第7話 事情説明をお願いします2

「当然じゃないか! そう簡単にお嫁に出す気はないぞ!」


「はいはい。……ともかく、婚約をしたとなれば、持参金目当てでフレアに近づく殿方もぐっと減るだろうし、婚約期間中をお試し期間中と思ってリオルクとのことを考えてみたらどうかしら」


 お母様はとてもやわらかな声を出した。


 わたしのことをちゃんと考えてくれていることが先ほどの言葉から伝わってきて、早くもわたしは納得しそうになる。


「だいたい、あなたが不用意なことを言うから、フレアが大変な目に遭うのよ」


 ふうっとお母様が息を吐いた。


「あれはだな。私がどれだけフレアのことを愛しているか語りたかっただけで」


 いささかばつが悪そうに言い訳をするお父様。


「あなたは事業のことにたいしては頭が切れるのに、娘のこととなるととんとポンコツになるのよね」


 ぎろりとお父様を睨みつけるお母様の、その視線の鋭さにお父様が項垂れた。


 事の発端は数か月前のこと。


 お父様が何かの拍子に「愛するフレアのために私は一国の王女にも引けを取らないほどの花嫁支度と持参金を用意する手はずを整えてある」なんて少なくない人の前で言ったことが始まりだった。


 わたしの実家であるバルツァー家はルストハウゼでも三本の指に入る大商会を営んでいる。爵位こそないものの、売上高はそのへんの貴族の地代収入を遥かにしのいでいる。


 お父様としては、それくらいうちのフレアは可愛い、という単なる娘自慢の一種だったらしいのだけれど、その話が独り歩きをしてしまったから大変だった。


 昨年の夏、学園に入学をする前のわたしは、人前に出る練習として我が家で開かれた園遊会に出席をした。


 商会を営む我が家だ。招待客も多く、その席でわたしは多くの若者たちから、しつこいくらいに売り込みをされてしまったというわけだ。


 野心はあるが資金力に乏しい男性たちにとって、わたしは金を背負った子羊に映ったらしい。

 しつこく追い回されて、最終的にはお父様がブチ切れた。


「あれは私が悪かったよ。私はフレアを嫁に出したいわけではないんだ。一国の王女以上に可愛く思っているというニュアンスで」


「お父様の気持ちは嬉しいわ。小さいころからたくさん可愛がってくれているもの」


「フレア……。もちろん私は今だってフレアのことが可愛くて仕方がないよ。フロイデン家のせがれとなんか結婚せずに一生我が家にいればいいじゃないか。王都に屋敷でも、別荘でも何でも買ってあげるよ」

「ありがとう……」


 お父様なら本気で屋敷を二、三個買ってしまいそうだから不用意なことは言えない。


 わたしがカップを手にとって紅茶を一口飲んだところで、扉が控えめに叩かれた。

 使用人が入室をしてきて、お母様に小声で何かを言った。来客だろうか。


「ええ、通してちょうだい」


 予想は当たったらしい。どうやら気安い間柄の人物が屋敷を訪ねてきたらしい。もしかしたら叔父様が帰国をしたのかもしれない。


 なんてのんきに考えていたわたしの前に姿を見せたのはリオルク様だった。


 彼は驚いて言葉を失うわたしを尻目に、両親に挨拶をしている。

 お母様は朗らかに返事をしているけれど、お父様は目に見えて機嫌が降下した。親しい間柄とはいえ、一応彼は公爵家の嫡男なのだし、その不機嫌顔はどうかと、わたしのほうが無駄に胃をキリキリとさせてしまう。


「ディティ、迎えに来たよ」

「迎えだって?」


 なぜだかお父様の方が先に反応をした。


「私は確かに不承不承だが、きみとフレアの婚約を承諾した。しかし、しかし。いちゃいちゃを許したという意味ではないぞ」


 地底から這い出た悪魔のように低い声を出すお父様。

 わたしはおろおろとリオルク様とお父様の顔を見比べる。


「お互いに勉強が本分の学生であることはきちんと肝に銘じておりますよ、義父上」


 お父様のこめかみがぴりりと引きつった。

 わたしの胃も同様にきりりと痛んだ。うう、二人の空気が張り詰めていて心臓に悪すぎる。


「ちちうえ……だと」


「僕とディティ、いえ、フレアディーテは正式に婚約を交わした仲ですから。ディラン氏では他人行儀過ぎるかと」


 リオルク様は溌溂とした笑顔を振りまいた。なぜだか妙に怖く感じるのはどうしてだろう。


「おじ上でいいだろう、そこは」

「仕方ありませんね。しばらくはそうさせていただきます」


「一生、おじ上かディラン氏で構わないよ」


 二人は笑顔を保ったままなのに、後光に黒いとぐろが渦巻いて見えるのはわたしの気のせいだろうか。いや、気のせいだと信じたい。


「はいはい。二人とも相変わらず仲がいいわねえ」


 妙に張り詰めている空気をまるで気にせずに割って入るお母様は本当にすごいと思った。


「フレアはこの通り、ちょっと内気なところがある娘だけれど、よろしく頼むわね。あと、婚約のいきさつやらなんやらはあなたの方から説明してあげてね」


 やわらかな声でてきぱきと場を仕切っていくお母様。そのままの声の調子で「フレアを迎えに来たのでしょう。せっかくの休日だものね」と微笑み、わたしに起立するよう促した。


 仕方なくわたしは立ち上がる。


「清く正しい男女交際はまず交換日記からだぞ。いいか、くれぐれも清く健全な男女交際ということを心に留めておくのだぞ!」


 お父様が性懲りもなく喚ているが、リオルク様はそれには取り合わずわたしの手を握った。


 急に掴まれて、わたしの心臓が跳ね上がる。この間から感じていたけれど、彼の手の感触はわたしの覚えている子供の頃のそれとはまるで違っていて、そのことを考えると胸の奥が妙に火照ってしまう。


「ええ。分かっていますよ。ですから、今日はこれから交換日記用の帳面を買いに行こうと思います。せっかくだからおそろいでペンも買おうかと」


「なっ……なんだその、青春真っ盛りの楽しいイベントは!」

「おじ上の忠告通り、清く正しい青春ですから」


 さわやか笑顔をまき散らすリオルク様に引きずられるようにしてわたしは部屋を出たのだった。


 遠くの方から「くれぐれも清く正しい男女交際を――」という父の悲痛な叫び声が聞こえてきた。

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