chrono-03:注意力は、アイス?そういうのもあるんだ(困惑)の巻

 とにかく今日はひとつ間違えればとんでもない事になっていた事象が自分の身に降りかかってきたこともあり、身体が、精神から来るものも加味してなのか、非常にガタガタに感じられているわけで。実際、肉体を自分の閾値以上に酷使した感覚はあるわけで。


 晩御飯もそこそこに布団に入ったけど。やっぱり眠れない。明日が土曜で半日っていうのがせめてもの救い……明日奈は大事を取ってあしたは休ませようというえこひいきな父親の気遣いがあったものの、ひとつ言えることは妹が無事で本当に良かった、ということ。それだけは僕も迷いなく思える。


 とは言え、この平凡な日常に降って湧いた感ありありの、あのあれな「謎」はやはり僕の思考の大部分を淀み占めているままであって。


 「意識の空間」。間違いなくあれは単なる夢とかの類いじゃあない。あるんだ、今の僕の中に。そう、そしてそれに気付いたことで認識感、みたいなのが広がって鮮明になったような感覚……今の僕は、あまり集中しなくても先ほどの「紺色エセ宇宙空間」……「来野ファイブ」ってのがのたまってた「ロビー」ってやつを脳内に描けるようになっている。そこに【13】と胸に白文字を刻まれた紫全身タイツ姿の「僕」が体育座りのままで、ふよふよ浮かんでいる絵面も。


――君と同じ、『分身』のひとりさ。


 ファイブの言葉を鵜呑みにするのならば、僕には何人もの「僕」がいるということになる。「多重人格」……順当にいくとそんなところ、なんだろうか……でも僕、そんな豹変なんておそらくしたことないし、意識とか記憶が途切れちゃってるとこがあるわけでもないし……僕は僕。それは言えると思うんだけど。周りの人らだって、そういったメンタルの人間が近場にいたら、何かしらの態度に表れてくるはずだ。今の僕の、表面上はイジられ、軽んじられるがままの生活に特にこれといった起伏があるわけじゃない。あ、何かハウスダストかな、また鼻の奥がツンとしてきた……


 でも……だ。


 気になる点はある。あるけどそれを直視したくないというような感じかも。それでも容赦なく頭の中に沸いて広がってきたモヤり感に、「やはり」なのかと納得させられてしまうところもあるのが今の心境だ。意識のままならなさ。それは実は自覚しているところもあるから。もちろん大体の記憶は脈々と日々受け継がれている……当たり前のことだけど、でも僕は「大体」も「大体」なんだ。つまり、およそ七割くらいの事柄しか覚えていない、って言ったらいいか。改めて思い返してみると、あれ? こことここの間が何となく繋がらないないやでも忘れてるか無意識かで飛ばしているだけなんじゃないかな……みたいなことがしょっちゅうある。


 それに……自分が自分を俯瞰しているかのような感覚に陥ること、それもある。特に最近多い……気がする。何なんだろう、それって。でも今回のことに絶対関係あるよね……


 詮無い考えで悶々としてると、被った布団にどんどん熱がこもってくる。足側の下半分を蹴り上げてひんやりした空気をいったん通すと、よし、もっと思考の海へ深く潜ってみようとか意気込んで考え始めたりするのだけれど。


 刹那、だった……


「……起きてる?」


 内開きのドアが少しこちらに向けて傾いできて、暗闇一色のこの室内に、暖色の廊下の灯りが線状に射しこんでくる。逆光のシルエットの主は見なくても勿論分かったんだけど。


「……」


 何か、やっぱりとは思った。それでも無言でいると、灯りの幅が太くなってから消え、そしてドアが静かに閉まる。息遣いと気配。シャンプーかコンディショナーか、それ系の甘いピンクのイメージの花のような香りがふわと漂ってくる。


「眠れなくて……一緒に寝てもいい?」


 遠慮がちな問いだけど、断っても無駄感も漂っている。中学に上がった時から僕と明日奈は別々の部屋に分けられたんだけど、今までの六畳の子供部屋が明日奈、廊下の突きあたり北側の四畳半の角物置が僕に割り与えられた。


 清々しいまでの親父のえこ采配に、それでも自分ひとりの空間を持てるってことの魅力の方が高かった僕は喜んだ。例え嵌め殺し二十センチ四方くらいの窓しかないどんよりしたほぼ密閉空間であっても。


「……」


 でもいまその手狭で殺風景な部屋は、真っ暗闇なのになぜか華やいだような感じを醸している。さらに無言をつらぬく僕の枕元に、すとりと柔らかそうな生地の布に包まれた両膝が落とされてくる。空気が動いて、また華の香りが強く鮮明になった。


 僕の無反応が本当に寝ているからなのか、無視をしているだけなのか、測りかねてるってこともないだろう。あれだけいつも邪険に扱ってんだから。でも……なんか待ってるよ。僕の言葉を。まったく。


「……入れよ、むれむれで気持ち悪くてもいいなら」


 膝を躊躇せずに床に突いたことから、怪我は大したことないんだって分かった。でもそれ以上に心に受けた衝撃は結構なものだったはず。双子だから、何となく推し測れてしまう。そして僕のわざとらしいにもほどがある、これでもかのぶっきらぼうな言葉にもぱっと表情を明るくしただろうことが、流れてくるにおいで分かるよ。しょうがないな……


 いそいそと布団を丁寧にめくってするりと身体を滑り来ませてくる明日奈。暗闇でも、ここまで寄ればその艶やかに光る眼が僕を嬉しそうに見つめていることくらいは分かる。うふふーというような満足げな鼻息も甘い香りがするのは何でだろう。冷たくなっていた自分の足を僕のに絡めひっつけてきたりして思わずびくとさせられてそれをくすくすと笑われる……自分の血が、遺伝子が憎い……こんな感じの合法な彼女がいたらなあ……


