真似されっ子の逆襲(後編)
史子は、物は試しと当時の流行だったソバージュヘアにイメージチェンジを図った。すると先輩の予想に反し、佐和子は史子の髪型をそっくりそのまま真似するに至った。おかげで佐和子の後姿を見た上司が、史子と間違えて声をかけるほどだった。
佐和子のコピーは外見だけにとどまらず、史子の言動もコピーし始める。本屋で村上春樹の新刊を買えば、翌日には彼女がこれ見よがしに会社の机で広げている。社員同士の飲み会に参加して、カラオケでユーミンを歌えば、次の飲み会では彼女がユーミンを歌う。
そして、決定打が彼女の態度だった。
「最近、私の真似ばっかりしているじゃん!」
ある日、同僚や上司たちがいる中、佐和子が史子に向かってそう言い放ったのだ。驚きのあまり、一言も返せないまま、史子はその場に立ち尽くした。
見かねた先輩の一人が「アンタが彼女の真似しているんじゃないの?」とかばってくれたものの、佐和子は「そんなことないです!服もメイクも、私がやったのを彼女が真似しているんです」と強情に言い張り、一歩も譲らなかった。
上司や男性社員はやれやれといった表情で相手にしない。女同士のくだらない諍いだと思っているようだ。
その日、史子は泣きたい気持ちで帰路についた。電車を待っているとき、駅構内のポスターが目に入った。
――嫌なことは、山に打ち明けよう。
そんなキャッチコピーと、山頂で泣きながら何かを叫んでいる若い女性の写真。アウトドア専門店のポスターらしい。
「山……か」
全くの偶然だったが、史子には天の声にも思えた。
その日から史子は週末やまとまった長期休暇を利用して登山に出かけるようになった。最初は初心者向けの低い山でもバテてしまうほどだったが、徐々に体力も付いていくようになる。長かった髪をバッサリ切り、日に焼けた小麦色の肌の健康的なルックスに変わっていくのに、そう時間はかからなかった。
気が付けば、佐和子の真似っこなど気にもならなくなっていた。
「最近、雰囲気変わったじゃん。何かやっているの?」
飲み会にもあまり顔を出さなくなった史子を見て、同僚が訪ねてきた。
「実は今、登山がマイブームなんです」
さらっと答えた瞬間、背後に佐和子がいたのに気付いた。あのロングソバージュヘアは史子によく似たショートカットになっている。
「へー、どこ登ったの?」
「高尾山とか」
「お、いいねぇ。で、次はどんなとこを登るの?」
「そうですね~、長野の……」
史子は、中級者向けの山をいくつか候補に挙げた。正直言うと、今の自分にはまだ無理な山ばかりだ。そこまでの体力もないし、何より入念な登山計画と準備なしには登れない。
気が付けば佐和子の姿はなかった。さすがに登山はそう簡単には真似できないだろう。
「お義母さん、まさかその人は……?」
「それがねぇ……すごい後味の悪い話になるんだけど……登山に出かけて、遭難したのよ」
「まさか、亡くなったんですか?」
「ええ、滑落して。それも、落っこちてから二~三日は生きていたみたい。足の骨が折れて歩けなくなって、そのまま衰弱したって話よ」
「うっわ……」
当時は携帯電話も今ほど普及していなかった。しかも、山の中では電波が届かない。痛みと、飢えと、渇きと、絶望の中で彼女は息絶えたのだろう。
「だから、ちょっとトラウマでね。それ以来、山に登る気もすっかり失せてしまったのよ」
「あ~、それは嫌ですね。でも、その人には悪いけど自業自得ですよ。服や髪型は簡単に真似られるけど、体力や知力は真似できないですからね。真面目に努力して、修練の上で得たものを、一朝一夕で真似られてたまるもんですか!」
「そうよ。だから綾香さんも、ちょっとやそっとじゃ真似できないことをやればいいいのよ。英会話とか、マラソンとか」
「そうか……そうですよね。いいこと聞きました!」
綾香は大学時代、韓国語を学んでいたという。また、中学・高校とブラスバンド部に所属していて、サックスが得意だとも聞いた。どちらも簡単に真似できる代物ではない。
二人は、顔を見合わせてうなずいた。これで少しは、彼女の憂鬱の種の解消に役立てばいい。
その日の夜。嫁と孫たちが風呂に入っている間に、史子は放置していたアルバムを押し入れにしまい込んだ。
「……さすがに本当のことは言えないねぇ」
長野の山に登りたいというのは、わざと佐和子に聞かせるようにしたこと。
その山が、素人が登るには無理のある山であることを、あえて彼女には伝えなかったこと。彼女の机上に登山雑誌が置いてあったり、行きつけのアウトドアショップで彼女の姿を見かけたりしても、何も言わなかったこと。
史子はくっくっくっと小さい声で笑った。
まさか死ぬとは思わなかったが。綾香の言う通り自業自得なのだ。
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