一族の逆襲(前編)

 親類一同が揃った大広間で、畳に額をこすりつけんばかりに土下座する青年。その隣で半べそをかいている若い娘。二人の真向かいには、無表情のまま凍り付いているもう一人の娘。

 ――なるほどねぇ、そうきたか。

 長谷部はせべヨシ子は、彼ら彼女らを睨みつつも、黙ってぬるくなった茶をすすった。孫息子は土下座したまま微動だにせず、一言も発せずにいる。

 少々覇気には欠けるが、温厚で優しい男だ。顔立ちもさほど悪くはない。いやむしろ優男で、確かに若い娘にはモテるかもしれない。隣でべそをかいている小娘は、華奢で砂糖菓子のような可愛らしさがあり、髪も化粧も服装もフワフワキラキラした華やかさを持っている。もう一人の娘はというと、質素なワンピースと後ろで一つに束ねただけの黒髪。決して不美人ではないし、育ちの良さも感じられる佇まいだが、先の娘と比べるといかんせん華がない。

 「で? お前さんはどう責任を取るつもりだい?」

 一族の長であるヨシ子の問いに、とおるはおずおずと顔を上げた。

 「ぼ……僕は、責任を取って愛美まなみさんと結婚します。だから……その……雛子ひなこさんとの婚約は――」

 「――ごめんなさい、お姉ちゃん! でも、愛美のお腹にはもう……」

 突っ伏してしゃくりあげている娘の様子は、二十歳過ぎとは思えないほど子どもじみているように見える。それとも婚約者の雛子が大人びているのだろうか。

 長谷部家と伊藤家の親類一同が、困惑しきった表情でヨシ子を見やった。ここは一族の長に決断を仰ぐしかないのだと思っているようだ。


 よくある話だ。婚約者がいる身でありながら、他の女と関係を持ち、婚約破棄に至るという。面倒なのは、その女がよりによって婚約者の妹であり、なおかつ妊娠中であるということ。ついでに言うと、このトラブルが当事者だけで済まないような環境にあるのだ。

 長谷部家は、この辺りではよく知られた和菓子屋「菓子司 はせ屋」を先祖代々担ってきた商家だ。創業は古く、かつては大名や宮内省に菓子を献上したこともあるという。そのため長谷部家の跡取りは、代々初代の名を受け継ぎ襲名を行う。現在の跡取りはヨシ子の息子の侑一郎ゆういちろう、またの名を「十五代 長谷部九衛門はせべ きゅうえもん」としている。つまり、孫息子は将来「九衛門」の名を継がなくてはならない立場なのだ。若さゆえの過ちとはいえ、これではご先祖様に顔向けできない。

 「ようござんす!」

 ヨシ子の良く通る声が、融の弁明や愛美の泣き声をかき消した。小柄な老女だが、江戸小紋の着物をまとい、白髪交じりの髪を結い上げた姿は、さすが老舗の大女将の風格が漂う。

 「伊藤家の皆様方、不詳の孫息子が本当に申し訳ございません。ですが、生まれるお子さんに罪はない。ましてやこの先、長谷部家の跡取りになるやもしれません。この件に関しては、全てこの大女将である長谷部ヨシ子が責任を取ります。そこのお嬢さん方も、悪いようには致しません。どうかこの婆に免じて一切合切を任せていただけますでしょうか?」

 ヨシ子は居ずまいを正すと座布団から降り、伊藤家の親類一族に向かって丁寧に手を付き頭を下げた。隙のない見事な座礼だった。その場に居合わせた両家の親族たちも、こぞってこの老婆に手を付いて謝罪やら礼やらを口にする始末だった。

 もちろん、若き二人も再び深く頭を下げた。二人とも感極まっているようで、特に愛美という娘は肩が小刻みに震えていた。ヨシ子は、その震えを見逃さなかった。


 「お呼びですか、大女将?」

 ヨシ子の部屋――つまり社長室に、番頭の工藤啓介けいすけが入ってきたのは、それから数日後のことだった。正しくは「株式会社はせ屋」の営業部長という役職なのだが、この工藤もまた代々にわたり長谷部家に仕えてきた一族だ。そのせいか工藤本人も昔気質な「番頭」の呼び方が気に入っている。口が堅く、金勘定が得意なしっかり者。ヨシ子が全幅の信頼を寄せる部下の一人だ。

 「例の雛子さんの話だけど、あちらさんは承諾してくれたよ」

 「そ、それじゃあ大女将……!」

 「ああ、お前さんの息子と一緒になってもいいって」

 「へぇ~そいつぁ……。しかし大女将、雛子さんは本当に納得してくださっているんで? その、ウチのバカ息子は、その、ほら、アレなんだし――」

 「何をお言いだね。大学在学中に公認会計士の資格取るような息子がバカな訳があるもんかい! それにお前さんの跡を継ぐつもりで、ウチで働いてくれているじゃないか。あたしゃ自慢に思えどバカだと思ったことは一度だってござんせんよ。もう外孫のようなもんさね。だから、形はどうであれ幸せになって欲しいんだ」

 「お、大女将……」

 「あらやだ、いい年して泣いているよこの人は」

 工藤の極太の眉毛が八の字になり、眉の下のギョロ目がみるみるうちに潤んできた。工藤の息子の秀介しゅうすけは、今年で三十四歳。幼い頃から数字に強く、ずんぐりむっくりの父親とは違って背が高くキリリとした美丈夫だ。才色兼備のいい男なのだが、女性にはとんと縁がない。見た目が良いから言い寄る女も少なくないのだが、本人がことごとく断ってきた。にもかかわらず、今回のヨシ子の提案には、一も二もなく応じてくれたのだ。

 「挙式の費用はこっちで持とう。お前さんたちは心配しなさんな。それと、融たちの挙式は雛子さんと秀介君の後だ。姉妹なら姉が先の方が道理に叶うというもんだ」

 「お心遣い、本当にありがとうございます……!」

 工藤は深く礼をした。

 「――で、もう一つの件についてだが……」

 「はい、そちらについても……」

 工藤は改めて周囲を見回すと、声をひそめつつ報告に入った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る