第二章 臣下とは王のために存在する

プロローグ

「ねー、いーじゃん!」


 王城の一室で、ねだる声に、ねだられた相手がためいきをおとす。


 きらびやかな調度品と、豪奢な家具に囲まれた部屋だった。

 布張りの椅子いすに座るのは、威厳のある外見の男性だ。

 老人というにはすこし早いが、刻まれたしわは彼を気難しげにみせる。

 豪華な部屋にふさわしく、着ているものも高級だ。


 椅子の背後に立つのは、猫背の青年だ。

 人好きのする笑顔を浮かべて、親しげに椅子にもたれかかる。


「ちょっとだけだから、ね?」

「おぬし、『ちょっと』っで済んだためしがなかろう」

「だってねぇ、もうすこしで完成だよ」


 試作品の第一号が、と胸中でこっそり付けたす。


「資金不足で頓挫とんざしたら、もったいないでしょ?」


 椅子の装飾を爪ではじきながら、青年は屈託のない笑顔でつづける。

 

「だから研究費ちょーだい、国王さまぁ!」


 まるで小遣いをねだるような言い方に、国王は苦笑する。


「ブラットリー。今日は魔術研究所の副所長ではなく、王族としておとずれたのであろう」

「そうだよぉ? せっかく王族の末端に生まれたんだから、直訴じきそしない手はないよね。持つべきものは、前王妹のおばあちゃん!」

 

 王位継承権を持つ者は、年に一度、国王との面談が義務づけられている。

 それがたとえ、二十六位という、まちがっても玉座につくことはない順位だとしても。

 

 ブラットリーは、王都魔術研究所の副所長という立場だ。

 そのため国王とは仕事で、年に何度も顔をあわせている。

 血族だから、というより彼の性格によるところがおおきいが、ふたりだけで話すときはとても気安い。


 現にふたりが居るのは、国王の私室だった。

 おかげでブラットリーは、きがねなく研究費をねだることができる。


 国王のほうも、親戚のこどもになつかれて悪い気はしない。

 四十手前の仏頂面の息子より、いつも笑顔で駆けよってくる二十代の青年のほうが愛嬌がある。


 そのうえブラットリーの興味は研究のみ。

 裏をよむ必要がないので、国王としても楽である。


「してブラットリー。今回はどんな研究じゃったかな?」

「わからないで話してたの?」


 そりゃ追加予算が下りるわけがない、とブラットリーは口をとがらせた。

 

「よくきいて。高難度魔術こうなんどまじゅつの代名詞ともよべる、あの転移魔術てんいまじゅつを! だれでも! かんたんに! 発動できる術具じゅつぐの開発だよ!」

「わしでもか?」

「もっちろん! いまはまだ、座標がひとつしか設定できないから、一か所しか飛べないけどね」

「どこに飛べるんじゃ?」

「ここの転移室てんいしつ。ぜったいに誰かいるし、使用者本人がめんどくさがっても、周りの転移術士たちが代わりに記録してくれるからねぇ」


 転移室とは、転移魔術で人や物を送るための部屋だ。

 転移魔術専門の術士が常駐しており、指定地に確実におくりとどけることを仕事としている。


 床には特殊な転移魔術陣が描かれ、座標指定のための地図や図鑑、季節や天候による座標のずれの資料や、八卦にかかわることまで、書物や術具であふれている。


 そのすべては、転移魔術を成功させるためにある。


 最先端の技術と、貴重な古文書にあふれた転移室は、国にとって重要な機関だ。

 許可がなければ入室すらできない。


「将来的には、どこでも自由に行けるようになるよ」

「ほお。実現すれば、すごいことじゃな」

「でしょー? わかってくれた? じゃあ、研究費ちょーだい」

「おぬしな」


 あきれたように笑う国王に、ブラットリーはにこりとほほえむ。


「あとはぁ、透明度のたかい宝石に、魔術陣を埋めこんだら完成なんだよ。ものすごく魔力がいるけど、それはこっちでなんとかするし。ただ透明度のたかい宝石は、おねだんも高いんだよね」


