忘れていること

 小さいころのわたしが泣いている。

 あれはいつの頃だったのだろう。余所行きのきれいな服を着せてもらい出かけた先は、大好きなリオルク様のいるお屋敷で。


 けれども、その日はいつもとは少しだけ様子が違っていた。


 メルデンにあるフロイデン家のお屋敷には、わたしたちと同じ年頃の子供たちが集っていたのだ。


 こんなにも大勢の子供を目の当たりにするのははじめてのことで、わたしはお母様のドレスをぎゅっと掴んで、その陰に隠れた。

 怖い。その思いを伝えるように、握りしめる力を強めた。


「ディティ」

「リオルク?」


 耳に馴染んだ声にわたしはホッとして、お母様の影から顔だけ出した。


 大好きなリオルク様が駆け寄ってくる。わたしが子供なのだから、当然リオルク様もまだ少年で。おぼろげなその光景に、じんわりと懐かしさを感じている。


 これは、ええと、いつの頃のことだろう。

 このあとのことは、あまり思い出したくないな。


 そんなことを考えて、わたしは、あれっと考えた。それではまるで、今のこの情景は過去に起こったことを再現しているみたいだ。


 と、そこまで考えたわたしは唐突に、これが夢なのだと気が付いた。


 夢だからそんな風に冷静な自分がいるのだろう。

 でも、本当にわたしはこのあと何が起こったのか覚えているの?


 夢の中で、小さなわたしはリオルク様に手を引かれて、子供たちの輪の中に入っていく。確かまだすぐ下の弟は二歳くらいじゃなかったかな。今日はお留守番のようだ。


 わたしは大好きなリオルク様の陰に隠れて、子供たちを観察して、仲良くなりたいのに、自分から話しかける勇気も無くてもじもじしていた。


 そんなわたしにリオルク様はいつものように優しく接してくれて――。


「フレア、おはよう。鐘が鳴っているよ」


 うるさい鐘の音に、わたしはぱちりと目を開けた。

 起床の鐘の音がわたしを現実へと引き戻す。


「……おはよう、デイジー、ソーリア」

「お二人とも、おはようですわ」


 週に一度の休息日とはいえ、基本的に生徒の起床時間は六時四十五分。朝食時間も変わらないため、休日とはいえだらだら過ごすことはできない。


 うーん、と伸びをしてわたしは今しがた見ていた夢に思いを馳せる。


 小さな頃のわたしとリオルク様。

 まだ喧嘩をする前の出来事だったと思う。あれだけ仲が良かったのに、どうしてわたしはリオルク様に「もうお話しない。話しかけたら駄目なの」なんて言ったのだろう。


 なにか、忘れているのかもしれない。

 リオルク様と疎遠になって、どうやったらもう一度話が出来るのか、心の中でずっと思い悩んで。


「今日は何をして過ごしますの?」

「わたしは読書。自習室で過ごすわ」

「またデイジーは読書ですの。年頃の娘なのですから、もう少し別のことに目を向けた方がよろしくってよ」


「別のことって?」

「もちろん、ファッションや美容ですわ」


「別に着飾らなくても死にやしないわ」

「心は潤いますでしょう!」


「はいはい」

「はい、は一回ですわ」

「はいはい」

「もーう!」


 同じ部屋の中でルームメイトたちのいつものやり取りを聞きながら、わたしは記憶の奥を探ろうと目をつむる。


 十六歳の誕生日を迎えて、リオルク様が話しかけてきたと思ったら、突然に婚約ということになって。


 それからの彼の言動にたくさんたくさん翻弄をされている。

 どうして急に優しくなったの? ずっと話しかける機会を伺っていたのに、ちっとも近づいてきてくれなくて。


 自分の行いが原因だと分かっているのに、とても寂しくて。だから余計にリオルク様とわたしは住む世界が違うのだと自分に言い聞かせていた。


「フレア」

「……」

「フレアったら!」

「え、な、なに?」

「なに、じゃないわよ。ボーっとして」

「う……ごめんなさい」


 腰に手をあてるソーリアの剣幕に、わたしは先手必勝とばかりに謝った。


「ぼんやりしすぎですわ。まあ、おおかたリオルク様のことでも考えていたのでしょうけれど!」

「そ、れは……」


 その通りすぎて何も言えない。

 正直すぎる反応に、ソーリアは揶揄う気も失せたらしい。


 嘆息して「早く着替えませんと」と促してきた。


 私服に着替えて、食堂へと移動をする。

 そういえば今日はなんの待ち合わせもしていないけれど、彼は何をして過ごすのだろう。


 どこかへ外出をするのだろうか。

 それとも生徒会のお仕事? それとも大学入学に向けての準備かな。


 約束も無い、ただの休日が何かもの寂しくて、わたしはどこか上の空で一日を過ごした。

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