの突発的な宣言に対して見返りを要求したらしい。
それが、約束を守ったら結婚、という突拍子もないもので。
どうして、そんな話になってしまったのか。
謎過ぎてわたしは混乱してしまった。てっきり、穏やかな学生生活を送りたくて幼なじみのわたしで、周囲の女の子たちを牽制するのだとばかり思っていたのに。
混乱していると、お母様が戻ってきた。
「見つけたわ。ほら、これ。わたしがお嫁に来る時におばあ様からいただいたものなんだけれど」
お母様が取り出したのは首飾りだった。薄紫色と薄青色の輝石がダイヤモンドを取り囲んでいる。繊細な意匠のそれを、お母様がわたしの首の前に持ってくる。
「せっかくだから、当日はこれをつけてみたらどうかしら」
「あら、いいわねえ」
おば様も賛同した。
再び卒業パーティーのドレスについての意見交換会が始まってしまったわたしは、おば様にリオルク様の真意を尋ねる機会を失ってしまった。
小さいころの約束なんてすっかり忘れていたのだから、リオルク様も反故にしてしまっていいのに。
けれど、そういう律儀で真面目なお人なのだ。
わたしは、幼なじみという間柄を盾に取ってリオルク様を縛り付けるつもりなんてこれっぽっちもないのに。
いま、リオルク様がわたしに親切にしてくれているのは、全部その時の約束が原因だということ?
それとも、彼はわたしが女の子たちから仲間外れにされたことに対して責任を感じているの?
彼の優しさの理由が判明して、ホッとしたはずなのに、胸の中が妙にちくちくとした。
どうしてだろう。理由なんて少しも分からないのに、痛みから目を逸らすことが出来なかった。
女嫌いの次期公爵様から溺愛されているようですが、心当たりがありません 高岡未来@4/9ポプラ文庫ピュアフル新刊 @miray_fairytown
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