 そのセリフに、国王はしばし考える。


「ふむ。予算はむずかしいが、宝石ならば力になれるやもしれん」

「ほんとう!?」

「まっておれ」


 国王はチェストを開け、豪奢な装飾の宝石箱をとりだした。


「どれでもひとつ、もっていくがいい。おぬしの誕生日祝いも兼ねて」


 うきうきと宝石箱をのぞいたブラットリーは、目を見張る。

 いろとりどりの宝石がひしめく中、あおいクリスタルが、またたくようにきらめいた。


希少宝石パライバ・トルマリンがある!」

「よく知っておるの」

「うん。好きな子の、瞳の色だから」

「はっはっは。それならば、おまえが持つにふさわしいな」

「ありがとう! おじちゃん、だーいすきぃ!」


 満面の笑みで国王に抱きつき、頬に感激のキスをふらす。

 ブラットリーの浮かれように、国王は笑い声をあげる。

 それを好機とみて、ブラットリーが冗談のようにたたみかける。


「だめもとでいいから、研究費の追加予算案も策定さくていしてよ」

「きもちはわかるが、国内で大型魔獣が多発しておるのは知っておろう。その対策でてんてこまいじゃ」


 あごをさする国王を、ブラットリーはきょとんと見返した。


「なぁんだ、そんなこと」


 まるで天気の話をするかのように、ブラットリーは軽い調子でつづけた。


「ギルくんに、たおしてきてもらえば解決じゃん」


 『ギルくん』とは、王立騎士団の竜騎士団長である、ギルバート・ブレイデンだ。

 莫大な魔力を保有し、高位悪魔を使役する彼は、「稀代きだいの魔人」との二つ名をもつ。

 そのうえ、ブレイデン公爵家の嫡男という由緒ただしき生まれ。

 蜂蜜色はちみついろの髪と、涼やかな碧眼へきがんをあわせもつ、整った顔立ちの青年だ。

 

 これだけ聞くと、非の打ちどころがないように思われるが、幼い頃より恐れやねたみ、やっかみにさらされた彼は、どうにもひねくれた性格になってしまった。

 

 現に「竜にのらない竜騎士団長」という、あざけりを含んだ二つ名が、他国にまで伝わっている。

 他人は彼に冷たく、また彼も他人に冷たかった。


 兵器のようなあつかいをされ、それでも彼が騎士団にとどまるわけは――溺愛する妹のためだ。


 彼の家族には、何人たりとも危害を加えてはならない。


 それがこの国の法典に記されるようになった経緯は、けして美談で語れる内容ではなかった。




 ブラットリーの提案に、国王はむずかしい顔をする。


「かんたんにいうがの。あやつとて、竜騎士団長としての職務が」

「国の危機でしょ? 王命下せば?」

「本人が首を縦にふらん」


 王命だろうがなんだろうが、彼にとっては関係ない。

 見てない、聞いてない、届いてない、の一点張りだ。


 故意に握りつぶしているに違いないが、国王にも強制できないわけがある。


 単純に、この国の竜騎士団長は、仕事量が多いのだ。

 

 そのあいまをぬって、国境での小競り合いの鎮圧に行かせているので、なかなか強く要請できない。


 彼がいつも不機嫌なのは過労だろう、と国王はおもっている。

 

