一族の逆襲(後編)

 「愛美さん、体調はどうだい?」

 長谷部家の一室で、スマホをいじりながらだらしなく布団に寝転んでいた愛美は、ヨシ子の声にあわてて起き上がった。

 「お、お祖母様……」

 「ああ、いいんだよ。寝てなさい。つわりはきついからねぇ。なぁに、甘いものなら少しは口にできるかと思ってねぇ。この子に作らせてやったよ」

 ヨシ子の後ろには、菓子盆を手にした融がいる。

 「まだ、試作品なんだけど……食べられるようだったら」

 そう言って彼が差し出したのは、緑色の練り切りだった。抹茶の緑色とは、ちょっと異なるようだ。

 「この子が自分で考えて作ったんだよ。えーと、ピ……ピーナツじゃないし、えーと、何だっけね」

 「ピスタチオだよ、お祖母ちゃん。白餡にピスタチオの粉末を混ぜ込んだんだ」

 「わぁ、美味しそう。融さん、これ、愛美のために……?」

 「具合が悪いって聞いたから……」

 今日は長谷部家の邸宅で雛子と秀介の婚礼を執り行なっていた。最初こそやたらにめかし込み上機嫌で参加していた愛美だったが、白無垢姿の姉を見た途端、つわりが辛いと言ってその場を逃げるようにして去ったのである。格下と見くびっていた姉の花嫁姿は思いのほか美しく、しかも相手の男もなかなかの美形だったので、へそを曲げたらしいことは容易に想像がつく。

 「あの~、愛美お嬢さん? お加減はいかがでしょうか?」

 「温かいほうじ茶をお持ちしましたよ。これならお体にも障りませんでしょ?」

 女衆が、おずおずと部屋をのぞき込み、様子を伺いに来た。

 「ほらね、愛美さん。みーんな、アンタが心配で見に来たよ。しんどいけど、頑張って元気な赤ちゃんを産もうね」

 優しい言葉に、愛美の顔がにんまりとほころんだ。

 

 ――いくら大女将の命令とはいえ、あんな小娘に頭を下げるのは癪に障るわ。

 ――あんな子にウチの店を任せられるかってんだよ。

 裏口でタバコをふかしながら文句を言っていた従業員たちには「まぁまぁ」と軽くなだめてやり、なぜこのような決断をしたのかを伝えてやった。それからというもの、彼らは大女将に従って愛美の面倒をよく見てくれる。ヨシ子の意図は、皆にちゃんと伝わったようだ。


 「はい、それじゃすみませんが、もう一度この角度から撮影させていただきたいと思いまーす。お願いしまーす! はい、本番五秒前! …三、二、一…」

 ディレクターの指示で、カメラが回り、グルメレポーターが出された和菓子を頬張った。

 「……う~ん、美味しぃ~~~~! このあんこが上品な甘さで……うん? この香ばしさはナッツ? あんことナッツって合いますねぇ~」

 雑誌やテレビの取材には慣れている。大抵は古くから続く老舗の和菓子店としての紹介だが、最近は融の創作和菓子の取材依頼も少しずつ増えている。見た目だけでなく味も優れている。もちろん本人も父親の侑一郎から熱心に教えを請い、懸命の努力を重ねた結果だ。

 ほどなく撮影は終了し、和服姿の雛子が茶を運んできた。

 「お疲れ様でした。お茶をどうぞ」

 「あ、ありがとうございます。……えーっと、若女将?」

 「あらやだ、違いますよディレクターさん。この子はウチの番頭の嫁さん。ウチの広報宣伝部長みたいなモンですよぉ」

 ヨシ子が笑うと、ディレクターとレポーターが怪訝な顔をした。

 「へぇ? いやぁ、すみません。着物姿だし、てっきり……。でも若旦那さん、するってぇと奥さん――若女将は?」

 「ああ、すみません。妻は子育ての真っ最中で、お店のことはやっていないんですよ。何しろウチ、息子二人と双子の娘でてんやわんやなもんで。まぁ、大女将と女将――母も祖母もまだまだ健在だし、この人もいるので大丈夫ですから」

 ヨシ子はそつなく振る舞う雛子を優しく見守る。それは、息子夫婦や孫の融、それに「はせ屋」の従業員も同じ思いだ。こうやって表舞台に立たせてやるのは雛子だ。


 「――やられた」

 あのとき、融は悔しそうにそう言った。雛子との間に割り入ってきた、可愛いだけが取り柄の女。妙にまとわりつくなと思ったが、婚約者の妹だからと油断したのが間違いだった。「お姉ちゃんのことで相談がある。大事な話なのでお姉ちゃんのいないところで話をしたい」という誘いで食事をしたところまでは覚えているという。

 「気が付いたら、愛美と共にホテルのベッドにいて、気が付けばこんなことに……」

 「よござんす。それならその娘を嫁にしなさい。だが、あの小娘にこの店は一切触れさせないよ! いいかい、よくお聞き――」

 ヨシ子は、愛美との間にたくさんの子を作れと融に命じた。好きでもない女との子作りは苦痛かもしれないが、それぐらいの責任は取ってもらおう。

 雛子には番頭の息子と結婚を命じた。公にはしていないが、秀介は女に興味を持たない性質だからだ。もともと経営学を学び、融と二人で店を継ぐつもりであった雛子は、仮面夫婦が存外気に入っているようだ。職場では融と共に仲良く仕事をこなしている。そう、名より実を取った雛子が、実質の若女将だ。


 「さて、それじゃあ『若奥様』のところに行ってくるかね」

 ヨシ子はにやりと笑って奥座敷に向かう。実は愛美が五人目の子を妊娠していて、例のごとく酷いつわりに悩まされているのだ。

 「あらあら若奥様、そんなことはウチらがやりますから」「そうそう、若奥様は、なーんにもしなくていいんですよぉ」「そうそう、なーんにもねぇ~」

 奥座敷から女衆の声が聞こえてきた。

 最初こそ有頂天になっていた愛美は、やがてそれが過ちだったと知る。何もかも周囲がやってくれる三食昼寝付きの生活。しかしそれは、奥座敷に閉じ込められ、何もせず、ひたすらに子を産むことしか許されない日々だった。つわりの苦しさ、出産後の睡眠不足などに、ヨシ子や女衆たちは親切丁寧にケアをしてくれる。産んだ子どもとて、女衆をはじめ、長谷部一族が親代わりになって育てているのだ。

 彼女の異母妹・愛美に許されたのは、ただひたすら子を産むだけ。ブリーダーに買われている繁殖用の雌犬と同じ扱いだ。

 ――表に出さず、終生飼い殺しにしてやる。

 

 それが、ヨシ子が決めた、長谷部一族の方針である。

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