矜持のお値段
ブレイデン公爵家の馬車は
ひとり一台以上所有しており、当主のディビットともなれば保有数は五台にものぼる。
二頭立てと四頭立てがあるが、ディビットひとりならば二頭立てで
それでも、客室はおとなが四人座れるほどの広さがあった。
家の
あえて紋章をつけずに、おしのびの用途で使われるものもあるが、馬車自体が高価なために、
国内三大公爵家の筆頭であるブレイデン公爵家ともなれば、馬車の
最新のスプリングを
どの馬車も一級品だと自負しているが、使用されるのは、もっぱらディビットの馬車だ。
ギルバートに至っては、
本人も不要だと言いはってはいるが、公爵家嫡男の馬車が無いなど体面が悪い。
そういう事情でりっぱな馬車を仕立てあげたが、彼が馬車を使ったのはここ数年で数えるほどしかない。
じっとしていられない
ディビットを乗せた馬車は、整備された大通りを――
等間隔にならんだ
さまざまな策略や
そんなことを思いながら、ディビットは向かいに座る少年を見やる。
行儀よく
こちらの視線に気づき、彼が
「
年に似合わぬ落ち着いた態度と、しっかりとした
「馬車ははじめてかね」
「いいえ。ですが、このような乗りごこちが良い馬車ははじめてです」
「そうか。家人は皆、馬車に興味がなくてね。君だけでも、わかってくれて嬉しいよ」
そういうと、アルデがひかえめな笑みをみせた。
「ギルバートに助けられたと言ったね。よければ、話を聞かせてくれないか」
国立公園で魔獣に
「その腕輪で転移したあと――」
いきなり見知らぬ子供があらわれ、
――なぜ、こどもが。
――どうやって侵入した。
――まさか、帝国の間者。
怖い顔の大人に囲まれ、アルデは床に座ったまま、知らず帰還の腕輪にすがる。
そのとき、人の輪のむこうから、おっとりとした声が聞こえた。
――おや、その腕輪は術具かい?
周囲よりも十は年上の術士が、にこやかにアルデを見つめた。
この人なら、自分の話を聞いてくれる。
そう判断したアルデは、右手首――金の腕輪をかかげて叫ぶ。
――ギルバート・ブレイデンより
年かさの術士はうなずき、しゃがみこむとアルデと目をあわせた。
――君は運がいい。ブレイデン卿が、このあと転移室を視察される。
やわらかい笑顔でアルデに告げて、手をさしだす。
――彼が来るまで、お茶でもいかがかな?
アルデは目をまたたかせる。
――はい。ありがとうございます。
つかんだその手は、あたたかかった。
「そうして、旦那様にお
ディビットがうなずく。
それから短くない時間、彼を転移室に待機させたことに思い至る。
「ずいぶん、待たせてしまったね」
「いいえ。あの、それより……ギルバート様の容態は……」
迷いながら、アルデが口をひらく。
彼が待たされることになった原因――ディビットを追ってきた宰相が、ギルバートが重傷で医務室に運ばれたと耳打ちしてきたとき、近くにいたので聞こえているだろうとは思っていたが。
彼の本心から心配している様子に、ディビットはめずらしい気持ちをおぼえる。
ついまじまじとアルデを観察してしまった。
「もうしわけありません。庭師見習いの
ディビットの無言を拒絶と受け取ったのか、アルデはきっちりと頭を下げる。
「……息子を心配してくれてありがとう。さいわい、命に別状は無い」
「……そうですか」
安堵が混じる声音に、ディビットはこの少年ともっと話がしてみたい気になった。
「アルデ、だったね」
「はい」
「年はいくつだ?」
「十二になります」
「ギルバートとは、前からよく話すのか?」
「いいえ。今朝、はじめてお会いしました」
ディビットは首をかしげる。
息子は、そんなに情が厚い人間だっただろうか。
それとも、竜騎士団長という立場から、一般人を救出しただけか。
ふしぎそうなディビットに、アルデは考えるそぶりをみせ、説明を付け加える。
「私が
「つまり――いっしょにロベルトに
「え!? それは、ちがっ……うとも、いいきれませんが……」
しどろもどろになりながら言葉をさがすアルデに、ディビットは笑い声をあげる。
「君のおもいやりを
「……まぎらわしい言い方をして、すみません」
すなおに