「……今日はありがと。本当に助けられるって、ほんとは思ってなかったんだけど、本当に嬉しかったの」


 何かを溜めたかのような、こちらの鼓膜を甘く震わせてくる声。二人きりの時は「おにいちゃんっ」って呼ばれないのは何でなんだろう……とか、詮無いことを考えでもしていなければ、愛おし過ぎてどうにかなってしまいそうだった。吐息はもう重なり合ってる距離にて寝転び相対しながら、僕は精一杯の兄の威厳を保ちながら、もう寝ろ、とその柔らかい髪に指を差し入れてくしゃくしゃとかき回す。ことさら雑に。いや、僕の方こそ「兄」とかにこだわってんじゃないかよううぅん度し難ェ……


 くすぐったそうな、満足したような顔で目を閉じた妹の、すぐに漏れてきた寝息を聞きながら、改めて今日の経緯を思い返してみる。


 そこに、僕の身に起きたことの何かしらのヒントが隠されていないか? 


 今日のきっかけは、はっきり「身の危険」だ。それにより引き起こされた「能力の覚醒」……いや、というような単語にまとめてしまうとおそろしく甘美過ぎるのでアレだけど、つまりはそんな僕が常日頃から待ち望んでいた展開に……いま……現実が追いついたのであった……


 いやいや。落ち着こう。「来野ファイブ」とか臆面も無く名乗ったあの僕的な輩……自分で言うのもなんだけど陰キャの外装の割には堂々としていたな……なにか、能力に全振りしてますから外見なんて切ってますよ的な……そこは何か、憧れ目指したいところではある姿だよね……あれは理想の自分の白昼夢像だったのかな……


 では無いはず。ならやっぱり多重人格? 「ロビー」と称されていた僕のインナースペースっぽい紺色空間……「各人格」たちが集まる意識の中の「場」っていうのは、実際の多重人格者たちにもあるって何かで読んだことがある。それだろうか。でも改めて思うにつけ、僕、自分の人格が変わるなんてやっぱりさらさら自覚できてないんだよね……


 平々凡々と毎日が続いていく。それの知覚/自覚はある……つもり。昨日覚えたはずの英文法、過去進行形でnowが何に変化するのかは抜け落ちている気がするけど。でも子供の頃のことはいろいろエピソードとして記憶がちゃんとある。幼稚園のスキー合宿の夕食時、虫垂炎を発症した同じテーブルのいつも騒がしい友達が静かになったかと思ったら、その円卓がみるみる覆われていくほどの嘔吐物を突如静音でリリースしたこと……小学校の昼休み、壁打ち野球をやっていた友達が急にぎくしゃくとした妙に姿勢の正した感じになったことがツボに入って何だよそれとか近寄った瞬間に牛乳ベースと思われる大量の液主体の嘔吐物を顔面から浴びせられたこと……うん、やめよう……偏った記憶だけが鮮明にフラッシュバックしてくるけど、それだけじゃあないもんねっ。それにそれらの記憶の中にはいつもそばに明日奈がいるし。


 だから僕は僕だ。今のこれはちゃんとした僕の意識のはずだよ。でも何でだろう……「自分」っていう存在が時々不安定に感じることもある。だから、ファイブに言われたことが、あっさり「そうだったんだ」で頷ける自分もいる。


 わからない。ときは寝るに限る……


 自分でも進歩性の無い性格とは分かっているけどしょうがない。ふにゃふにゃ言いながら僕の方に身体を寄せて来る妹の、今どきこの年齢で着るのって珍しいんじゃないのと思わせるフリフリがついた正にのネグリジェに包まれた背中に手を回してさすってやりつつ、掌に感じる下着スポブラの感触に慄きつつ、変な疲労感に包まれている僕も徐々に眠りへと誘われていく……あ……そこらめらのぉ……とか吐息混じりに鼻にかかった甘い声が吹きかけられてくるけど、起きてない? キミ。


 刹那、だった……


「やあ、ようやく『意識のフチ』から片手を離してくれたね。来野ファイブだよ」

「ようこそ我がチームへ。我が来野トゥエニィスリーである」

「おっすやで、せや、ワイが来野トゥエニィナインや」

「……同じく、来野イレブンどす」

「いやほんま、来野エイティーンやっちゅうねん、正味のハナシ」

「やっぱ来野って……トゥエニィファイブやん?」

「来野トゥエニィエイト、以下同文でやんす」


 突然、脳内にぼんやりあった紺色空間が、その色を濃くしてきたと思った瞬間には、そんな言葉の奔流が、その「場」にいつの間にか佇まされていた僕に、あの日、宙を舞い飛んできた吐瀉物のようにべしゃばしゃりと一斉に叩きつけられてきたのであった……いや順番。


 そしてやっぱりな予感はしてたけど、それを上回る頭数だったよ!! ……僕の姿をした「僕」たちは皆一様にあのラメる紫全身タイツを標準装備しててまあ見分けがつくことも無いわ、一応胸に【05】とか白数字が大書されているけど【23】【29】【11】【18】【25】【28】ってうぅぅん、二十番台多過ぎて区別しづれェ……それにエセい上方言葉の奴が四人もいるよもっとキャラ住み分けていこうよ……


 あ、これ多重の奴だ……多重の人格のやーつだ……今までの熟考が何だったのと思わせるほどの混沌の坩堝にいきなり叩き込まれて、しばし真顔で受け流すほかは無い自分――これは本当に「自分」なんだろうか――がいる……

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