奥様の逆襲(後編)

 澄子さんはアウトドアクッキングも得意らしい。湧き水で淹れたコーヒーをサヤにすすめ、その傍らで山菜をきれいに洗い終えると手際よく山菜の天ぷらを作り出した。

 「ダメ元で小麦粉とサラダ油、一緒に積んでおいて正解だったわ。本当はこれでビールでも飲めれば最高なんだけど、さすがに車でそれはねぇ」

 「すごい、さっきまでそこらへんで生えていたものが食べられるなんて、贅沢ですね」

 「でしょ? さ、食べて食べて。こっちはウド、こっちはタラの芽、これはニリンソウね。揚げたてに、こうやって塩振って食べると最高においしいの」

 澄み渡った青空の下で食べる、ほろ苦い春の味覚。熱々を頬張ると、満ち足りた気分になっていく。

 「ごちそうさまでした。本当に美味しかったです」

 「ふふ、こういうのをホテルで出したらお客さんも喜ぶでしょうね」

 澄子さんはポジティブで楽しそうだ。こんないい人を、自分はずっと騙していたんだと思うと、サヤはやるせない気持ちになる。

 「澄子さん……実は私、あなたに謝らなくてはいけないことがあるんです」

 「あら、なぁに? かしこまっちゃって」

 「実は、私……」

 そこまで言いかけた時、急に強い吐き気がサヤを襲った。胸が締め付けられるように苦しくなって、よだれが勝手に出て来る。たまらず地面に倒れ込んだ。吐き気は一層強くなり、嘔吐するうちに息ができなくなり、目の前が暗くなっていく。

 「あ、サヤさんとウチの旦那のこと~? そんなの知ってたわよぉ~、最初から」

 澄子さんがのんきにそう返事するのを聞きながら、サヤは意識を失った。

 

 苦悶の形相のまま息絶えたサヤを見下ろしたまま、彼女は二杯目のコーヒーを淹れ直していた。

「旦那だけならまだしも、わざわざ私にまで厚かましく近づこうとするから、こうなるのよ。アンタの素性なんて、とっくにバレてるっつーの。ま、これで三人目かぁ。あの人も懲りないわよねぇ~」

さっき食べさせた山菜の天ぷら。実は、ニリンソウとよく似ている猛毒のトリカブトを食べさせたのだ。効果はてきめんだ。後はそのあたりのやぶにでも放り込んでおけばいい。ド田舎のぽつんと一軒家。携帯の電波もつながらないようなところだ。やって来るのはキツネやエゾシカ、ごくまれにヒグマも出るという場所。遺体は彼らのエサになってくれるだろう。

 「さぁて、暗くなる前にちゃっちゃっと片づけましょうかねぇ」

 慣れた手つきでサヤの服を脱がし、全裸にすると笹やぶの中に放り込んだ。サヤが着ていた服や車に残されたハンドバッグは、一斗缶で作った小型焼却炉で燃やし、スマホはその場で粉々に叩き壊す。SIMカードもまだ炎を上げている焼却炉に投げ入れた。

 小一時間もすれば彼女の持ち物は全て灰燼と化す。彼女は黙々と後始末を済ませると、バッグからタバコを取り出し、うまそうに吸った。

 「はーい、完了! 帰りに日帰り温泉にでも寄ろうかな。じゃあね、サヤさん。バイバーイ。たぶんその辺に、あなたの『お仲間』がいるから寂しくないからね~」

 夕陽が傾きかける頃、彼女は上機嫌で帰路についた。

 夫の浮気性は今に始まったことではない。それはそれで我慢すればよいのだが、中には勘違いして妻である自分に離婚を迫って来る女たちもいた。

 彼女はそんな愛人たちを言葉巧みにここへ誘い、殺して山林に捨てていた。最初こそ手際が悪かったが、三人目ともなるとお手の物だ。人気のない廃屋ゆえ、遺体も発見されないし、この辺で幽霊を見たという噂すら聞かない。よほどのことがない限り、彼女たちが見つかることはないのだ。

 「ざまぁご覧あそばせ~~」

 

もっとも、これは愛人らへの仕返し以外の意味もあった。 

 

 敏夫はひどく落ち込んでいた。サヤが突然目の前から姿を消したのだ。ラインのメッセージも最初は既読スルーだったが、一昨日からは既読すら付かない。業を煮やして彼女のマンションを訪れても不在だという。失踪したらしいことは、後に彼女の事務所関係者から聞いた。警察に捜索願を出そうにも、身内でもない敏夫では警察も相手にしてくれない。むしろ、不倫の愛人に何をしたのだと疑われるだけだ。パパ活で男たちの間をフラフラしているモデル崩れの女。そんな女が急に消えたとしても、世間ではどうってことはないのだ。

 「あなた、どうしたの? 何か困ったことでもあったの?」

 「あ……いいや、何でもないよ」

 「そう? もしかして『また』振られたんじゃないの?」

 「お前……!」

 「もう、何年夫婦やっていると思ってるの? あなたのことなんてお見通しよ~」

 「……す、澄子ぉ~~~~~」

 妻はいつもこうだ。浮気していても許してくれるし、浮気相手が急に彼の前から去って落ち込むたびに、子どもをあやすようによしよしと慰めてくれる。

 「もう、甘えん坊さんなんだから。いい歳したオジさんが、なんて顔しているのよ……。でもね、あたし、あなたのそうやって落ち込む顔を見るの、嫌いじゃないのよ」

 半べそをかく中年男を、優しくハグしてくれる妻。しかし、彼は知らない。その瞬間、妻が例えようもなくウットリした顔をしていることを。

 ――そうそう、この顔! もう、何て可愛いんでしょ。まったく、これが見たいから愛人殺しはやめられないのよねぇ~~~。

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