一族の逆襲(中編)
伊藤家は長谷部家の遠縁に当たり、かつ長年にわたる取引先の一つだ。主な家業は原材料である小豆や砂糖の仕入れ。和菓子に小豆は欠かせない。それらを代々引き受けてきた一族である。さらに伊藤家の分家筋は明治時代に北海道の十勝に移住し、小豆農家として今なお良質の小豆を生産している。
小豆は別名「赤いダイヤ」ともいい、かつては先物取引の花形としてもてはやされた作物でもある。小豆は冷害などにより収穫量が数倍の幅で頻繁に増減し、単価が乱高下しやすい作物だったのがその理由だ。伊藤家もまた、小豆の仕入れだけではなく、相場で相当の金を稼いだらしい。だがそれも昔の話だ。
小豆は現在でも価格の変動はあるものの、農地の改良と栽培技術の向上、そして冷害などにも強い品種の育成が生産の安定化につながり、収穫量の変動幅はかなり小さくなった。それに伴い、いまや先物取引でも昔ほどの勢いはない。
伊藤家も一時はかなり羽振りが良く、バブル時代には長谷部家よりも資産があったらしい。だが、その後はバブル崩壊も手伝って相当の資産を失ったようだ。なんとか持ちこたえたものの、子女が長谷部家に嫁入りすることで家を存続させようともくろんでいるのが、傍目にも分かるほどだった。
ヨシ子は、当時まだ女子大生だった長女の雛子を自宅に招き、言葉を交わしたことがある。おとなしい中にも芯のある子だった。そして、聡明な子でもあった。ただ、どこか自分を抑えているような印象を持った。
「お前さん、何をそんなに遠慮しているんだね? うちらは長い付き合いだ。まだ若いじゃねぇか。遠慮なんざいらねぇ。若い奴らはもっと無鉄砲でいいんだよ。ほれ、もっと食え。そんな細っこい体じゃ、ウチの店なんざ務まらねぇぞ」
今は亡きヨシ子の夫は、そう言って雛子に食べきれないほどの食事を振る舞った。十四代 長谷部九衛こと、長谷部
さて、今の当主である伊藤義三は、なかなかの伊達男だ。いいとこのボンボンではあるが、仕事はそれなりにこなすし、振る舞いもスマートだ。それが災いしたのか、ずいぶんとモテるようで愛人が何人もいるという噂もあった。
雛子が中学生の頃、彼女の母親が病気で亡くなり、ほどなくして義三が新しい後添えをもらったと聞いた。いや、愛人が正妻に収まったというべきか。後添えの後妻、美和子には連れ子がいた。それが義妹の愛美である。何のことはない、義三が愛人に子を産ませたのだ。庶子だった愛美は、義三と美和子の再婚により、正式に伊藤家の次女――雛子の義妹となったのだ。
「――で、その異母妹が婚約者を横取りしたというわけだね」
「はい、大女将。ままある話ですが、姉のものを欲しがり、駄々をこねた挙句、最終的には自分の手に入れるクチですな」
「ふん、それがどうした」
こともなげにヨシ子は言い放った。
「長谷部家の跡継ぎができるなら、問題はなかろうて。そもそも伊藤家の親御さんが諸手を挙げて喜んでくれとるのに。ああそうだ、工藤、後でウチの男衆と女衆を集めておくれ。今後のことについて、きちんと言い聞かせておく必要があるからの」
「承知いたしました」
あの修羅場から数週間後。再び長谷部家の大広間に人が集まった。上座には泥大島の紬をまとった大女将のヨシ子がいる。ヨシ子の前には孫息子の融と愛美。少し離れたところには雛子と番頭の息子の秀介が、それぞれ並んでいる。
「皆に集まってもらったのは他でもない。既に聞いておるであろうが……孫息子の徹は伊藤家の次女である愛美さんと結婚させる。そして元婚約者の雛子さんは、ウチの番頭の息子の工藤秀介に嫁いでいただく」
事前にそれとなく知らされていたとはいえ、この扱いには居合わせた人々からどよめきが走る。そりゃそうだ。腹違いの義妹が義姉の婚約者を寝取り、妊娠をタテに婚約を奪い取る。捨てられた元婚約者は、夫の部下にあてがわされる。姉妹の立ち位置は、妹が次期当主の妻、ひいては将来の大女将。対する姉は、その使用人の妻である。
これでは伊藤家の長女が、あまりにも気の毒ではないか――。そんな空気が長谷部家だけでなく、伊藤家にまで及んでいるのを、ヨシ子は肌で感じている。
「ふん、何だいお前さんたち? これは、雛子さんとも、秀介とも融とも話をした上での結論だ。異議を申し立てるなら、今ここで聞いてやるから言うがよい!」
そう言い放って十秒。誰も声を上げるものはいない。
「では、そういうことだ。この話はこれまで。ああそうだ、愛美さん。アンタは身重だ。できる限りのことはするし、ウチに嫁いで困るようなことはさせません。ウチの女衆にも、そのあたりはきつく言い含めておきますからね」
皆が大女将の言葉にひれ伏している。そして、その空気の中でこっそりとほくそ笑んでいる二人の女のことを、ヨシ子は見逃してはいなかった。
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