 そしておもっているだけで、何もしないのがこの国のトップだった。 


「じゃあさぁ、ぼくが交渉してきてあげる」


 近所におつかいに行くような言い方だった。


「だいじょうぶ。ギルくんとぼくは、ともだちだから」

「しかしのぉ。おぬしに頼んだことがばれたら、おこられるのはわしじゃろうて」

「ばれなきゃいいんだよ。だから、ね?」


 ブラットリーは、血のような赤い瞳を、にぃと細めた。


研究費おだちんは、浮いた魔獣対策費の一部でいいから。おたがいに得するとおもわない?」


 国王は考える。

 いつもどおり命令書を出したところで、いつもどおり握りつぶされるのが関の山だ。

 それならば、どちらに転んでも惜しくはない条件の、目の前の青年に賭けてみるのも手か。


「ではブラットリー。おぬしに頼んでみようかの」

「まっかせといて!」


 ブラットリーは指を鳴らし、元気に返事をする。

 彼は魔獣の討伐命令書と、希少宝石パライバ・トルマリンを、大事そうに懐にしまった。


「では国王陛下。御前を失礼いたします」


 臣下の礼をとるブラットリーに、国王は興味本位の問いをなげかける。


「おまえがそこまでするのは、なぜじゃ?」


 これだけ研究費がほしいと明言しているのに、お金に困ったことのない人にはピンとこないらしい。

 研究費のためならばなんでもすると自負しているブラットリーは、満面の笑みをうかべて、歌うように言葉をつむぐ。


「ぼくも王族の端くれだから。お国のために働くのは、あたりまえじゃない」


 研究費がもらえる可能性がいちばん高くなる言葉をえらんだブラットリーに、国王は感心したようにうなずいた。






「国のため国のためって、うるせーんだよ」


 ギルバートは鏡にむかって吐きすてる。

 漆黒の団長服は、見ため重視で動きにくい。

 めんどくさそうに蜂蜜色の髪をうしろになでつけ、舌打ちする。


「なぜ国のために、ほしくもない褒章ほうしょうを受け取らなくてはならない」

 

 いつもどおりやる気のないギルバートに、エリオットは淡々とつげる。


「今夜の褒章授与式では、親善国の賓客が多数招かれています。くれぐれも、それをお忘れなく」


 ギルバートはエリオットの胸ぐらをつかむ。

 感情の見えないみどりの瞳をにらみつけた。


「クソジジィが魔人を見世物みせものにする式典の、どこに意義を見出せという」


 ここでいうクソジジィとは、国王のことだ。

 剣呑な空気に、竜騎士団二年目のゼノが明るい声でわりこんだ。


「まあまあ、団長。報奨金も出るんでしょ? いいじゃないですかー! 何に使うんですか?」


 ギルバートはちいさくためいきをつく。

 さすがに年の離れた後輩に当たり散らすわけにはいかない。


 人懐っこい笑顔をうかべるゼノに、ギルバートはさらりと答える。


「妹貯金に決まっているだろ」

「いも……え?」


 ゼノはまたたき、レスターを見る。


「レスター先輩も、妹さんがいましたよね。してるんですか? 妹貯金」

「するはずねぇだろ」


 遠い目で答えるレスターに、ギルバートが眉をひそめる。


「レスター、おまえしてないのか? そんなことで、兄としてだいじょうぶか?」

「むしろ団長がだいじょうぶですか」

「質問の意味がわからない」

奇遇きぐうですね。俺もです」


 ゼノがあわてて、こんどはレスターとギルバートのあいだに割りいる。


「でも団長! 『式典がんばってね』ってお手紙くれる妹さん、天使じゃないですかー! うらやましいなー」


 さあこい妹自慢! との覚悟で発言したが、ゼノの予想に反して、ギルバートは床をにらんだ。


「アンジェリカからの手紙がなければ、こんな式典など……」


 ゼノは拍子抜けして、レスターを見る。

 レスターは、無言で肩をすくめただけだった。


「ギルバート団長、お時間です」

「――わかっている!」


 エリオットの言葉に噛みつきながらも、ギルバートは扉にむかう。


――おぼえていろよ、クソジジィ。これが終わったら、ぜったいに長期休暇を取得してやる。そしてかならず、アンジェリカとふたりで過ごす!


 そう固く誓い、それでもギルバートは、扉をくぐった瞬間、竜騎士団長の顔になった。

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