「ところで、国立公園で何をしていたんだい?」
「ええと、職探しの一環といいますか――」
「うん? 君はうちの庭師だろう?」
ディビットの視線をうけとめたアルデが、姿勢を正して口をひらく。
「はい、まだ見習いですが。――休日に働くことに関しては、特別許可をいただいております」
その言葉に、ディビットは内心で驚愕する。
使用人を管理するのは、執事長だ。
あのロベルトから特別許可を引き出したのか、となかば感心してアルデを見やる。
通常、貴族の使用人は、他で働くことは許されない。
家の財力が疑われ、外聞が悪いからだ。
公爵家の筆頭であるブレイデン家の使用人ならば、なおのこと。
だれよりも――それこそ当主のディビットよりも、公爵家の名誉に神経をとがらせている御仁が、いったいどのような経緯で、この少年の副業をみとめたのか。
ただ単に気に入っているだけではありえない。
深い事情があるはずだ。
相手が少年だろうが、そこに土足で踏みいるべきではない。
「――そうか」
それゆえ、ディビットは言葉少なに、それとなく視線を逸らす。
「はい。医療費が高額で」
あっさりと告白するアルデを、ディビットはおもわず見やる。
「どこか悪いのか?」
聞いてから、しまったと思う。
公爵家当主が、
期待させるだけ残酷であり、ましてやこの
かすかな緊張とともにアルデを見やるが、彼からは、なんのこだわりも見受けられなかった。
「俺ではなく、両親です」
聞かれたことに対して、返答する。
それ以上でも、以下でもない。
その態度に、ディビットは腹を決めた。
途中で止めるには、いささか気持ちが悪い。
「おふたりとも、ご病気で?」
「いえ。事業に失敗して、自殺未遂を起こして――ああ、でも母は精神病棟に移ったから、病気といえば病気なのかな」
アルデが首をかたむける。
彼の口調には、負の感情がまったく混じっていない。
ごくあたりまえの事実を話すように、淡々としている。
「――いくらだ」
「はい?」
「その、医療費は」
「ああ。今月の請求書をもらったばかりです」
アルデがポケットから病院の請求書をとりだす。
「約150万です」
「150万……君が支払うのか?」
ディビットは、平民の月給が30万ほどだと記憶している。
その
推し量るようなディビットの視線に、アルデがきょとんとまたたいた。
「いえ、支払えてはいないです。特別に
絶句するディビットに、アルデがなにかに気づいたような顔をした。
「うち、
話したほうが早いと、
「破産ならば、
「会社は父の
十二歳の少年が語る事実にしては、いささか返答に困る内容だ。
それでも、ディビットには引っかかることがあった。
「お母様は、
「
「……そんなことが?」
財産を整理し、再出発できるだけの金が残るならば、それもありかもしれない。
だが現状は、莫大な借金をかかえ、未来を悲観し、自殺未遂を起こしてしまった。
どうかんがえても、おかしい。
その顧問弁護士とやらを、調べたほうがいいのかもしれない。
そう思う反面、ブレイデン公爵家としてやる
ディビットの心情を知ってか知らずか、アルデが
「金にもならない
さすが商売屋の息子だ、とディビットはなかば感心する。
アルデの意見は
「ちなみに
「フェニクス商会です」
「
「よくご存知ですね」
それでディビットは
アルデの言動は、貴族を相手にする商会の息子のそれだ。
しかもフェニクス商会といえば、堅実な商売をする店であり、従業員の
「知り合いが
「ご不便をおかけして、もうしわけありません」
「私に謝ることはない」
「……そうですね」
アルデはクスリと笑って、また車窓に視線を向ける。
いくぶん肩の力が抜けて、たのしそうに景色をながめる姿は、十二歳の少年だ。
大人でも逃げだすほどの逆境に、アンジェリカよりもおさないこどもが、ひとり静かに
そういうところがロベルトの心を動かしたのか、とディビットは納得するとともに、貴族としての義務――ノブレス・オブリージュの一環として、この件の調査をロベルトに相談してみようとも思った。
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