継母の逆襲(中編)
「お芝居……ですか?」
「ええ、オーディション受けてみないかな? と」
奈々のマネージャーの田本さんは、翠とほぼ同世代の女性。がっしりした体つきで「私に結婚なんて無理無理~」と豪快に笑い飛ばす、頼りがいのある姉御肌の人だ。
「奈々ちゃんはカメラの前でも物おじしないし、お外でのロケ撮影も平気です。この先彼女のキャリアを伸ばすためにも、一度経験してもいいのではないでしょうか」
「おしばい?」
それまで絵本をめくっていた奈々が、田本さんに抱き着く。
「そう、お芝居だよ。奈々ちゃん、やってみる?」
「うん、やりたい。ママ、いいでしょ?」
「……いいわよ、奈々がやりたいって言うなら」
「わぁ~い、やったぁ!」
無邪気に飛び跳ねる奈々は、子役とか芝居とか、そういうものを理解しているようには見えない。だが、ここでモデルから子役に進めば、彼女の可動域はさらに広がっていくことだろう。
「母の日は、ママにプリンを作ろう~♪ プリンミックス~」
翠は自宅で書類整理をしながらテレビを眺めていた。エプロン姿で手づくりプリンを作る奈々のCM。十歳を迎える頃には、奈々の知名度は全国なものになった。
仕事で学校にあまり通えないのが悩みだが、本人は現場の方が楽しいらしい。田本さんは相変わらず有能で、ドラマや映画、CMなどの仕事をコンスタントに取ってくれる。
「いいですか、お母さん。子役はいつか限界が来ます。子役というレッテルを上手に脱皮しないとならないのです」
奈々が九歳の誕生日を迎えた日、田本さんはいつになく真剣な顔で翠にそう言った。それは翠も重々承知だ。同じ事務所の男の子は、小学六年生になるかならないかのうちに急激に背が伸び声変りしてしまったため、それまでのイメージを大きく覆すからと仕事が激減した。一方で事務所には、新たな子役志願者やキッズタレントを目指す親子が入ってくる。いわば、新陳代謝だ。小学校を卒業すると、芸能活動をやめて学業に専念する子が多いのはそういう背景もある。人気子役であればあるほど、そのイメージから抜けられず過渡期を上手に乗り切れないことも多い。
「奈々ちゃんは知名度も高い。この先、一度は仕事が減ったと感じることも考えられますが、それは過渡期だと思ってください。彼女のキャリアを傷つけないよう、そしてさらに女優として成長するため、私はこの先、彼女のためになる仕事だけを選ぶつもりです」
田本さんの熱意には敬服した。その後彼女は、奈々に大河ドラマの仕事を取ってきたのだ。ヒロインの少女時代を演じるというその仕事は、まさに奈々の子役としての集大成になる。クランクインはこれからだが、再来年にはお茶の間で彼女の演技が見られることだろう。
テレビの音声を遮るように、自宅の電話が鳴った。いまどき携帯でなく、固定電話にかけてくるのは、実家や夫の両親だろうか……。
「はい、藤田です」
「…………」
「あの、もしもし?」
「……あの、私、です…」
受話器の向こうの消え入りそうな声の主は、奈々の生みの親のマユカだった。
最初の時こそ平身低頭で長年の無沙汰を詫び、しおらしい振る舞いをしていたマユカだったが、要求が増え、態度も高飛車になるのにそう時間はかからなかった。
「遠くから我が子を眺められればそれでいい」などと涙ながらに訴えていたのもつかの間、撮影スタジオに同行したがり、最後には奈々を引き取りたいと言い張るようになったのだ。
マネージャーの田本さんも神経を尖らせている。そもそも奈々に生みの親がいたことが初耳だったから、余計に「何を今さら」と思っているようだ。
結局、奈々が小学校を卒業するのと同時に、翠は離婚した。そして奈々の親権は健介とマユカになった。案の定というべきか、マユカは夫に再びちょっかいを出し、今度は逆に奈々と健介を翠から奪っていったのである。奈々の親権を欲しがったのは、健介というより生みの親であるマユカの意図もあるだろう。
人気子役の両親が離婚したこと、その原因が夫の愛人であり、子役の実の母親であることなど、あまりにも「おいしい」ドロドロなネタに芸能マスコミが飛びつかないわけがない。翠はマスコミの追及を避けるため旧姓に戻ることにした。
幸いなことにこれまでの貯えもある。翠は実家のある軽井沢に引っ越し、親戚から譲り受けた古い一軒家でしばし隠遁生活を決め込むことにした。
奈々については、田本さんが付いているからひどいことにはならないだろう。強いて言うなら、奈々が「母親に捨てられた」と思っていないかどうかだ。「困ったことがあったらメールしてね」とは伝えていたのだが、まったくと言っていいほど連絡はなかった。だから彼女の近況は、テレビや雑誌で見るしかない。
中学生になった奈々は、人気の学園ドラマに出演していた。ただし、主演ではない。生徒のうちの一人という設定だ。小学生の頃、大河ドラマを無事にこなしただけあって、演技は悪くない。
「少し……太ったかしらねぇ」
育ち盛りだし、背も伸びたようだ。ちょっとだけふっくらしたように見える。
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