第8話 3/11その後

 震災後の道路はガタガタで、アスファルトの道路は中央から二つに割れ、マンホールは液状化と浮力で浮き上がり、道路からにょきにょき伸びて道路と歩道を塞いでいた、同時にアスファルトの下に有る土台の砂などが一緒に流れて沈んでしまった為、道路は陥没して酷いことに成っていた。

 斜面沿いの道では、斜面の法面等が崩れて道を塞ぎ。

 歩道の部分は崩れたコンクリートブロックで塞がっていて、道は狭いことこの上ない状態だった。

 一番致命的なのは、川に架かった橋の部分で、丈夫に作られた橋自体は大丈夫なのだが、それに接続する道路が沈んでしまい、何十センチの段差が出来上がって車とバイクでは通行不可と言う状態の場所が沢山出来ていた。

 主要な部分では砂などを積み上げて突貫工事で開通させていた様だが、自分が自転車で通った部分は、そんな国道等の主要道路ではなかったので、未だ未だそんなガタガタ道を通って帰った。

 道路沿いの民家では屋根瓦が落ちていたり、簡易構造の駐車場なんかは丸っきり潰れていたりで大変なことに成っていた。

 後から調べると、元から低い地域、昔は沼地だったような、地下水が豊富な土地は被害が酷かった、大して、高台で元から岩盤を削ったような土地は全く被害がなかったりと、住む土地選びが生死を分けていた。

 海辺で津波にさらわれた組は先ず助からなかったわけだが、内陸地では直接家が崩れて死傷するようなことは余り無く、ダム湖の堤防が崩れて、その水害で亡くなった方がとても目立っていた。


 帰り道で昔のバイト先である本屋に寄ると、店長が途方に暮れた様子で棚から落ちた本を必死に戻していた。

 隣に有るゲーム屋の親父の様子も見たが、どこも同じように途方に暮れていた。


 そんなこんなで実家に帰ると、屋根瓦が落ちてなんとも言えない状態になっていて、家業の商品である鉢植え盆栽が棚の崩壊で軒並み地面に落ちて、鉢が割れて枝が折れて酷いことに成っていた。

 被害額盆栽だけで数百万規模か、これは酷い。


 父は何とも言えない表情を浮かべて棚から落ちた盆栽をひたすら置き直す仕事をしていた。

 一方母は何とも言えない表情で家の中で座り込んでいたが、帰ってきたのを見ると、カセットコンロでご飯の準備を始めてくれた、プロパンガスと井戸水のポンプが止まってしまったので、いざという時の備蓄と言うか、常に多めに買いだめ、汲み溜めしていたので、食料系は以外とどうにかなった。


 先ずは井戸水の復旧をと言うことで、家の周囲をダウジングして回り、片っ端から掘り返して折れたパイプを修復していき、最後にポンプの再起動をかけたのだが、井戸の中で砂と泥の粒子が舞い、吸い込んだ結果、ポンプの中でヤスリがけ状態になったのか、圧力が掛からず再起不能となっていて、大急ぎで代替品を発注する羽目になった。

 ポンプの在庫は有ったが、中々初期起動が難しく、色々無事な親戚の家から巨大タンクで水を運んで盆栽に水をやるのが最優先のお仕事となっていた。

 さらに飲用水として近所の作り酒蔵の井戸水が無料開放されていたので、配給なしでもなんとかなった。


 風呂は風呂釜とボイラーの接続部が外れて水漏れしていて素人では修理不可だったので、数ヶ月後に新規でユニットバスが出来上がるまでは自宅の風呂無しで生活する羽目となった。

一週間後、近所の温泉が無料開放されていることを知り、毎日通うことと成った。


 ガスに関しては都市ガスは通っていない地域のため、プロパンガスのリセットだけで済んだのは、不幸中の幸いだった。

 

 家の電話線は目立つ場所で切れていたので、自力で線をよじって繋げ直した。


 屋根の落ちた瓦はしょうが無かったので、落ちていない分だけでも並べ直したが、まさかの釘無し、モルタル無しで乗っけてあるだけだった、後日、修理に来た屋根屋が、中々凄い手抜き物件だと苦笑を浮かべていたらしい。

 棟の部分は見事に全部落ちていたので、被災地支援で配給されたビニールシートを張ってひとまず対処した。


 AUの電話回線は翌3/12の昼頃に復帰した。


 そんな作業中に菅直人が原発を視察して大丈夫だとニュースが流れたと思ったら、その日の昼にパーンと爆発して大騒ぎになっていた。

 結果として福島県は放射能に汚染されたと大騒ぎになり、災害復興需要、応援の特産品買い占めという支援もなく、逆に復興増税+2.1%をかけられて酷いことに成った。普通はこう言った災害時の予算確保は一過性なのだから、特別国債の臨時発行で日銀に買わせれば問題無い筈なのだが、本気で酷い増税で有る。

 原発支援金と家屋半壊による援助は有ったが、結局足りなかったのはお約束で有る。

 結局植木ですら福島産は汚染されていると大げさなデマが流れ、深刻に売れなくなり、トラックは急いで福島県を通過するようになり、トラック運転手の憩いの場で有った国道沿いの近所の食堂は閉店した。


 そんなこんなで実家の復旧作業は1ヶ月ほど掛かり、大体片付いた頃に、会社の工場も復旧したから出社して来いと連絡が来て、改めて寮に戻った。

 意外なのは、一ヶ月の間仕事には出ていなかったが、給料は満額支給で。一ヶ月の間出社して復旧作業していた組にはその分の日当をプラスして支給された、そこら辺は一部上場企業らしい立派な給料管理だった。

 恐らくは上層部の御題目的にはホワイト企業なのだ。現場がどうしようもなく腐っているだけで‥‥‥‥

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